最終話 彼のみぞ知るセカイ
【この物語でいらないキャラクターは誰ですか?】
ダイ
普遍的隣家
大人シ読子
☛茶倮茶倮不良絵
変哲無乙女
僕が選択すると、不良絵は目から血を流しながら僕を見つめた。
「……アタシじゃないって、言ったのに……」
それはまさしく、怨嗟の声だった。
「好きだって……そう言ってくれたあの言葉は……、上辺だけのものだったの?」
ぼたぼたと、床に血が滴り落ちて行く。
彼女は震える手を、僕の方へと伸ばした。
「ア、アタシ……ただ、誰かに……愛して、欲しかった……だけ……なの……に……」
彼女は倒れた。
もはやぴくりとも動かない。
いつもなら強い自責の念に駆られていたところだ。
しかし、今回は違った。
そんなことが頭から吹き飛ぶくらい、僕は狼狽していた。
なんだこれは ありえない ふざけるな そんなことが起きるなんて 僕のせいだ 予測できるはずがない
混乱してる 論理的じゃない 心を静めろ
様々な単語が怒涛の勢いで頭の中を駆け巡る。
その時、手に広がる温もりを感じて、僕ははっとした。
そこにいたのは変哲無さんだった。
彼女が僕の手を握ってくれていた。
ずっと僕を助けてくれた彼女。その恩を、最大級の仇で返した僕に、彼女は心配そうな目を向けている。
「……少し、話せないか?」
僕の言葉に、彼女は黙って頷いた。
◇◇◇
僕達は屋上にいた。
二人で話す時は、いつも使っていた場所。
そこでいつものように肩を並べて、壁に凭れ掛かる形で座っている。
なんだかんだで、この場所には妙な思い入れがあるなと、僕は思った。
「たぶん、あのキスのせいだ」
しばらく沈黙が続いた後、僕は言った。
「あれのせいで、君が『いらない選択肢』の一人に加わった。おそらく、僕が君をヒロインだと認識したことが原因なんだと思う」
「そうですか」
彼女の返事は単調だった。
単調で、そっけなくて、あまりにも他人事だった。
「状況によっては死ぬかもしれない」
「……仕方ありませんね」
彼女はそんなことを言った。
「仕方ないわけないだろ! 僕が君を巻き込んだんだぞ!?」
彼女は薄い笑みを浮かべるだけで、何も言わない。
リスクを何よりも嫌う彼女が、それでも僕に恨み事一つ言わない。
そのことが……、堪らなかった。
『あなたのせいよ』
隣家のその言葉が、呪いのように僕の頭の中で木霊した。
「僕は君のような人間を助けたいと、ずっとそう思っていたんだ。なのに、平穏を望む君を僕は──」
突然、口の中に何かが押し込まれた。
ポテチだった。
いつも彼女が食べている、妙な色をしたポテチ。
「どうです? お味の方は」
「……製造業者の人には申し訳ないけど、ゴミみたいな味だ」
変哲無さんはそれを聞いて、くすりと笑った。
「辛辣な物言いですね」
それは君のセリフだろ、という言葉を僕はポテチと一緒に飲み込んだ。
「落ち着きましたか?」
その言葉だけで、不思議と今までの鬱屈した思いが消えていく気がした。
「……ああ。ありがとう」
本当に、彼女には助けてもらってばかりだ。
僕は腕時計を見た。
タイムリミットはあと6時間。
どんどん時間が短くなっていく。
しかしそんなことは、もう関係なかった。
変哲無さんは、いつもみたいにどうするかを聞いてこなかった。
きっと、今まではそうやって質問することで、僕が考えをまとめやすいように手助けしてくれていたのだろう。
それをしないのは、きっと……。
「僕は君を選択しない」
僕はその決断を、変哲無さんに告げた。
「……そうですか」
「最悪、この世界で二人きりだ」
彼女はくすりと笑った。
「それ、最悪なんですか?」
「……確かに、案外良いかもしれないな」
そうだ。
彼女となら、きっと……。
ふと、僕の脳裏に誰かの顔が浮かんだ気がした。
……誰だ?
とても……とても見覚えのある顔のような……。
「最悪は、もっと辛いものですよ」
僕は変哲無さんを見た。
彼女は笑っている。しかしその顔は、何故か悲しげだった。
「もっともっと、辛いものです」
◇◇◇
僕は敢えて隣家達とは接触しなかった。
変哲無さんを選ぶと決めた以上、彼女達と接触するメリットは何もない。
不思議と、彼女達も僕に近づこうとはしなかった。
僕は部室に来ていた。
授業中なので、当然そこには誰もいない。
いつも見ていた同人誌を手に取り、それをぱらぱらと捲った。
名前を伏せ字にした、とってつけたようなネタバレ防止策。
『思い通りの身体』『一人になりたいと私は言えない』『大好きはいつだって上辺の言葉』『情けなくも誇り高き自分自身』
一通りのタイトルを見て、最後のページを開く。
『あたしなんていらない』
その自暴自棄ともいえるタイトルは、ともすれば誰のものか分からなくなる。
しかし、それは内容を見ればすぐに分かる。
僕はここに来る度に、この短編をいつも読んで……
「……ん?」
僕は妙な違和感を覚えた。
いつだったか。一度だけ、この短編を読めなかった時があったような……。
ふと、変哲無さんからLINEが送られてきた。
変哲無『今日のお昼、一緒に食べませんか?』
変哲無『前に言っていた例のアレ、ちゃんと揃えてますから』
僕はすぐさま返事を出そうとして、ぴたりと止まった。
ダイ『……いや、今日はやめとく。悪いけど、誰かと一緒に食べていてくれ』
変哲無『分かりました』
変哲無『お菓子でもなんでもいいから、ちゃんと食べてくださいね』
僕は改めて謝罪のコメントを送り、スマホを仕舞った。
何故、僕は彼女の誘いを断った?
自分で自分の行動が理解できない。
色々と疑問があるものの、それがどこに繋がるのかが分からない。
何かに流されているような。何かが違うような。
このような感覚も、僕はどこかで味わったような気がした。
一度ではない。確か二度、僕はそのような経験をしたはずだ。
僕は立ち上がり、部室をあとにした。
◇◇◇
僕は自宅の自分の部屋へと入った。
一時間もすればタイムリミットになる。そんな時間にも関わらずここに来たのは、きちんと確認しておかなければならないと思ったからだ。
何が、と言われればよく分からない。
よく分からないが、身体が覚えている。
僕は迷うことなく引き出しを開け、一冊のノートを取り出した。
『主人公が選択した『いらないヒロイン』は、ヒロイン失格となり排除される』
それが一つ目のルール。
『主人公の選択で、ヒロインの好感度が上下する』
これが二つ目。
そしてもう一つが……
『主人公はヒロインを選ばなければならない』
それ以降、ノートには何も書かれていなかった。
僕は顎に手をやった。
何を考えようとしているんだ、僕は?
こんな感覚は初めてだ。
自分が何を考えているか分からない。分からないのに、確かに僕は考えている。
まるで、自分ではない別の誰かがこの身体を操っているような感覚だった。
でも確かに、僕はこのノートに違和感を覚えている。
正確には、ここに記されている内容に。
何かを忘れている。
前回見た時は、もっと──
ふいに、スマホが振動する。
電話だ。
変哲無さんとはいつもLINEでやり取りをしている。電話なんて、かなり珍しい。
僕は電話に出た。
『久しぶりだね』
その鼻につく高圧的な口調を聞いて、僕はすぐに察した。
「……どうも」
会いたい時にはどうしたって連絡がつかない癖に、会いたくない時には率先してやって来る。
これも編集者の業というものなのだろうか。
『その世界の生活にはだいぶ慣れた様子だね』
「見ているなら状況は理解しているだろ。もう放っておいてくれないか」
『しかし、そういうわけにもいかないんだ。なにせ私は編集者だからね』
理由になっていない。
しかし、ここで彼と連絡が取れたのも何かの縁だろう。
聞けることは聞いておこう。
「小早川裕也の死因についてだけど」
『君はずいぶんとそれに拘るね』
「当たり前だろ。この世界では決して調べられないことだ。優先順位はどうしたって上がる」
『ふむ。では仕方ないので答えてあげよう。小早川裕也君は事故死。交通事故だ』
「それは前に聞いた」
つい数日前の会話だぞ。
こいつは痴呆症か何かなのか?
