第41話 新人の幸福

「兄さんが指定したホテルってここか。やっぱり大企業の社員だから、高そうなホテルだなぁ」

そんなことを考えながら、高級ホテルに入る。

周りの客はみんな身なりのいい格好をしていたので、カジュアルな服装の新人は浮いていた。

今まで一回も利用したことがない、高そうな喫茶店に入る。

そこでは、ピシっとした高級スーツに身を包んだ兄が、いらいらした様子で待っていた。

「兄さん……か? 久しぶり?」

しかし、新人は兄の様子をみて違和感を感じる。最後にあってから13年もたっているので相応に年もとり、頭もはげていたが、以前にあった余裕といったものがなかった。

どこか落ち着きのない様子でビクビクしている。

「遅いぞ! いつまで待たせるつもりだ」

開口一番に新人を怒鳴りつけてきて、他の客が驚いたように見られていた。

「仕方ないだろ。これでも電話もらってすぐに来たんだ。今すんでいる所は、ここから離れたところなんだから」

「ふん。どうせ家賃が安い田舎に引っ越したんだろう。その格好じゃ、相変わらず働いていないみたいだしな」

新人の格好をみて、馬鹿にしたように笑う。

新人はカチンときたが、我慢して席についた。

一杯700円のコーヒーをもったいないと思いながら注文して、兄に向き直る。

「それで、兄さんは俺になんの用なんだい?」

「まず、何で実家を勝手に売ったんだ? それから聞こう」

「……便利な家があったから、そこに引っ越したんだよ。住まなくなった家を持っていても仕方ないだろ」

それを聞いて、兄の表情が変わる。

「……ふん。新人の癖に生意気なことをするじゃないか。なら、住んでいる家はあるわけか。ちょうどいい。なら、今からそこに案内しろ」

いきなり訪問したいと言い出す。

「ちょっと待ってくれよ。家に来てどうするんだ」

新人がそういうと、兄は始めて言いづらそうな顔をした。

「実は、ちょっと事情があってな、離婚して会社も辞めるから、そこに住まわせてくれ」

いきなり滅茶苦茶なことを言い出す兄に、思わず新人はコーヒーを噴き出す。

「な、何言ってんだよ! そんなことを言われても困るよ」

「それくらい、いいだろうが! 小さい頃から今まで、どれだけお前の世話をしてやったと思っているんだ! 」

再び兄は傲慢な顔になり、一方的に命令してきた。

「で、でも……」

「それから、実家を売った金があるだろ。それも半分よこせ。俺にも権利があるんだ」

分け前をよこせと喚きだす。

「そんな……相続はあの時終わったはずだろ」

「あの時、家をなくしたらお前が困るからと思って、ずっと住み続けるのを前提としてお前の名義にしただけだ。家を勝手に売った以上、俺には半分受け取る権利がある。なんなら裁判でもしようか?お前みたいなニートに勝ち目はないだろうけどな」

