第2話 悪夢


「じゃあ、桐山。この問題答えられるか?」


「え? あ……えっと、わかりません」


 そういえば数学の授業中だった。定積分と面積に関する問題を先生に出されたが、心ここにあらずのこのみはそれどころではない。先生は無言でしかめっ面を浮かべたのち、別の生徒に答えを求めた。


「どうかしたの、桐山さん? 体調悪そうだけど」


 後ろの席に座る坂本悠太さかもとゆうたが心配そうに覗き込んでくる。

 

 坂本悠太――。彼は“知ってる顔以上、友達未満”という単なるクラスメイト。ただ彼とは、ある接点があった。それはお互い『モジノラクエン』で小説を書いているという稀有な接点。『モジノラクエン』を見ているところを後ろから盗み見され、実は俺もやっているんだという坂本と、面倒くさい繋がりができてしまったのだ。


「別になんでもない。ちょっと寝不足で」


「そっか。もしかして執筆? ほどほどにしたほうがいいよ。どうせ読者少なくて読んでもらえないし」


「そうだね。作者ばっかりだもんね、あそこ」


 当たり障りのない会話ののち、このみはまた思考の世界へと入っていった。それは当然、あのオリバー・ラングなる人物について。


 あの日、このみは慌ててオリバー・ラングのページへといった。何者なのか知りたかったのだ。そしていってみて分かったのは、


 このみだけをフォローしている。

 このみあての記事だけをラクエンノートに書いている。


 という二点であり、そのほかの活動は一切してなかった。つまりオリバー・ラングは、の可能性が非常に高かった。とりわけ、“このみあてだけの記事をラクエンノートに書いている”など、それ以外に考えられない顕著な行為だろう。


 このみはスマートフォンを取り出して、オリバー・ラングが書いた記事――ぴのっきー様へ――をクリックする。まるで、今後はこちらでやりとりしようではないかという魂胆に乗るのがしゃくだったが、自分のラクエンノートでやりとりしたくないというもの事実だった。


  

 ―――――――――――――――――――――


 2018年11月26日   

 17:40


 ぴのっきー様へ。

 こちらにコメントをどうぞ。



 オリバー・ラング


――――――――――――――――――――――

 二件のコメント    [コメントを書く]――――――――――――――――――――――


 ぴのっきー

 2018年11月26日

 17:59


 あなたは誰ですか? 

 それと私は規約違反はしていません。

 あんなコメントするんなんて運営に通報しますよ?


―――――――――――――――――――――――


 オリバー・ラング

 2018年11月27日   

 18:02


 通報したければすればいい。

 だがお前も破滅する。それは覚悟しておけ。


―――――――――――――――――――――――


 

 このみはそれを見てからまだコメントを返していない。相手にするべきか否かで逡巡していたのだ。


 それはつまり、“読まずにポイント投げしていると断言できるわけがないのだから、放っておけばいい”という自分と、“こういう手合いを無視するとやっかいなことになる”という自分との葛藤。拮抗きっこうしていた角突き合いだが、しかし今のこのみの気持ちは前者に傾いていた。


 そう、たった一人のユーザーに心を乱されるなど馬鹿らしいのだ。おかげで昨日は加筆修正できないのはおろか、B!ポイントだって投げれていない。さらに言えばPVやフォロー、B!ポイントだって増えていなかった。


 そこに因果関係はないのかもしれないが、全てオリバー・ラングの言動に悩んでいるから呼び込んだ低迷に思えてきた。このままでは、読者選考通過のボーダーラインである上位40位以内に入れなくなってしまう恐れもある。読者選考の期限はあと七日しかないのだ。


 あー、腹立つ。もうお前なんか相手にするか。


 そしてその後、吹っ切れたこのみは授業が終わるまで七つの小説にB!ポイントを投じた。相変わらず読んではいない。ただそのうちの二つに初めてレビューを書いてみた。あらすじから読み取った情報だけで書いた二行足らずの簡単なレビュー。他人の作品を熟読して長ったらしいレビューを書くなど時間の無駄としか思えないこのみには、これが限界だった。


