さきちゃんマジで神。

 「すいませ~ん、どいてくださ~い。」

 道路いっぱいの参拝客の人混みを、私はかき分けながら進む。両手にはパンパンに膨れたコンビニ袋。中にはおにぎりや飲み物の他、知らない内に沢山物が入っている。最初は数人分のお昼ご飯が入っていただけだったのに、ここに来るまでに道行く参拝客たちがポンポン気軽に入れてくもんだから、持ち手の所がミョーンって自重で伸びてしまっているのだ。賽銭箱の感覚で投げ込まれた、小銭のずっしりした重みが私の上腕をプルプルと震わせていた。

 「はいはいどいてどいて~、神様が通りますよ~。」って言いながら人混みを抜け、やっとハピネスの入り口に辿り着いた。いつも通りの色あせた天使の看板の下。以前は駐車場への入り口だったはずの所に今は、朱色の真新しい鳥居が建てられている。鳥居の前では警察官が入ってこようとする参拝客をライブ最前列の警備員みたいに抑えてくれてた。警察官に軽く会釈しながらその間をくぐり抜けると、その時ポケットの中のスマホがピンポーンって鳴った。


 【さきちゃ、が舞ってます。】画面にはそんなメッセージが一行。送り主はトヨちゃん。黒猫のアイコンが可愛い。さきちゃんがふわりふわりと踊っている映像が一瞬頭に浮かぶけど、多分いつもの誤変換かな。私はOKポーズのスタンプをぽんっと押して返事をした。ずっしり重たいコンビニ袋を両抱えにして駐車場をダダッと走る。かすれた白線が引かれた駐車場には警察のパトカーの横に白線を無視して羽つき屋形船が停まってた。マイクロバスくらいある神様達の乗り物を、駐車(駐船?)するのにハピネスの駐車場は狭かったみたい。

 「仏像おじさーん、買って来たよー。」自動ドアをくぐって、私は重たいコンビニ袋を掲げた。その先には背中の輪っかを布で丁寧に拭く哀愁ある姿が見える。背中のアレ、取り外し出来んだって感心してたら

 『その呼び名を止めよ、毘沙門天と呼べ。』とか言ってムッとした顔をするおじさん。口を尖らせながら「びしゃも~ん」ってドラえもんのイントネーションで言うと、お前に何を言っても無駄だな、みたいな呆れ顔をされた。私がコンビニ袋を手渡したら、忙しそうに物色を始める毘沙門天。私が買ってきたお弁当じゃなくて、お供え物として入れられてたミカンを嬉しそうに取り出してる。加工された食品よりも、やっぱ自然な物の方が好みらしい。コンビニ袋をシャカシャカ言わせる姿を見てると、随分と神様も世俗慣れしたもんだなと思う。

 毘沙門天をガチャガチャ前の休憩コーナーに放置して歩いてると、後ろから「エリちゃん!」って声をかけられた。振り向いたらそこにトヨちゃんが居た。「ケータイ、通じたかしら。」ってトヨちゃんが言うから、誤字の事には触れずにばっちり届いてたよって言ったら凄く喜んで顔をくしゃくしゃにしてて可愛い。毘沙門天の力で曲がってた腰もスッと伸びて、今では時間を見つけてお世話係の神様達と一緒に働いてるトヨちゃん。エピソード1の若いヨーダみたいに元気になったトヨちゃんに、また後でねって手を振ってそのまま二階の催事場へ行く。

 催事場には一面に大きな薄い布が張られてて、その布の向こうで沢山の女神様達の影と、彼女達に着付けをされている小さな人影が見えた。それに私が手を振って

 「さーきちゃーーん!」って言うと、その小さな人影がワッってこっちへ近寄ってきて、薄い布の端から綺麗なお化粧をしたさきちゃんが顔を出した。ぎゃあ、さきちゃん可愛い!キャー!って叫んでたら、私の後ろから毘沙門天が慌てて走って来て、『馬鹿者、身分をわきまえろ。』って言うけど素無視。後からきた癖に、神様だか何だか知らないけどそっちこそ分をわきまえろって感じだ。