兄は爬虫類めいた目つきをして、新人をあざ笑ってくる。

新人はこれ以上相手をしても無駄だと思い、一計を案じた。

裁判と聞いて怯えたような表情を浮かべ、卑屈に頭を下げる。

「そうか……法律ではそうなっているのか。わかったよ。なら車を取ってくるから、兄さんはここで待っていてくれ」

「ふん。わかればいいんだよ、。早くしろよ」

兄は新人が屈服したと思い、満足そうにコーヒーをすする。

腹の中で舌を出しながら喫茶店を出て、兄からの携帯を着信拒否にする。

そして兄を置いたまま、家に帰るのだった。


「へえ……そんなことがあったの」

新人から話を聞いた穂香は呆れている。

「うん。いくら兄さんだからって、図々しいよな。今の俺には家族がいるんだ。居候なんかされたら迷惑だよ」

「本当にね。私だけじゃなくて美香も困るんだから。私たちをしっかり守ってよね。お父さん」

「ああ、任せておけ」

新人は自信を持って笑う。今の彼は兄が思っているような世間知らずのニートではないので、口先だけの脅しに屈するようなやわな心は持っていない。

ちゃんと自分の力で家族を守ることができる社会人なのだった。

その時、新人の携帯がなり、見知らぬ番号が浮かぶ。

「あれ?誰からだろう。もしもし」

不審に思いながら電話に出ると、なんと兄の妻からだった。

「新人さん。いきなり電話してごめんなさい。あの、夫の居場所を知らないでしょうか?」

「え? 兄さんならさっき会いましたけど……」

今までほとんど話したことがない義姉から電話がかかって、新人はびっくりしてしまう。

「そうですか……何か話していましたか?」

「義姉さんと離婚して、会社も辞めるから俺の家に住ませてくれっていってました」

「……」

電話の向こうで沈黙が続く。

「あの、立ち入ったことを聞くようですが、兄になにかあったんですか? 義姉さんと喧嘩して、何もかも嫌になったとか……」

プライベートで何か起こったのかと聞くが、義姉の声には困惑があった。

「いえ、ほんの数日前には普通に生活していたんですが、いきなり行方不明になって、会社のほうでも探しているんです。それから家には変な業者から電話がかかって、お金を返せって……」

「お金……」

兄が切羽詰った様子で、無理やりな理屈をつけて実家を売ったお金を半分よこせと迫っていた顔を思い浮かべる。これはただごとじゃないと思った。

「あの、夫は今どこにいるんでしょうか?」

義姉から聞かれて、新人はさっきまでいたホテルの名前を答える。

「教えてくれてありがとうございます。私は今からそこに行こうと思います。あの、ご迷惑をかけますが、新人さんも同席していただけませんでしょうか?」

必死な様子の義姉に、新人も力になってあげたいと思う。

「わかりました。今から兄に電話して、ホテルで待っておくように伝えましょう」

「お願いします」

そういって、義姉からの電話は切れた。

「……どうするの? 」

隣で話を聞いていた穂香が不安そうにしている。

「放ってもおけないだろう。義姉さんと一緒に、話を聞いてみるよ」

「でも、もしお金を貸してくれっていわれたら……」

「心配するな。話を聞くだけさ。絶対に貸したりしないから」

新人はそういって、兄に電話をかけた。

「新人! 今どこにいるんだ!!! 何時間待たせるんだ!! 電話もつながらないで! 」

電話からは、兄の怒鳴り声が聞こえてくる。

「兄さん、ごめん。家にお金を下ろすための通帳を取りに戻っていたんだよ」

新人は考えていた言い訳を伝える。

「何でそんなことをしたんだ! 一緒にお前の家に行けばいいだろうが! 」

「それが、家には妻がいるんだよね」

「何? お前は結婚しているのか?」

電話から兄の意外そうな声が聞こえてくる。

「うん。だから居候の件はあきらめてくれ。今からお金をもっていくから」

「ふん。どうせお前と一緒になるような女なんて、たいしたことないやつだろうが……そんな女と暮らすのは、確かに俺も嫌だな。わかった。その代わり、1000万はもってこいよ」

