ブラザー&シスター

 そこには何も無かった。

 ただ、見渡す限りの荒野が広がるばかりであった。

 エリアES、極東部四島列島区。

 かつて日本と呼ばれた国が存在していた島。

 200年前、ここにとある銀行が存在した。

 決して小さな存在ではないが、国家の、ましてや世界の命運を左右するには程遠いごく普通のメガバンクだった。

 しかし、奇怪な事に全てがそこから始まり、その結果に世界は飲み込まれ、爆心地であるこの地は文字通り「グラウンド・ゼロ」と化した。

 記録上、この島にはもう誰も住んでいないことになっている。

 故に、そこは彼らが潜むのに最適の場所だった。

 

 旧日本国・首都東京都T区ホホホ銀行本店跡地。

 その地下200m、ホホホ銀行非常用核シェルター。

 一人の男がその分厚い鉄扉の前に立っていた。年の頃は四十半ば、背は高く、一見すると細身だが纏う雰囲気には一分の隙も無く、その印象は研ぎ澄まされた日本刀のようだった。男が鉄扉横にあるコンソールにパスコードを入力する。承認を示す緑のランプが光ったが扉は開かず、その代わりにスピーカーから若い男の声がした。


 「我ら、自らに飲まれゆく蛇」


 男が返答する。


 「始まりと終わりは共に在り、それを以てして永遠と成さん」


 鈍い音を立てて扉が開く。その先はリノリウムで覆われた通路になっていた。

男は先へ進む。人間二人程がようやく通れるかといった狭い通路に靴音が高く響く。

その終わりにはまた扉があった。今度はごく普通のどこにでもある両開きの自動ドアだった。中に入ると、そこにはオフィスの一つや二つが軽く収まりそうなほどのフロアが広がっていた。

 その空間の印象を一言で言うと「司令部」、或いは「観測所」であった。四方の壁には巨大なモニターが設置され、それぞれに各大陸が映し出されている。フロア内には所狭しとデスクと端末が敷き詰められ、その間を、白衣に身を包んだ如何にもホワイトカラー然とした男達が気忙しそうに行き交っている。そのフロアの中央部、「司令官席」とでも言うべき場所に、一人の青年が座っていた。


 「やあ、よく来たね源水津みなみつ君。君にしては予定より結構遅かったようだけど」


 「私もそれなりに立場ある人間なのでな。単身でこんなところに来るには、それなりの準備というものがある」


 異妖。

 一言で言い表すならばそれ以外にない青年だった。

 身丈は160~170㎝の半ばほど。肌は病的に白く、しかし髪は黒絹から紡いだかのように艶やかさと瑞々しさに溢れた黒髪、そして瞳は赤というよりも朱に近い薄紅色で、心の弱い者が直視すればそれだけで膝が折れるような強い輝きに満ちていた。


 「ふうん、色々大変なんだねえ。生まれてからずっとここにいる僕には想像も出来ないけど」


 「私からすれば、君の人生の方が余程想像に余るがね」


 怪物め——。源水津は内心、忸怩たる思いだった。こんな得体のしれない奴と、国と身内を裏切ってまで取引など。しかし、彼にはそうしなければいけない理由があった。彼にとって唯一の目的と言っていいほどの理由が。


 「ふふふ、そうだね。こういうのをなんて言うんだっけ?隣の芝生が…何色だったかな?まあいいや何色でも、見たことないし。それよりそっちの方は順調かな?」


 「その報告に来た。手短に済ませよう、お互いにそう余裕がある訳でもあるまい」


 「そうだね、それじゃあっちの会議室に行こう。ちょうどゲストを一人待たせてるんだ、どうしても君に会わせたくてね」


 立ち上がり、返答も待たずに歩き出す青年。源水津はやむを得ず、書類やファイルケースが散乱した床の隙間を縫うようにして後についていく。

 

