第4話「はんど・いん・はんど」
お話があります。本日午後五時、下記の場所でお待ちしております。
白薔薇騎士団一同
――午後4時50分になった。夕日に赤く染まりつつある町中を、当てもなくぶらついていた僕は、手紙……招待状で指定されている場所へと足を向ける。
招待状にはパソコンで作ったのだろう、時風高校から指定場所までの地図が添えられていた。場所はすぐに思い当たり、迷う心配もなかったのだけれど……僕は足を止め、高さ三メートルほどの仮囲いを見上げる。均等に並んだ、ステンレス製の壁。
工事現場……といっても、作業は停滞。僕が小学生の頃は業務用スーパーがあって、お母さんとよく買い物に行ったのだけれど……唐突に閉店。それから建物の取り壊しが始まって、次に何ができるのかと思ったら、何もできないまま現在に至る。
でも、地図だとここなんだよなぁ……僕はちらりと、顔を横に向けた。仮囲いの前、歩道に大きな脚立が置かれている。余りに不自然なので、極力見ないようにしていたのだけれど……これって、きっと、上れって、ことだよね?
周囲を見渡すと、人影はない。僕はスマホで時間を確認。58分。僕は鞄を脚立の脇に置いて、真新しい脚立を上っていく。程なく仮囲いの上に頭が出て、向こう側を見下ろ……した瞬間、僕は急に頭を引っ込めてしまい、危うく脚立から落ちてしまうところだった。……危ない、危ない。でも、無理もなかった。
いる。それも、一人や二人ではない。大勢、いる。僕は深呼吸を一つ、改めて仮囲いの上に頭を出した。全員、こっちを見ている……ええい、ままよ。僕はさらに脚立を上り、仮囲いの向こう側……新たな脚立に身を移すと、一歩一歩、下りていく。その一挙手一投足が注目され……汗が吹き出し、シャツが濡れる。
地面に足が届き、ほっと一息。だが、安心するのは早かった。僕は待ち受ける人影に向かって歩いていく。横一列にずらっと……僕は顔を向けないように、目だけを動かして、その人数を数えた。きっかり、12人。まさか、本当に一同だなんて。
「香川伸幸君ですね?」
おもむろに、一人の男性が話しかけてきた。グレーのスーツを着こなし、髪型はオールバック。年齢は30代後半から40代前半、身長は180センチぐらい……だろうか。にこやかな笑顔が印象的で、僕が肯くと、その笑顔はより大きくなった。
男性は左腕をすっと持ち上げ、腕時計に目を落とす。
「1分の遅刻……ですが、無断欠席を思えば、来てくれただけ良しとしましょう」
「あなたは……」
「ランディです」
僕の問いに、男性は平然と答えた。その名を聞いて、僕は本当に白薔薇騎士団なんだと実感。それにしても……僕はランディの両脇に並んでいる面々を見渡した。
ランディと同じくスーツ姿の人もいれば、パーカーにジーンズと私服の人もいる。背が高い人に低い人、太っている人に痩せている人、年齢も……白髪が目立つ人から、学生っぽい人までと様々。共通しているのは、男性という性別だけ。
中でも目を惹くのは……スキンヘッドの大男だった。まるでガルディンのような……と言いたくなるほど、大きい。半袖の白いTシャツはぴちぴちで、筋肉の形がはっきりと浮き出ていた。……プロレスラー? それとも、ボディビルダーだろうか? いずれにしても、FFプレイヤーだとは思えないのだけれど……。
「驚いたでしょう? 本当は私一人、団員を代表してお話をする予定だったのですが……皆、君のことを一目でいいから見てみたいと言って聞かなくて」
……確かにそうなのだろう。さっきからずっと、団員達の視線を痛いぐらいに感じているところだ。しかも、それは決して友好的なものではなく……FFで言えば敵視、モンスターの攻撃対象になっている状態で、戦闘開始となれば寄って集って……いつぞやのエドを思い出し、僕は身震いする。