 あの日、表向きには大地震がこの国を襲った日。倒れた私の横で、さきちゃんはムクリと起き上がった。そんで輪っか付きの仏像おじさんと向き合って、聞き慣れない不思議な言葉を一言二言喋ったと思ったら、今度は仏像おじさんはさきちゃんの前で身体を折り曲げて跪いていた。そこには、まるでずっと昔から主従関係があるみたいで、頭を下げる仏像おじさんと、遠くを見るみたいな優しい目をしてそれを見つめるさきちゃんを見ながら「さきちゃん格好いい……。」って呟きながら私は気絶。

 次に目を覚ました時には「大丈夫、エリ!?」なんて覗き込むさきちゃんの顔の他に、麻呂眉の人達や、さっきの仏像おじさんも一緒に並んでいて、覚めない夢にもう一回気絶してしまいそうだった。

 その後、状況がまるで掴めてない私が聞いたのは、JKに理解出来る範疇を越えてる話だった。まず屋形船に乗って飛んできたこの不思議な人達は、皆が皆”神様”なのだという。

「住んでた所からさ、避難して来たんだって。」って人差し指を立てつつ説明してくれるさきちゃん。いや、何気ない風に言うけどそもそも神様is何って感じだし、避難ってどゆこと?と思ってたら、さきちゃんがスマホで私にテレビを見せてくれた。画面には瓦礫の山や炎を上空から撮影したニュース映像。「なにこれ?」って不思議顔してると「これ、東京だよ。大地震があったみたいなの。」って真剣な顔して言うさきちゃん。嘘、この戦争映画みたいなのが東京?確かにニュースのテロップには、関東大震災なんて名前が踊っていて……ああ確か気絶する前にスマホが鳴ったり地面が揺れたりしてたっけ。やっぱり地震だったんだ、アレ。てか私一日中寝てたのか。とか色々頭を巡る中で、あ、東京がダメになっちゃったらさきちゃん美容師の専門学校行けないじゃんヤバい!って今思えば割とどうでもいい事を思った。いや、やっぱよくはない。東京行くのがさきちゃんの夢なんだもの。

 「さきちゃん。これヤバいんじゃないの。」パニックのまま、さきちゃんに専門学校に行けないのヤバいじゃんって意味で言ったら、さきちゃんは勘違いしたみたいで、「この人達は危険じゃないから安心して。」って耳元でささやいた。さきちゃんの吐息が耳に当たってうおおってなった。そう言われれば確かに私の周りで「人間が目覚めたのか」「良かった良かった」とか言ってるこの人?達の見た目は、明らかに普通じゃない。そもそも仏像おじさんなんて、昨日さきちゃんに刃物を向けていた人だし、普通ならまず逃げなきゃって思うべき所なんだろう。でも何故か、そんな気が全くしないから不思議だ。

 私が寝てたのはハピネスの催事場みたいで、周りを見渡すとハリポタの妖精を赤くした鬼みたい奴が沢山いたり、フロアの隅でトグロを巻いて寝てる白龍も見えて割と妖怪大戦争って感じなんだけど、不思議とお正月に親戚一同が集まった、みたいな居心地の良さがあった。

 この催事場中に居る人達は皆、東京に住んでた神様らしい。それが何故か実体を持って皆に見えてる上に、こんな田舎町までさきちゃんを探しに来たとか言い出すからまたもや意味が分からない。どうしてさきちゃんなのって聞くと、周りの妖怪ウオッチ達が神だ神だって騒ぐから尚更混乱する。そしたら『エリカ、こっちへ来い。』なんて地を這うみたいな低い声が間近でして、見たら背後に例の仏像おじさんが立ってた。思わずひぇって声が出た。この人やたらしかめっ面だし身体大きいしやっぱ怖い。私は有無を言わさずひょいっと脇の下から持ち上げられて、仏像おじさんに運ばれてテラスへ出た。白いプラの椅子とテーブルは、屋内から外に出されてて、そこに二人向き合って座った。

 『エリカ、ワシは毘沙門天と言う。様々な呼び名はあるが、この国ではこれが最も近い名前だろう。してな、オオミカミ様は避難とおっしゃっていたが、我々は東の都から逃げ延びてきた、いわば落人の神々なのだ。』