 その会議室は先の「司令部」に比べればかなり小振りで、10畳程度の広さだった。設備も長机にパイプ椅子ではないものの安物の椅子、あとはホワイトボードと

モニターしかなかった。


 「やあお待たせしたね、ようやくもう一人のゲストが到着したよ」


 そこには一人の黒人が座っていた。源水津よりも恐らく二回りほど高いであろう背丈に、見る者に一目で印象付けるその長い手足。

 源水津は瞠目する。その手足に驚いたのではない。その男に見覚えがあったのだ。


 「貴様は……映像に映っていた工作部隊の」


 その黒人も、源水津を見るや否や即座に腰を浮かし警戒態勢に入っていた。身のこなしからしても間違いなく素人のそれではなく、何らかの体術を身に着けていることは容易に想像できた。


 「もう一人来るとは聞いていたが、まさか敵のNo.2とは聞いてないぜ。俺をここでハメる気か」


 「いやいや落ち着いてよMr.ルワンガ。わざわざそんな面倒なことしないってば。それにNo.2とか別にどうでもいいじゃない。ここにいる以上は関係ないでしょ」


 まったくやる気のない青年を見て毒気を抜かれたか、憮然とした表情で腰を下ろすルワンガ。確かに青年の言うとおりだった。ここにいる以上は同じ穴のムジナである。


 「じゃあ早速報告会を始めようか。源水津君、メタトロンの準備は進んでる?」


 「……ようやくプロトの開発が終了した所だ。量産には早くても半年ほど掛かる」


 「ふうん、それは思ったよりも早いなあ。出来れば一年ほど待ってあげてよ。ファーヴニル派のダメージが思ったより深くてね、回復に少し時間をあげたいんだ」


 「了解した。こちらとしてもその方が余裕が出来て助かる。特に急ぐ必要もない」


 「Mr.ルワンガの方はどう?占領したエリアの要塞化はどの程度進んだの?」


 「急ピッチで当たってはいるがそもそも資材が足りん。一年といったが欲を言えば二年欲しい。それよりもなんだそのメタトロンというのは」


 「……我々が新たに開発した戦闘特化型の端末だ。完全自律型で、エリアの支配域に関わらず行動できる」


 「なんだと!それではそもそも自体無意味になるだろうが!やはり貴様ら最初から」


 「落ち着いてよMr.ルワンガ。心配しなくても大丈夫だよ、メタトロンは火に弱い。新素材の弱点でね、無理矢理化合させてるから一定以上の熱で簡単に剥離しちゃうんだ」


 源水津は再び瞠目した。この青年といるといつもこうだ。何一つ自分の予定通り事が運ばなくなる。一思いに始末できればどれほど楽かと考えたことも一度や二度ではない。


 「……その話は、初耳だが」


 「まあ今言ったからね。良いでしょ別に、なんだから。でも何の成果も挙げられないってのも変だから、エリアの一つくらいはあげておこうか。Mr.ルワンガ、どこなら都合がいいかな?」


 「……仲間を一人失ってまで得たエリアを早々奪われる訳にはいかん。W、WS方面に注力している今、WN方面は手薄だ。そこから人口の少ない所を一つ持っていけ」


 「仲間を一人ねえ。元エージェントの君にそんな情があったんだ」


 「確かに俺は元プロだ。その誇りにかけて任務に私情は挟まん。だがな、挟まないってのは無いって意味じゃない。それよりここまで協力したんだ、今日こそ喋って

もらうぞ。そっちの旦那も目的はそれだろうが」


 『この男もか』と源水津は内心思わざるを得なかった。自分達だけではない、多くの人間がこの青年の握る秘密に翻弄され、スパイの真似事をやらされている。


 「そうだね、二人とも良く頑張ってくれたし、そろそろいいかな。それじゃあ行こうか。全ての始まりの場所へ」


 唐突に宣言し、青年が立ち上がる。

 二人はただ、付いていくことしか出来なかった。



 青年に促されエレベーターで案内された先は、ただ暗闇だけが広がる場所だった。

ここが通路なのか部屋なのかの判別すらつかない。


「……あの司令部よりさらに地下があったとはな」

「ここが全ての始まりだってのか?暗くて何も見えねえぞ」

「今照明をつけるよ。ここに人を入れるのも久しぶりだ」


 青年がスイッチを入れると、天井ではなく床に埋め込まれたライトが点灯し、部屋の奥部だけが照らされる。最早使われなくなった場所なのか、メインの照明は来ていないらしい。ライトで照らされている箇所に、何かが浮かび上がるようにして見える。それは、人一人が収まるサイズの試験管だった。それが三本。内部は液体で満たされ、それぞれに『誰か』が浮かんでいる。


