エピローグ
ジリリリリリ
あたしは目覚ましを止めた。
眠気眼で顔を洗い、服に着替える。
姿見で変なところがないか確認し、意を決するように息を吐く。
そうして窓に手をかけたところで、あたしの動きはふと止まった。
あたし、何をしようとしてるんだっけ?
「……なにか、変ね」
そう思いつつも、窓から離れられない。
胸やけがするくらい、切ない気持ちが溢れて来る。
病気かもしれない。学校が終わったら、病院に行ってみよう。
あたしはそう思い、断腸の思いで窓から離れた。
いつもと同じ、朝の登校。
なのに、どうしてこんなに気が重いのだろう。
何かが違う気がする。何かが欠けている気がする。
でも、それが何なのかが分からない。
口ずさんでいる曲の名前が浮かばないようなもどかしさとは違う。どうしようもなく切ない気持ち。
それがすごく苦しかった。
もう何もかも全て投げ出してしまいたい。
ふと、あたしの目の前に道路が見える。
トラックが一台、あたしの前を通り過ぎた。
このまま何も考えずに歩いていけば、楽になる気がした。
そうだ。このまま歩けば。
このまま──
その時、まっすぐ歩いていたあたしに、突然誰かとぶつかって尻餅をついた。
「いったぁ~。ちゃんと前見て歩けよな!!」
いきなり、そんなことを言われた。
「はあ!? 前見てなかったのはあんたでしょ!」
「何言ってんだ! アタシはちゃんと見てた!!」
「いーえ、嘘よ! 絶対見てなかった!!」
その時、突然警笛が鳴った。
「喧嘩はやめ! さっきのは全速力で走ってたあなたが悪い!!」
「はあ!? なんだよそれ!! 横暴だ!!」
「横暴じゃないわ。厳正な審査の結果よ」
「なにが厳正だよ。勝手にしゃしゃり込んできて、うるさいチビだな」
「チ、チビって言うな!!」
あたしを放り出して、二人で言い合いを始める。
一体何をしてるんだか。
「ぷっ。なにやってるの、コイツら。だっさ」
金髪の女子が、あたし達の方を見て笑った。
少しむっとする。
なんですれ違っただけの子にそんなこと言われないといけないんだ。
「あ、あの……」
ふと、あたしに声をかける子がいた。
グラマラスな子で、ちょっと嫉妬する。片手にある文庫本が、彼女のキャラを証明しているような気がした。
「立てますか? さっきから、全然動けないみたいですけど」
そう言って、彼女は手を差し出した。
あたしが呆けていただけなのを、彼女は勘違いしたようだ。
「え、嘘!? もしかして、どっか怪我した!?」
「ちょっと金髪! 手ぇ貸して!!」
「は、はあ!? なんでアタシがそんなこと……!!」
ふいに、慌ただしかった喧騒が止まり、皆があたしの方を見た。
どうしたんだろうと思って、今、ようやく自分が笑っていることに気が付いた。
「だいじょうぶ」
あたしは自然と、そう言うことができた。
「だいじょうぶよ」
あたしは彼女の手を握った。
よく分からない。
よく分からないけど、なんとなく、もう病院には行かなくても大丈夫だと、あたしは思った。
◇◇◇
『ねぇ、これからどっか行かない? 私、あなたとなら……』
僕は画面越しで照れている女子には何の感想も抱かず、次の選択肢に集中していた。
……間違いない。これが正解だ。
【あなたはどうしますか?】
☛すぐに行こう
いやだ
理由を聞かせて
『え……。そんな即答されると、ちょっと……。ごめんなさい』
【彼女は去って行った】
【今後、彼女とは廊下ですれ違う程度で、話をすることは一度もなく、僕は学校を卒業した】
【ゲームオーバー】
僕はマウスを放り投げた。
「なんだよ。珍しくPCゲーム買ったと思ったら、もう飽きたのか」
「今回の件がまるで無駄だったことが証明されたばかりなんだ。少しは気を遣ってくれないか」
布団の上でスマホを弄っているジョーさんに、僕は言った。
僕は相変わらず、小早川裕也の肉体の中にいる。
呪いを脱出したにも関わらず、どうして肉体を保持したままでいられるのかは、編集者にも分からないらしかった。
本当に、あいつらが役立つことはあるのだろうかと、僕はほとほと疑問に思う。
黒海リトルがどうなったのか。
編集者達は今、それを調べることで手一杯らしい。カオスは作家と違って、編集者でも管理することができない特殊な存在なのだそうだ。
あの世界に埋もれたまま死に絶えたのか。それとも未だにどこかで彷徨っているのか。
そういえば、一緒にあの世界から脱出した変哲無さんも、どこかに消えてしまっていた。
未練が消えて成仏したんじゃないだろうかというのが編集者達の見解らしいが、根拠はまるでないとのことだ。本当に、使えないこと甚だしい。
ただ、呪いの世界と現実の世界がつながった時に、ジョーさんを送り込むことを了承した英断には、感謝したいと思う。
「そういや、最近流行ってるアニメあるの知ってる?」
あんなことがあったというのに、ジョーさんはいつも通りだった。
身体が二人分になって、生活費も上がっているということを、彼女は理解しているんだろうか。
「さあ」
「なんかすげー人気らしいからさ。一応、見とこうかと思って」
そう言って、ジョーさんはテレビをつけた。
どうやら、そのアニメは今放映されているらしかった。
子供向けの魔法少女もの。そこにいる主人公らしき女性に、僕は見覚えがあった。
『私はポテチが大好きな何の変哲も無い乙女。でもでも、ある日なんやかんやで魔法が使えるようになっちゃって、愛の戦士、プリンセス魔法少女ルキアになっちゃったの!!』
「なんやかんやってなんだよ……」
一番気になるところを省略するな。
『最近は気になる男の子も現れ始めて、恋に戦いに大忙し! だけど私は、魔法少女も青春も、全部きっちりこなして、最高のハッピーエンドを迎えてみせるわ!! みんなも、やりたいことがある時はリスクを忘れて積極的に! そうすれば、きっと夢は叶うはず!!』
イケメンの男性の腕に抱きつく彼女を見て、僕はため息をついた。
「不細工でもいいんじゃなかったのか?」
僕の文句も聞こえないテレビという箱の中で、彼女はとびきりの笑顔だった。
何の変哲もない乙女は、確かにキラキラと輝いていた。
「……なぁ、ジョーさん」
「んあ?」
「せっかく身体を手に入れたんだし、映画でも見に行かないか? ほら、前に行きたいって行ってたやつがあっただろ?」
「別にいいけど、珍しいな。お前が自分から出かけたいとか言うなんて」
「僕は君ほど出不精なつもりはないけどな」
「君じゃねー。オレのことは──」
「はいはい。分かったからさっさと行こう」
ダウンを着て、財布とカギを持てば準備完了。
僕達二人は、出かける準備だけは異常に早いのだ。
さっさと玄関に出て行ってしまう彼女に代わり、僕はエアコンや電気を消して回る。
『ありがとう』
テレビの電源を消す時、確かに彼女は、僕の方を向いてそう言った。
僕は思わず、頬を掻いた。
……無駄ではなかったかな。
「おい、早く行くぞ!! 支度で一分も時間を掛けたくないんだ」
「分かってる!!」
僕は机にあったポテチの最後の一枚を口に放り込み、その袋をゴミ箱に捨てた。
無論のこと、そのポテチは、いつも食べているコンソメ味だった。
Fin
誰かがいらない恋愛ハーレム 城島 大 @joo
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