『そうだったかな。では何を聞きたいんだ? ちゃんと質問してくれないと分からない』
何故逆ギレ気味になる。
僕はイライラしながらも、心を落ち着かせた。
「小早川裕也が死んだときの状況だ。交通事故といっても色々あるだろ」
『そういうことなら早く言ってくれたまえ。まったく、君は本当に』
こんな状況じゃなかったら、さっさと怒声を浴びせて電話を切っているところだ。
『小早川裕也君は学校に登校中、トラックに轢かれて死んだ。即死だったそうだ』
「その場に居合わせた人間は?」
『いるさ。いつもの取り巻きがね』
取り巻き……。
つまりヒロイン候補達は、小早川裕也の死に立ち会ったのか。
……誰もが犯人の可能性がある。
「もっと詳しく知りたい。事故を起こした運転手は生きているんだろ?」
『ああ。怪我一つしていないよ。さすがにトラックと人間ではね。運転手の言い分は、彼がいきなり飛び出してきて、ブレーキが間に合わなかったのが事故の原因だと言っている。運転手は、彼が怒っているように見えたと証言したそうだ』
「怒っていた?」
『そうだ。そしてその運転手の言い分は全て正しかったことが認められた。さっき言った取り巻きの子達は、彼と口論になっていたことを認めたからね』
口論……。
ミステリーでは、よくある展開だ。
「その内容は?」
『思春期の少年少女にはよくある話さ。好きな子がいると男性の方が白状し、それが誰なのかを問いただそうとして口論になり、結果ああなった。あれだけの女子に好かれた少年だ。そのような口論の一つや二つ、珍しい話でもないだろう』
三角関係、四角関係が現実でどのように作用するかは、僕自身が実証済みだ。
『彼女達は酷く落ち込み、自分たちが殺したのだと当時はかなり取り乱していたらしい。結局、警察は彼女達の証言を信じ、不幸な事故だということで結論付けたようだ』
死人の出た事件だ。
警察も入念に調べているだろうし、一高校生がそれを回避できたとも思えない。
だが……。
『そういうわけで、小早川裕也は事故死だ。この件で君が悩むことなどないと思うがね。この呪いは小早川裕也のもの。それに六人の取り巻きが巻き込まれたというだけだよ』
「…………六人?」
『ああ、そうだが? 何か──』
僕は思わずスマホを切った。
しばらくその場で放心し、ふいに言葉を漏らした。
「……最悪はもっと辛い、か」
◇◇◇
僕は学校に戻った。
既に休み時間に入っており、校庭では学生達が思い思いに羽を伸ばしている。
見渡す限りが女子、女子、女子だ。誰もかれもが若くて美人。
まるで僕一人が宇宙人にでもなったかのようだ。
彼女達はこの世界をどのように享受しているのだろうか。自分の存在意義に疑問を持つこともなく、機械的に学生という役割をこなしているのだろうか。
ふと、電話をしている子を見つけた。
「やっほ~、ミホちゃん。明日さぁ、一緒にアイスクリーム屋行かない? 新しい商品が出たんだって」
彼女達がアイスクリーム屋に行くことはない。
明日も明後日も、これからもずっと。
携帯を切り、興奮を抑えきれないのか、彼女は小さく笑みを浮かべている。
「今日にしなよ」
「え?」
「アイスクリーム屋。今すぐ友達と行ってきたらいい。きっと、すごくおいしいよ」
小首をかしげている彼女を背に、僕は校舎へと入った。
◇◇◇
教室のドアを開ける。
そこに広がるのは、ここ数日で見てきた風景だった。
いくつかのグループに分かれており、そこには隣家も読子も、そして変哲無さんもいた。
まるで何かを待つように、三人はモブキャラクターの笑い声を聞きながら自分の席に座っている。
僕は変哲無さんの隣に立った。
「……どうかしました?」
彼女は不審げに僕を見上げる。
僕は近くの椅子を持ってきて、彼女の隣に座った。
「なんでこんなことをした?」
彼女はそれを聞いて、真顔になって正面を向いた。
何もしゃべらない。
僕は彼女の代わりに口を開いた。
「普通にやればよかったじゃないか。普通に、彼女達と同じように。どうしてそうしなかった? 自信がなかったのか?」
それでも、彼女は喋らなかった。
「……さっき、編集者から電話があった。小早川裕也の取り巻きは六人いると言っていた。普遍的隣家。大人シ読子。マッハ・走流乃。茶倮茶倮不良絵。暴力彩芽。そして狂犬実仁。これで計六人。でも、狂犬実仁は暴力彩芽の代わりに増員されたヒロインだ。本来なら、六人目なんて存在しない」
僕は俯き、しかしすぐに彼女に目を向け、言った。
「……最後の六人目は君だ」
彼女は微動だにしなかった。
「僕の身体は小早川裕也のもの。つまり呪いは、人の身体を入れ替えることができる。なら、変哲無さんの肉体だからといって、彼女であるとは限らない。君が六人目のヒロインで……この事件の犯人だ」
いつまで待っても、彼女はしゃべろうとはしなかった。
僕は歯噛みした。
「分かってるのか!? 僕は……君を殺さないといけないんだぞ!!」
「分かってますよ」
変哲無さんは静かに言った。
「そうすればいいじゃないですか。あなたがそうしたいのなら。それが主人公の役目でしょう?」
主人公の役目。
自分勝手にいらないヒロインを排除するという、あまりにも重い役回り。
そんなもの、好きで背負いたい人間なんているはずがない。
「別に構いませんよ。私がヒロインになれるのなら、それで」
「ヒロインになれる、だって?」
「だってそうでしょ? あなたは私をヒロインだと思った。だからこそ、あの選択肢の中に私は現れた。あそこで選ばれた人間は、ヒロインになれるんです。あなたは再三言っていたはずです。この物語の犯人は、真のヒロインなのだと」
僕はノートに書かれたルールを思い出した。
『主人公はヒロインを選ばなければならない』
これは……そういうことなのか?
たとえバッドエンドになると分かっていながら、大切な人間を選択する。それが、この物語の終着点なのか?