 「……オオミカミ?」

 『天照大御神様だ、エリカ。お主の友人は身体に神を宿す、神降ろしの巫女の血筋なのだ。』は、巫女?さきちゃんちは普通の美容院だけどって言ったら

 『直近の家系など関係はない。何せ天照大御神様は原始の神であらせられるからな。』って変に自慢げな神様。理解力が犬以下の私は、その後神様の話を何度も聞き直したんだけど、要は私の宝物かつ生きがい及び恋愛対象であるさきちゃんは、実はもの凄く強い神様の力を持っているそうで、他の神様達はさきちゃんの側に居るだけで元気をもらえるんだそうだ。へえ、私と同じだって思ってたからそこだけは覚えてる。

 「いや元気が貰えるのは分かったけど、どうして東京から来たの。あ、地震から逃げてきたんだっけ。」って言ったら、おじさんは少し沈黙した後で

 『実は、異界の侵略者達から逃げて来たのだ……。先の地震も連中が現世に通ずる門を開けた歪みで起きたもの。大御神様の現世の依り代を見つけ、我らの力を蓄える為に馳せ参じたは良いが、いずれ追っ手に見つかるやもしれん。』とか物騒な事を言い出す。

 「……はぁ!?何それ。それってつまり、さきちゃんが危ないって事だよね。っていうかそもそも地震が起きる前に既にアンタらこの町に着いてたよね?その怖い奴らと戦いもせずに逃げてきた訳!?」ってJK特有の突如ギレをかましたら

 『逃げた訳では……』とか神様なのに口もごってて少しウケた。図星だったらしい。

 『まあ聞け、本題に入ろうエリカ。お主、大御神様に惚れておるだろう。どうだ、その命、大御神様に捧げてはみないか。』って図星を隠す為か何だか知らないけど、突然そんな事を言う神様もといオッサン。偉い神だか知らないけど、そもそも私は自己紹介もしてないはずなのに最初から名前呼び捨てタメ口だし、お前さきちゃんに惚れてるやろとか軽く言ってくるし、うわマジ無理キモこのオッサンって心から思った。

 「ねえ空気読めないって言われた事無い?あ、天界って空の上だから空気とか無さそうだし仕方ないのかな。ってか命を捧げるって何、生贄?」だから私は両肩をプラスチックの椅子の背もたれに預けて顔を上向きに傾けて、私の思う限りの無礼な態度で挑発しながら返事を返す。両手はプレゼンする人みたいにパーにして、ユーアンダースタン?って表情で。そしたら

 『天界は次元が異なるだけで頭上にある訳ではない。』ってオッサン、真面目か。

 『命を捧げると言ったのは比喩だ。大御神様への信仰心は、戦う際の神通力に比例する。ワシはお主に、一緒に異界の連中と戦わないかと聞いたのだ。……現世と我々の世界が繋がるこの状況は、神の想像を超える異常事態。このままでは、現世の存続すら危うくなる致命的な状況に陥ろう。』なんて、随分深刻そうな顔をしてる。

 「はぁ、私が、アンタ達が逃げてきた怖い奴と戦うの?別にいいよ。」

 『そう恐れて断りたくなるのは分かる、しかしもはや他人事では……なんと…‥お主今、受けると言ったか。』

あまりにも私があっさりやるって言ったもんだから、目をぱちくりさせて驚くオッサン。やけにしつこく確認してくるから、むしろこっちの決意が揺らぎそうだった。

 『遊びでは無いのだぞ。』

 「きっとそうなんだろうね。でも、さきちゃんが危ないんでしょ?」

 『そうだが……。』

 「アンタらはともかく、さきちゃんは私にとってずっとずっと昔から神なの。そのさきちゃんの為なら、私死ねるよ。」私は開いた両手を真ん中でパンッって叩いて、このお話はおしまいって合図を出した。

 で、異界の侵略者だか何だか知らないけど、そいつらと生身で戦うなんてのは無茶無謀らしくて、私はこのオッサンと、毘沙門天と契約する事になった。後でググってみたら有名な神様らしくて、スマホゲーでも”使える”って書かれてたから強いんだと思う。契約の手続きは簡単で、毘沙門天が手を私の頭の前でかざして例の光を浴びせるだけ。これで私は神様の神通力の一部が使えるようになって、神様は人間の生命力を吸ってよりパワーアップするらしい。生命力を吸うだなんて寿命が減っていくみたいで少し気味悪かったけど、実際にはいつもより睡眠時間が必要になるくらいで済んだ。ちなみに一人の神様に一人の人間しか契約は出来ないらしくて、昨日現世に降りてきた神様達は、追っ手に焦ってそれを片っ端からしようとしてたらしい。つまりトヨちゃんは、さきちゃんが毘沙門天を止めなかったら怖い奴と戦うはめになってたかもしれないって事だ。

