第10話 うえつふみ

 晩御飯を食べて、お風呂にも入って、私はもうパジャマに着替えた。

「瑞樹、まだ起きてられる?」

 母上、ご心配にはおよびませぬ。私も、もう一年生ですから。

「ぜんっぜん、大丈夫だよ、おかあさん!」

 おまかせください母上。


「そおう? ほんと? んーじゃあ、カーデガンを羽織ってね。それから、ハイ、くつ下」

「えー。お風呂入ったから、暑いよ。汗かくよ」

「だーめ。そんなこと言うと、腹巻きも巻いちゃうからね」

 ゴールデンウイークも過ぎたというに、これである。まあ、母上の心配性はいつものことなので、私が折れるしかあるまいな。


「地下室に行くのよ。結構、冷えるんだから」

 そう、今から私は地下室に入る。

 うちに地下室があるなんて、知らなかった。



「瑞樹、お風呂あがったの? 眠くない?」

「おにいちゃん! ぜんっぜん眠くないよー」

 むしろ、ドキドキして眠いどころではありません。地下室に何があるのでしょう。

 私が兄上にまとわりついて遊んでもらっていると、お祖父様とお祖母様、父上と母上もリビングに降りて来られた。


「お、瑞樹。いい腹巻きだな! 眠くないか?」

 もうっ! 父上まで。私をいくつとお思いか。

「おとうさん、ぼくぜんっぜん、眠くないから」


 父上こそ、お眠いのでは? 先ほどビールを飲んでらしたでしょう? 大丈夫なんですか!

 抗議を込めてほっぺたをぷくっと膨らませていると、後ろからひょいと抱っこされた。わぁい、お祖父様!

「瑞くん、元気だね。宵っぱりだなあ」


「おじいちゃん! おじいちゃんもお風呂、入ったの? 石鹸の匂いするよ!」

「そうそう。精進潔斎だからね」

「しょうじん? けったい?」

「うん。今から大切なものに触るからね。気持ちを引き締めるために、お風呂に入ってキレイにしたんだよ」

「ぼくも! しょうじんけったいした!」

「そうか、瑞くん、偉いなあ。風邪ひかんようにあったかくするんだよ」

「はあい」




「みんな揃ったね。じゃ、地下室に降りるよ」

 お祖父様の言葉に黙ってうなずく。

 リビングを出て中庭に面した縁側を奥に進むと、書院の付いた床の間の和室がある。お客さんの部屋だから私が普段立ち入らない所だ。


 書院の明かり障子を過ぎると、杉の板戸が建っている。竹と雀とうさぎが描かれていて、丸いうさぎが活き活きとして愛らしく、見飽きない。

 それで私は、小さなころからよくこの廊下に寝転んで眺めていたものだ。

 だから、この杉戸はいつも錠がしてあって開かないものだとそう思っていた。



 父上が杉戸の合わせ目にある金具を外された。へえーあんな小さな金具で止めてあったのか。

 からりと杉戸が開く。

 母上が電気のスイッチを入れらるとそこは、真っ白い壁が美しいお部屋だった。


「ほおう、白い壁」

 思わず唸ってしまった。暗い廊下から入るとすごく眩しく見えたから。

「白いだろう? 土蔵っていうんだぞ」

「おとうさん、家の中に土蔵があったの?」

 兄上もご存知なかったのか。驚いておられる。


「どぞう?」

「漆喰という白い壁で出来た丈夫な蔵の事だよ」

 お祖父様が教えてくださった。

「くら!」

 くら、知ってる知ってる!

