エピローグ



「懐かしいなぁ。お祖母ちゃんち。相変わらずお線香臭いねぇ」


 のびのびしながら言う私に、お祖母ちゃんが苦笑する。


「数年ぶりに来たと思えば憎まれ口叩いて。茉莉は相変わらずだね」


 そう言って苦笑するお祖母ちゃんはここ数年で老けたと思う。ここに来たのは本当に久しぶりだ。

 中学校1年生の夏休み。忘れられない不思議な体験をした夏以来、お祖母ちゃんの家から遠ざかっていた。

 あんなに心配していた両親の離婚劇は、夏休みが終わる頃呆気なく終わった。

 仕事仕事の毎日で、帰ってこないお父さんにお母さんは寂しかったのだという。そして母さんが何も言わないから、父さんは“家族の為に”と昇進目指して毎晩御前様になったのだという。

 理由を聞いてみると馬鹿らしい離婚劇は、私がお祖母ちゃんの家に滞在している間に派手に大喧嘩になり、実際の原因をお互いが知ったのだというオチが付いた。

 だいたい、原因も話し合わないままに離婚を進めないでいただきたいものだ。

 そして親権をどちらが取るかでお互いに“自分の籍に”を主張し合い、泥沼化していたと聞いて気が抜けたのも確かだ。

 よく言えば穏やかな夫婦は、大事なことも穏やかに話し合わないお馬鹿さんだったということだと結論付ける。

 今は13歳も下の弟がいて、ちょっぴり恥ずかしかったりもするんだけど。


「相変わらずの田舎だねぇ。祖母ちゃん、何か必要なものある? 買い物行ってこようか?」

「……26歳にもなって、急に来たくせに、お菓子一つしか持ってこないあんたが信じられないよ」

「だって、必要なものが何かわかんないじゃん。聞いてからにしようと思って」


 お祖母ちゃんもいい年だろう。それなら私が代わりに買い物に行ってあげればいいかくらいの気持ちで来たわけなんだけど。


「大丈夫。この間、近所の人に買い物してきてもらったから」

「あ。そうなんだ」


 そう言いつつも、仏壇の前に座ってお鈴を鳴らすと、お祖父ちゃんの遺影に手を合わせる。


「それにしてもどうしたんだい? 急に来るなんて」

「うん。ご報告。何もしてない寄生虫だったけど、この度、絵本を出してもらうことになりまして―」


 えへへと笑うと、パカリと頭を叩かれた。


「それはまず先に言うことなんじゃないのかい? それにしてもまぁまぁまぁまぁ! おめでとう! あんた絵本作家が夢だったものねぇ」

「まだ一冊だけどね。秋になったら製本送るねぇ」

「あらまぁ。この町にも作家さんがふたりって勘定になるんだねぇ」


 しみじみという祖母ちゃんに眉を寄せた。


「作家がふたり?」

「うんうん。去年ね。小説家の先生が移り住んできたんだよ。それはまぁ綺麗な洋館を建ててねぇ。若いんだけど、なんだか賞を取った人だって」

「へぇ~? 若いのに、こんな田舎に移り住んだんだ。まぁ、作家さんなら自由だもんねー」

「お前もね……」

「何て名前の人? 賞を取っているなら有名人だよね? あまり小説は読まないけど」

「苗字は藤堂さんだよ。下の名前は何だったかしら……」


 思わず首を傾げるお祖母ちゃんを凝視した。……藤堂?


「藤堂……藤堂武俊さん?」

「ああ。そうそう。そんな名前。絵本と小説じゃ違う世界だろうけど、あの先生はそんな有名な人なのかい?」

「……えっと……有名っていうか」


 それは、あの不思議な夏、出会った彼の名前だ。一瞬の混乱の後、帽子を掴むと立ち上がって玄関に走る。


「え。ちょっと、茉莉!?」


 お祖母ちゃんの驚いたような声が聞こえてきたけれど、構わずにサンダルを履くと走り出す。

 祖母ちゃんの家庭菜園は今も健在だ。見てみると少し野菜が増えている気がするけど、それを視界に入れるだけですぐに記憶の中から抜け落ちる。

 郵便局兼雑貨屋は今も健在。ちょっと昔よりガタついているようだけど、そこを走り抜け、廃校後の畜産農家の前も走り抜ける。

 確か、この先に……。


 そして立ち止まったところに小路があるのを見つけた。

 雑草は生えているけど、間隔を置いて土に埋まっているのは間違いなく庭の石。それはあの日を鮮明に思い出せるきっかけだ。

 ゴクリと唾を飲み込むと、そこに足を踏み入れ、そしてしばらく歩くと目の前に青々とした芝生が目に入ってきた。

 木々の隙間から見えたのは白い壁の洋館風の建物。真新しいその建物は二階建て、木の階段を上がると玄関。凝ったレリーフが掘られたドアが見え、そのわきにはテラス、テラスから玄関まで雨雪を防ぐポーチ。

 見上げると二階にはいくつかの出窓。その一つが空いていて、ここが廃墟でない証拠に綺麗な白いカーテンがふわりと揺れていた。

 それはあの日の記憶のままにそこにあって、立ち尽くす。

 言葉にするとそれは衝撃だ、そして懐かしさ。思わず喘ぐように小さな声を上げ、それを見つめていると、背後に近づいてきた陰に気付くのが遅れた。


「君の明日は、1年後なんだな」


 聞こえてきた不機嫌そうな低い声に振り返る。

 身に着けているものはジーパンに白い清潔そうなワイシャツ。記憶の中にあるよりも少し前髪が長めだけれど、清潔そうでサラサラな髪。

 その間から見えるアーモンド型のクッキリと二重の目はどこか懐かしそうで、それでいて初めて見る人のようなよそよそしさ。すっきり通った鼻筋は記憶の通り男性的。とても“綺麗な”男の人。

 そして、やっぱり手にしていた黄色いゾウさんジョウロに視線が向かう。


「まだ、そのジョウロ使っているんだ」

「そりゃそうでしょう。君にとっては数年でも。僕にしたら1年しか経っていない」


 憮然と言われて思わず口元が歪む。


「藤堂さん?」

「藤堂以外の姓になったことは今のところないね。君は細川さん……だよね? 加瀬さんのうちのお孫さんは結婚したという話は聞いていないけど」


 落ち着いた静かな声が、耳に心地よく通る。


「……そっかぁ。藤堂さん、27歳になるんだぁ。お嫁さん貰った?」

「……君は、やぱっり少し言葉を選んだ方がいいと僕は思うんだが。どうせ僕はまだ未婚だよ。こんなところに嫁に来てくれる女性はなかなかいないからね」


 そう言って彼はとても優しく微笑んだ。


 あの夏の日と同じように───……









2016/11/12


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ここにはない明日。 桜月雛 @gatos2016

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