 ともあれ私は、さきちゃんを守る為、毘沙門天の契約者として、一応神様の一人、名誉神様って扱いになった。だから神様と一部の関係者以外立ち入り禁止になって、聖地なんて言われてるハピネスにも自由に出入りが出来る。

 別に神様だからといって、身体からオーラが出たり瞬間移動したりなんて事は今のところない。毎日必要な物を買い出しに行ったり、さきちゃんの家に荷物取りに行ったりしてるだけだ。日が経つにつれ、神様を一目見ようと集まってきた参拝客という名の野次馬が町に押し寄せてきてるけど、それも地元の警察官さんが上手くやってくれてるし、マスコミの取材も神通力で機材が壊れるって噂らしくてそこまで激しくはない。でも、東京の震災から数ヶ月が経った今、この国は毘沙門天の言った通りどんどんおかしくなってきているってのは分かった。

 やっと派遣された自衛隊が一人残らず消息を絶ったってニュースが流れたのを最後に、東京の被災現場の映像は一切テレビでは流れなくなった。被災者感情を考慮、なんて言われているけど少しでもネットをしてる人なら、冗談みたいな形の化物達が東京中をうろつく、地獄みたいな首都の現状を映像で知っている。実際被害の少なかった所からも人が避難しているらしくて、復興活動どころか最近じゃ国会とかもまともに開かれていないらしい。そんなこんなでこの町に神頼みに訪れる人達も日増しに増えていて、人間やっぱり困ったときは神頼みになるんだなって思った。



 んで今、お化粧をしたさきちゃんの困り顔を横目に毘沙門天に怒られる私。「はいはい分かりましたー」と毘沙門天に適当に相づちを打ちつつ、さきちゃんに買ってきたコンビニアイスをパスしてると、普通より二回りも大きい羽付き屋形船がハピネスの前に到着したのが窓越しに見えた。流石に観光バス二つ分くらいの大きさの船を着陸させるスペースはハピネスにはないから、テラスに直接乗り付ける形で浮遊している屋形船。ついに出発の時が来たらしい。準備の出来てる神様から、順番に屋形船に乗り移る。今からこの船は、真っ直ぐ東京へと飛んでいく。異界の連中に見つかって攻撃される前に、逆に心臓部を叩きに行くそうだ。気弱な神様達にしては思い切った作戦だと思う。

 ちなみに私は戦闘要員だから、さきちゃんみたいに儀式用の可愛い着物は貰えないらしい。せっかくの東京だ。着ていく服を色々迷ったけど、結局高校の制服を着ることにした。船に乗り込む神様たちの列の横で、

 「まだ卒業してから数ヶ月だけど、これってコスプレかな」ってカラフルで重そうな着物を着させられたさきちゃんに聞いたら

 「本物の制服だし、別に良いんじゃない?」ってガサゴソ着物の袖の中からスマホを取り出して写メってくる。神様になっても全然変わらない、そんなさきちゃんが好きだ。だから私も調子に乗って、毘沙門天が貸してくれた、草なぎのナントカを持って色々格好いいポーズをとった。見た目も質感もいかにも鈍器、って感じの剣だけど、神通力のおかげで包丁を持つみたいに軽い。そしたら毘沙門天の茶色い顔が、みるみる真っ青になって震えてるのを横目で確認したので、無駄に察知力の高い私とさきちゃんはサッとスマホと剣をしまってさっさと屋形船に乗ることにした。先に私がえいって飛び乗って、振り返るとさきちゃんが心配そうな目でこっちを見てる。私は「全然大丈夫だよ。」って言って手を差し出すと、さきちゃんは私の手を掴んで目を瞑りながら乗ろうとして、あまりにも怖かったのか着地せずにそのままフワッって浮いた。うわ浮くんださきちゃん、マジ神様じゃんって思った。さきちゃん自身も驚いてた。

