鴇色の街

@kuronodaidai

鴇色の街

 小中学校の頃、毎日、太陽の光に向かって歩いていた。

 なんてことはない、通っていた学校が自宅より東側にあったからだ。

 行きはきらきらと輝く朝日に向かって、帰りは真っ赤な夕日に向かって、てくてくと、約二キロの道のりを君と一緒に、九年間毎日歩いていた。

 年間快晴日数が全国で下から数えた方が早いような県なので、大概は雲に隠れた太陽だったが。

 それだけに、太陽が雲より下に来る夕日は、殊更に眩しかった。

 眩しいのが苦手な君は、よく僕の背中を日除けにしていた。

 たまに、意地悪をして、僕が後ろに回ると、すぐに君がそのまた後ろに回る。

 これじゃ前に進まないと、二人で笑いあった日々から十年経とうとしていた。


 今、僕はあの頃と同じように、空との境界が曖昧な太陽に向かって、てくてくと歩いている。

 右手には小阿賀野川、左手には八幡宮。

 ついこないだまで、砂利道だった土手は舗装されて、歩きやすいけど今は少しだけ物足りない。

 ちょっと考えて、後ろに君がいないからだと気付いた。


 今日、東京へ行く、君を見送った。

 しばらくは会えないねという君に、そりゃそうだと笑った。

 やっと出ていけるんだから、向こうで楽しくやるといいと。

 そう続けると、君は少しだけ不満そうな顔を作って「冷たい」と言いやがった。

 冷たいとは失礼な、と混ぜっ返す。お決まりのじゃれあい、二人の間で分かりきったパターンを踏んで、最後はじゃあねと手を振った。

 いってらっしゃいとは、言わなかった。

 あがいて、苦しんで、やっとこさ外へ出ていくための切符を手に入れた君のことだ。

 ここへ帰ってくることも、僕におかえりを言ってほしいとも思えなかった。



 最寄りの荻川駅からの帰り道、ふと、遠回りしてみようと、土手に登った。

 遮るものがなくなったから、陽の光が目に眩しい。

 東京へ向かっている君は、この夕日に背を向けて、今は県境のトンネルの中だろうか。



 僕の背中を使って、太陽から隠れていた君は、歳を重ねるにつれこの街を嫌いになっていった。

 何があったかは、詳しくは聞かなかった。

 ただ、ここから出て行くと、こんな所嫌いだ、こんな小さい世界には、変化を恐れるような世界にはいたくないと君は繰り返した。

 そう言われるたび、聞き役だった僕はそうかそうかと、相槌を打った。

 僕はこの街が好きだったけれど、悔しそうに呻く君の言葉を否定する気にはなれなかった。

 一度だけ、首を横に振ったのは東京へ行こうと言われた時。

 ここから出て行くという選択肢が存在しないくらいには、育ったこの街に愛着を持っていた。


 国道沿いに咲く菜の花

 田植えの頃の、草と土の匂い

 西公園の桜木の紅葉

 雪山のできる広い駐車場

 そして、四◯三号線の向こう、弥彦と角田のお山の横に沈んで行く夕日が、田畑や家々を鴇色に染め上げる光景。

 君には、そんなものどこにでもあるといわれてしまった。

 確かに、ここにしかないわけではなく、誰もが皆、これは美しいと認めてくれるような代物でもなく。

 それでも、物心ついた頃からあるこの風景が、好きだった。



 道路の舗装工事はまだ途中らしく、突然アスファルトの道が砂利に変わった。

 さっきより格段に歩きづらくなった道を進むにつれ少しづつ、景色も変わっていく。


 ふと、視線をずらせば、この間まであった古い家が取り壊され、新しい家を建てるための資材が積み重なって置かれていた。

 十年前よりも、家が増え、田畑が減った。

 雪が積まれ、遊び場だった空き地には、アパートが建った。

 甘い匂いのした木造りの校舎は老朽化で取り壊され、蔦の這っていた鉄筋の校舎は綺麗に色を塗り替えられている。

 

 変化のない世界だと君は言ったけれど。

 この街も、日々小さな変化を積み重ねているのだと君に伝えればよかったな、とふいにそんな思いが胸を刺した。


 残ったこの田畑は、いつか埋め立てられてしまうかもしれない。

 古い家々もどんどん数を減らしていくだろう。


 四年後、二度目の東京オリンピックが終わっても。

 四十年後に三度(みたび)、東京にオリンピックをという動きが起こっていようとも。

 新旧の境が不確かなこの街で

 いつか新しいものだけに取り込まれてしまうかもしれないこの街で

 日々の小さな変化によって十年後に大きく変わってしまっているだろうこの街で

 ここが荻川だといえる、何かを君と見つけられたら。

 君が好きだと思えるような何かを、ここで見つけられたなら。

 それはとても…


 外の世界へ行きたいともがく君に、言えなかった言葉を

 君がいなくなった今なら、言ってもいいだろうか。

 

 「ここにいて欲しかったなぁ…」

 

 君が穏やかに生きていられるなら、僕はなんだっていい。

 自分の居場所を、自分で見つけて、そこで生きてくれればそれでいい。

 伝えた言葉が嘘だったことは一度もないけれど。


 「君に、ここにいて欲しかったよ…」


 この街で、変わる景色と変わらない景色を一緒に探して生きていきたかった。

 十年前のように、僕の好きな風景の中で笑う君をもう一度見たかった。

 溢れた想いは鴇色の夕日に溶けて滲んで、地平線の向こうに消えて行く。

 

 人口八十一万人の地方都市の

 片隅にある八つの区のうちの1つ

 その中のさらに小さなこの街


 僕にとっては唯一無二で

 君にとっては生きづらいだけだった

 小さな小さなこの世界


 君が嫌いなこの街で

 君のいないこの街で

 起こる変化を恐れ、それでも愛おしみながら。

 僕はこれからも、生きていく。

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