おもちゃの時間

高尾 結

第1話

 本多町に住んでいた叔母の形見分けで、加賀蒔絵かがまきえ喰籠じきろうを譲り受けた。

 喰籠とはつまり菓子器のことで、茶道師範だった叔母らしい遺品である。叔母は生前、この喰籠は私に譲るようにと何回も念押ししていたらしい。

 茶の心得も無い男やもめの私に何故茶道具を遺すのか、理由は何も話さなかったそうだ。だが故人の遺志でもあり、私は有り難くその品を頂くことにした。


 家に帰り、風呂敷包みを開いた。すすけた桐箱の表書きには

『黒塗玩具蒔絵喰籠』

とある。箱の蓋を開けると、黒漆の地に散らかった金色の玩具がんぐたちが目に飛び込んできた。

 でんでん太鼓、姫だるま、独楽こま、かたかた 

 蒔絵は繊細で美しい仕事が施され、だるまの衣装の柄まで細い線で緻密に描き込まれていた。

 桐箱から手の平二つ分ほどの大きさの饅頭型まんじゅうがたの器を取り出し、開けるとふたの裏にはまりと竹馬、凧が描かれてある。

 なるほど、玩具ばかりだ。茶道具の意匠としては珍しいだろう。どの図柄も見ているだけで頬がほころぶような可愛らしさがあった。

 私は喰籠を床脇の棚の上に置き、外箱を吊り戸棚に仕舞った。


 夜半、寝返りを打った折、小さな音に目を覚ました。

 テン

 団栗どんぐりが床板に落ちたような音だった。だがそれきり何の音もしなくなったので、聞き違いかと思い、再び眠りに落ちた。

  

 ところが次の夜も、また次の夜も、同じように音が鳴る。

 テン テン テン テン

 音は軽く、乾いている。

 初めは何か木の実でも落ち続けているのだろうかと薄ぼんやりと考えていた。だがやがて、その音がかつては聞き慣れたものであったことに気付いた。

 それは赤ん坊だった息子をあやすために、妻が鳴らしていたでんでん太鼓の音だった。


 朝になり、私は床の間に向かうと棚の上の喰籠を手にとった。

 様子には何の変化も無い。受け取った時と同じように玩具たちは黒い背景の中に収まっている。もちろんでんでん太鼓も同じだった。

 馬鹿馬鹿しい。器に描かれた太鼓が鳴るはずがない。

 そう思うものの、この蒔絵のでんでん太鼓以外に鳴り物が家の中にあるだろうか。音は確かに毎晩響き、それによって私は目を覚まし続けているのだ。

 そして音が鳴り始めたのは、この喰籠を置いた晩からだった。得体が知れないと思い、片付けてしまおうと吊り戸棚に手を延ばしかけたが、ふと思い留まった。

 古い道具には魂が宿るという。蒔絵の太鼓が鳴ったからといって、何の不都合も無いだろう。

 人の世に一つぐらい不可思議なことが起きても良いではないか。

 私は喰籠をそのまま置くことにした。


 まるで私の心を読んだかのように、玩具の出す音は次第に賑やかになっていった。

 テンテンという太鼓の音、独楽が回る音、毬をつく音、カタカタを鳴らす音

 やがて楽しさに上ずった子供の笑い声も響くようになっていった。

 私は床の間の次の間に布団を延べるようになった。そして襖一枚隔て、一時いっときほど続く遊び声に耳を傾ける。

 ついには子供をあやす女の声まで漏れ聞こえるようになった。

 子供は幼児の年頃で、相手をしているのは年若い母親だ。笑い声は大きくなったり小さくなったり、波のように揺らぎながら夜の闇に響いた。 

 亡くなった叔母は、もちろんこのことを知っていたのだろう。男やもめの甥を心配し、わずかでも暮らしが華やぐように、賑わいを連れた道具を遺してくれたのだ。

 部屋の中の様子を覗き見ることは決してしなかった。見たいという誘惑は強かったが、視線に気付けば二人は驚き、逃げ去ってしまうかも知れない。最早それは私の望む所ではなくなっていた。


 外出から帰り、扉を引き開けると家の中から甘い匂いが漂ってくるようになった。

 この家で女子供の気配を感じるのは何年ぶりだろうか。

 かつては家族3人で暮らしていた。

 息子と、妻と、私。

 子供の気配が成長と共に消えていくのは自然なことだ。息子は幼児から少年、やがて青年になり、独立した。今は仕事で遠い地にあり、一年に一度顔を見せれば良い方だった。

 私にとって想定外だったのは、妻が早くに亡くなってしまった事だ。

 自分一人がこの家に遺される事態を、息子を膝に乗せていた頃には愚かにも想像したことがなかった。3人で暮らした賑やかさも、過ぎてしまえば一瞬の出来事であったということが、今になれば分かる。

 だがその渦中にあって己の幸福に気付く人間は多くない。かけがえのない時間と知るのは、失ってからか、失う予感のある時だけなのだ。


 師走の声を聞き、歳暮回せいぼまわりの菓子をあつらえに駅前のデパートに行った。

 そこで辻占つじうらを見かけた。淡く可憐な彩りの甘い煎餅せんべいが、花のような巾着型にたたまれている。中にはおみくじの小さな紙片が入れられてあり、それを見せ合って楽しむのが金沢の正月の習いの一つだ。

 妻がいた頃は、これと福梅ふくうめという梅型の紅白最中を欠かした事はなかった。

 だが今では年賀の菓子はおろか、雑煮の支度すらろくにしない有様だ。自分一人で祝う正月の支度など、おっくうで仕方がないからだ。

 だが、今年は少し事情が違う。私は内使いで辻占を一袋買った。


 元旦の夕方、私は喰籠の蓋を開け、中に辻占を並べた。

 喰籠はそもそも菓子器である。ならばここに菓子を入れるのは、誠に理に適った行為だと思った。

 夜になり、私は明かりを消して床に入った。

 しばらくしていつものように玩具の鳴る音がし始めた。そして程なく、子供の押さえきれない歓声が上がった。

 私は布団を被りながらほくそ笑んだ。ささやかではあるが、私が用意したお年玉は喜んでもらえたようだ。人のために何かを用意をし、喜んでもらえた時の満足感を、私は久し振りに味わっていた。


 翌日、畳の上にはおみくじが散らばっていた。蓋を開けると、中の菓子はすっかり綺麗に平らげられている。

 これからは折に触れ、菓子を用意してやらなければならないだろう。

 やるべき仕事が増えたことに、私は得も言われぬ充足感を感じていた。

 

 

 

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