 ハピネスに残る人たちに手を振りながら、屋形船が空へ昇ってあっと言う間に雲の上に出る。飛行機以外で空を飛ぶのは当然初めてだったけど、程よい風が気持ちい良いなって思った。窓から外を見ると、同じような屋形船の大群が空にふわりふわりと飛んでいるのが見えた。毘沙門天に聞くと、どれにも有名な神様が乗っているそうだ。でもさきちゃんより偉い神様は居ないって言うから、やっぱりさきちゃんは凄い。雲を指先で触りながらそんな屋形船の群れを見ていると、『緊張しておるか。』なんて毘沙門天が尋ねてきた。愚かな問いと書いて愚問だと思った。


 体感で数十分後くらい、等間隔に並んだ私達の船が一斉に雲の下に沈んだと思ったら、既にそこは東京上空だった。豆粒みたいに小さなビルの群れと、その間を埋め尽くすような瓦礫の山が見えた。あの下にどれだけの人が取り残されているのかかなってボーッと見てたら、毘沙門天に船の先端に来るよう言われた。

 屋形船の先端には毘沙門天が腕組みをして立っていて、促されて恐る恐る下を見たら、ビル群の上に半開きの大きな目が浮かんでいるのが見えた。

 「うっわキモ!」屈折した鏡みたいに捻れた空間をまぶたにして、獣みたいな瞳がぎょろりをこちらを睨んでいる。

 『涙のようににこぼれ落ちているのが見えるだろう。あれが異界から来た不浄達だ。』よく見ると確かにその目の端っこから、カスタードクリームがヘラからぼとりぼとりと落ちるみたいに、冗談みたいに恐ろしい造形の生き物達が団子になって落下していくのが見えた。この距離からでも分かるのは、例の神通力のおかげだろう。ごくりと私は唾を飲む。

 「ねえ、毘沙門天。」『どうした。』「緊張してる?」そんな私の愚問に、毘沙門天はニヤリと笑って答えない。しばらくして、さきちゃんが船室から出てきた。その後ろから続く麻呂眉の女神様達が、さきちゃんを円形に囲んで祝詞を唱え始める。さきちゃんは緊張してるのかちょっと挙動不審気味で、下唇を噛みながら女神様達の顔をきょろきょろ見てた。祝詞の声色が徐々に高まって、ほとんど叫び声に変わった瞬間、さきちゃんはガクリと首を落とした。同時に女神様達もピタリと声を止めた。次の瞬間頭を上げたさきちゃんは、見た目はさきちゃんなんだけど、顔つきが全然変わっていて、あの日毘沙門天と会話していた例の神様が出てきたんだなって分かった。それと同時に、身体中に力というか勇気が湧いてきて、驚いて周りを見ると他の神様達も同じらしくて、皆明らかに表情が明るくなってた。さきちゃんに元気を貰ったみたい。

 後はハピネスで教わっていた手順通り、私は屋形船の先端に立って大きな剣を手に持つと、毘沙門天と一緒におまじないを唱える。次にさきちゃんを守りたいって強い思いを込めて、思い切り剣を横に振るった。そしたら、手元から風を切り裂くもの凄い音がして、突風が身体を襲った。髪がサイヤ人みたいに一瞬真っ直ぐになった。びっくりして横を見たら、同じくらいびっくり顔の毘沙門天。カラカラカラって風圧で背中の輪っかが回っていて、あ、それ回るんだって少しウケた。風の刃は目に見えないけどちゃんと放たれたらしくて、ちょうど私が息を飲むのと同時くらいに、空中に浮かんでいた大きな目がパックリと横に割れた。目だけだから、叫び声は聞こえなかったけれど、半分に切れた鋭い瞳が目まぐるしく上下左右に動いてて、切れ目から例の邪悪なカスタードクリームが、今度は洪水みたいに雪崩落ちていくのが見えた。そんでパンの薄皮が剥がれるみたいに端からボロボロと瞳は崩れ落ちていって、最後に完全に消滅した。

