白帯大将わるあがき

古月

白帯大将わるあがき

 どうしたんだみんな、そんな暗い顔をして。

 まるでもう試合が終わったみたいな顔じゃないか。


 戻って来た副将が悔しそうな顔で僕の隣に正座する。そりゃあ悔しいだろうさ。まさかの先鋒引き分け、そこから相手の次鋒にここまで勝ち抜かれるとは思いもしていなかったわけで。


 時は七月、場所はマリンメッセ福岡。全高校生柔道部に開かれた全国大会、その名も「金鷲旗きんしゅうき」。

 もとより僕たちは弱小高校柔道部、この大会は記念参加のようなものだった。第一戦はなんとか作戦通りに勝てたが、早くも第二戦でこの有様だ。


 残るは僕一人。背中に喝を入れてくれる仲間はいない。ここからは僕一人の戦いだ。

 白帯の端をぎゅっと握り締め、結び目を固く。そうだ、僕は白帯だ。この大会に於いて、僕はお飾りの大将だ。僕の出番はない。あるとすれば、それは敗北が決した時だ。


 わかっている。相手はこちらの次鋒から副将までを戦い抜いた強敵なんだ。階級別なら重量級に出場するであろう体格。対するこちらは超軽量級で白帯だ。

 相手方の選手席をちらりと見る。なんだよ、もう試合は終わったってのか?


 ダンッ、ダンッ!


 畳を踏みつけ、自分で自分に喝を入れる。左足から試合場に入る。相手はゼイゼイと荒い息を吐きながらこちらを見た。一瞬でカタをつけてやる、そう言っているような目つきだ。

 お互いに礼。そして一歩前に出る。


「始めッ!」

「らぁぁぁぁぁ!」

「しゃぁぁぁっ!」


 僕だって気合声だけは一丁前だ。さあ、やるぞ。これが負け戦だなんて百も承知、だけれどこれはたった一度巡って来た僕の出番なんだ。全身全霊、余すところなくぶつかってやる!


 組み手を掴む。そこからはノンストップだ。右へ左へ、とにかく体重をかけて振り回す。相手は三連戦、しかも先の副将戦では優勢勝ち、つまり時間いっぱいを戦い通した直後だ。加えてその体格は重量級。足腰の疲労はもう限界点に来ているに違いない。

 この僕に勝機があるとするならば、そこしかない!


「ぅらぁっ!」


 体落とし、かかるべくもない。まるで巨木に技を仕掛けているような感覚だ。でもこれでいい。続いて小内刈り。ちょっとよろけた。そら見ろ、やっぱり疲れている!


 僕は動いた。とにかく動きまくった。温存していた体力と、小柄ゆえの敏捷性で以て相手をとにかく引き回す。押して引いて左右に振って。決まらなくとも技を仕掛け、反撃の隙を許さない。もっと相手を疲れさせろ。黒帯の強敵に白帯が挑もうというのだ。勝機はこの手で作り出せ!


「テメェー! 何やってんだ、白帯なんかさっさと潰せ!」


 相手方の監督が叫んでいるのが聞こえた。こっちはひょろい白帯、当然十秒と経たずに決着するものと信じて疑わなかっただろう。それが意外に粘るので思わず怒髪天を衝いたのだ。

 責めてやらないでよ監督。あんたの次鋒は連戦を勝ち抜いたんだからさ。でも――白帯の底力も見せてやらないとな!


 もう一度小内刈りで右足を払う。よろけた相手はぐっと踏ん張り体を後ろに仰け反らせた。

 ――今だッ!

 すかさず右足を踏み込み、左足をその外側に差し込む。体当たりする勢いで右足で大きく畳に半円を描く。浮き上がっていた相手の左足をさらりと掬って刈り払う。


「シャァァァァァァァァッ!」


 ズダァン! 相手の巨体が真後ろに倒れ、こちらもそれに覆い被さるように倒れ込む。

 やったぞ、やった! 完璧だ、決まったぞ大内刈り! これは間違いなくいっぽ――


「有効!」


 ――!?

 そんなまさか。今のが一本じゃないだって? 見ろよ相手の顔を! しまったやられたと、あの表情は言っているじゃないか。それなのに、一本じゃないだって?


 落ち着け。落ち着くんだ。試合に於いて審判の判定は絶対だ。ここで不服を申し立てても仕方がないし、うっかり寝技に持ち込まれれば絶対に勝てない。さっと飛びのき、距離を取る。審判が「待て」を宣言して仕切り直しだ。


「始めッ!」

「せやぁぁぁぁぁ!」


 もっと速く、もっと激しく。先ほど以上に気合を入れて前後左右に動き回る。疲れ果てた相手の動きは実に緩慢、技を仕掛けようとしても、僕が先に動く。

 本来ならば残り時間を寄らず組まず逃げ回るのが得策だ。それで反則を喰らってでも優勢勝ちを狙うのが常の策だ。

 でも、僕は逃げない。逃げて勝つなんてしたくない! いざ、勝負ッ!


 ちらり、視線の先に味方の顔が映る。さっきまでの暗い顔はどこへやら、畳を叩き、声を張り上げ、いいぞいいぞと叫んでいる。

 まったく、都合のいいことだ。日頃はさんざん僕を「弱小」だの「非力」だのと見下していたくせに。それでお飾り大将に据えたんじゃないか。――いいさ、やってやろうじゃないか。


 時計を見る。残り三十秒! 僕は動き続ける。もう止まらない。とにかく動き、技を仕掛ける。だけど、あぁ畜生、こっちも疲れが出てきたぞ。


 その瞬間、巨体が僕の体をがっしりと掴む。しまった――と思った時にはもう遅い。遮二無二仕掛けられた大外刈り。僕は必死になって体を捻った。畳に伏せれば倒されても技は無効だ。この釣り手から逃れさえすれば――!


 ドォン!


 畳が揺れる。

 僕の目の前で金色に輝く鳥が舞った。

 いや違う、あれは体育館の天井に据え付けられた水銀灯の光だ。十字の光芒が鳥の姿に見えただけだ。

 僕は今、仰向けになって畳に転がっている。


「一本ッ!」


 審判の宣言。相手方から湧き上がる歓声。僕は首を捻って時計を見た。デジタル時計の表示は残り二秒を示して止まっていた。


 残り二秒。

 たった、二秒。


 油断した。完全に油断した。残り数秒のあの瞬間で、まさかの一発逆転を喰らうだなんて。相手の組み付きは力強く、逃れようとした僕の体は畳に対してやや斜めに接触しているだけだ。


 よしっ、と呟く声が間近で聞こえて、僕の体に圧し掛かっていた重みが消える。僕はふぅと息を吐き、目蓋をこすり、そして立ち上がった。


 無様な姿は見せるなよ。試合場を降りるまで、試合はまだ続いているんだからな。


(了)

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白帯大将わるあがき 古月 @Kogetsu

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