「この物語に加わった時から覚悟はできています。さぁ、私を選んでください。それであなたは、この狂った世界から開放されます」
そう言って、変哲無さんは目を瞑った。
そこには一遍の悔いも、迷いもない。
「……なんでそんなこと言うんだ」
僕は絞り出すように言った。
「こんな世界だろうと、二人なら構わないって、そう言ったじゃないか」
変哲無さんの表情は変わらない。
ずっと、無表情で目を瞑っている。
「あれも全部、嘘だったのか? 恋がしたいと言っていた君も、迷っていた僕に発破をかけてくれた君も、全部!!」
自然と、声が大きくなり、怒気が孕む。
もはやそれは、自分の心で抑え込むことはできなかった。
「恨まれてでも、僕と一緒になることよりも、こんなクソみたいな物語のヒロインになることを、君は選んだのか!?」
彼女が何という名前で、どんな人間で、どんな顔をしているのか。僕は分からないし、知ることもできない。
それを知る機会を、あろうことか彼女自身が奪ってしまった。
僕は思わず彼女を抱きしめた。
華奢で、少し力をいれただけで壊れてしまいそうな身体。
今この瞬間、思いのままに彼女を壊してしまいたいという願いが、僕の中で渦巻いている。
気が付けば、腕時計のタイマーがあと十秒になっていた。
力で彼女を壊さなくても、僕にはこれがある。これで彼女を選ぶだけで、全てが終わる。
そう思うと、妙な脱力感があった。
僕は心の中で数を数える。
五。四.三、二……
「……あなたには、私なんかよりも大切な人がいるんですから」
僕は目を見開いた。
誰かが僕に言っていたことがある。
『お前は理屈の本質を分かってねえ』
いつもなら、そんなことを言われれば怒涛のように反論が湧いて来る。
なのに、その時はそうではなかった。その人の前では、いつもそうはならなかった。
『理屈ってのは人によって違うんだ。お前にはお前の、人には人の理屈がある。理屈に適っているかどうかなんて大した意味はねえ。何故なら人の行動は、全て何らかの理屈に当てはまるものだからだ』
僕は彼女を知っている。
ずっとずっと、知っている。
生まれた時から今まで。どんな時だって離れず、そばにいた彼女のことを。
『その人間の理屈を理解する。それが人を知るってことだ』
走馬燈のように今までの記憶が駆け巡り、変哲無さんとキスをする直前に気付いたことを思い出した。
そうだ。
あの時、僕は……。
ピ
タイマーがゼロを示す。
その時に鳴るそんな無情な音が────
響かなかった。
「……どうした?」
僕は静かに言った。
選択肢が出ていない。
初めて、変哲無さんの顔色が変わった。
「早く選択肢を出せよ。それとも、何か不都合でもあるのか?」
僕は時計を見た。一秒を残し、タイマーは止まっている。
「随分と勝手な奴だな。……いや、逆か。お前はずっと、読者には優しい奴だった」
僕は立ち上がった。
顔を青くして僕を見上げる変哲無さん。しかしこの教室には、もっと顔を青くしている奴がいる。
「そろそろ茶番は止めて、真の解決編にいこうか。……なぁ、隣家?」
僕が顔を向けると、立ち上がりこちらを見つめる隣家がいた。
「それとも、読子に言った方がいいか?」
机に座り、本を読んでいるはずの読子は、冷や汗をだらだらと流している。
「なんで分かったの?」
隣家が言った。
「それは何に対する質問だ? 真の犯人が、小早川裕也でもなく、六人目のヒロインでもなく、お前たちヒロイン候補全員だと気付いたことか?」
しんと静まり返る。
途端、読子が空虚な笑い声を発した。
「な、何を言ってるんですか? 犯人とかヒロイン候補とか、意味分かりませんよ」
「僕は一度呪いに巻き込まれたからよく分かる。今回の呪いは、普通のものよりも一段と強力だった。世界から隔絶し、人の肉体にまで作用し、あまつさえ記憶すらも操る。でも分かってみれば当たり前の話だ。この呪いは複数人によるものなんだからな」
隣家は動じることなく、無表情で僕の話を聞いている。
それに対し、読子は狼狽していた。
「この呪いは小早川裕也のものじゃない。その目的は自分を死に追いやった人間を呪うことでも、主人公という存在を痛めつけるためでもない。この呪いは……自分自身を殺すためのもの。いわば、贖罪の呪いだったんだ」
「だから!! そんな根拠ないじゃないですか!!」
読子の叫び声は、まるで悲鳴のようだった。
「根拠はないかもしれないが、疑問はあった。たとえば今回の主人公設定」
「主人公設定?」
隣家が疑問の声を発した。
「ああ。さっきまで忘れていたが、僕は自分の部屋で小早川裕也の日記を読んだことがあった。その時に感じた小早川裕也は、自分に自信がない奴だった。誰かから好かれているとは思ってもみない。本当に、ハーレム漫画の中から飛び出してきたような奴だった」
「だからなんなんですか! あなたもそうなってたんだからぴったりでしょ!」
「いいや、ぴったりじゃない。何故なら小早川裕也は自分を鈍感だと思っていないからだ」
「はあ!? 意味分かりません!!」
「自分が鈍感じゃないと信じている人間が、自分を演じさせるために鈍感設定をつけるはずないだろ」
息巻いていた読子が、途端に硬直した。
「これを見て、僕は小早川裕也が呪いの根源だという考えに疑問を持つようになった。しかし、小早川裕也以外に動機を持つ人間はいない。なら、必然的に小早川裕也が犯人になる。今まではずっとそう思っていた。この符号に気付くまでは」
僕は部室にあった同人誌の内容を思い出しながら言った。
「マッハ・走流乃は自分の身体が思い通りにならないことを呪った。大人シ読子は不運ともいえるようなドジを呪った。茶倮茶倮不良絵は可視化されない好きという感情を、暴力彩芽は閉じこもることのできない世界を、狂犬実仁は自分では決められない運命を、そして隣家は、自分自身といういらない存在を」
僕は二人を見た。
「これらの恨みは、全てこの世界を構築する呪いそのものだ」
少しの間、沈黙が続いた。
ずっと反論を続けていた読子が黙り込んでいる。
それが、全て真実だという証拠だった。
「……いつ気付いたの?」
「さっきも言ったように、最初から最後まで根拠はなかった。それどころか、僕は疑問を持っていたことすら“すっかり忘れていた”。変哲無さんとキスをしてから、その推理をリセットされていたことに気付いていなかったんだ」
変哲無さんは何も言わなかった。
おそらく、記憶を操作するためには一度世界をリセットする必要があるのだろう。
初めてここに来た時に現実世界のことがおぼろげになっていたのもそうだし、実仁を攻略した時に前後の記憶を忘れていたのもそうだ。
そしてそのリスタートの合図が、たぶんあの目覚まし時計。
だからこそ、キスをしてから目覚ましが鳴るまでの記憶が抜け落ちているのだ。
「リセットによって、犯人にとって不都合な推理は消去された。だが隠すということは、それが正しいという証明でもある。それが僕の根拠かな」
「……なるほど。よく分かったわ」
「次は君が喋る番だ。……なんでこんな茶番を仕掛けた?」
隣家は鼻で笑った。
「茶番? そりゃ、あんたから見たらそうでしょうね。でもあたし達にとっては、これが全てだった。あたし達があたし達を裁ける場所も、相応の罰を与えられる場所も、ここしかなかったのよ」
『いらない選択肢』。
それを主人公から一方的に定められたヒロインは、どれほどの未練があろうとその場から退散し、死ななければならない。
それは何よりも愛する人間を持つ者にとって、何よりも辛いものだ。
それを課すことが自分達への罰だと、隣家はそう言っているのだ。
「……自分たちが近づいたから、小早川裕也は死んだと?」
「ええそうよ。全部あたし達が悪いの。彼には好きな人がいた。それを分かっていながら、あたし達は自分達のエゴでそれを諦められなかった。その結果……」
彼女は続きを言おうとして、それが言えなかった。
唇を噛み、顔を逸らす。
それだけで、どれほどの想いがあるのかを察することができた。
「……こんなことをして何の意味がある? 小早川裕也だってそんなこと──」
ダアン!