 そして二つのレビューは、オリバー・ラングに対する“読んでいますアピール”でもあった。


 これでオリバー・ラングが矛を収めてくれるのなら――。


 それは期待。相手にしたくないからもう関わらないで欲しいという願い。

 

 だがこのみの考えは甘かった。



 ◇



 麗奈の甲高い声がカラオケルームに響き渡る。彼女の十八番のバラード。お世辞にも上手とは言えなかったが、本人が満足していればそれでいいのだろう。カラオケとはそういうものであり、このみも今日はとことん歌いまくって沈んだ気分を発散したかった。


「『Leadsリーズ』のシャッフル・ラブいきまーすっ」


「よっ! 聞きたかったぜ、桐山の美声でお送りするシャッホォラボゥッ!」


 乗ってる渋谷がタンバリンを打ち鳴らす。その横に座っていた麗奈が、渋谷に何か耳打ちをすると席を立ち部屋を出る。トイレだろうか、少し興を削がれた感はあるが気にすることでもない。


 モニターにイントロの文章が現れる。このみは大きく息を吸う。そして熱唱した。


 それから約三時間に渡ってこのみ達三人は歌い続けた。机には主にこのみの注文した食べ物や飲み物が散乱しており、白熱した三時間を如実に表してもいた。いつもだったらもう少しお行儀もいいのだが、今日はとにかく食べて飲んで歌いたかったのだ。オリバー・ラングのことを忘却の彼方へ追いやりたかったのだ。


「ちょっと今日のこのみ、イっちゃってない? 何? クスリでもやってんの?」


「バカ言わないで。色々あって羽目を外したかっただけだから」


「ふーん。色々ね。あ、このみはいっぱい注文したんだから、会計のとき多めに出してよ。ホント、食べ過ぎ―っ」


「はいはい、分かってるわよ。……ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」


 麗奈のわざとらしい膨れっ顔に手を振ると、このみはトイレに向かう。最後の一曲を歌う渋谷の声が、閉じられたドアによって遮られた。それにしても膀胱ぼうこうが悲鳴を上げたのは何度目だろうか。カラオケ店の構造上、トイレに行くにはカウンターの横を通るのだが、おかげで男性店員の好奇が混じったような視線に晒されて正直ばつが悪かった。


 次回のカラオケは場所を変えてもらおう。このみはそう決めるとトイレに入り、用を足す。そして出るとドアの脇でスマートフォンを操作した。


 それは、カラオケ店の割引アプリを画面に表示させるため。しかし、スマートフォンを意識した途端に脳裏をよぎったのは『モジノラクエン』――オリバー・ラングのことだった。いくらカラオケで気を紛らわせたといっても忘却の彼方に追いやることはできない。ただ、気にならない存在になりつつあったのは確かだった。


 だからこそなのかもしれない。心の準備もろくにしないで、安易にオリバー・ラングの記事をクリックしてしまったのは。


 え? うそっ、そんな――ッ!!


 何が書かれていても動じない。バカの遠吠えなんて無視すればいい。


 ついさっきまで抱いていた意思はそこに書かれた文章を見て、あまりにもあっけなく消し飛んだ。



 ――――――――――――――――――――


 オリバー・ラング

 2018年11月28日   

 18:02


 だからポイント投げはやめろって言ってんだろ。

 短文レビューなんかでごまかせると思ってんのか?

 俺を馬鹿にしてんのか?

 くだらねえ真似すんなよ。

 全部ばればれなんだよ。

 恋愛小説コンテスト今すぐやめろよ。

 今すぐだよ。分かったな?

 じゃないと許さねえぞ。

 

 最悪を想定しろよ


 

 




  

 

 桐山このみ。


 ―――――――――――――――――――――



 このみは膝からくずおれた。

 手が震えてスマートフォンが床にこぼれ落ちる。

 

 男性店員が駆け寄ってくるのが見えた。慌てた顔をして声を掛けているが、このみには何を言っているのか分からなかった。


 


 こんなに恐ろしいことはない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る