 『これで異界への門は封じられた。』って毘沙門天もホッとしてた。

 でも、本番はこれから。大きな目が消えたのを見計らって、屋形船は徐々に高度を下げて行く。豆粒くらいだった東京の街並みが、手に届きそうなくらいに迫った時、そこには地獄が広がってるのが見えた。地面が全部、波みたいにうごめいてて、その全てが例の気持ち悪い生き物だって気付いた私は、海辺で大きな石をひっくり返して見た時のあの気分になった。見ているだけで一瞬で心がかき回される気持ち悪さ。これから汚物箱に飛び込むような不潔さを感じた。手が自然と震えて、吐き気と嫌悪感が身を包み込む。本当にこれから、こいつらと戦えるんだろうか。今更恐怖を感じた私は、必死に深呼吸をして自分を鼓舞する為に手をグッパーグッパー握っては開きを繰り返した。そしたら突然「エリカ!」って声がして、振り向いたら、さきちゃんの顔がすぐ目の前にあった。

 さきちゃんは涙目のまま、着物で重たそうな両手を上げて、ぎゅーって私を抱きしめてくれた。「帰ってきて……!」耳元で泣きそうなさきちゃんの声にゾクゾクする。そしてなんと、さきちゃんは、私の、ほっぺに、ちゅーを、してくれた~…してくれた~…くれた~……た~……!!…ん…んあああああああああ帰るっ!!もち帰る!!そんなの当然だ!!全員ぶちのめして必ず帰る!!


 「任せてっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 私は血走った目で叫んだ。さっきまでの深刻さはどこ吹く風で、元気百倍フル充電。今、私の中の天上天下唯我独尊おじさんは特攻服を着てガッツポーズをしている。


 「よっしゃ行くよ毘沙門天!」


 『う、うむ!』って少し引き気味の毘沙門天の肩に乗って、私はそのまま屋形船から飛び降りた。バタバタと風を身に纏いながら左右を見ると、周りの屋形船からも沢山の神様達が不浄の海に飛び込んで行くのが見える。身を乗り出して手を振るさきちゃんを上空に振り返って見て、私はグッと親指を立ててアイルビーバック。異界の不浄がなんだっていうんだ、私は必ず勝利して帰る!




……。




 「さきちゃん、身体を悪くするからご飯食べなきゃだめだよ。」


 心配そうなトヨさんの声が御簾みすの向こうから聞こえた。大方私の世話係の神様に言われて来たんだろう。神が言っても駄目なら人間に説得してもらおうという発想だ。


 「トヨさん、大丈夫だよ。それに私、もう食べなくても死にはしないらしいからさ。」


 そう返すと、「でも……。」と言ったきり口ごもってしまうトヨさん。信心深い彼女は、神様の私にそれ以上強く言ってこない。ちょっと悪い事をしちゃったかなと思う。でも食欲が無いんだから仕方が無い。

 

 結局あの後、東京の上空で神様達を鼓舞しつつ私はエリの帰りを待ち続けたけれど、ついにエリも毘沙門天も帰って来ることはなかった。神様の戦死を知らせる小鬼の報告が来る度に身体を強ばらせ、それが二人ではない事に内心安堵しつつ、あっという間に一ヶ月。最初は激しい争いで、建築物がドカドカと倒れていく音が地上から聞こえていたけれど、徐々にそれもなくなって、現世に入り込んでいた不浄と呼ばれる化け物は消滅していった。次々引き上げてくる傷だらけの神様達の中、私は必死になってエリの姿を探したけど、どこにもその姿は無い。やがて静かになった東京の上空から、泣き喚き取り乱す私を乗せた屋形船は、なだめる神様の声と共に町へと帰っていった。現世の神々と異界の侵略者との戦いは、私達の勝利に終わったのだ。しかし神様の中にもエリ達の消息を知る人はいなくて、行方不明者の名簿の末席に二人は加えられてしまった。


 「もう食べないから、これも下げてよ。」


 きっと相当に高価なものなのだろう、漆塗りの立派な器に盛られたお粥を指差して、側に居た気の優しそうな女神様に言うと、おずおずと盆を持って衝立の奥へと下がっていく。い草の良い匂いのする畳張りの床、上品な風合いの衝立。私のお世話をする神様達の控え室が奥には広がっていて、まるで大奥みたいだ。元はスーパーの催事場だったなんて、ここだけ見ると誰も分からないと思う。全部が全部私の為に用意されているらしくて、私が元気のない事でお世話係の神様にも迷惑をかけてしまっているんだろうな、と気が重くなる。こんな私がどうして神様なんだろう。お母さんもお父さんも普通の人だし、自分で思い当たる節もない。それに神様なら恵梨香を無事に返す力くらいはあっていいはずだ。でも実際は、ただこうして座っている事しか出来ない。