読子が思い切り机を叩いた。
その顔は髪に隠れ、表情は見えなかった。
「……みんなね。そう言うんですよ。裕也君はそんなこと望んでないって。裕也君は、君達の幸せを望んでいるはずだって。じゃああなた、裕也君からそう聞いたの? 彼が直接、オレのことは忘れて幸せになれって、そう言ったの?」
読子は歯噛みした。
「裕也君はね!! 死んでるんですよ!!! 望んでることも、望んでないことも、もう何も……何も言えないんですよ!!! その機会を私たちが奪ったんですよ!!!」
それはあまりに重い言葉だった。
ただの成り行きでここにいる僕とは違う。自分の存在意義すら揺るぎかねない物語の中で、彼女達は正真正銘、主要人物としてここにいるのだ。
「裕也がどう思ってるかなんてあたし達には分からない。でも少なくとも、一つだけ言えることがある。あたし達は幸せになっちゃいけない。あたし達は望んだものを手に入れちゃいけない。人を殺めるほどの想いを踏みにじられ、人を不幸にするほどの願いを粉々に砕かれ、最悪で、絶望的な最後を遂げなくちゃいけない。あたし達はね……ヒロイン失格なのよ」
感情を押し殺し、全てを語り終えた隣家は、小さく息をついた。
「裕也には好きな人がいた。彼が死んだ後、あたし達はそれが誰かを突き止めた。それは、確かにそこにいる変哲無乙女さんよ。あなたの知る人間に姿を変えただけで、あたし達と同じヒロイン候補で……そして、真のヒロイン。彼女こそが、裕也が愛した女性であり、幸せにならなければいけない人なの」
僕はちらと変哲無さんを見た。
「だから、あなたは彼女を選んじゃダメ。あたし達を殺したらそれでいいの。それであたし達の呪いは完成する。あなたにも迷惑はかけないわ。少し計算が狂ったけど、あたしと読子を選んでくれたら、それでこの世界から解放する。だから──」
「まただ」
「え?」
「君達は何も思わないのか?」
隣家は眉をひそめた。
「……何が?」
「気持ちが悪い」
僕の言っている意味が分かっていないのだろう。
彼女達はじっと僕を見つめている。
「何をそんなに怯えてるんだ?」
びくりと、変哲無さんが肩を震わせた。
「僕はそうやって怯えている君を、一度見たことがある。物語を都合よく動かすためなら何でもできる君が、異常なほどの恐怖を覚えていた時のことを」
変哲無さんは、決して僕の方を見ようとしなかった。
「何を言ってるの? あたし達は全てを白状した。これ以上の裏はないわ」
「なら聞くが、何故狂犬実仁のゲージを後出しした?」
隣家は硬直した。
「変哲無さんが六人目のヒロインで、狂犬実仁は存在自体がブラフの架空の人物。外部から思いがけず情報が入ってくる可能性を考えるのなら、確かにブラフは必要だろう。しかし、わざわざゲージを後からつけ足し、増員されたヒロイン候補だと印象付ける必要はなかった。それがあったから僕は変哲無さんを『いらない選択肢』で選ぼうとしたんだ。つまりこの行為自体、不必要なことだった。違うか?」
隣家は読子を見た、彼女もよく分からないといった様子で首を振る。
「変哲無。どういうこと?」
隣家の問いに、彼女は答えない。
「……ゲージは不良絵の担当だった。彼女が少しミスをしただけでしょ」
「少し? こうして僕と喋っていることが、少しのミスといえるのか?」
隣家は口ごもる。
読子はいらいらした様子で口を開いた。
「あなたは何を言いたいんですか? さっきから、私達を惑わそうとしているようにしか思えません」
「惑わそうとしているのは僕じゃない。真犯人さ」
「……はあ?」
「この物語にはまだ裏がある。僕はそう言っているんだ」
思わぬ発言にしばらく二人は硬直していた。
しかしすぐに、隣家は呆れ果てた様子で額に手をやった。
「疑い深いのもここまでくると病気だわ。裏なんてない。あなたはあたし達を選べばそれでいいのよ」
「はっきり言っておく。この物語は、絶対君達の思う通りにはならない。そういう風にできている」
「……何を言ってるの? 現に、あたし達は今タイマーを止めている。こんなことができるのは、呪いの根源であるあたし達だけよ」
「それは黒幕……犯人の方に、タイマーを止めなければならない理由ができたからさ。本当なら、君達がタイマーを止めようとしてもそれができず、あのまま変哲無さんを僕が選択するはずだったんだ」
ようやく、僕が本気で言っていることに気付いたらしい。
彼女達の顔が、徐々に強張ったものになっていく。
「か、仮に黒幕がいたとして、そんなことする理由がどこにあるのよ」
「一言で言えば、ネタバレ防止策ってことさ」
「は?」
「僕の認識は、真のヒロイン=犯人というものだった。つまり、僕が黒幕を推測した段階で、いらない選択肢にその黒幕の名前が浮上するってことさ」
「……ちょっと待って。何を言ってるの? この物語の登場人物は、ここにいる四人だけ。他に誰がいるのよ」
「いるんだよ。僕達がそうと気付かず、ずっとこの世界に潜んでいる黒幕が」
しんと静まり返る。
しかしすぐに、読子が反論した。
「嘘よ! 嘘嘘!! 隣家、こんな奴の言うこと信じちゃダメ!! 私達を惑わして、何か企んでるのよ!!」
「なら変哲無さんのことはどこで知った? 誰がこの計画を考えた? 呪いの存在を知ったのは? 僕を主人公にしようとしたのは何でだ?」
隣家と読子は黙った。
「それすらも答えられない。それが、君達がただのモブキャラだという根拠だ」
「ふ、ふざけないでよ!! 私達の裕也君への想いが、全部偽物だって言いたいの!?」
「そうは言ってない。ただ、その想いも呪いの力も、全て何者かに利用されていると言っているんだ」
見るからに、読子は余裕をなくしていた。
親指の爪を噛み、必死に頭を働かせている。
「はっきり言おう。この世界を創造した犯人は心底意地の悪いクソ野郎だ。それさえ分かれば、犯人が思い描くシナリオも分かる。犯人は最低な奴だ。敢えて僕にヒロインを選ばせる構図を作ったのも、最後の最後に隣家達の思惑が潰れるように仕組んだのも、全ては僕達がもがき苦しむ姿を見たかったからだ。ならこの物語のラストも、恐らく最悪のシナリオになっている」
『最悪は、もっと辛いものですよ』
そう言っていた変哲無さんの言葉が、今になって思い出される。
「最悪のシナリオとはなにか。それは僕が好意を持った女性が犯人であるシナリオじゃない。それじゃあ生ぬるい。僕が好意を持った女性を犯人だと思わせて殺害させる。そして君達の思惑を破綻させる。これがゲームマスターの仕組んだ、誰も幸せにならないバッドエンド。最低最悪なシナリオさ」
全員が、どう答えたものかと迷っているようだった。
それだけ、僕の言っていることが突拍子のないものなのだろう。
「仮に」
ふいに、隣家が言った。
「仮にそうだとして。一体、その黒幕は誰なの? もしかして──」
ちらと変哲無さんを見る。
「彼女は違う」
「何故そう言い切れるの? この世界ではいくらでも肉体を入れ替えられる。彼女が真のヒロインではない可能性だって──」
「その通りだ」
僕は言った。
「彼女は小早川裕也に愛されたヒロインなんかじゃない。彼女は彼女。僕の良く知る、ただの変哲無乙女さんだ」
二人は眉をひそめた。
