逆襲の芝刈り機
葦元狐雪
逆襲の芝刈り機
中野祐一は走っていた。
目の前に現れる障害物を、ぶつかりそうになりながらも進んでいく。
日常では気にも留めなかったポールコーンに、思わず殺意が芽生える。
チッと舌打ちをしたが、すぐにその舌打ちのせいで呼吸のリズムが乱れ、走るペースが若干落ちたことを後悔した。
背後からは、けたたましい機械音が聞こえる。それは、道端のありとあらゆるものを切り裂きながら、中野祐一を追走する。
後方をちらりと確認すると、先ほどのポールコーンは原型をとどめていないほど、無惨に引き裂かれていた。
中野祐一は、小さく悲鳴を上げると前方に向き直り、逃走に適したルートを、頭の中で必死に考える。
「逃げ続けるにも限界がある、とりあえず隠れてやり過ごすしかねえ」
道中には誰もいない。
たとえいくら助けを呼ぼうとも、誰も助けには来ない。
中野祐一は懸命に走る。死にたくないので、死に物狂いで走る。
「どうして芝刈り機が追いかけてくるんだよ! クソッタレ!」
— — 10分前 — —
「人多いから仕方ないし、外で飲もっか」
中野祐一は、友人の竹下香織と喫茶店に来ていた。
休日で、しかも午後の3時ということもあり、店内は盛況だった。店内の従業員は、忙しそうにバタバタと動き回っていた。
そんな中、彼女はなにやら呪文のような聞きなれない言葉を、途中噛むことなく滑らかに店員に言ってみせていた。
「やたらと長い注文だったな」
先にテラス席の一角に座っていた祐一の元へ、香織は、大きなカップを持ってやってきた。
「えへへ。これは私の一番のオススメなんだよ。通うこと数ヶ月にしてようやく見つけたこの組み合わせ......」
「へー。そうなんだすごいねえ」祐一は興味のないような返事をした。
「またそういうこと言うし。せっかく味見させてあげようと思ってたのになあ。もうあげませんからね!」と香織は怒ったふうに言う。
「いらねーよ。見るからに甘そうじゃないか。なんなんだそのホイップクリームの量は。全部食ったら糖尿病になっちまうぞ」
「若いからいいんですー! 祐一こそいっつも紅茶ばっかり飲んでて飽きないの? しかも何も入れないし」
「好きだからいいんだよ」
他愛もない会話しながら、二人はゆったりとした時間を過ごしていた。このまま、ずっと居座っていたい気持ちになるが、さすがの人の多さのため、そうもいかないだろう。
「ねえ、祐一なんか飲むの早くない?」と香織が不満げに言う。
「しょうがないだろ、俺たちだけゆっくり飲んでたら他の人が座れないだろう」
「えー、祐一は人に気を遣い過ぎだと思うんだけどなあ」
くるくると、細長いプラスチックのスプーンで器の縁についたクリームを掬い取る。
「お前が気を遣わなさすぎるんだよ。ほら、早く飲んでいくぞ」
「待ってよ! これグランデだよ? そんなに早く飲めるわけないじゃん!」
「香織ならすぐに、ペロリと食えるだろ」そう言うと、祐一はストレートティーを、一気に飲み干した。
すると、遠くでドカンという、大きな爆発音がし、テラスにいる人々の鼓膜を襲った。
テラスの向かいの側の歩道で誰かが倒れている。その周辺からは、また新たな悲鳴が聞こえたと思いきや途絶え、また、新たに悲鳴が聞こえるという連鎖が起こっていた。
その悲鳴に混ざって聞こえるエンジン音はなんだ。
他にも、エンジン音だけでなく、掃除機のような何かを吸い込む音や、ズシンとした重いものが動く音も聞こえる。
「ねえ祐一、あれなんだろ」香織が不安の入り混じった声で言う。
「わからん。あれはなんだ......芝刈り機に......洗濯機?」祐一は目を思いっきり瞑り、再び開く。
「あれは家電製品だ...しかも、1つや2つじゃないぞ」向かい側の歩道では、血のように真っ赤な液体が噴き出すのが見えた。
「なんだか知らんがやばい! 逃げるぞ、香織!」
その声は、爆音で鳴る芝刈り機のエンジン音にかき消された。と同時に、竹下香織の体は、芝刈り機の鋭利な刃によって引き裂かれていた。
「え」
中野祐一は、口をぽかんと開けて竹下香織が引き裂かれるのを見ていた。祐一の開いた口に、飛び出した香織の体液が注がれる。鉄の味と、トロッとした濃厚なマンゴージュースを飲んでいるかのような感覚がする。
吐いた。
吐瀉物は赤く染まり、竹下香織の肉片と混ざり、悪臭を放つ。その間、芝刈り機は竹下香織を切り刻み続ける。気づけば、後からやってきた掃除機が、肉片などを吸い込んでいる。
「逃げないと......」
そう思い、祐一は芝刈り機から体を背けると、全力で走り出した。
・
・
・
・
中野祐一は走っていた。
どこを目指して良いのかもわからず、がむしゃらに走り続けていた。
周囲には血と肉と、それを回収している掃除機が、一所懸命仕事をしている。
「この先に確か海があるはず......そこへ行けば......」
祐一は、海にある船舶に備え付けてあるでろう救命胴衣を使い、海へ飛び込むことで、芝刈り機の追走を振り切ろうという計画を考えついた。
距離はさほど遠くない。
このままのペースで走れば数分で海へ着くはずだ。
このまま邪魔などされなければ...