 人間としての生活にはまだ当分戻れないらしくて、毎日何もする事なしに恵梨香の事ばかり考えている。彼女がまだ東京のどこかに取り残されているんじゃないかと思うと、居ても立ってもいられない気分になった。

 その時、何となく外の空気に当たりたいという気持ちになった。おもむろに立ち上がると、視線が高くなるのと比例して目の前が暗くなって、足がもつれてその場で倒れてしまった。物音を聞きつけ、悲鳴と共に駆け寄ってくる女神様達。それを大丈夫だからと手で制止してもう一度立ち上がると、私はスニーカーの踵をつぶして久しぶりに御簾の外に出た。

 神様は食べなくても死なないらしい。でも流石に1ヶ月以上何も食べていないと、身体に力が入らないみたいだ。それでも無性に外へ出たくて、私は出来る限りの早足で結露で曇ったガラス戸に手をかけた。季節はもう冬になっていて、吹き込む風はどこまでも冷たい。だけど思い切り力を込めてガラス戸を大開にした。今すぐ外を見たい、何故かそう思ったからだ。


 「さきちゃーーーーーーーーーん!!!!!!!」

 そこにはぶんぶん手を振って、無駄にテンションの高い元気な声で、ロードオブザリングみたいゴツゴツした黒い竜の背に乗って手綱を持つ、エリの姿があった。肩まであった髪をバッサリショートにして、制服は原型がないくらいにボロボロ。でも元気いっぱいで、笑顔が眩しい、そんな大好きなエリの姿があった。頭の中がスパークして、色んな思い出が目の前のエリと重なってぐるぐる回転する。昔から彼女の私への気持ちには気づいてた。でも、だからこそ、ずっと一緒にいられないかもしれないのが怖くて、いっそ自分の方から離れようとした。けど、やっぱり無理だった。世界をこんなにしてまで私の気持ちを確認させるなんて神様はいじわるな人だと思う。いや、私も神様なんだっけ。

 テラスに降りるなり「会いたかったぁ!」って駆け寄るエリをぎゅーっと抱きしめて、おかえり、おかえりって言うけど上手く言葉に出来てるか自信はなくて、でも絶対エリなら分かってくれると思うから言葉に出来てなくてもよくって、もうとにかく嬉しすぎて涙が出た。

 空中で羽をばさばさ羽ばたかせてる黒竜の背中からは、やれやれ顔で毘沙門天さんも降りてきてた。毘沙門天さんもエリと同じく満身創痍って感じの傷だらけ。しかも右肩から先がすっぱりと無くなってしまっていた。びっくりしてそれを指差す私を無視してエリは

 「私達異界の裂け目に引きずり込まれちゃって本当大変だったんだから!でも安心して、アイツらは二度とさきちゃんに手出しが出来ないよう私が懲らしめといた!」って矢継ぎ早に言うと、私の腕を引っ張ってハピネスの中に入っていこうとする。毘沙門天さんはそれを見て苦笑しながらも私とエリの後に続いた。グイグイ着物の袖をひっぱるエリに「ちょっとエリってば。」なんて言いながら、フニャフニャ顔を隠せない私。そうそう、私とエリはこうでなくっちゃいけない。そうだ、食品売り場にカプリコまだ売ってたかな。皆でおかえりパーティーを開かなくっちゃ。

 「ちょっとさきちゃん、ちゃんと聞いてる~?」

エリが口を尖らせながら言うから、私はフニャフニャ顔を誤魔化そうとして

 「ごめんごめん、ってかエリ、顔汚れすぎ!めっちゃウケんだけど!」

ってすかさずスマホでアホ面をパシャリ、また私の宝物が増えた。

ああ幸せだな、神様本当ありがとって思った。

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さきちゃんマジで神。 ロッキン神経痛 @rockinsink2

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