「安心してください。皆、君に危害を加えるつもりは……いや、実際はそのつもりだったところを、私がなんとか収めたといいますか……いや、こっちの話です」
……それで何を安心しろと言うのだろう? ランディは「こほん」と咳払い。
「ともあれ、君に来て貰ったのは他でもない、これからのお話するためです」
「これから、ですか?」
「私達は君に裏切られました」
……その言葉は余りにも強く、僕はただ、それを繰り返すことしできなかった。
「裏切られたって――」
「白薔薇の姫騎士が男性だった……これ以上の裏切りが、他にあるでしょうか?」
僕は口をつぐんだものの、反論したい気持ちは強かった。僕は別に自分が……リアルが女性だと言ったことはない。男性だと言ったこともないけれど……そんな僕の思いを見透かしたかのように、ランディは先を続けた。
「私達が勘違いしただけ……そう思っているかもしれませんが、君はその勘違いを正そうとすることはなく、利用していました。それだけでなく、私達を騙そうとした発言がいくつも記録されています。最近も、君はリアルのご友人と約束があるとした上で、『女同士の大切なお話がありまして。殿方にはご遠慮頂きたいのです』と発言してします。これは、自分は女性だと言っているようなものではありませんか?」
……確かにその通りで、あの時は一人で行動したい一心で、僕はそう言ってしまったのである。でも、そんな発言まで記録されているなんて……いや、それはきっと氷山の一角だろう。ランディもこう言ったばかりではないか……いくつも、と。
「姫様……アンジェにはずっと疑惑が付きまとっていたのですよ。男か、女か。それを見極めるためには、その立ち振る舞いと、何より発言の分析が不可欠。アンジェは普段から多くを語ることがなかった。それもボロを出さないためでしょうが、だからこそ、その数少ない発言は全て記録され、徹底的に議論されてきたのです。そして、アンジェが女性であろうとしていたことは明白でした。しかし、どんなに議論を重ねたところで、真実に手が届くことはありません。我々にできることは、信じることだけ。アンジェを男だと主張するものもいましたが、我々は……白薔薇騎士団はアンジェを信じていたのです。敬愛する姫様が人を騙すようなことをするはずがないと。嘘もつけない、真っ直ぐで、純粋で、汚れなのない白薔薇のような存在……だからこそ、我々は心酔したのですから。……それなのに、現実は残酷でした。本当に」
ランディは笑顔を消し、天を仰いだ。他の団員達も思うところがあったのか、僕ではない誰かに目を向けて、思いを馳せているかのよう。……彼らは心の底から信じていたのだろう、そして、その原因を作ったのは……僕だ。
僕はフレンドから告白されたことをきっかけに、FFではアンジェとして生きることを決めた。それで何と思われても構わないとも……そう、だからこそ、女性だと思われてしまっても自業自得、因果応報……なのかもしれない。それならば、僕は。
――ごめんなさい。そう言って、頭を下げるべきなのだろう。でも、それができない自分がいた。僕がその理由を考える間もなく、ランディは僕に顔を向けた。
「……ただ、それは過ぎたことです。騙される方が悪いと、よく言うではありませんか? 不本意ながら、それは真理です。私達は君にまんまと騙されました。それでも、我々はまだ幸運だったと思いますよ? 騙されていたことに気付き、何よりその元凶である君とこうして会うことができたのですから」
僕を見据えるランディ。……怖い。口調や物腰が穏やかなので実感はなかったけれど、目の前にいる男性は、アンジェに暴言の数々を送った人間の一人なのだ。このネカマ野郎が……メッセージの内容はこれ以上思い出したくもないけれど、その大半がランディによって送られてきたことは、忘れようもない。
