無双の武者 九

その日、主従は朝から全く落ち着かぬ体であった。


黒龍洞の職人殿が仕事を請け負って数日後。

左兵衛が恐る恐る様子伺いに訪れると、職人殿は頼もしい笑顔と共に十日後の完成を約した。

これは吉報と飛んで帰った左兵衛は、興奮もそのままに権左に職人殿の確約を伝える。

さぁ、ここからが落ち着かぬ日々の始まりだった。


初めの三日はまだ良かった。

権左もどっしりと居住まいを崩さずに城勤めをこなしたし、左兵衛もその小間使いとして過不足無く役目を果たしてのけた。

しかし、残り七日という辺りから主従してそわそわしだし、終わりの三日ともなるとぼうっと空を見るやら、うなだれるやら、何やらぶつぶつ呟くやらで、最早見ている方が苛々するような体たらく。

結局、見かねた領主が、良き武具を手に入れるも武者の勤めと無理矢理に理由をひねり出し、約束の武具を受け取るまで登城の要なしとしたのが約束の一日前であった。


そうして迎えた当日。

約束の刻にはまだ早いというのに、主従は鶏も鳴かぬ頃から起き出し、権左は無駄に辺りをウロウロと歩き回っては何度も水垢離をし、左兵衛は一度決めたはずの黒龍詣での出で立ちを、またも取っ替え引っ替え悩んでいる始末。

どちらも何かしていないと全く落ち着かぬのだが、何をやっても落ち着かぬのだ。

水飴のようにゆっくりとしか進まぬ時間を過ごして数刻。

お天道さまが高く登った頃に、主従は耐えきれぬようにして屋敷を出たのであった。


そうして黒龍洞へと進むのだが、目的地が近づくに連れて主従、特に権左は急激に足が重くなるのを感じていた。

火の元は大丈夫かと何度も問い、その度に左兵衛は消しましたと答える。

その他何か忘れた用事や持って来るべき物は無かったかと、あれやこれやと思い巡らせては足を止める。

しかし、鶏も鳴かぬうちから起き出して準備していたのだ。

今更忘れ物など有ろうはずもない。


要するに怖いのだと権左は思う。

職人殿が用意する武具への期待は、もはや止めがたいほどに高まっている。

だが、今までそのような期待を何度も己の手で打ち砕いてきたのだ。文字通りに。

今度こそはという期待と、それが儚く砕け散ってしまうかも知れない事が己の足を重くしている。

こんな事で何が無双の武者よと自嘲も湧くのだが、それで恐れが無くなるわけでもない。

しかし、あの黒龍と職人殿に武具を願ったのはこちらである以上、まさか己の怯懦を理由に帰るわけにもいかぬ。

もはや権左の足を動かしているのは義理と約束と言った有様である。

それは程度こそ違え左兵衛も同じだったようで、遂に主従は刑場に引かれる罪人のような顔になりながら、無言で黒龍洞へと歩みを進めるのであった。


そうして歩みを進めればいつかは目当ての場所にたどり着いてしまうもの。

遠目に黒龍洞が見える頃になると流石に覚悟が決まったのだろう、権左の足取りはしっかりとしたものになり、左兵衛もそれに連れてシャキシャキと動くようになる。

黒龍洞の入り口にたどり着くと、権左は暫時瞑目し、かっと目を見開いて挨拶を述べる。

「ご無礼つかまつる!これなるは城武者の権左。お願い申し上げた品を受け取りに罷り越しました!」

呼んでしまったもう戻れぬと、いっそ開き直った気持ちで権左が待つのもわずか、洞の奥からいつもの美しき人身で黒龍様と、職人殿が出てくる。

そして黒龍様の手に握られた、黒鋼の六角棒を見た権左の心臓はドクンと一つ跳ねた。

「よう来た、よう来たな権左に左兵衛。ほれ、この通り約束の品は出来ておる。鋼治と妾が手ずから鍛えた逸品じゃ。期待はずれにはならぬはずじゃ。」

そう言って、鋼棍をひょいと差し出す黒龍様。

権左はとっさに片膝を付いて、頭を垂れて両手でさし頂く、が、伏せた顔は僅かな驚きに彩られる。

見た目よりグンと持ち重りがする。

これは見た目通りの鋼材ではないぞと。


取り敢えず恐悦至極に存じますと礼を述べ、立ち上がってふと職人殿の方を見る。

視線の意味を察したのだろう職人殿はこう返す。

「さぁ、ぜひ遠慮なく試してみて下さい。思い切り試していただいて、それで満足してもらった時が完成です。一切、遠慮なく、どうぞ。」

職人の矜持というやつか、その目は挑みかかるように燃えていると権左には見て取れた。

確かにこれは一種果たし合いだ。

敵手は権左ではない。権左ですらままならぬ権左自身の剛力だ。

その剛力に耐える武具を作れるのか、敗れて砕け散るのか。

職人殿は勝負に臨んでいるのだ。


ならばと権左は気を引き締め、まずは棒術の基本と言える型からこなしていく。

そして最初の一振りで目を見開き、ついでの二振り三振りで血が沸き立った。

この鋼棍、自分の剛力で振り回してなお、全くしなりも撓みもしない。

これほどの長尺の棒で微妙なしなりすら感じられないというのは、全く前代未聞の品だ。

もちろん、太さ等も申し分なし。

六角の形は適度に手に食い込み、如何様にでも力をかけて掴み抜いて滑らせてと出来る。

先の試しの鋼棒とは全く格が違う使い心地に、いや職人殿を舐めていたなと反省の気持ちも湧いてくるほどだ。

そうやって振れば振るほどに馴染むのを感じるので、いつしか権左は忘我の境地となって型をこなし、傍から見れば黒鋼の嵐という体であったが、しばらくしてすぅと動きを止める。