 「……将源!?いや、違う、これはまさか、御初代様か!?馬鹿な、何故これが

ここにある!」

 

 「形式上の記録には残っていたが、まさか本当に実在したとはな。これが、あの」


 「そう。これが、『始まりの三人』だよ。まだ、生きている。200年前から、ずっとね」


 青年が語り始める。もう何度も繰り返したのであろう、慣れを感じさせる抑揚で。


 「昔々、ある大学の経済学部にとても仲の良い三人がいたんだ。一人は学年主席、無茶ばかり言うけどそれを人望と本人の才能で周りごと巻き込んで実現してしまう男、穂澄源一郎。もう一人が対照的に徹底したリアリストでよく行き過ぎた源一郎を諫めていた良きライバル、保坂直義。そして捉え所のない天才肌の留学生、相反する二人の間に入り蝶番の役割を果たしていたホリィ・アルガスタ。そのままトップの成績で卒業した三人は、ある一つの誓いを立てた。『いずれ三人で一つの事業を立ち上げよう』と。そして10年後、その時は訪れた。奇しくも三人が選んだのは銀行業で、三人ともが自分で銀行を立ち上げていた。けどまあ、当時は大変な不況らしくてね。彼らは非常に不本意な形でかつての誓いを果たすことになったんだ」


 「……統合合併か」


 答えながらも、源水津は困惑していた。「世界をこんな風にした原因を教えてやる」と言われ、今日まで不本意ながらも協力してきた。しかし今語られている内容はまるで世界の器に見合わない、あまりにも小規模なものだった。

 

 「そう。経営危機を回避するためのね。そして三つの銀行をまとめて一つのメガバンクを、「ホホホ銀行」を立ち上げたんだ。でも結論から言うとこれは最終的に失敗した。この三人の才覚のせいでね」


 「……何故だ?聞く限りでは優秀で仲の良い三人だったんだろう。それが何故そんなことになる」


 ルワンガも状況を飲み込めずにいた。合衆国から与えられた最後の任務を全うしようと今日まで務めてきたが、こんなものが世界の秘密だというのか。


 「三人は仲が良かったんだけど、彼らの部下はそうでもなかったんだよ。皆、それぞれの使える主に心酔していた。皆自分の主が一番だと思っていたんだ。いっそ三人がいがみ合っていたなら誰か一人になるまで潰しあうことも出来たんだろうけどね。結果として、一つのメガバンクに三つの派閥が生まれた。トップの三人を置き去りにしてね」


 これまで背中を向け語ってきた青年が振り返った。両腕を広げ、目の輝きを一層強くする。「ここからが本番だ」とでも言うように。

 

 「行内のあらゆる場所、あらゆる業務で小競り合い、鞘当、抜け駆けが横行した。自分の仕える主の権限を最大化するために。これはいけないと考えた三人は、まず

行内の業務を正しく一本化する統合システムを作ろうとしたんだ。けどまあこれも失敗した。当然だよね、元の原因がそのままなんだもの。三人が部下を諫めれば諫めるほど、より彼らの対立は激化した。自分達の主を想ってね。だからシステム開発もまるで上手く行かなかった。それぞれの派閥がバラバラにエンジニア達に注文を付けたんだ。横の連絡を一切取らないままに。そんなの完成するわけないよね。昨日指示された仕様と全く逆の仕様が次の日に発注されるんだもの。日を増すごとにシステムは一本化どころか余計に混乱を極めていった。その時の基礎システムってまだ残ってるんだよね?」


