あなたの街の、食べ物語

時差エリリン

東京パフェもの語り

 仕事の都合でよく東京へ行く。

 いつからか、ひとりで取るのが多い昼食を何かの「縛り」に決めて、滞在するたびに「コレクション」をしていた。一昨年は親子丼で、今年前半はオムライス、ついでにカフェラテを集めたり、まあそんな具合で食べ歩き。

 だが気づけば、縛りも何も考えてないのに、いつの間にできた「コレクション」がある。

 パフェだ。

 東京駅構内のどんぶり子の炭焼きもも肉親子丼を食し、同じ構内にある果実園でいちごパフェを。並んで十数分でやっと入れた銀座の八代目儀兵衛で、鶏肉や卵よりもお米に重点を置いたあんかけ親子丼を舌鼓(ごはんは本当においしかった)、駅に向かう前に数寄屋橋交差点にある不二家でミルキーソフトパフェを。同じく銀座で、末げんの名物かま定食を頂きながら、資生堂パーラーへの道のりを調べるとかも。

 ラケルのオムライスを目指して新宿西口に来たはずなのに、タカノフルーツパーラーか京橋千疋屋かどっちへ行くと悩んだり、この間はとうとう「銀座ショコラストリートでパフェを食べたいから、近くに親子丼かオムライスの店を探す」という、本末転倒も甚だしい事態に。

 東京に滞在しては、昼食をたまに抜いても、パフェが外せない。

 京都に行ったらかき氷、札幌だとアイスクリームで良いけれど、東京に来てからはパフェだ。

 午後到着の便でも、ホテルで宿泊手続きをしてからとりあえず簡単に食事を済ませてパフェ。出発の日の食事は羽田で食べても構わないが、パフェは空港に向かうまではなんとかひとつ――東京に来る時にだけ発症する、パフェ狂い。

 何かにかき立てられるように。

 何かを追いかけるように。

 われながら謎すぎる。

「なぜ東京のパフェに執着するの」と聞かれ、真剣に考えることがあった。

 まず台北にあんなのがない。

 そもそも台北で透明グラスにアイスや生クリームを使う氷菓子と言えば「聖代」、砂糖漬けチェリーが乗っけているサンデーのこと。いちごやチョコレートアイスにバナナを添えるのが定番で、「百匯」とも呼ばれる。厳密に言うと中国語での「百匯」はフランスの冷菓「パルフェ( parfait)」のことだが、アメリカのアイスクリームチェーン店「Swensen's(スウェンセンズ)」が八十年代、台湾に進出した時ではサンデーを「アメリカ風パルフェ」だと考え、「百匯聖代」と命名し、そのまま混ぜてしまったらしい。また持ち込んだスウェンセンズがアメリカ発祥だからか、「百匯」も「聖代」もアメリカンフードとしてのイメージが強く、いわゆる洋食屋さんへ行ってもあまり見かけない。

 近年の抹茶ブームで、辻利や伊藤久右衛門など京都ブランドが台湾にやってきて、和風デザートとして持ち込んだ抹茶パフェを提供する店も増えてきたが、いちごをはじめ、メロン、ブドウ、マンゴー、栗に洋梨などなど、カラフルなフルーツパフェを本流とする東京での様相とはまた違う。

 結局、こうやってゴタクを並べて「いい感じのフルーツパフェは東京でしか食べれないからよ」と答えたが、それは答えになってないともわかっていた。

 時は今年の七月下旬。

 到着便が遅く、夜七時半過ぎでやっと新宿駅。メトロ食堂街の万世麺店で久しぶりの野菜パーコー麺を平らげ、店から出て右へと当然のごとくタカノフルーツパーラーに。店先では季節のフルーツと、桃を大々的に打ち出していた。

 東京に訪れる頻度はある程度一定なので、いちごやマスカットのフェアとはよく巡り合うけど、桃とはなかなか縁がない。

 子供の頃、日本から夏休みで一時帰省の親族や、祖父母の日本の友人からの手土産は常に旬の桃、いわば夏の味であった。しかし二十年ほど前、海外から野菜や果物の持ち込みが禁止された以来、台湾ではほとんど食べれなくなった。夏の味でも、思い出の夏の味である。

 というわけで、すんなりと桃のパフェを注文。すると現れたのは、造形も気品の高い一杯だった。ピーチジャムにピーチグラニテ、クリームまで桃一色だが、甘さも香りも食感までも豊富で飽きが来ない。くし切りした桃の果肉が、まるで美しい螺旋階段のように盛り込まれている。

 目新しい姿で、懐かしい夏が盛り込まれている。

 スイッチでも入れられたかよう、翌日は千疋屋でピーチパフェ。肉厚の白鳳が印象深い。翌々日は新宿駅新南口の近くの果実園で白桃のパフェ。さては白桃を一個丸ごとカットして入れたとその出血大サービスぶりに感慨。

 迎える四泊五日の最後の日。予定が詰んでいて、自由行動時間なんてなかった。もろもろ一段落したのが夜九時過ぎ、力を抜いてホテルに向かう途中、桃パフェのことが前ぶれなく頭をよぎる。

 食べたい。

 夜九時だけど食べたい。

 調べたら、銀座コージーコーナー飯田橋ラムラ店の営業時間は夜十一時までで、新宿から乗り換えれば、なんとか間に合うのだろう。さてと総武線で急いで向かい、夜十時ジャストに着いたけど、ちょうどラストオーダーで店じまい。

 なんということだ。

 帰りの電車の中、脱力感に襲われながら、何かが終わった気がした。

 夏かな。

 夏が終わった。七月だけど。

 明日は午前中に羽田へ行かねばいけない。今日限りで今年の桃がもう食べれない。だから、今年の夏が終わったよ――あ。

 ふっと、例の謎が解けた。

 パフェを通じて何かを追いかけるというと、「旬」を追いかけていたのだ。

 いつ頼んでもアイスとバナナと砂糖漬けチェリー、伝統かつ安定な味で提供し続ける「聖代」でなく、いま現在ここでしか味わえない、季節を――

 日本全国の食材が集まる、東京で。

 よく来ると言っても、しょせん一旅人にすぎない。

 おそらく自分は、たまたま出会った日本の旬との一期一会の体験を、無意識のうちに一杯のパフェ、執拗なまでに東京のパフェに求めていたのだ。

 今度「なぜ東京のパフェに執着するの」と聞かれたら、こう答えよう。

「懐かしい季節と、何回も目新しい出会いをしたいから」

 また東京で会おう。

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