「僕を……その、どうするつもりですか?」
「どうもしませんよ。行動すべきなのは、私達ではなく君なのですから」
「僕?」
「私達は君に
「しょく? ……謝罪、ではなく?」
「贖罪……犯した罪を償うことです。謝罪して頂いても結構ですが、私達は君が謝罪できるような人間だとは思っていません。謝罪できる人間が、私達を騙すような真似をするでしょうか? それに、これは謝罪して済むような問題でもありません。私は大人ですから、こうして丁寧にお話させて頂いていますが……
大人の対応……そう聞いて、僕が思いついたことは一つだった。
「……お金、ですか?」
「そうです。ですが、早合点しないでください。私達も今の君の経済力には期待していません。それに、例えば君を人質に……なんて、リスクが高いことも考えてはいません。もっとも、君は極めて経済力の高い、やんごとなき方と関わりがあるようですが……触らぬ神に祟りなし、です」
やんごとなき方って……まさか、金剛寺先輩のことだろうか? 僕だけでなく、金剛寺先輩のことまで……心がざわつく。僕は胸に手を当て、歯を食い縛った。
「……おや、具合でも悪いのですか? しっかりしてくださいよ、肝心なのはここからなんですから。とはいえ、私達は今の君にどうこうして貰いたいわけではありません。私達が円滑な贖罪を期待しているのは、将来の君です」
円滑? 期待? 将来? ……何を言おうとしているのか、さっぱり分からない。
「時風高校は進学校ですから、卒業後の進路は当然、大学でしょう。国立か私立か……ともあれ、それなりの大学に入ることが期待できます。そして、大学卒業後の就職先ですが、これもそれなりの企業になるだろうというのが、私の見立てです。君が晴れて就職したら、贖罪がスタートします。君には毎月、指定の口座に入金をして頂くことになります。それを私が責任を持って、皆に分配します。最初は一人当たり千円……月一万二千円の出費ぐらい、訳が無いでしょう? もちろん、金額は君の稼ぎ具合で調節させて頂きます。勤め先が大企業なら相応に増額しますし、フリーターにでもなるようなら……いや、それでも月一万二千円は最低ラインだと――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「どうしましたか?」
平然と切り返され、僕は言葉を失った。どうしたもこうしたも……いや、言っていることは分かるのだけれど、突拍子もない話というか、気の長い話というか……僕はどこから突っ込めばいいのかと迷った末、素朴な疑問を口にする。
「それって、いつまで――」
「ずっとですよ。厳密に言えば、団員達が全員亡くなるまでですね。私を含め、団員達は全員君より年上で、先にこの世を去ることになるでしょうから、それまでです。もし君が先に亡くなった場合は……仕方がありません、無い袖は振れませんから」
……それが冗談なのか、本気なのか、僕には判断することができなかった。ランディの要求が……例えば、今すぐ百万円を用意しろというものだったら、そんなの無理だとすぐに反発できるし、僕を人質に身代金を……とでもなれば、警察の出番である。それなのに、実際の要求には妙な現実的があり……気味が悪かった。
「これは君にとっても悪い話ではありません。私達は当然、君を恨んでいますし、憎んでもいます。憤りだってありますから、それを君にぶつけたいとも思います。ただ、覚悟の上とはいえ、その先に待つ未来は明るいものではありません。何より、それでは君に贖罪の機会を与えることができません。……私達はね、君が謝罪こそできないものの、自分の犯した過ち……私達を欺いたという事実を前にして、良心が痛まないような人間ではないと、そう思っているのですが……いかがですか?」
