第40話 兄からの連絡

ネットカフェを開業して10年後-

新人は今日も店番をしていた。

「ありがとうございました」

眠そうな顔をした客が帰っていくのを見送り、新人はカウンターのパソコンに向き直る。

そこには、自分で書いた小説が投稿されていた。

「さて、最後の仕上げだな。原稿の締め切りは明日か。もうちょっと手を入れよう」

『平民の田舎娘だけど、世界平和のために悪役令嬢の婚約者を奪います』というタイトルの自作小説の原稿データを書き込んでいく。

この10年、新人はネット小説にいくつも作品を投稿してきた。そのうちの一つが出版社の目に留まり、商業デビューを果たしたのである。

「なんとか売れますように。ふう……これでよしっと」

最終案を出版社の担当にメールして、一息つく。

その時、10歳くらいのランドセルを背負った女の子が店に入ってきて、新人に抱きついた。

「お父さん、おはよう」

「美香、おはよう。よく眠れたかい?」

新人は優しく微笑んで、美香と呼んだ女の子の頭をなでる。

彼女は新人と穂香の一人娘だった。

「うん。よく眠れたよ。それじゃ、学校にいってくるね」

元気に笑って手を振る。その傍らには、にこにことした穂香がいた。

「それじゃ、美香を送ってくるね。帰ってきたら交代するから」

「ああ、気をつけて」

穂香にも笑いかけて、二人を見送る。

新人は愛する家族に恵まれ、幸せに暮らしていた。

「ネットカフェをしてもう10年か。思えば遠くにきたもんだなぁ。美香も大きくなった」

新人はふと感傷的になる。気がつけば彼も37歳で一児の父。りっばな中年である。

この10年でいろいろとあった。ネットカフェをしていて客とトラブルになり、警察を呼んだこともある。

変な入居者をいれてしまい、家賃を滞納されて文句を言ったらすごまれたこともある。

原付に乗っていたら車と衝突し、入院したこともある。

それでも、概ね平穏にすごしていた。

「やっぱり、ネットカフェをして正解だったな」

今までのことを思い返して、つくづく実感する。

自営なので上司もいない。仕事も楽で、好きなだけパソコンで遊べて漫画も読み放題である。

夢であった小説家デビューも果たした。

ネットカフェの経営も軌道に乗り、月に30万ほどは利益が出ている。・

家賃も相変わらず20万ほど毎月入ってくる。

さらに四ヶ月に一回、小説の印税が数十万は振り込まれるので、生活は安定していた。

「俺は、本当に幸せだなぁ」

ニート生活していたころに思い描いていた幸せを、すべて手に入れている。

新人の毎日はあっという間に過ぎていった。


そんなある日の朝、穂香に店番を交代する直前に、新人の携帯が鳴る。

「あれ……?」

携帯に表示された相手先を見て、新人は首をかしげる。

とっくに縁を切られて、この13年一度も連絡してこなかった兄からであった。

「兄貴か? どうしたんだろ?」

急に懐かしくなって、携帯電話に出る。

「もしもし? 兄さんかい?」

新人は穏やかに話しかけたつもりだったが、返ってきた言葉は激しかった。

「新人か! 今どこにいるんだ? 家の電話にも出ないで!」

言われた言葉がよく理解できず、新人は首をかしげる。

「えっと……店だけど?」

「また遊び歩いているのか? さっさと帰って来い! 」

なぜか電話の向こうの兄は、怒っているようだった。


「兄さん?ちょっと落ち着けよ。帰るってどこに?」

「お前は何を言っているんだ! 今実家の前に来ているんだが、知らない人が居座っているぞ!」

兄からそういわれて、新人は状況を理解する。

「ああ、その人はそこの家を買った人だよ。今俺は実家を売ったから、そこには住んでいないんだ」

新人が軽く説明すると、電話の向こうで兄が息を飲む気配を感じられた。

「お前って奴は……とうとう家を売るところまで落ちぶれてしまったのか! 俺たちが生まれ育った家を簡単に売るなんて、見下げ果てたやつだ! 」

あまりに勝手な言い分に、新人はむっとする。

「何勝手なことを言っているんだよ。自分は家なんて要らないから金をよこせって言ったくせに。だいたい、今更連絡してきて何の用だよ。もう俺とは縁を切ったんじゃないのか?」

両親が死んだときの冷たい兄の態度を思い出して不快になる。

しかし、なぜか兄からは以前の理性的な様子が伝わってこなかった。

「うるさい! いいからこっちにこい! 話があるんだ」

一方的な命令に、新人は反発する。

「残念だけど、これから寝るんでね。さよなら」

そういい捨てて、電話を切る。

しかし、兄はあきらめず、それから何度もかかってきた。

あまりにもしつこいので、とうとう新人は根負けする。

「わかったよ。それじゃどこで待ち合わせずる?」

「ふん。最初から素直にそういえばいいんだ。そうだな……俺がこっちに出張してきたときに滞在しているホテルがあるから、そこの一階の喫茶店で会おう」

待ち合わせ場所を伝えると、電話をさっさと切ってしまった。

いやそうな顔をしている新人を、穂香が心配する。

「どうしたの?」

「いや、兄から電話があったんだけど、なにか様子がおかしいんだよね。こっちの都合も考えずに来いって命令してくるなんて。前から冷たい所はあったけど、こういう失礼なことをする人じゃかかったと思うけど……」

この13年間で自分が変わったように、兄も変わってしまったのではないかと思って不安になる。

「とりあえず、今日は遅くなるかもしれないから、店番をお願い」

「わかったわ。久しぶりのお兄さんとの再会だから、ゆっくりしてきて」

穂香は笑顔で新人を送り出す。

こうして、新人は徹夜明けのぼんやりした頭で、兄が待つホテルに向かうのだった。

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