二足の草鞋を履いた岡っ引き

駅員3

二足の草鞋を履いたからこそ出来た御用

 『二足(二束)の草鞋(わらじ)を履く』という意味を正確にご存知だろうか?

 『二足の草鞋を履く』という慣用句は、江戸時代まで遡る。何故『二束の草鞋を履く』という慣用句が生まれたのかを知ることと、正しい用い方を知ることは、ほぼ同義だろう。


 江戸の町は、町奉行所や火付盗賊改方が警察機能を担っていた。半七捕り物帖や銭形平次など、岡っ引きを主人公とした物語は結構ある。いずれの物語も主人公は、『岡っ引き』、『目明し』、あるいは『御用聞き』とも呼ばれ(関西では『手先』、『口問』などとも呼ばれていた)、あたかも家業として役務を得ているかのように描かれている。

 しかし、岡っ引きは、正規に任命を受けたものではなく、同心などが利用した『非公認の犯罪捜査協力者』、あるいは同心の『私兵』という位置付けだったことを知る人は少ない。わずかに地方の領主によっては、岡っ引きを公認していたケースも見受けられる。


 岡っ引きは、江戸時代、武士である同心が犯罪捜査を行うには、裏社会に通じたものを手先に使わなければ困難であったことから、軽犯罪者の罪を見逃してやる代わりに手先として使ったことが始まりといわれている。

 博徒や的屋の親分が岡っ引きになることも多く、『博打打が岡っ引きとなって、博打打を取り締まる』という摩訶不思議なことが起こったところから、『二足の草鞋を履く』という言葉が生まれたのである。

 つまり『二束の草鞋を履く』とは、通常両立しえない仕事、あるいは相反する仕事を掛け持つことをさして使われる。したがって、「昼は学校で教師として働き、夜は塾で講師として働く」・・・これは同種、類似の業を兼ねることであり、『二足の草鞋を履く』とはいわない。


 岡っ引きの報酬は、非公認であったことから奉行所などから支払われることはなく、仕えている同心から小遣い銭程度しか得ていなかったため、銭形平次のように『岡っ引き専業』となるものはいなかった。

 食うためには『強請り』や『恐喝』まがいの行為をして、金を集めていた岡っ引きもいたことから、幕府はたびたび岡っ引きを使うことを禁じるが、実効は無かったようだ。

 よく時代劇で、お上から『十手を預かる』という下りが出てくるが、岡っ引きは常時十手を携帯していたわけではなく、奉行所が必要と認めたときに、その都度岡っ引きに貸し与えていた。


 話しは変わるが、江戸時代の犯罪捜査は、自白中心で「冤罪が多かったのではないか!?」と心配する方も多いことと思うが、冤罪が判明した場合の捜査担当者への処罰は非常に厳しいものがあったことから、実際は、非常に慎重に行われていたようだ。

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