小倉で私は…
タミィ・M
小倉で私は…
何十年も前のある日、8歳だった私は一年に一度しか会わなかった祖父母と暮らすことになった。父と別れて母と妹と一緒に東京から九州の小倉までやってきた。
新しい生活、慣れない言葉、そして学校。どんどん元気がなくなっていった。
「痩せとるのお、もっと食べんと」と夕食の用意をしながら祖父母は言った。
「元気なかけん、美味しいのこうちゃった」グツグツ煮え立つ鍋の向こうに2人の笑顔があった。
「うわ!これ、美味しい!これ、なに?」白く柔らかいチキンの様な肉を頬張り笑うと
「そうやろ!それはな、ふくたい」
「ふく?」
「東京やったらフグっちゅうかの?」
「フグって毒があるって友だちが言ってた!」驚いてそう言うと
「なに言うか!毒があるもん孫に食べさせんたい」
フグは猛毒であるが、毒のないフグが九州では人気があった。魚市場が近くにあり、いつでも新鮮な魚を食べることができた。その頃まだ東京になかった明太子も普通に食べられていた。この日からふくは私の好物になった。
それから鯖を糠味噌で煮たものが大変美味だった。味噌ではなく、糠味噌のぬかで煮る。ぬかも一緒に食べる。ピリッとした辛味、山椒の香り。何十年も食べていないが今でもはっきり独特な味を思い出すことが出来る。
祖母は素朴な家庭料理が得意だった。母が働きに出ていたので祖父母が交代で夕食を作ってくれた。祖父はと言えばプロの洋食のコックだった。
祖父は8月9日に長崎に原爆が落とされた日に出張でその場所にいた。
「机の下に鉛筆が落ちてのお、かがんだんじゃ。その瞬間にピカッと光ってのお、気がついたときには皆が死んじょった」
被爆者だった祖父から何度も何度もその時の話を聞かせてもらった。
失神して気がついてからも、遺体を焼く手伝いをするために数日間その地にとどまった。
何日も帰ってこない祖父に祖母は
「もう生きとらんねえ、と思って葬式の準備をしとった」そうだ。その時にひょっこり帰ってきた祖父を見て
「幽霊と思ったわ。せやけど幽霊やのに、なんか、臭かー」と大笑いになる。
こんな話を笑いに変える才能が祖母にはあった。
原爆の話を聞くたびに不思議な縁のようなものを感じていた。
なぜなら私の誕生日は8月9日だったからだ。
そして終戦後。突然米軍人数人が家に来て祖父は連れて行かれた。
当時は女は乱暴され、男は殺されるという噂があった。
「今度こそ、ああ、もう殺されたと思うとったら、夜になったらチーズやら、ハムやら持って帰ってくるんやけねえ」と祖母はまた笑った。
街で一番のコックとして基地で雇われたのであった。
当時の日本での配給はどんどん少なくなり、芋が主食になりつつあった。
食べられそうな雑草を食べていたという話もある、そんな時代に大きなハムを持って帰った祖父。
そっとご近所だけに分けたら泣いて感謝されたそうだ。私にとってはハムやチーズは食べ慣れたものだったので
「ハムより、ふくのほうがおいしかけん!」とその頃はすっかり小倉弁になっていた私が言うと祖父母は笑った。
何度も聞いた戦争話しの締めくくりは
「悪いんは戦争ぞ、アメリカと違うんぞ」だった。
敵だったアメリカ。憎しみで心を満たすよりも愛することを子供だった私に教えてくれたのだと思う。
それから数年して小学校を卒業する頃、東京に一緒に行くことになった。祖父母は慣れない東京で「魚がくさか!」といつも言っていた。5人で暮らしながら私は大人になっていった。
私が高校生の時祖母が、20歳になったとき祖父が亡くなった。
それから何年も経ったあと、私は一人の男性と恋に落ちた。
その男性は日本に駐在していたアメリカ人の軍人だった。
愛し合い、結婚した。子供ができて数年後アメリカで暮らすことになった。
外国暮らしは最初は辛いことの連続だった。外国人の私を嫌う人もいた。
その時に「敵国日本の日本人の悪口を聞いて育ったのかもしれない」などと思ったりした。
結婚して今年で25年になる。毎日が最高に幸せだ。
あの小倉での日々があったから、あの何度も聞いた話があったから、すんなりと外国を受け入れることができたのだと思う。
小倉で私は愛することを教わった。
外国人でも外国でも受け入れることの大切さを。
辛いのは日本食があまり食べられないことだけだ。
九州のふくと鯖の糠味噌に思いを馳せる。
夫とは一度九州に行ったことがある。 もう親族も誰もいないけれど、私が育ったところを見せたかったのだ。
日本人が大好きな夫はやはり夫の母親から愛を教わった人だった。
時々祖父の「良い人と会えてよかったのお」という声が聞こえる気がする。
小倉で私は… タミィ・M @lovecats
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