兄は言いたい放題である。思わず怒りの声を上げそうになるが、新人は我慢した。

「わかった。今から行くから、そこで待っていてくれ」

そういって電話を切り、新人はふたたびホテルに向かうのだった。


ホテルの前で義姉と待ち合わせをする。彼女は新人を見ると、深く頭を下げた。

「この度は夫が迷惑をかけて、誠に申し訳ありません」

夫が行方不明になってずっと不安だったのだろう。義姉の顔はやつれていた。

それを見て、新人は同情する。

「いえ。それより兄は大分興奮していますから、あまり怒らせないように話し合ったください」

「はい……」

二人はうなずきあって、高級ホテルの一階の喫茶店に入る。

そこは灰皿いっぱいに吸殻をためて、イライラとタバコを吸っている兄が待っていた。

「新人、遅いぞ! いつまで待たせるんだ……って京子! どうしてここに?」

新人に続いて入ってきた妻を見て、兄は動揺する。

「あなた! いったいどこにいっていたんですか! 」

兄の姿をみたとたん、今までおとなしそうだった義姉が豹変して、兄につかみかかった。

「き、京子! 落ち着け! これには訳があるんだ! 」

「どんな訳かあるっていうんですか! 」

突然始まった夫婦喧嘩にあっけにとられていると、ホテルの警備員が飛んでくる。

そのまま二人は連行されていき、新人だけが取り残されるのだった。


ホテルのロビーで待っていると、警備員が呼びにきた。

「大矢新人さんですね。お兄さんとお義姉さんが呼んでいます」

警備員の後についていくと、兄が取った部屋に招き入れられる。

とこには床に土下座している兄と、その前で仁王立ちしている義姉がいた。

「き、京子……もう許してくれ」

顔にあざを作った兄が、。情けない声で許しを乞いている。いつも自信たっぷりで冷徹なエリートの兄の姿しか見たことがない新人は、それを見て目を白黒させた。

「私だけじゃなくて、新人さんにも迷惑をかけて! ちゃんと謝りなさい」

義姉の容赦のない声が響く。兄は屈辱に身を震わせながらも、新人に対して頭を下げた。

「あ、ああ……新人、すまなかった」

それを見て、新人はだんだん兄がかわいそうになった。

「もういいよ。それより何があったか、ちゃんと話してくれ」

新人の言葉に、兄はしぶしぶと話し始めた。


「実は……サラ金から1000万の借金があるんだ」

いきなりのカミングアウトに、新人と義姉が驚く。

「あなた……なんでそんな大金を使ったの? まさか、女に使ったりとか?

再び怒りの表情を浮かべて義姉が問う。

「ち、ちがう。そんなことじゃないんだ。実は、株や仮想通貨、FXその他の金融投資で失敗したんだ」

真っ赤な顔で兄は言い訳する。

「それにしたって、何でそんなに……。そもそも、兄さんは親が死んだとき、3000万も相続したじゃないか」

新人がそうつぶやくと、義姉は聞いていなかったといった顔になった。

「あなた、私に黙ってそんなお金を?」

「す、すまない。だけど、そもそもの原因はその金なんだ」

兄は言い訳を続ける。

もともと大企業に勤め、何不自由ない暮らしをしていたときに振って沸いたように大金を手に入れ、すっかり舞い上がってしまったしい。

連日のように遊びまわり、お金を湯水のように浪費した。

気がついたときには、1000万円を使っていたという。

「それで、このままじゃまずいと思い、仮想通貨投資を始めたんだ」

しかし開始した時期が悪く、元金はどんどん減っていた。

あとはよりギャンブル性が高い海外の金融取引に手をだしたが、勝ったり負けたりしながらどんどん資産を減らしていった。気がついたときには借金をしてまでのめりこんでいったという。

「それで借金を返せなくなって、失踪しようとおもったんだ。七年過ぎたら生命保険も降りるし、行方不明になったら借金取りもあきらめるかと思って」

あまりに短絡的な夫の行動に、義姉はあきれてしまう。

「それで新人さんにまで迷惑をかけて……。さっさと帰るわよ! 」

「は、はい」

兄は義姉に引きずられて去っていく。

その後姿を、新人は呆然と見送るのだった。



「なるほどね。お兄さんにそんな訳が……」

事の顛末を聞いて、穂香は呆れている。

「まあ、中途半端に余裕がある人が大金を手に入れると、ろくなことにつかわないってことかな。俺はあの時生きるのに精一杯だったから、とても親の遺産を遊びに使う余裕はなかったよ」

新人は昔を思い出して苦笑する。

そんな新人に、穂香は不安そうに話しかける。

「でも今は私たちにも少しは余裕があるよね。仮想通貨とかしたいと思う?」

それを聞いて、新人はあわてて首を振った。

「いや。俺は絶対にしない。手元に何も残らない金融商品に投資するより、家という現物が残る不動産に投資していてよかったよ」

「それを聞いて安心したわ」

穂香はほっとする。

そのとき、二人の娘である美香がじゃれついてきた。

「ねえねえ。なんのお話しているの?」

純真な目で見つめられて、新人は苦笑する。

「ふふ。なんでもないよ。お父さんとお母さんは、贅沢しなくても今幸せだなって話をしていたのさ」

そういって、新人は愛情をこめて美香の頭をなでるのだった。









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元ニートは大家を目指す 大沢 雅紀 @OOSAWA

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