「変哲無さんは僕の良きパートナーだった。僕のために動き、僕の好感度を上げるためだけに存在した。最後に『いらない選択肢』の一人となり、僕に選ばれるために。自立心もなく、ただただ役割に沿ってね。……そう。つまり彼女はどこまでいっても、物語を彩る脇役に過ぎなかったんだ」
「ちょっと待ってよ。確かにそういう風にも取れるけど、ちゃんとした理由になってないじゃない」
確かにそうだ。
論理的とも言えないし、ミステリーなら根拠が乏しいとして駄目出しを食らう場面だろう。
だが……
『一方的に伝えるだけじゃ、ダメだよね。ちゃんと、相手のことも受け入れないと』
それは生前の実仁が呟いていた言葉だった。
あの時は何のことか分からなかったが、今なら分かる。
彼女が、この時のために発してくれていたということも。
「仮に変哲無さんがヒロインなら、実仁は存在しない人間だということになる。でも、僕にはそうは思えない。それが理由だ」
「そんな無根拠な……」
それだけじゃない。変哲無さんは、今回のタイムリミットの最後で、僕の記憶を呼び覚ましてくれた。
囁くような小さな声だったけど、きっとあれは、彼女なりの反抗だった。
「だいたい、変哲無さんがヒロインじゃないなら、裕也が好きだった人は一体どこにいるの!? 彼女はあたし達と違って、死ぬことが目的じゃない! 変哲無さんのポジション以外に存在するはずがない!!」
「ご明察だ。その通り。小早川裕也が好きだった子は、この世界にはいない」
「……は?」
「一つ聞く。お前たちは小早川裕也が死んだ時に、彼の口から好きな人がいることを告げられた。そして、その人物を教えてくれと言った。そうだな?」
「……ええ。そうよ」
「しかし小早川裕也は怒ってその場を去ろうとし、事故に巻き込まれた」
「そうだって言ってるでしょ! 何が言いたいのよ!!」
「よくよく考えればおかしな話だ。何故小早川裕也は怒る必要があった? 何故小早川裕也は告白しなかった? 本当に、小早川裕也は鈍感だったのか?」
隣家の動きがはたと止まった。
「お前たちの中に、本当は小早川裕也のことが好きではない人間がいたんじゃないのか?」
「そ──」
「そしてその人物を小早川裕也は好きになった。だから小早川裕也は告白しなかったし、そのことに夢中で他からの好意には気付かなかった。仮にそうだとしたら、その人物は今回の件には何の関係もない。本人の意志に関係なく構築されたハーレムが小早川裕也の命を奪ったというのが呪いの発端なら、小早川裕也が自分から近づいていたその子は、呪いを発動させる動機がない。男女比が一対多なら、誰もがそれを見てハーレムを思い描く。中にいる人物でさえ、そう思っていた。だが実際は違った。小早川裕也はハーレムではなかったんだ」
「……ちょっと待ってよ。じゃあなに? あたし達ヒロイン候補の中に、本当にいらない人間が存在するの?」
僕は静かに頷いた。
「はっきり言うけど、君達は作家としては三流だ。自分の心情を吐露するだけじゃ、作家としては不十分。作家になるには、読者を意識しなければならない。僕は君達にそんな意識があったとは思えない。でもこの犯人は違う。キャラクターの名前を覚えやすいものに仕込み、ラッキースケベという惹きを作り、ヤンデレルートやハーレムルートというストーリーの起伏まで作った。分かるか? 君達は自分のことしか考えていないが、犯人はいつだって、読者の視線を気にしていたんだ。根本の考え方が違う。一人だけ、明らかに動機の違う人間がいる。そしてその人間は、明らかにこの世界を支配している」
二人は必死になって考え込んだ。
自分と同じ気持ちで、味方だと思っていた人間が、実は自分を嵌めようとしていたのだ。
その心情は、察するに余りある。
「……ゲージを弄ったのが犯人なら、やっぱり実仁さんが──」
「いいや違う。何故なら実仁はこの世界から排除されたヒロインだからだ。呪いのルールは根源である本体ですら縛り付ける。『主人公が選んだいらないヒロインは、ヒロイン失格となり排除される』。それがルールであるのなら、実仁が犯人だった場合、この呪いは既に解かれているはずだ」
「ってことは、あたしか読子……」
「わ、私違います! 私はちゃんと、罪を償おうと──」
「僕が最初に考察したのは、ヒロイン候補の中に犯人がいるとは考え辛いということだった」
彼女達は眉をひそめた。
ヒロイン候補の中に犯人がいると言っておきながら、まるで矛盾したことを話しているのだから、それも当然だろう。
「呪いのルールは絶対だ。なら『いらない選択肢』という死のロシアンルーレットにわざわざ参加する理由がない。僕が隣家を極力選ばなかったのもただの勘で、ほんの些細な気まぐれでさっさと隣家を選んでいた可能性だってあった。つまり、ここにいる二人は誰になる可能性もあったってことだ」
「じゃあ誰よ!! あなたの話を真に受けたら、犯人なんて誰もいなくなる!! 私達でもなく、そこにいる変哲無さんでもないなら、一体誰が犯人なのよ!!」
「一人だけいるだろ」
僕は言った。
「僕の言った条件に当てはまる人間が、一人だけ」
二人は顔を見合わせている。
その後ろで、ごくりと息を飲むモブキャラが一人いたことを、僕は見逃さなかった。
モブキャラは主要人物を引き立てるためだけに存在する。それは主要人物に責任があるからだ。
読者を満足させる責任。読者に愛される責任。物語を完結に向かわせる責任。
その責任を押し隠し、モブキャラの陰に隠れるこの犯人を、僕は決して許さない。
「『主人公が選択した『いらないヒロイン』は、ヒロイン失格となり排除される』。それがこの世界のルールだ。たとえ呪いの主だとしても、このルールは拒否できない。だが、一人だけこのルールに当てはまらなかった奴がいる」
「……まさか」
僕はゆっくりと腕をあげた。
「この世界で唯一、『いらない選択肢』で選べなかった人物」
「この世界で唯一、ルールの元に殺されたと僕達が信じ込んでいる人物」
「この世界で唯一、選択肢以外で死んだ人物」
僕は指を差した。
「犯人は……暴力彩芽(ぼうりき あやめ)。最初に僕に拒絶されて死んだ、ヒロイン候補だ!!」
指さされたモブキャラは、慌てふためいた様子で周囲を見回している。
「えと……わ、私? 正直、話に全然ついていけてないんですけど」
そう言って自分を指さし、ぎこちない笑みを浮かべている。
「……あーあ」
そう言ってから、彼女はびっくりして自分の口を両手で覆った。
「あ、あの私何もしゃべってません。本当にしゃべ……って……」
突然、彼女の顔が青くなる。
いきなり彼女は上を向き、大きく口を開けた。
「お、ごぉ。おご、あごぁあああ」
顎が外れる音がして、口の中からぬうと人の手が現れた。
その指はタンスの下に入った落とし物を探すかのように彷徨い、口の端に手をかける。
さらにもう一本の腕が現れ、今度は反対の端を掴んだ。
ビ、ビと何かが裂けていく音が聞こえてくる。
ヒビが顎下から額にまで走り、中で蠢くそれは一気に口をこじあげた。
まるで瞬間移動マジックでも見ているかのようだ。
紙のようにバラバラになった肉塊の中心に、一人の女性がいた。
臭いが一瞬で充満するほどの血の濁流。その中心にいながら、彼女は汚れ一つついていない。
まるで一人だけ別の世界にいるかのように、彼女は両手を伸ばし、不敵な笑みを浮かべている。