「それは……」
良心が痛むかはともかく、僕が勘違いされるような言動をしていたのは事実だし、その結果……姫として、女性として、僕が団員達からちやほやされていたのも事実だ。それで……いい気になっていなかったといえば、嘘になるだろう。
――それでも。僕にはどうしても、それが悪いことだとは思えなかった。それは、僕が楽しんでいたのと同様……いや、それ以上に、団員達も楽しんでいたと思うから。……でも、団員達が楽しんでいたのは、僕が女性だという前提があったからだとすると……いや、それは何か違うのではないかと、思わずにはいられなかった。
この何とも言えないもやもやが、僕が頭を下げることを妨げているに違いない。形だけでも謝罪すれば、何か変わるのだろうか? それとも、見抜かれてしまうのだろうか? ……僕はそれを試す気にはなれず黙り込むことしかできなかった。
「言わずとも分かります。だからこそ、私達はこれを用意したのです」
僕の沈黙を肯定と捉えたらしいランディは、足下に置かれていたビジネスバッグを取り上げると、チャックを開き、中から一枚の用紙とバインダーを取り出した。
「これは契約書です」
ランディは僕の前に歩み寄ると、契約書をバインダーにはさみ、差し出した。僕は細かい文字がびっしりと並んでいるそれを手に取ることなく、ランディを見上げる。
「契約って……」
「もちろん、贖罪の契約です。口約束は当てになりませんからね」
ランディはさらに一歩、足を踏み出し、僕の腕に向かって手を伸ばした。僕は反射的に身を引いて、ランディの手から逃れる。ランディは舌打し、僕を睨んだ。
「……この後に及んで契約できないなんて、言わせませんよ? これは贖罪の契約書であると同時に、君の身の安全を保証するものでもあるのですから」
「身の安全……」
「言ったはずです。私達は君に憤りをぶつけたいと思っている、と。贖罪はその代案に過ぎません。契約がなされなかったら、それを実行に移すまでです。何のためにこんな場所に呼び出したと思ってるんですか? ……そう怯えることはありません。契約すればいいのですから。ただ、その場しのぎの契約はお勧めしません。というのも、君が私達から逃げることができないからです。電話番号を変えようが、住所を変えようが、私達は必ず君を見つけ出します。そして、見つけ出してどうするか……それは、あえて言わないでおきましょう。ただ一つ、それをただの暴力だと考えるのは甘い、とだけ言っておきましょうか。それより酷いことになることは間違いありませんから。例えば、君が成功を手にしようとした瞬間、それが台無しになる……嘘だと思いますか? はったりだとでも? そう思うなら、どうぞ、ご自由に。ただ、私達は……職種こそ違いますが、全員がプロフェッショナルです。それが12人、一致団結したらどれだけのことが成せるか……よくよく、考えてみることです」
僕は白薔薇騎士団の面々を見渡した。……サラリーマン? プロレスラー? 弁護士? 漫画家? 料理人? トラック運転手? サッカー選手? フリーター? プログラマー? 大工? 医者? 漁師? ……見た目だけでは分からないけれど……大の大人が十二人も力を合わせたら……不可能なことなんてないのではなかろうか? 月並みだけど、子供の僕には……そう考えることしかできなかった。
「……ご理解頂けたようですね。では、ここに必要事項を記入して下さい。ボールペンもどうぞ。契約内容にも目を通してくださいね。書き終わったら言って下さい、
