苫小牧ホッキ物語り

スーパー北斗で行くつもりだった。

 ケンミンSHOWで「ホッキカレー」なるものが紹介されているのを見かけた以来、苫小牧に一回は行ってみたかった。

 料理の仕方にもよるけど、台北での北寄貝は単価が一個300から500元以上(約1000から1500円)もする高級食材なので、恰もジャガイモのようにカレーに入れるなんて、カルチャーショック以外なんでもない。

 狂気じみてる。

 2012年九月、両親とその友人たちとの家族ぐるみの旅行で洞爺湖に。たいていの時間は団体行動だが、一日だけ夕食まではフリー。

 チャンスだ――と思った。

 ホッキカレーをはじめ、ホッキめしにホッキ天丼にホッキハンバーグ、ホッキフライでホッキラーメン、とどめにホッキアイスかと高級食材で何をと小一時間ぐらい問い詰めたくなる、かの高名な「マルトマ食堂」へはこの一日で行こう。洞爺駅でスーパー北斗に乗って、苫小牧駅でタクシーに乗り換えると、計一時間ちょいで目的地に着ける、日帰りできなくはない。

 との計算だった。

 ついに当日、洞爺エリアは朝から小雨。朝七時、めずらしく乗ってくれた母といっしょに駅に着くと、苫小牧は大雨被害なので室蘭本線が午後まで運休――うわぁ。

 普通なら旅はここで終わったが。いや、始まることさえなかった。しかしあの日の自分は、どうかしていた。

「母さん、タクシーで行こうか」

 おそらく洞爺から苫小牧の距離を把握していなかったのだろうと、母は悠々と「まかせるわ」と答えた。

 なので決行。

 タクシー代を北寄貝の単価に換算すれば、きっと安いもんだ。

 狂気じみてる。

 洞爺の旅のためにアドレス登録しといた現地のタクシー会社に電話し、「苫小牧まで行きたい」と伝えたら、ちょいと微妙の間が。続くうろたえるとも捉える声は「少々お待ちください」と。

 少々待ってみた。そのあと一回は丁重に断られたが、海外から来たのでなんとかお願いしますよ、と言った。すると当社から車は出せませんが、他社に聞いてみることが可能でいかがでしょうかと聞かれ、時間は持て余しているので二つ返事。携帯番号を教え、また少々待つこと十数分。

 着信音。

「車、見つかりました。九時半頃お迎えに参りますが、待っていただけますか」

 間を置いて、一時間ぐらいお待ちいただくことになりますけど、と。

「なぜそんなに時間かかるのですか」

 素朴な疑問。

「迎車は苫小牧から洞爺に来ますので……」

 待つことにした。

 母がこの段階、ようやく苫小牧はおよそ100キロ離れてるのだろうと把握したけど、迎車が出てきたので、後戻りできない。

 朝九時半、苫小牧から洞爺駅にやってきたタクシーに乗り込み、苫小牧に向かう。

「洞爺この辺の道がわからなくてさ。高速に入るまでお時間ください」

 初老の運転手さんが、やや緊張気味で言った。豪雨エリアを走り抜いて、見知らぬ街で我々を迎えに来たので、しばらくはその言葉通りに見守った。高速に入って、お互いも落ち着いて、洞爺のことやら天気のことやらで、徐々に会話らしい会話しはじめた。

「しかし、迎車がわざわざ苫小牧からくるとは思わなったんですよ」

「ああ。今日最後なんて」

「え?」

「定年でさ。今日は最後の出勤日なんだ。お客さんは最後のお客さん」

 運転手さんが言った。

「洞爺から苫小牧に来ようとする方なんて、めったにないんじゃないですか。これが最後の仕事としてやりがいあるな、ってね」

 それにしても、なぜこうするまで苫小牧に行こうとするの――と、聞かれた。

「マルトマ食堂へ行きたいです」

「マルトマ食堂?」

「マルトマ食堂! ホッキカレーとホッキラメーンとか。台湾で絶対そんな料理が食べれない、いや、目にするのでさえ無理かも! 見てみたい」

 ホッキアイスも食べたい――と、行ったこともないマルトマ食堂、見たこともないメニューについて熱く語った。

「そりゃいいね。お客さん。そこの店主、私のいとこだよ」

 え?

 んなアホな。

 何このご都合主義的な展開。

 偶然の豪雨による運休で、偶然の決断によって偶然に出会った、偶然その日が定年退職日の運転手さんが、偶然にも目的地のお店の店主の縁故。 

 小説で書いたら怒られる――偶然にもほどがある。

 そうやってすっかりと打ち解け、台湾のこととか、北海道のこととか、昔の苫小牧とか、昔々北のほうに住んでいて、マイナス25度になったら学校は休むとか、わいわいと会話の弾む一時間半。高速で室蘭本線と並走し、豪雨エリアを抜けてから雨の降る苫小牧に。

 念願のマルトマ食堂に着く。

 しかも(縁故特権で)裏口から並ばずに入った。

 楽しいタクシーの旅もこれで終わりか……名残惜しいな、と。思ったら。

「電車はもう動いたらしいですよ。表に待ちますので、食事が終わったら、駅まで送りますよ。あっ、これはサービスで」

 小説で書いたら怒られる対応。

 そしてホッキランド――マルトマ食堂での体験というと、これもまた最高だった。仕込み中の北寄貝の身がタライいっぱいに盛られている光景は、たぶん一生忘れないのだろう。自分にはマルトマ丼、母はラーメン、またホッキ刺身とアイスも頼んで、しまいに父用にホッキめしを持ち帰り。30分未満の滞在だが、ディズニーランドに一日を費やしたのも譲らない満足さ。母は店主とのツーショット写真まで撮ったし。

 あれから苫小牧へ行っていない。というより北海道へ行く機会がない。

 台北で友人の営む日本料理店によく顔出すけど、出された北寄貝はもちろん一個単位。あの日のホッキ軍団と比べ、だいぶ小ぢんまりだが、これが現実。

 久しぶりマルトマ食堂のホームページにアクセスしてみると、バージョンアップして見やすいものになっている。順調にやっていてよかった。また行きたいな、と。

 運転手さんは今、どうしてるのかな。

 ちなみにタクシー代は2万8000円。交通代だと考えると決して安くはないが、買えたのがこんなにも素敵な偶然だと思えば、元はとうに取れているのさ。

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あなたの街の、食べ物語 時差エリリン @elielin

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