 「……ああ。我々が解析を進めているが、芳しくない」


 パンドラと呼ばれ全ての厄災の元凶とされてきたそれは、今や完全なブラックボックスと化していた。


 「だからもう、その時点で諦めれば良かったんだけど、源一郎は諦めるような男じゃなかった。彼は余りにも思い切った手段に出た。それがだよ」


 背中越しに首だけを向けて、試験管を目線で指す。


 「自分達の記憶と精神、つまり『魂』をフルコピーしてそれを基盤にしたAIを作り、統合制御コアにしようとしたんだ。三つのAIによる合議制のね。自分達三人の人格なら正しい統一をもたらせると考えたんだ。これはそのための装置だよ」


 「……そんな事が、当時の科学水準で可能だったのか」


 「さあね。優れた科学者でもあったホリィが調達した装置だと言われてるけど真偽は不明。それで三人はこの装置で人格のフルコピーを試みて……そのまま二度と目覚めなくなった。そしてその日から、システムは本当の意味で暴走を始めたんだ。人格をシステム内に転写したまま、三人は、手を取り合うどころかお互いを食い合うように争い始めた。まるで狂った多頭竜ヒドラのようにね。ついには各々の権限を最大化するためにシステム外にまで手を伸ばし始めた。分かりやすく言うと、他業種展開だね。まず源一郎が電子工業に手を伸ばし、直義が対抗して自動車産業に手を出した。ホリィは医学方面へ展開した。そうすると今度は源一郎が化学、直義が軍需に……とまあこんな調子で際限なく手つかずの領域へ拡大していったんだね。君達の保有する技術分野が歪な理由はこれだよ」


 源水津とルワンガは絶句していた。余りにも、これでは余りにも


 「馬鹿げている……」


 「ホントだよね。こんなの普通は上手く行く訳ないしどっかで破綻してそれで終わりなんだけど、神様が10回連続ファンブルでも出したのかな。こうなるともう問題は一銀行内で済む話じゃない。やがて国内全土に、そして世界にまで飛び火したこの食らい合いが、あの三つの勢力による大戦を引き起こした。一つが源一郎を頭に頂く統合覇権確立派ペンドラゴン、直義の旧国家文明回帰派ファーヴニル、ホリィの三者調停共同派ウロボロス


 「そして、その戦いで我らペンドラゴンが勝利した。ファーヴニルは追い込まれ、ウロボロスが滅んだ」


 源水津が自分の足元だけを見つめながら言う。自分と現実を見失うまいとするように。


 「まあフリだったんだけどね。正面からやったら結果は見えてたし。それで現在に至る、と。何か質問はあるかな?」


 「……信じろというのか、この与太話を」


 ルワンガが絞り出すように呟く。

 この狂った世界で、最後に与えられた任務だけを生き甲斐に生きてきた。そのために仲間を見捨てすらした。その結末がこれだというのか。


 「信じる信じないは勝手だよ。みんな最初はその反応なんだよね。まあ今日の所は一旦帰って頭を整理したらどうかな。協力を続ける気になったらまた来てよ。僕達ウロボロスはいつでも歓迎するよ!」


 源水津とルワンガは何も言わず立ち去った。その姿はまるでこの世に居場所を無くした幽霊のようだった。やがて静寂が訪れ、部屋には青年一人だけになった。


 青年が三つある内、中央の試験官に手を伸ばす。そこには美しい銀髪の女性が収まっている。


 「三つのコアをシステムに投入した時、まず穂澄源一郎の魂が接続され、次に保坂直義が接続された。その瞬間、システムはこれまでの混乱が嘘のように収束したという。安堵したスタッフが三人目の貴方を接続した瞬間、全てが狂った」


 青年が試験管のガラスをゆっくりと撫でる。慈しむ様に。或いは憎む様に。


 「ウロボロスの使命は、三つの派閥と貴方達三人を保存し、そしてここから貴方達を救い出すこと。もしそれが成ったのなら……その時こそ、全てを教えてもらいますよ。


 銀髪の女性が、呼びかけに呼応するように目を開く。その瞳は太陽のように禍々しく赤く輝いている。そして青年を見やるとゆっくりと口の端を持ち上げ——笑った。


 


 


 

 



 

 

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ホホホ銀行SF 不死身バンシィ @f-tantei

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