僕はバインダーとボールペンを手にしたまま、立ち尽くしていた。本気だったのか……僕はこのまま、契約とやらをしてしまうのだろうか? ……してしまうのだろうなと、僕は思う。それ以外に道は無い。僕はいずれ高校を卒業して、大学に入って、大学を卒業して、就職したら、白薔薇騎士団の月額使用料を負担する……まるで夢みたいな話だ。僕は白薔薇騎士団がずっと続けばいいと思っていたけれど、決してこんな形を望んでいたわけではない。こんな状況なんて、とても……。
「納得できねぇな」
……そう、納得できるはずが……って、あれ? 僕は契約書から顔を上げた。僕の想いをぶっきらぼうな口調で代弁してくれたのは……スキンヘッドの大男だった。
「あんなガキがアンジェだなんて……」
太い指先が僕に向けられる。すると、ランディが声を上げた。
「何を言い出すんだ、ウィルソン!」
ウィルソン!? あれが? え? 本当に? 眼鏡は? 僕の頭にいくつもの疑問が渦巻く中、ランディは大男……ウィルソン? に向かって、言葉を続ける。
「ここは全て私に任すと――」
「会議ではな。だが実物を前にして、俺達の決意は固まった」
「……決意?」
「知れたこと。素より、俺達はそのつもりでここに集まったんだからな」
「なっ……」
「ランディ、お前はいつだって正しかった。お前の言う通りにするのが一番だと、俺達も分かっている。だが、正しさだけは割り切れないものがこの世にはあるんだ。もちろん、迷いもある。だから、判断は保留していた……が、お前があのうどん野郎と話をしている間、俺達はアプリで採決した。その結果は……
ウィルソンはズボンの尻ポケットからスマホを取り出すと、天高く掲げた。その両脇に並ぶ白薔薇騎士団の面々も、一斉に続く。夕日を浴びた11個のスマホは、まるで聖剣のように輝いてた。ランディは首を振りながら、声を張り上げる。
「皆の気持ちは痛いぐらいによく分かる。私だって……それに、事実が露見してからまだ三日だ。無理もないだろう。だが、その怒りはやがて冷めていく。人間はそのようにできているからだ。怒りを持続させることは、ストレス以外の何物でもない。だが、それ以上に恐ろしいのは、怒りが風化してしまうこと……だからこその契約。契約は永遠に持続する。そして、私達に利益をもたらすんだ。それがささやかでも、持続することが大切……それは、資料も送って念入りに――」
「そう、資料だ」
ウィルソンはスマホを尻ポケットにしまうと、再び僕を指さした。
「あのうどん野郎は、美人で金持ちの先輩と付き合ってるらしいじゃねぇか?」
……はい? 呆然とする僕。美人で金持ちの先輩と言ったら……もちろん、金剛寺先輩だろうけど、付き合ってるって? 師弟関係ではあるけれど……。
「ネカマをやるぐらいだ、どうせリアルは冴えない野郎だと思っていた。それは予想通りだったが、それ故に、その資料に書かれた事実が俺達を苦しめる。なぜなら、俺達もリアルでは冴えないからだ。だからこそ、俺達はFFに……オンゲーの世界に居場所を求め、理想の女性……アンジェと出会った。アンジェと比べたら、リアルの女……男をATMとしか考えない奴等なんて……だが、アンジェは男だった。しかも、彼女がいるなんて羨ま……納得できるかっ! 俺達だって、高校時代に彼女がいれば……じゃなかった、とにかく、あいつは俺達の居場所に押しかけ、純情な男心を弄んだ……そうだ、お前のことだよ、このうどん野郎がっ! 俺達がアンジェと過ごすために、どれだけのものを犠牲にしてきたか……お前には分かるまいっ!」
「ウィルソンの言う通りだっ! 俺の生き甲斐をどうしてくれるっ!」
「私の睡眠時間、そして月額使用料も、ぜひ返して欲しいものだなっ!」
「ここに来るための飛行機代だって、馬鹿にならんのだぞ!」
「他にやりたいことだって、いっぱいあったのに……」
「俺なんてな、白薔薇騎士団の活動を優先するために、彼女と別れたんだぞ!」