「君じゃなけりゃ、うまくいったんだけどなぁ」
その姿は、初めて見た時と変わっていない。
長い黒髪で、ところどころ癖っ毛がついているかわいらしい女の子。
しかしそこから放たれるオーラは、あまりにも禍々しい。
僕は初めて、一人の人間を目の当たりにして、邪悪という単語が心に浮かんだ。
「な……に……?」
放心状態の隣家が、振り絞るように言った。
「んん? なにってことはないでしょ、隣家ちゃん。あなたに呪いのことを教えてあげたのも、主人公に相応しい人間を教えてあげたのも、ぜーんぶこのアタシよ?」
そう言って、彼女はウインクしてみせる。
「お前は誰だ?」
僕は自然と、そう口にしていた。
「なかなか良い質問ね。今回の隠れ蓑は、君が嫌いと言ってくれないと使えない。いくら意識を多少操れるといっても、それを一言言わせるのはそれなりに難しい。うん、ご明察♪ アタシは君のこと、よーく知ってるよ」
「……僕は覚えがないけどな」
「そうだよ。みんな覚えてないの。だからアタシは、アンタ達のことが大好きで大好きで大好きで、……それと同じくらい、大っ嫌いなのよ」
そう言って、彼女は満面の笑みを浮かべてみせた。
ここでいうアンタ達というのは……
「両方だよ。ジョーさんもそうだし、作家といわれる存在もそう。アタシはアンタ達作家が生んだ混沌(カオス)なの」
「混沌(カオス)?」
「アンタ達が生んだ搾りかす。アンタ達が勝手に生んで、勝手に捨てた世界のなれの果て。物語に何よりも近いのに物語になれず、キャラクターになによりも近いのにキャラクターになれず、アイデンティティーの欠片もなく、ただただ何かを呪うことしかできなくなった意志あるゴミクズ。それがアタシ」
語られる内容に比べ、彼女は明るい口調でそう言った。
同情を誘うようでいて、自分の窮状にはまるで興味がないような、奇妙な矛盾がそこにはあった。
「その名も~~~黒海リトル!!」
僕はそれを聞いて、愕然とした。
「あ、思い出した? 思い出してくれた? ああぁ、それだけでもうれしいよぉ。そうだよ。これは君が……いや正確には、ジョーさんが私につけてくれた名前。本当は君達が名乗るはずだったもう一つの名前。そうでしょ?」
隣家がこちらを見る。
僕は頷いた。
「確かに、その通りだ。小説家として食っていけそうにないから、ゲームシナリオライターになろうかと考えていた時期があって、その時に考えた」
「アタシは君達が捨てたことなら何でも知ってるんだよ~。ジョーさんがR指定のBLものか凌辱ものしか書かないっていうから急きょ取り止めたんだよね~?」
「ば、馬鹿やめろ!!」
「はぁ? 全部てめえらが言ったことだろ。カクヨム作品は知能指数が低いとか言ってディスってたのも全部事実だろ? てめえだってカクヨム作家の癖によぉ!!」
なんなんだこいつは。
口調や感情が、主体性もなくころころ変わる。
「さてと。ひと段落ついたことだし、ちょっとお仕置きしないとね」
そう言って、彼女は手を翳した。
その瞬間、そこからミミズのようなものが無数に湧き出し、手の中で形になっていく。
それはあっという間に拳銃になった。
「分かってんよねぇ。変哲無」
言われて、びくりと変哲無さんは震えた。
「えと、あの、私は──」
「はい、ドーン」
鈍い銃声の音と共に、変哲無さんの腕が吹き飛んだ。
苦悶の悲鳴が響き渡る。
リトルは構わず変哲無さんを撃った。
肩に大穴が空き、脇腹が貫通し、変哲無さんは血反吐を吐く。
「やめろ!!」
僕の叫び声と同時に、リトルは変哲無さんの頭を吹き飛ばした。
彼女は西部劇のガンマンよろしく、銃口から出る煙をふっと吹き消す。
あまりに突然のことに僕は茫然とするしかなかった。
しかしその瞬間、まったく違う場所にいた女子が、突然膝をついた。それは変哲無さんだった。
肩で息をしているが、身体は無傷だ。
僕は先ほどまで変哲無さんが倒れていた場所を見た。
そこにあったのは、見覚えのない女子の死体だった。
「これがこの女の混沌(カオス)。他のモブキャラに入れ替わることができるっつーほとんど無敵の能力よ」
「混沌(カオス)……」
「そう。彼女も捨てられたの。文字通り、吐いて捨てるだけの放棄されたモブキャラを取り込んで、変哲無乙女という意志が生まれた。アタシとは同じ穴のムジナってわけ」
それを聞いて、僕はカオスというものをおぼろげながら理解した。
カオス。
その正体はおそらく、呪いそのものだ。
本来呪いとは作家のエゴそのもの。しかしそれは、取捨選択した結果生まれたエゴだ。
自身のエゴを表現するための作品を生み出すために、作家はいくつものエゴや作品を捨てている。
その結果生まれたのが彼女達。
生み出した宿主がいない、目的を持たないエゴの塊。それが意志を持って動き出した。
もしもその認識が正しいとするなら、これほど恐ろしい存在はいない。
制御できない力そのもの。しかもその力がどこに作用するのかは、誰にも分からないのだ。
「ようやくアタシのことを理解してくれた? アタシは君と同じ。同じだけど正反対。誰よりもジョーさんの側にいて、誰よりも彼女に認めてもらいたがっていて、誰よりも彼女を苦しめたくて、そしてバッドエンドが大好きで大好きでたまらない、ただの端役よ」
「悪趣味極まりないな」
「はぁん? 悪趣味なのは“お前ら”だろ。無節操に女をオトして、気に入らねーことがあったらリセットして。それを愛だのなんだのとほざいている。攻略サイト片手に口説き落として愉悦に浸る“お前ら”が、アタシを否定できるのか?」
「……いい加減、本題に入ったらどうだ?」
「なに? 開き直っちゃった? はぁあ~、つまんな~~」
なんとなく、分かった。
こいつは真逆だ。
ジョーさんと全てが真逆。
こいつには信念などないし、本質などどうでもいいし、自分の行動で誰がどうなろうと知ったことではないのだ。
「君はこの世界の黒幕として、最悪のバッドエンドを全員に届けようとした。でも、それは失敗した。どれだけ吠えても、結局は負け犬の遠吠えだ」
「……へぇ」
その笑みと狡猾そうな瞳は、負け犬とは程遠いものだった。
「なるほどなるほど。次の『いらない選択肢』で君がアタシを選べばそれで終了だもんねぇ。これでアタシも晴れてデッドエンド。思惑も全て外して敗北かぁ」
事実上の敗北宣言。
しかしその顔は実に楽しそうだった。
人の不幸は蜜の味。それを絵に描いたようなこの女が、実に楽しそうに。
僕は後ろを振り向いた。
そこにいる隣家が、青白い顔をしている。読子もだ。
「あれ? どったの? アタシを殺すんじゃないの? だってそうだよねぇ。明確な悪が存在する限り、この物語はハッピーエンドになんかならないもんねぇ。でもあれあれ? よく考えたらさぁ。ここでアタシを選ぶって、さいっこうのバッドエンドじゃん?」
「……なに?」
「だってさぁ。こいつらは死にたいんだぜ? できるだけ残酷に、できるだけ悍ましく、君に裏切られて死にたいんだ。でも君がアタシを選ぶってことはさぁ。こいつらを選ばないってことになるんだぜ?」
二人の目の色が変わった。
ゆっくりと、二人は僕の背後に回る。
「……そんなことをしても無駄だ」
できるだけ冷静に、僕は言った。
「無駄? どうしてそんなことが言えるの?」
