第9話 小さな魔法使い

「ただいまー、今帰りましたよー」

 玄関から元気な母上の声が響いた。お祖母様とセールだと言って出かけられてたのだが今帰られたようだ。


「あれ〜、みんな二階〜?」

 トントンと階段を上がって来られる軽い足音がする。

「あら、書庫じゃないのね、みんなこっち?」

 書斎のドアがいきなりバッと開けられた。

「モロゾフのプリン買って来たわよ。あれ?」



「どうしたの?」

 書斎に入って来られた母上は床に座り込んでいる私たちを見て「何やってんの?」と言われた。


「ああ、あ、真弓、えと、おかえり」

「真弓さん、いや、あ、なんだな、うん」

 父上とお祖父様が顔を見合わせてモジモジしている。

「柾樹も。何やってんの? みんなで」

「あ、お母さん、えとね、んとね、瑞樹とね」

「あ、瑞樹も、どしたの?」

「おかあさん……」

 なんと言ったらいいのであろうか。



「はあ。んー父さん。これ、ちゃんと話しをしなきゃだな」

 父上の言葉に、お祖父様はふうっとため息をついてから、私たちを見渡してゆっくりとおっしゃった。

「真弓さん、帰ってきたとこで申しわけないんだけど、ちょっと笹枝も呼んで来てもらってもいいかな? 大事な話があるんだよ」

 



 ◇ ◇ ◇




 母上が下から運んできた急須にポットのお湯を注いで湯呑みにお茶をつぎ分けてくださっている。いい香りが立ちあがる。


「はい瑞くん、プリン」

 そう言いながらお祖母様がスプーンを添えてプリンを渡してくださった。

「瑞樹、蓋とってあげるね」

 兄上がプリンの蓋を取ってくださったので、さっそくいただく。

「おいしい」


「はい、お茶。瑞樹、こぼさないでね」

「かりがね玄米茶!」

 香りでわかる。新茶だ。しかも煎りたての玄米のよい香りもただよう。


「あら瑞樹、分かる〜? そそ、雁ヶ金かりがね! 相変わらずいい鼻ね〜」

「ふふ、真弓さん。やっぱりこれ買って来て良かったわねぇ」

「ね〜お母さん、正解でしょ。瑞樹、これねぇ、一保堂の新茶よぉ。茎茶だけど、スッゴク良い玉露の雁ヶ金なんだからね〜」


「瑞樹、玄米茶、好きだねぇ」

「うん、おにいちゃん。玄米、すごいねぇ」

 そう、玄米は魔力の塊である。まったくもって素晴らしいポーションだ。しかも美味しい。


 みなでプリンをいただき、しばしお茶でほっこりしたところで、お祖父様がこう切り出された。

「さて。みんな、大事な話がある」




 ◇ ◇ ◇




「そんな、ことってあるの? ね、お母さん」

「そうねぇ、ちょっと、あれね。おじいちゃんも、桂一郎けいいちろうさんも、真面目な顔でそんなふうに言われてもね。なんていうのかしらね」

 