「僕は仕事を辞めました! あ、今はフリーターです!」
「中学生の娘が口を聞いてくれなくなったぞ! もちろん、妻もだ!」
「僕が定例会に出ている間、女房が部下と不倫していたなんて……」
「アンジェとエタコンするのが、老後の夢だったんだが……」
「十キロも太ったし、腰痛は酷いし、抜け毛も多くて……」
『全部、お前のせいだ!』
――不穏な空気。白薔薇騎士団の怒りを一身に受け、僕はたじたじになった。ランディはそんな僕と団員の間に立って、必死にその場を収めようとしている。
「落ち着け! 前科者の社会復帰は簡単じゃないんだぞ?」
「……俺達はすでにリアルのはみ出し者だ。これ以上、この世界に未練はない」
「し、しかし……」
「どうしてもというなら、ランディ、お前の言う贖罪の内容を見直せ。月々千円ぽっち、しかも7年先なんて待ってられるか!」
「……ここが落としどころなんだ。もっともらしいことを並べて、これならいい、仕方がない……そういう気にさせて契約させるのが趣旨なんだから。これ以上は――」
「あいつの彼女は金持ちなんだろ? そっちから――」
「馬鹿っ! 金剛寺家はヤバいんだぞ? 調べれば調べるほどヤバいというか……もし、あいつが彼女に泣きついたりでもしたら……私達は、とんでもないことに――」
「それをどうにかするのがお前の役目だろうがっ!」
「無茶を言うなって! 大体お前は……」
――言い争うランディとウィルソン。その内容は、僕に全て筒抜けだった。
確かに、金剛寺先輩なら相談に乗ってくれるだろうと思う。でも、そんなことできるはずもなかった。僕は師匠であり、男なんだから。自分で蒔いた種は、自分で刈り取らないといけない。それだけは、絶対に譲れないことだった。だから……。
「契約します」
僕はそう宣言し、ボールペンを契約書に走らせる。言い争いは途絶え、ボールペンが紙の上を滑る音だけが、やけに大きく僕の耳に響いた。契約書を書き終えた僕は、バインダーをくるりと
「確認をお願いします。あ、拇印がいるんでしたっけ?」
「え、ええ、ちょっとお待ち下さい……って、その、いいんですか?」
「はい。その代わり、この件に金剛寺先輩を巻き込まないでください」
「は、はい、それはもう、願ったり叶ったり――」
「なるほど、大した心がけだ」
ランディの言葉を遮ったウィルソンは、その手からバインダーを奪い取ると、僕が書いたばかりの契約書を抜き取り、
「……だが、俺はそういうのが一番むかつくんだよっ! このリア充がっ!」
ウィルソンは手にしたバインダーを地面に向かって投げつけ、背中を見せて歩き去って行く。その到着を待ち受けるのは、巨大なボストンバッグ。ウィルソンはその前で足を止めてしゃがみ、がさごそと取り出したのは……金属バットだった。
立ち上がって素振りを始めるウィルソンに、ランディは躊躇いがちに声をかける。
「ウィ、ウィルソン? 何を――」
「お前は、俺達から、大切なものを、奪っておきながら、自分の、大切なものを、守ろうと、している! そんなのさ、不公平だろう? だから……さっ!」
ブンッ! ……5メートルは離れているのに、素振りの音がはっきりと聞こえた。ウィルソンは金属バットの先端を僕に向ける。まるで、ホームラン予告みたいに。
「……平等にしてやるよ。その金剛寺って女、俺がめちゃくちゃにしてやる」
「ふざけるなっ!」
――何よりも先に、言葉が出ていた。次に出たのは足。僕は一歩一歩、ウィルソンに近づいていく。「おい、危ないぞ!」……ランディの声が、遠くから聞こえた。
「……僕はどうなってもいい。でも、金剛寺先輩に手を出すなっ!」
「ふん、姫を守る騎士ってか? 似合わねぇんだよっ!」
……そうだ。金剛寺先輩は美人で、優しくて、笑顔が素敵な……僕の姫だっ!