「そうですよ。あなたを殺してここから出て、また一から主人公を選べばいい。もう一度記憶を消して、今度はちゃんと──」
「かぁ~。アンタ達、まだそんな甘いこと言ってんの?」
大きく首を振りながら、リトルは言った。
「アタシの力は呪いを増幅させることじゃない。さっきの話を聞いてピンとこなかった? アタシは全てを呪っているの。作家も呪いも、全てをね」
「え?」
「アタシはね。捨てられたのよ。世に出ることを約束されて、最高の出来だと期待させて、甘い餌をたらふく与えられた後に、何でもなかったようにゴミ箱に捨てられた。だからね。アタシも同じことをしてやろうと思うのよ。アンタ達を期待させ、助長させ、呪いの力を膨らませて膨らませて膨らませて、太りに太ったそいつを最後には紙屑にして捨てる。そういうことをね。やりたいのよ」
「……な、なによそれ」
「つまりさぁ。アタシに捕まった時点で、アンタらの呪いは消耗品に成り下がるってわけ。アンタらのエゴも想いも、全てを喰ってやるのがアタシの目的なわけよ」
「じゃ、じゃあ……あたし達がここから出たら……」
リトルはにっこりと笑った。
「アンタたちを苦しめる小早川裕也君のことは、ぜーんぶ忘れちゃいます。よかったね♪」
二人は愕然とした。
「ふ、ふざけないでください!! 私たちは忘れるつもりなんか──」
「え~? そんなこと言ってぇ。心のどこかでは望んでたんじゃないのぉ? 自分たちを苦しめる忌まわしい記憶を全部捨て去りたいってさぁ」
「そ、そんなこと考えるわけないでしょ! そんな奴──」
「人間じゃないって? そうだよねぇ。生きるどころか、死ぬ資格すらないクズだよねぇ。自分がそんな奴だなんて、認めたくないよねぇ」
くすくすと、リトルは笑う。
彼女の戯言が、しかし二人には重い絶望として背中に伸し掛かっている。
「そんなあなた達に朗報です♪ 今回の『いらない選択肢』を、あなた達にも選ばせてあげます」
その途端、俯いていた二人の顔が上がった。
「アタシがアンタ達の想いを喰えるのは、呪いが終息した後。つまり今なら小早川裕也君と贖罪の想いを持ったまま死ぬことができます。ただその代わり、隣家ちゃんと読子ちゃん、そしてそこの主人公君の選択肢が全て揃わなかった場合……好感度ゼロということで、嫌われ者の主人公君には最悪のバッドエンドを受けてもらいます♪」
「ふざけるな! そんなこと認められるはずないだろ!!」
僕は思わず叫んだ。
脈絡も何もない。ルール違反すれすれの横暴だ。
「認めないの? まあ別にそれでもいいけど。君は主人公補正によってモブキャラ達の想いを踏みにじり、見事悪役を倒してハッピーエンドを迎えるだけ。誰も幸せにならないハッピーエンドをね」
僕は歯噛みした。
そういうことか。
僕がこれを認めなければ、僕は結局数多の物語の主人公や作家達と同じになる。
モブキャラを踏みにじり、上辺だけのハッピーエンドを迎える人間になる。それは確かに、僕にとってのバッドエンドだ。
しかしかといって、リトルの言い分を認めるわけにもいかない。
読子と隣家は自分を選ぶだろう。僕がリトルを殺せたとしても、おそらく呪いは残る。呪いは本人の生死には関わらない。
つまり、ここにいる全員が死んで終わることになる。それがハッピーエンドだなんて、僕には到底思えない。
「なによなによ! なんでそんなに悩んでるの!? こんなの超簡単な問題じゃない!! どこからどう見ても悪者なこのアタシを選べばいいだけよ!? 裕也君への想いを利用してかき乱したアタシを、まさか天下のヒロイン様がお許しになるなんてことありえないわよねぇ!? ハッピーエンドはみんなが求めるものでしょう!?」
「……こいつの言う通りだ。リトルは君達の想いを利用し、踏みにじろうとした。小早川裕也という存在すら消そうとした。そんな奴を許すのか? このまま、野に放つのが正解か?」
僕の説得を、リトルは容赦なく嘲笑した。
「分かってねーなぁ!? ここにいるのはさぁ!! どいつもこいつも、自分のことしか考えない死にたがりの馬鹿共ばっかりなんだぜー!?」
二人は僕の顔を見なかった。
リトルに貶されても、反論一つ出さなかった。
「おらどうしたよ! お前らを不幸に落とそうとしたアタシがここにいるぞ!? 殺したくねーのかよ!! それとも、自分の欲求を忠実に満たすかぁ!? 怒りすら持てないてめえらは、どっちにせヒロイン失格なんだよ!! ギャハハハハ!!!」
彼女の甲高い笑い声が響き渡る。
僕はちらと変哲無さんを見た。
彼女は膝をついたまま、ずっと下を向いている。
床についた手が、ぎゅっと握りしめられる。
それは怒りなのか。恐怖なのか。
推測するための材料は何もない。何もないけれど、僕には不思議と、その感情が分かった気がした。
「……必要ない」
「あ?」
「お前を選ぶ必要なんてない」
表情豊かなリトルが、初めて無表情になった。
「……なに言ってんだ、てめえ?」
「分かってないのはお前の方だ。悪意に満ちたお前は、ハッピーエンドへの道が見えていない。お前の常とう手段と同じさ。見えないから人は迷う。間違いを犯す。だからお前は、間違いを犯したんだ」
いつもそうだ。
論理だなんだと言いながら、結局僕が最後に選択するのは、どうしようもなく無根拠で無責任な、終着点の定まらない一つのルート。
でもそのルートを選ぶことを望む誰かがいるのなら、きっとそれも悪くない。
「隣家、読子。確かに小早川裕也は、お前たちのことを恨んでいるのかもしれない。その罰を受けなければならないのかもしれない。だがそんなお前たちなら分かるはずだ。お前たちのやった行為の中に、認めちゃいけないことがあることを」
彼女達の指が、ぴくりと震えた。
僕の脳裏に浮かぶのは、小早川裕也の日記と、書き換えられた隣家の短編タイトルだった。
『この中の誰かがいらない』
一度見ただけで消えたそれが、僕の推測を確かなものへと変えていく。
【この物語でいらないキャラクターは誰ですか?】
ダイ
☞普遍的隣家
☞大人シ読子
変哲無乙女
☞黒海リトル
「よく考えろ! お前たちが愛した人間は誰か。お前たちを支えてくれたのは、お前たちを暖かく包み込んでくれたのは誰か! この世界で、本当にいらないのは誰か!!」
「……おい。てめえ何を──」
「この世界を壊せるのはお前だけ。だがお前を選べばこの世界にある思いも人も全て消える、だったな? なら僕は、……いや僕達は、世界だけを壊させてもらう!」
【この物語でいらないキャラクターは誰ですか?】
☛ダイ
普遍的隣家
大人シ読子
変哲無乙女
黒海リトル
突然、自分の目から何かが流れ始めた。
それが血だということは、床に滴り落ちる赤い液体を見ればすぐに分かった。
「正気か? 確かに、主人公が死ねばこの呪いを形成する物語は崩壊する。だがそれでアタシの呪いから逃げられるわけじゃない。結局、二人の想いをアタシが食い尽くすだけ。ただの無駄死にだ」
「そうかな?」
倦怠感。吐き気。頭痛。
様々な症状に襲われながら、僕は言った。
「……あとは頼むぞ」
僕は知っている。
話したことなどない。何が好きで何が嫌いか。どんな性格なのか。何も知らない。
それでも、僕は知っている。
彼女達がこれほど愛した人間が、この物語の主人公に相応しくないなんて、そんなことはありえない!