「嘘だろ......」
中野祐一は絶句した。
数10メートル先には、今まさに、中野祐一を追いかけている芝刈り機に似たモノが、3台蠢いていることが確認できる。それらは、製造メーカーが違うのか、それぞれ見た目が異なっていた。
「さすがに3台増えるのはキツい! 一台でさえ振り切れないというのに!」
と祐一は思った。
前方の芝刈り機との距離は、どんどん近づいてくる。
「どうする......」
ちょうど道は交差点になっており、芝刈り機たちは、真ん中で肉片たちと戯れていた。まっすぐ行くと海へたどり着き、左右へ行けば遠回りになってしまう。
「どうすればいいんだ......」
すると、祐一の願いに応えたのか、3台の芝刈り機たちは右の道へと進み出した。
「しめた! これで凌げる!」と祐一は、芝刈り機たちを撒けると確信した。
交差点の真ん中を超えた直後、後ろから追跡していた芝刈り機から、警告音のような音が大音量で鳴り響いた。
その音に反応した3台の芝刈り機たちは、くるりと方向転換すると、中野祐一に向かって走り出した。
「どうして増えるんだよ! クソッタレ!」
中野祐一は走っていた。
息も絶え絶え、体力は限界を迎えていた。
それでも走る。死にたくないので、死力を尽くして走る。
「潮の香りが漂ってきた......あと少しで海へ着くはずだ」と祐一は感じた。
4台に増えた芝刈り機たちは、追走の手を緩めない。それぞれが発するエンジン音は、祐一に不快感と恐怖心を与え続けている。
漁船が見える。
中野祐一は残った体力を振り絞り、走るスピードを上げる。
芝刈り機たちも、負けじと追いかける。
祐一は漁船へと飛び移ると、救命胴衣を探す。
「ない......救命胴衣が......ない......」
中野祐一は絶望した。
芝刈り機たちは、すぐそばまで迫ってきている。
距離はあと数メートル。
まるで獲物を狩る肉食動物のように、芝刈り機たちは躍動する。
中野祐一は、とうとう海へ飛び込んだ。
しかし、その手には赤の縞模様の浮き輪があった。
芝刈り機たちは立ち止まり、エンジン音で威嚇しながら、中野祐一を見ている。
「どうだ! 撒いてやったぞ! このままお前たちから逃げ切ってみせるぞ!」と祐一は、息を切らしながら言った。
なぜだか笑いがこみ上げてきた。
逃げ切ったことへの安堵感なのだろうか。しかし祐一の目には、大粒の涙が溢れていた。やがて涙は流れ、赤く火照った頬を伝ってゆく。
突如、一際大きいエンジン音がした。
祐一は体をビクッと震わせ、芝刈り機の比ではない、そのエンジン音の発生源を探す。
「今度は一体なんなんだよ!」
祐一の周囲に、大きく波が立つ。海水は祐一の視界と呼吸を一定時間奪い、口へと飛び込んだ塩水は、喉の渇きを増幅させた。
「あー! ちくしょう! ふざけるな! ......ん?」
祐一は、大きなエンジン音の正体を理解した。
漁船は、波を立てながら器用に旋回すると、祐一に船尾を向けた。
「何をする気だ......」
漁船は後ろを向いたまま、ゆっくりと近づく。
「やめてくれ......」
岸壁に追い詰められた。泳位で逃げる体力もない。中野祐一は、ただ、プカプカと浮かぶだけである。
パンツの裾がスクリューに巻き込まれると同時に、中野祐一は、一瞬のうちに海上から姿を消した。
漁船の周囲は赤く染まり、小魚たちが集まってくる。
浮き輪だけが、ゆらゆらと漂っていた。
逆襲の芝刈り機 葦元狐雪 @ashimotokoyuki
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