ウィルソンは肩幅より広めに足を開いて立ち、膝を軽く曲げ、金属バットを引いて構えていた。そこに前傾姿勢で近づく僕の頭は、絶好のターゲットだっただろう。
「まずはお前からだ、このうどん野郎っ!」
――ドゴッ。それは勢いよくウィルソンの顔面に直撃。赤、茶、緑、黄……カラフルな肉片を飛び散らせ、その一部が僕の顔にもぴしゃりとかかった。ウィルソンはよろめきながら、顔面に張り付いた包み紙を投げ捨てる。僕は地面に散乱するパンズ、レタス、ハンバーグを見て確信する。……間違いない、金剛寺バーガーだ。
「……っく、だ、誰だっ? 人の顔にこんな――」
「私だっ!」
僕は振り向いて顔を上げた。ブレザー姿の女の子が、仮囲いの上で仁王立ちしている。その腕には……金剛寺バーガーが入っていたのだろう、大きな紙袋を抱えている。逆光で顔こそ見えなかったけれど……よく通る高い声は、紛れもなかった。
「金剛寺先輩……」
金剛寺先輩はスカートの前を押さえ、仮囲いから飛び降りると、平然とこちらに向かって歩き出した。僕の背後で「あれが?」「マジかよ!」「美しい……」と、団員達のどよめきが起こる。やがて、金剛寺先輩は僕の目の前で立ち止まった。
「すまない、遅くなった」
「どうして……」
「詳しい話は後だ。まずはこいつらを片付けよう」
そう言って、金剛寺先輩は僕の後ろに目を向けた。振り返ると、ソースまみれの顔を鬼のような形相にしたウィルソンが、金剛寺先輩を睨み付けている。
「お前がうどん野郎の姫ってわけかい。食べ物を粗末にしちゃいけねぇなぁ」
ウィルソンは鼻の頭に付いたソース指ですくい取り、指ごとしゃぶった。
「同感だが、師匠の命とは比べくもない」
「ししょう? ……まぁいい、お前がいれば、話は早い。なぁ、ランディ!」
「えっ? あっと、その、えーっと……」
急に話を振られたランディは、しどろもどろ。舌打ちをするウィルソン。そんな二人を
「話なら一つだ。一刻も早く、私の街から出て行け」
「……何だ、その言い草は? 俺達は被害者なんだぞ?」
ウィルソンは金剛寺先輩に顔を向け、胸を張ってみせる。
「被害者だと?」
「そうとも。俺達はな、そこのうどん野郎に騙さ――」
「お前達の思い違いだろう?」
「いや、違う。そいつはな、自分が女だと――」
「それはそうだ、アンジェは女性だからな」
金剛寺先輩が断言した瞬間、僕のもやもやは吹き飛んだ。……そう、その通りである。だからこそ、僕はそう振る舞っていたのだ。それは一種のロールプレイなのだが……ただの演技だと言い切れるものではない、ありのままの姿。だが、それはウィルソンには伝わらなかったようで……しきりに、首を傾げていた。
「……何を言ってるんだ? お前、リアルとゲームの区別がついていないのか?」
「それはお前達の方だ。師匠はリアル、アンジェはゲームの存在で、両者は同じであって同じではない。それなのに、お前達はアンジェとリアルを結びつけただけでなく、それ以上のものを求めた……これは、お前達の身勝手以外の何物でもない」
「……随分と言ってくれるじゃねぇか。事情もよく知っているようだが、そのうどん野郎から聞いたのか? それとも……お前もFFプレイヤーなのか?」
「私がその問いに答える義務はない。だがな、師匠に会って感激するどころか、騙されたとほざくお前達に、白薔薇騎士団を名乗る資格はない」
「偉そうに……お前、自分の状況が分かっていないようだな?」
「状況だと?」
「多勢に無勢って奴だ」
「群れねば何もできぬ者達に、後れを取る私ではない」
「大口を叩きやがって……女の癖によ」
「卑しくも騎士を名乗る者が女性蔑視とは……見下げ果てたぞ」
「うるせぇ! ……お前ら、このお姫様に、白薔薇騎士団の力を見せてやろうぜ!」