いよいよ試しの真打ちか。


左兵衛も鋼治も黒龍もそれを感じ取ったようで、固唾を飲んで見守る。

最後の確認と権左が鋼治に目で問い、鋼治はしかと頷く。

権左は巨体に似合わぬほど滑らかな歩みで手近な岩に近づくと、棍のギリギリ端を右手に掴み、そのまますいっと肩から首後ろに回す。

そして、左手は背中を回ってきた棍の逆端をそっと掴む。

体は岩に対して左半身より更に回し。

腰と肩をいっぱいにひねり、顔だけを岩に向ける

棒の構えとしてはあまりに珍妙だが、別の見方をすればどういう動きがしたいかすぐ分かる。

これは物を思い切り投げる構えだ。

違いは棒の両端が掴まれていることだろう。


肩越しに物を投げる動作は、体全体を連動させることで手の先を桁違いに早く動かすことが出来る動作である。

だが、テコの原理を多用するため、投げ放てる重量は持ち上げられる重量よりずっと小さくなる。

だが、それが人の身に不釣り合いな剛力の持ち主であればどうか。


岩を前に構えをとった権左は、数瞬の沈黙の後、ひょうと息を吐く。

そこからは全てが一瞬であった。

左足が踏み出され、腰が回り、ぎりぎりと力の込められた左手が遂に放されて、肩から伝わった勢いを腕が受けて、右手一本で棒が弧を描く。


ぱんと乾いた破裂音と、カツンと硬質な音はほぼ同時に聞こえた。


岩肌には棍が通ったであろう軌跡のとおりにえぐり取られた溝が残り、削り取られた岩はソックリそのまま彼方に飛んで地面に突き刺さる。

振り抜いた姿勢のまま固まる権左は、手に残る感触から大凡を掴んでいたが、それでも一呼吸二呼吸する間待って、恐る恐る棍の先端に目を向ける。


果たして、鋼棍は黒々とした鉄肌も冴え冴えと、全く元の姿のままそこに在った。


権左は先程とは打って変わってゆるゆるとした動作で鋼棍を引き寄せ、抱きしめると膝からがっくと崩れ落ち、肩を震わせ始める。

暫時遅れて左兵衛も駆け寄り、主人の衣の裾を掴んで権左様と問いかける。

肩を震わせる権左は、そのまま喋り初めた。


「…これまで、これまで如何なる武具も某の力には耐えられませなんだ…。しかしそれも言わば身から出た錆。人に過ぎたる力を持って何が不満なのか、この力で人も助けられるしお役目も果たせる。何の問題があろうやと己に言い聞かせておりました。」


そこまで言って、さらに背を丸める権左。


「しかし、それでも遣り切れぬものが御座った。この力は、思い切り振るわれる場もなく、押し込められる他無いのか。なにゆえ丁度良い力を授からなんだと身勝手な思いが消えませなんだ。我が身は民の為、殿のための物と決めておったはず。しかし、しかし、力が泣くのです。使ってくれと。」


鋼治も、黒龍も、そして左兵衛も、ただじっと聞く。

ふさわしい道具と出会うこと無く、ただ持て余されるしか無かった力の嘆きを。


「某の力には某自身の体ですら耐えられぬのです。全力で拳を振るってしまえば拳が砕け、蹴れば足が砕ける。故に使い捨ての石礫や丸太に頼るほか無かった。しかしそれも全ての力を受け止めることなどできませぬ。」


そう語る権左はぎゅうと鋼棍を握りしめる。


「しかし、今日、初めて某は全力を振るいました…!一切の遠慮なく力を預けてなお、この棍はビクともしないでいてくれた。

某の力は、某の力は、やっと独りでは無くなり申した。

相方もおらぬ”無双”では無くなり申した…!」


権左の声に涙が混じる。


「職人殿に黒龍様。真に、真に有難うございまする。某にとってこの棍は鳥の翼と同じにございます…!やっと、ようやっと某は飛ぶことが出来まする。この御恩、権左は死してもなお忘れませぬ…!」


そして傍らの従者を掻き抱く。


「左兵衛、左兵衛よ。お主は真に良く出来た男よ!儂が諦めてもお主が諦めなんだから職人殿にめぐり逢い、己を預けるに足る武具を手にすることが出来た。お主が、儂を全き武者にしてくれたのだ。あの日、すんでで間に合って、お主という良き男を世に残したのが儂の一番の功よ!」


左兵衛がこちらも負けじと答える。


「いいえ、いいえ権左様!左兵衛めは権左様の苦しみなど何もわかっておりませなんだ!申し訳ございませぬ!されど、この愚昧の一念がいささかでもご恩返しにつながったなら、これより嬉しいことはございませぬ。おめでとうございます、おめでとうございまする…!」


後はもう男二人抱き合っておいおいと泣くばかりである。

泣きながらも何やらもにゃもにゃと言い合うのだが、お互い涙声で何を言っているやらさっぱり分からない。

しかし、鋼治も職人としての喜びと主従の絆に打たれて涙目で、黒龍に至ってはもうもらい泣きと祝福の気持ちで滝かと見紛うばかりの号泣。


その場に、男二人の涙を不格好と笑うものなど居ないのであった。


(無双の武者 了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒龍洞の職人さん @onazimaimai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