 お祖父様と父上が、先ほど私達が魔法で浮かんだことを一生懸命に説明なさったのだが、お祖母様や母上には上手く伝わらないようだ。

 私の横で兄上が両手をぎゅっと握りしめておられる。うむ。どうしたものか。


 父上が私の顔を覗き込んで言われた。

「瑞樹、アレ見せてやれ。やっちゃっていいぞ」

「ええっお父さん! 危なくない?!」

「ううん、でもな柾樹。柾樹よか、慣れてる感じがしたんだけどな、瑞樹のアレ」


「瑞くん、大丈夫か?」

 お祖父様が少し心配そうにおっしゃるが、問題ない。父上と兄上にもひとつ頷いて見せて、お祖父様にも笑ってお応えした。

「じぃじ、見ててね」



 私は先ほど兄上がそうなさったように、ドアの前のフローリングのところに立った。

「おかあさん、ばぁば、見ててね」


 魔力の波を整える。魔力炉を回し身体に行き渡らせて胸の辺りの発動体から緩やかに放出する。

 身体を浮かせるのに呪文は必要ない。魔力を上手く放出してやれば身体は浮く。そのように出来ているのだ。人の身体が水に入ると自然と浮きあがるのと同様である。


 ふわりと、浮き上がった。

 ゆっくりと上昇して鴨居の辺りで留まる。天井の高いお祖父様の書斎は浮きやすくて良い。

 ふわふわと漂ってお部屋を一周し、サービスでくるりと前転してから、元の床に降り立った。



「ええええぇえ〜! これなに? ええっどういうこと?! あなた! 桂一郎さんっ!」

「ああ、おじいさん、瑞くんが……まあぁあ」


 床に降り立っても、しばらくなにもおっしゃらなかった母上とお祖母様が、急に慌て出された。お祖母様、お祖母様、お顔の色が、私は大丈夫ですから、お祖母様!


「おばあちゃん、大丈夫だよ。瑞樹、上手だから、大丈夫」

 兄上がお祖母様の手を握って背中をさすって差し上げておられる。さすがです、兄上。


「ほらな、こういうことだ。見たろ?」

 父上、兄上をみならってください。

 お祖父様まで、また驚いておられるでしょう。お祖父様、大丈夫ですか?




