初春の薄紅

水木リー子

第1話

「出身地どこ?」

「熱海です。」


 人生の中で幾度も聞かれる出身地。「熱海です」のみで通じる便利さは、大学で地元を離れ、東京で就職して初めて分かった特権だった。名の通った有名市区出身の者にしか許されない、一種の恩恵。北本です、と言って分かる人間がどれほどいるだろうか。埼玉県だ。


 熱海市は静岡県最東端に位置し、神奈川県と隣接している。神奈川県だと思っている県外人も多いが、県内の人も「熱海は神奈川」と揶揄する程度には、静岡県からもハブられてる感を感じている。

 関東の奥座敷、江戸徳川の記録にも残る歴史的温泉地熱海。明治には政財界要人の保養地、大正期は文人墨客の別荘、昭和期は新婚旅行のメッカにバブル期の一大歓楽街…各時代に種々の隆盛を見せたが、バブルの終焉と共にその繁栄は見る影もなくなった。

 客足の途絶えた観光地。温泉や宿泊、飲食等のサービス業に携わる人々や施設は次々とこの地から去り、姿を変えた。倒産や売却の中での穏やかではない話、血生臭い話も聞こえてきた。1990年代初頭に始まった平成不況、失われた10年20年…その間の各施設の変容は様々だった。運営継続したホテル、売却し経営者が変わった老舗、倒産しマンションに建て替わった海沿いリゾート、取り壊された更地、手付かずのままの廃屋…とりどりの幕引き。私の実家は、人手に渡った。

 

 熱海の旅館の娘として生まれ、恵まれた生活をしていたと思う。旅館の中に自宅部屋があり、施設内のプールや庭園は遊び放題、大浴場は入り放題。旅館のお嬢様であった私の中学時代のお年玉は10万円を超えていただろう。

 ただ、お嬢様であったと同時に、戦力でもあった。地方くんだりの中規模商売屋に産まれた子の運命とでも言おうか。幼少時より細々とした手伝いを仕込まれ、中学生にもなると食事処や調理場、部屋掃除等のアルバイトに駆り出された。なかでも盆暮れ正月は、まさに書き入れ時。遊ぶ、休む、旅行するなどといった事は以ての外だった。


 何もしないでも客が来た時代は終わった。何とか騙し騙し続けてきた家業も、不況の煽りを受けて2000年代初頭、いよいよ手放した。

 当時、私は既に社会人で、家を出て東京で働いていた。旅館を継ぐ継がない云々は、元より言われていなかった。経営者であった父は、斜陽化して行くであろう熱海の行く末を案じ、負の遺産にしかならない旅館施設を娘に継いでもらいたいとは考えていないようだった。幸運にもリーマンショック以前に買い手がつき、数億の借金も返済、家族が今後も暮らして行ける算段も整え、20年以上を過ごした旅館を去った。

 

 売却して10年以上が経とうとしている。

 正月にやりたくて出来なかった事――除夜の鐘つき、カウントダウンイベント、元日着物で初詣、初日の出を見に海へ行く、初売りセール、寝正月、他――は、3年、4年と時をかけて叶えて行った。

 初めての寝正月は、あまりにも何もしない日々に落ち着かなかったが、ようやく落ち着いて食っちゃ寝する寝正月を過ごせる程には、普通の正月にも慣れてきた。

 初日の出を見に海へ行く事は続けている。元日夜明け前、薄暗くピンと張り詰めた空気の中を、厚く防寒して海へ―熱海サンビーチへと歩くのだ。

徒歩約20分、サンビーチへ到着すると、既に観光客や市民が、浜辺やデッキから仄白む水平線の彼方を見つめている。7時過ぎ頃、太陽と海が 「旦」の字の如くなる頃には、既に周りは陽の光に照らされて、新春にはしゃぐ子供や若者、拝むご年配の一様に晴れやかな面持ちが眩しい。

 今年もいい年でありますように――

 金色の来光に願いを込め、一つ大きく白い息を吐き、海を背中に帰途につく。

 往路は薄墨をまぶした様だった景色も、復路は朝の光に美しい。

糸川沿いの遊歩道、整備された石畳に並ぶ、寒々しい枝が伸びた桜並木。その先端を注意深く見上げながら歩く。

 あたみ桜と名付けられたこれらの桜は寒桜の一種。早咲きで一月下旬に開花するとはいえ、まだ裸の枝が目立つばかりだ。しかし目を凝らして各樹各枝を見ていくと、その先端に小さな蕾をいくつも付けた枝がある。うっすらとピンク色を覗かせている蕾がある。初春、迎春。新年を表す語句の如く、まさに春を迎えようとしているのだ。

 これじゃない、これももう少し…そうして、一本一本をしげしげと眺めて行く。

10メートルばかりの細い川幅が約400メートル続く糸川遊歩道。その左右に

50~60本の桜が植えられている。

青空を背負う枝の先に慎重に目をやり、ようやく一房、薄紅の花弁をほころばせた

一叢、半八重に開く一輪に出会う。


必ず一輪、正月に出会う桜花さくらばな。毎年違う樹、違う枝。

今年も出会えた。


 こうして私の新たな一年は幕を開ける。

仕事の憂さや人生の愚痴を抱えた年末までの澱んだ気持ちも、初日の出と桜という新年清らかな朝、迎春の祝福に掻き消え、何の問題が解決したワケでもないのに晴れやかな気持ちで新しい1年を始められるのだ。何と気分のいいことか。

 熱海の桜は馬鹿桜、季節違えて咲いている。

誰が言ったか、そんな言葉を耳にする。

いいじゃないか、馬鹿桜。梅の時頃に咲く桜。

元旦開花し春告げる、季節知らずの馬鹿桜。

たかだか1日、日の出と桜を見ただけで、今年もいい年だと思えるのだ。

まったく縁起が良く喜ばしい事ではないか。

年末に振り返れば、特にいい年ではなかったかもしれない。悩み停滞し、ロクでもない1年だったかもしれない。それでも。

次回もまたきっと、この二つ揃いを見て私は「今年もいい年だ」と思うのだろう。

 

 あたみ桜は明治4年頃、イタリア人によってもたらされたとされる。

多分その頃より、熱海のこの地において、変わらず栄枯盛衰を見届け、元旦その日には、希望を告げる一輪があったのではないだろうか、などと、想いを馳せてしまうのだ。

 近年熱海の客足は増えてきている。


 あ、この正月桜の話は、ここだけの観光情報ですよ☆

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初春の薄紅 水木リー子 @reeco_mzk

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