意識が遠のき、もはや夢と現実の区別もつかなくなり始めた頃、確かに僕は、その声を聞いた。
『……読子。それに隣家』
「……え?」
「う、うそ。うそだ……。この声。この口調……」
『さっき言ったな。こんなこと望んでないって、裕也君から聞いたのかって』
『ならオレが言う。……死ぬな。お前達は、オレの分まで幸せになって……そして生きろ』
僕ははっとした。
「どうなった!?」
何も変わってない。
いつもの教室だ。
そこには泣きじゃくる隣家と読子がいた。いやそれだけじゃない。
マッハ・走流乃。狂犬実仁。茶倮茶倮不良絵。
全員が、その場に立ち尽くし、茫然としながら涙を流していた。
リトルの顔が、初めて青ざめていた。
「はぁ? はあああぁああ!? ふざけるんじゃねえぞダイぃ!! ここに来て。ここまで来て……小早川裕也の呪いだあああぁ!?」
「なるほど。あいつが望んだのは、誰も死なず皆が幸せになる世界、か。……あいつらしいな」
呪いの上書き。
ヒロイン達の呪いの根源を断つことで、小早川裕也の呪いが満ちたのだ。
「ふざけるなふざけるなふざけるなあああ!! それがてめえの銀の弾丸だと! 会ったこともねえ男の、どうしようもないエゴという呪いに、自分の命を預けただとぉ!? どれだけお気楽な思考してやがんだ!!」
「気楽? 違うな。僕は信じただけだ。皆がこの物語のハッピーエンドを望んでいることを」
黒海リトルの能力は、誰かに寄生することだ。
つまり本体であるヒロイン達の呪いが消えることで、彼女がこの物語に及ぼす力もまた消える。
「こんなご都合主義な展開認めねえ!! 絶対認めねえぞ!!」
リトルが喚き散らす中、教室の片隅で、空間が裂けたような割れ目ができた。
人が一人入るには十分な大きさで、中からは白い光が差し込んでいる。
おそらく、これがこの世界からの脱出ゲートなのだろう。
至れり尽くせりだな。
しかし力が及ばないせいなのか、どんどん小さくなっていくようだった。
早く入らないと閉じてしまう。
「あの、あたし……」
「いいから、先に行け」
戸惑う隣家に、僕は言った。
「自分を責めるな、なんて物語の主人公じみたことは言わない。自分を傷つけたいなら、めいいっぱい傷つければいい。……でも、あいつの想いは無駄にするな」
「……うん」
隣家は、神妙な顔でゲートの中に入って行った。
それに続いて、読子、マッハ、不良絵と全員が入って行く。
「ごめんね」
そこにいたのは実仁だった。
「それと、ありがとう」
僕は小さく微笑んだ。
彼女は満面の笑みを浮かべ、そのままゲートに入って行った。
「……さて」
そろそろゲートも小さくなり始めている。
これ以上遅れるとまずい。
そう思って、僕がゲートに入ろうとした時だ。
「なんであいつらに加担した!!」
リトルが、変哲無さんの胸倉を掴んで叫んでいた。
「分かってんのか!? こいつらは、お前を殺してきた張本人だぞ!! お前を人とも思わないで、なじって、屠って、うわべだけのハッピーエンドでお前たちを踏みにじってきたやつらだぞ!!?」
「分かってるわよ!!」
変哲無さんは叫んだ。
「分かってる……分かってる、けど……。君みたいな人を助けたいって、その言葉を聞いて、思っちゃったの!! 私のことを……。私みたいな道端の石ころでも、想ってくれる人がいるんじゃないかって、そう思っちゃったの!!」
道端の石ころ。
意識しなければ、自分が蹴ったのかどうかも覚えていない。ドブに落ちたかどうかすら頭にない。
それが石ころ。それが、彼女。
「いねえよ、そんな奴! アタシ達を愛してくれる奴なんてこの世にいないんだよ!! だからぶっ壊してやるんだ!! 壊して泣かせて不幸にして、そうやって、アタシ達のことを見てもらうんだよ! それ以外にないんだよ!! そうしないと、お前は石ころのままなんだよ!!」
「……石ころでもいいよ」
泣きじゃくりながら、変哲無さんは言った。
「誰かに、愛して欲しいだけなの」
「……もういい。てめえは無間地獄決定だ」
そう言って、リトルが銃を変哲無さんに向けた。
咄嗟の行動だった。
僕は思わず、飛び出していた。
変哲無さんを抱え、僕はその射線上へと乗り出していた。
「え……?」
彼女のか細い声が聞こえる。
「悪いが、彼女は返してもらう」
「……どうやって?」
「……さあ」
沈黙が流れた。
「馬鹿ですか!? 何の勝算もないのに飛び込んでどうするんですか!!」
「うるさいな!! そんなの僕の勝手だろ!!」
僕は自分で自分を殴りたくなった。
金輪際、論理的な男を名乗るのは止めよう。
リトルの口が残忍に歪んだ。
それだけで、僕達は押し黙った。
「君、さいっこう♪」
リトルはトリガーに指をかける。
ああ、本当に最悪だ。どうせなら、もっと合理的な理由で死にたかった。
僕は思わず目を瞑る。
しかし、いつまで経っても発砲音は聞こえてこなかった。
代わりに聞こえたのは、あまりにも懐かしい声だった。
「何も言わずにいなくなるわ。人のこと勝手に忘れるわ。おまけに馬鹿丸出しな主人公よろしく、無意味に女の子庇ったりしやがって。お前の命は誰のもんだと思ってんだ?」
おそるおそる目を開ける。
そこにあるのは、銃身を掴む何者かの手。
その手の主を見て、僕は驚愕した。
そこにいたのは、トレンチコートに身を包むジョーさんだった。
「ウチの馬鹿を返してもらいに来た」
ぽかんとしているリトルから銃を奪い、ジョーさんは平然とした顔でそれをリトルに向けた。
「……最高」
ぼそりと、リトルは言った。
「最高最高最高最高最高~~~!!!! 来てくれた!! 来てくれたんだぁ!! アタシのために。アタシのためだけに。来てくれたんだあああ!!!」
「うるせえ奴だな。もう少し静かにできないのか? 耳が劈くんだよ」
そう言って、ジョーさんは鬱陶しそうに耳の中に指を入れた。
「アタシを見て!! もっともっとアタシを見て!! アタシ、ゴミクズなんかじゃないよ!! こんなにすごいことだってできるんだよ!!」
「まるでガキだな。認めてもらうためなら何をしてもいいと思ってる。そんなに認めてもらいたいなら、まず自分で自分を認めろよ。ま、お前には到底無理だろうけどな」
リトルは目を丸くしていた。
残忍さも、狡猾さもそこにはない。ただただ驚き、茫然としている子供のような彼女がそこにはいた。
「なに驚いてんだ? オレがお前に暖かい言葉をかけてやるとでも思ったか? 残念ながらそれは思い上がりだ。オレは作家だぜ? 自分のどうしようもない思想を他人に押し付けるエゴの塊。オレはお前を仕方なく捨てたんじゃない。オレ自身が、お前をいらないと判断して捨てたんだ」
「……なんでそんなこと言うの?」
ぼそりと、リトルは言った。
「アタシがこんなにあなたのこと考えてるのに!! なんでそんな風に言うの!? なんでアタシを認めてくれないの!? なんでなんでなんでなんで!!!!」
リトルが僕達を睨んだ時、僕はぞっとした。
その片方の目が、膨張したかのように飛び出し、ぎょろぎょろと蠢いている。
まずい! 呪いが暴走してる!!
「ジョーさん!! 早く逃げるぞ!!」
僕がゲートに駆け込もうとして、はたと止まる。
既にそのゲートは閉じてしまっていた。
万事休すだ。もはやこの世界から逃げられない。
「アハハハハ!! そういうわけだから、一生アタシと遊びましょ!!」
「お前馬鹿か?」
ジョーさんは静かに言った。
「あん?」
「ここはもう、黒海リトルの世界でも、ヒロインたちの世界でもねえ。小早川裕也が望む、誰も死なない世界だぜ?」
ジョーさんは僕に銃口を向けた。
「誰も死なない世界なら、ぶっ壊しても文句はねえだろ?」
「ちょ──」
銃弾は、何の躊躇もなく僕の額を撃ち抜いた。
目的のためなら何でも捨てる。それが作家で、それがジョーさんだ。
ああ、やはり僕は、ジョーさんのようにはなれそうにない。
しかしだからこそ、僕は彼女に、どうしようもなく焦がれるのだろう。
僕の意識が消えるのと、この世界が消えるのと。
どちらが先だったのかは、僕には分からなかった。
了
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