「本当に驚いたわ。もう、死ぬかと思ったわ」

 母上のお身体は、とても健康な気を持っておられます。大丈夫です。心配ありません。

「ああ、柾樹ちゃん、お白湯さゆね。ありがとう。おじいちゃんにもよそったげてくれる?」


 お祖母様と母上が少し落ち着かれたところで、父上がおっしゃった。

「で、だ。瑞樹、説明してくれないか、これ」



「お父さん、瑞樹にムチャ言わないでよ」

 兄上。そうですよね、説明、難しいですよね。

「うむ、それもそうか」

「そうだな、桂一郎。順を追って話を聞いていこう。な、柾樹、瑞樹、その方がいいな?」




 ◇ ◇ ◇




「じゃあ、柾樹も瑞樹も身体が浮くのね?」

「うん。僕もびっくりしてるんだ。ね、瑞樹」

「うん……」


 お祖父様が私の顔をじっとご覧になって静かにおっしゃった。

「瑞くん。瑞くんは、今日が初めてじゃないね。いつごろから浮かぶようになったのかな?」


 いつごろ。

 それは、今生のことですか。それとも前の世に生きていた頃の話でしょうか。

「ううん、親父。言葉が具体的でないと、瑞樹にはちょっと難しいかもだな。んとな瑞樹、初めて身体が浮んだ時のこと、おぼえてるかい?」


「初めて、浮かんだ時のこと?」

 それは、今生での事、ですよね。

「おぼえてる」


「そうか、おぼえてるかー。お父さんに教えてくれるかな?」

「うん。いいよ」

 家族、皆んなに見つめられる。

 決して、私を糾弾しようとしている瞳ではない。そのくらい、私にも分かる。

 心配して、私を助けようとしている目だ。隠すことはない。隠すことはないのだが。



「書庫でね。ご本を取ろうと思ったんだよ」

「書庫?」

 そうだあれは、書架の上の方の重いご本だった。お祖父様の扱っておられる生薬の絵がたくさん載っているご本。

「げんしょく わかんなく ずかん」

「……ああ、原色和漢薬図鑑、あれか」

 そうです。お祖父様、それそれ。


「まえにね、年少ねんしょうさんのとき、じぃじに見せてもらったでしょ。それでまた見たくなって、取ろうと思ったの」

「ああ、あれ、上の方だからか。手が届かなかったんだね。じぃじ、呼んでくれたら取ってあげたのに」

「うん……」



「そうか、その本を取りたくて、浮かぼうと思ったの?」

「ううんとね、おとうさん、あのね」

「うん?」

「ご本が見たいと思ったら、浮いてたんだよ」

「あ、ああそう、なのか……?」


「お父さん、僕も、浮かび上がろうと思わなかったよ。浮かぶと思わないし。バスケットでダンクシュートしたいと思ったら、浮いちゃったんだ……」

「そうか、浮いちゃったのか。ふむ」



「ね、瑞樹。浮かんだのは書庫でだけ? 幼稚園や学校で、その、浮いたりしたことある?」

「はっ、瑞樹。年少さんの頃から浮いてたの?」

「うん、おとうさん。年少さんのとき。おかあさん、書庫で浮いたけど、それだけだよ」


「そうか、書庫でだけ、なんだね」

「うんそうだよ。おとうさん、書庫でだけ」

「お友だちにも、話してないんだね?」

「うん! おにいちゃんに言ったらダメて教えてもらったから」

「ええええ〜っ? ぼ、僕?」

「柾樹に?」


「瑞くん、僕、そんなこと言った?」

 あれ? 教えてくださいましたよね兄上。思い違いか? いや、あれは、いつだったか……


「あっ、ほらあの、チョウレンジャーで『フライングッ!』ってしたらダメて、言ったでしょ?」

「ええっ? 超レンジャー? 瑞くんが年少さんの頃? あっ『帰って来た超レンジャー』のこと? 瑞くん?」

「そう、それっ!」



「ううん? 超レンジャーかぁ。えっと……」

「おにいちゃん、ほら、『フライングッ』したらダメって、教えてくれたでしょ?」

「んー、あっ! 『フライング』かっ!」

「ん? 柾樹、フライングって?」


「お父さん、お母さん、ほら、おぼえてる? 瑞樹の幼稚園の男の子が、テレビの真似して遊具から飛び降りて怪我したことあったでしょう」

「ああ、あったわね〜あったわ……」

「その頃、瑞樹も超レンジャー見て、フライングッて出来るって言ったんだよ、飛べるって」

「書庫で、飛んだから……」

「そうだったんだね、ごめん」


「ああ、そりゃ、飛ぶなっていうなぁ」

「そうねぇ」

 お祖父様、お祖母様。そう、ですね。はい。


「それで、たしか、フライングで飛んだりしたらダメだよって言ったんだった。お友だちにも、飛べるとか言ったらダメだからねって言ったんだ」

「うん。言ったらダメて、教えてもらった」


 母上が私と兄上を抱きしめてくださった。

 母上、ごめんなさい、お祖母様、ごめんなさい。父上、お祖父様、兄上、ありがとう……





「で、あれだな。柾樹、瑞樹、他にはないよな。浮き上がる、くらいだよな? ん?」

 父上そんなわけないでしょう。言えませんが。



「そうだね、瑞樹。他に、ないよね……」

「だね〜にぃにぃ」

「んーちょっと、あの、そういえばね」

「ん?」

 兄上? 他に何かあるの、ですか?


「柾樹、他に何かあるのか?」

「おじいちゃん、あのね。大した事ないんだけどね。あの、電車とかでね。次に降りる人とか、空く席とか分かる気がする。よく当たるんだけど、そのくらいかな。テストの山も、凄く当たるけど……」


「マジかっ!?」

「まじかっ!?」

「ちょっと、あなたっ! マジって言わないの! 瑞樹がすぐ真似するでしょ! 瑞樹、まじかとか、ダメよ」

「はい……」


 しかし、兄上、それは。

 星読みの技ではありませぬか?

 先の事が見えるのですか?

 万人に一人も居ないと言われる、先読み。星読みの技を発現されたというのですか、兄上。

 なんと、なんとしたことか。それこそ、人に知られればただでは済まされぬ。


「柾樹。それは他人ひとに言うんじゃ、ないぞ。いいな、分かるな?」

「はい。お父さん。あの、言わないから」




 その時、ずっと黙っておられたお祖母様が、口を開かれた。

「おじいさん、あの、あれを。あのふみを、この子達に、見せてみませんか」

「笹枝、しかし、あれは」

「私、とても大事な事のような気がするんです。お願いします」


 そして、その夜、私達はその文を見せていただいたのだ。私は、この日を忘れない。

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