「たわらはごろごろ、おくらにどっさりこ、お米はざっくりこで、ちゅうちゅうねずみはにっこりこの、おくら?!」

「ふふ、ねずみはいませんよ」

「そうよ、ねずみ居たらにっこりこなんてできないわよ」

 お祖母様と母上が「やめてー」といいながら笑っておられる。ねずみ、可愛いのに。



「地下室はこの奥にあるんだよ」

「おじいちゃん、奥って、この土蔵の中?」

 兄上がお祖父様にお尋ねになる。

 おお、もう既に土蔵の扉の前に進んでおられるのか。さすがは兄上、勇敢なものだ。

 私は何やら、昔見たダンジョンを思い出して少し怖くなってきたところだというに。



 父上が木綿の風呂敷を開いて中から何か金具を何本か取り出された。

 一つはわかる。大きな鍵だ。

 あの、扉の錠前を開けるものであろう。

 しかし、それ以外は何をするための道具なのか、さっぱりわからぬ。

 ちょうど、英語のお教室で習ったアルファベットのLの字のように、カクカクと折り曲げられた鉄の金具が木の取っ手から伸びている。それが大小二本。あれはなんだろう。


「はは、コレは鍵だよ」

「ええっお父さん、コレが鍵なの? この曲がったのが?」

 うむ、兄上。コレは私にも鍵には見えませぬ。

「ふふん。柾樹、瑞樹、見たことないだろ? これは和鍵だ。昔からある日本の鍵だぞ。ほら、こういう形のこと、カギ型っていうだろ?」

 ほうほう。なるほどな。

「おとうさん、これで、どぞう、開くの?」

「応ともよ! 見てろ、一発で開けてやるから」



 父上はまず、大きな鍵で錠前を開けられた。錠前はカチリと鳴って横棒がするりと取れた。

「大きなカギだね、おとうさん」

「おう、瑞樹ちょっとこれ持っててくれ」

「うん」

 錠前はずしりと重い。私と兄上は父上の手元からもう目が話せない。どきどきする。

 父上は重そうな両開きの扉を開けられた。すると、その奥にまた扉があった。今度は黒い金具で補強された木製の引き戸だ。


「さて、ここからだな」

 父上はそういうと、引き戸の下の方に付いている二つの鍵穴の上の穴をちょっと覗いてから、そこに大きい方の金具をくいっくいっと差し込んで、手前に引きながらくるっと右に回された。

 

「柾樹、ちょっとコレ、このまま動かさないようにおさえててくれないか」

「はいっ」

「そう。そのまま動かすなよ」


 父上は今度は、小さい方の金具を下の穴に差し込んだ。くいっと下から上に向けて押し上げると、扉の向こうでカタリと小さな音がした。

「おしっ! 開いた」

 おおお、父上凄い。


 父上が重い木戸を引き開けると、そこは八畳の和室くらいの何もないお部屋だった。暗くて冷んやりとしている。

 兄上にくっ付いて中に入り扉を振り返る。

 おお、引き戸の裏側に錠前の仕組みが露出しているぞ。なるほど。ここが上がって、これが動くとこれが落ちて、閂が上がるのだな。ふむふむ。ほおう。




「瑞樹、錠前は後でゆっくり見せてやるから」

「瑞くん、いらっしゃい。下へ降りますよ。寒いからこれ羽織ってね」

 お祖母様が大きなストールで私をふわりとくるんでくださった。暖かい。


 天井から下がっている丸い傘の付いた電球のスイッチを母上がカチリと捻ると、暖かいオレンジ色の光が灯った。

 部屋の奥にもうひとつ引き戸がある。

 それをお祖父様がからりと開かれると、黒い艶のある木の壁の部屋の中程に、下へと降りる階段が見えた。


「ちょっと急だぞ。瑞樹、気をつけて降りろよ」

「瑞樹、ひとりで降りられる?」

 父上母上、もう小さな子供ではありません。

「瑞樹、一緒に降りよう?」

「うん!」

 それに、兄上とご一緒しますから、ご心配はいりませぬ。


 滑りやすい木の階段を下まで降りきると、そこはお祖父様の書斎によく似たお部屋だった。

 天井付近に風抜き穴があるのか、冷たい空気が動いている。この部屋の照明もオレンジ色の電球だ。暖かい色の電球がジジジと小さな音を立てていた。




「さて。みんないいかい? これから出すのはとても大切なものだ。わかるね」

 お祖父様のお声に、胸のあたりがとくんとした。繋いでくださっている兄上の手にきゅっと力が入ったのがわかる。

 ぼくと兄上はうまく声が出せなくて、こくんとうなずいた。


 お祖父様は父上と一緒に、机の背後にある大きな金庫の扉を開かれた。金庫の鉄の扉を開けると、白い木のたんすのような物が見える。

 お祖父様は、たんすの引き出しをきゅっきゅっと音を立てながら引いて、その中から黄色い布で包まれた箱のような物を出してこられた。


 黄色い包みが机に置かれて、ゆっくりと解かれると、ふわりといい香りが広がった。

「すんっ。いい匂い」

 私は鼻を鳴らしてその香りを嗅いでしまった。お祖母様が「ふふふ、沈香の香りよ。虫除けなのよ」とおっしゃった。ほう、じんこうか。


「お正月のお着物の匂いだね〜」

「そうね。ふふふ、いい匂いね」

 鼻を広げて目を閉じてしばらく香りを楽しんでいると、父上が「全く、渋いなあ。お前」とおっしゃる。いいのです。良い香りは良い香りなのですから。



 お祖父様が、中から出てきた白い木の箱の上に掛かった紐を外して蓋を取られる。蓋はスコッという軽い音を立てて開いた。随分と気密性の良い箱のようだ。

 木の箱の中から艶々と黒く塗られた細長い箱が出てきた。どきどきする。

 机の高さが結構高いので、私の背丈ではよく見えない。ぴょんぴょんと跳ねて見るけれど、首を伸ばしてもちゃんと見えぬ。それならば。


「ふんっ!」

 私は気合いをひとつ入れて、ふわりと浮き上がる。よし、これならすべて見渡せるな。


「わあっ瑞樹が飛んでる〜」

「おわっ」

「おおっ瑞くん、飛んだか」

「ふふふっ! 良く見えるよ〜」

 ふわふわと机の上がよく見える位置に浮き上がった。みんな見てみて〜ほらいいでしょ。


「こらっ! お行儀が悪いわよ! 降りなさい」

「そうね。お母さんの言う通りよ、瑞くん」

 母上とお祖母様に怒られてしまった。

 えっ。飛ぶのは、おぎょうぎ悪いですか?

「お行儀……」

 ほら、兄上もちょっと戸惑っておいでた。飛ぶの、おぎょうぎ、悪いのか。


「おります。ごめんなさい」

「はい、よろしい」

「瑞くん、この台の上にお上がりなさい」

 お祖母様が踏み台を持ってきてくださった。

「瑞樹。一緒に見よう?」

 私は兄上と並んで机の上がよく見える場所を確保した。



「みんな、いいかい? 蓋をとるよ」

 息を詰めてお祖父様の手元を見つめる。

 黒い蓋が開くと、中にはまた黄色い布に包まれた細長い筒のような物が出てきた。


「黄色いの、ハンカチ?」

「ん? ああ、いやハンカチじゃないよ瑞くん。これはね、丁子染の布だよ」

「瑞くん、丁子染と言うのはね、丁子という生薬で染めた布よ。包んだ物が傷まないのよ」

 お祖父様とお祖母様が教えてくださった。


「ちょうじ!」

「ハンバーグとかにも入れる、スパイスのクローブのことよ」

「へえお母さん、スパイスも生薬なんだ」

 兄上も驚いておられる。ほうおもしろい。


「さあ、開けるよ」

 お祖父様が丁子染の黄色い布を丁寧に開かれると、中から出てきたのは紙をくるくる巻き重ねたような物だった。


「これが、我が家に伝わる『うえつふみ』だ」

 そうして、お祖父様は静かに、そうおっしゃっられたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法使いが転生したのは現代の日本国でした apop @apop

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