振り返り、声を張り上げるウィルソン。だが、団員達は毒気が抜かれたようにぼんやりと立ち尽くしていた。「お前らっ!」ウィルソンが手にしたバットで地面を叩くと、団員達は我に返ったように「お、おうっ!」と応じ、ボストンバッグに群がる。各々が金属バットを手に、再び横一列に並んだのを見て、金剛寺先輩は一言。
「丸腰で来ないだけ、まだ知性があると見える」
金剛寺先輩は僕を振り返ると、手にした紙袋を差し出した。
「師匠、これを少し預かっていてくれないか?」
「金剛寺先輩……」
僕が紙袋を受け取ると、金剛寺先輩は制服から白いハンカチを取り出し、それを僕の顔に当てて優しく拭い始めた。僕はどぎまぎしながらも、なすがままに任せる。
「……これでよし。すまない、ソースが飛び散ることまで気が回らなかった」
「そんなこと……」
「そうだ、これも預かって欲しい」
金剛寺先輩は白い手袋を外し、僕に差し出す。僕がそれを受け取った途端、金剛寺先輩ぱっと手を引っ込めて、後ろを向いた。僕は手にした手袋をじっと見詰める。
「後は私に任せろ」
「でも……」
「大丈夫だ。私を信じて、下がっていてくれ」
金剛寺先輩から信じてくれと言われた以上、僕にできることはただ一つ。託された紙袋と手袋を預かることだけだ。僕は数歩後退し、金剛寺先輩を見守る。
金剛寺先輩は右足を引いて腰を落とすと、右手の拳を腰に当て、左手を上げた。金属バットを構え、にやりと笑うウィルソン。金剛寺先輩を包囲すべく、じりじりと距離を詰めていく白薔薇騎士団。離れた場所で一人、右往左往するランディ。
――ウィルソンが動いた。その巨体からは想像できないほどのスピードで金剛寺先輩に駆け寄り、金属バットを振り上げると、全身の筋肉を総動員したかのような勢いで、金剛寺先輩に振り下ろす。……ガツンッ! 金属バットは地面に穴を穿った。その反動で手が痺れてもおかしくないだろうに、当のウィルソンは余裕の笑み。
「よくかわしたと褒め――」
ウィルソンの言葉を中断したのは、金剛寺先輩の回し蹴りだった。垂直な金属バットの一撃を、ほんの僅か、無駄のない水平移動でかわした金剛寺先輩は、左足を軸にして右足を振り回し、革靴で覆われた足の甲が、ウィルソンの側頭部を蹴り抜いた。ウィルソンの頭はサッカーボールのように飛んでいきそうだったが、それを首と体が繋ぎ止めた結果、その巨体が数メートル、地面を横滑りするだけに止まった。ウィルソンは両手でしっかりと金属バットを握り締めたまま、ぴくりとも動かない。
――沈黙。
「……うっ、うわあぁぁぁっ!」
大声を上げながら、一人の団員が金剛寺先輩に向かって走って行く。それを皮切りに、一人、また一人と、団員達が続いた。団員達が矢継ぎ早に振り回す金属バットを、金剛寺先輩はことごとくかわし、カウンターの一撃を見舞っていく。そして、次々と地面に崩れ落ちていく団員達……そんな壮絶な光景を眺めながら、僕は時風高校のパンフレットに書かれていた、金剛寺先輩のプロフィールを思い出していた。
三歳から空手を始め、国内外を問わず、出場した全ての大会で優勝。オリンピックの金メダル候補だが、空手はあくまで自己鍛錬の一環として、高校卒業後は大会への出場を自粛するという。その実力は大人以上との呼び声高い、金剛寺流空手四段。
金剛寺先輩の動きはボクシングのようなフットワークではなく、地面の上を縦横無尽に……まるで、靴底が地面に吸い付いているかのようで、どんな体勢でも安定感があり、そこから繰り出される突き、蹴りには、遠目にも確かな重みが感じられた。
最後の一人……銀のアクセサリーでジャラジャラと着飾った茶髪の団員……が振り下ろした金属バットを、金剛寺先輩は片手で受け止め、握り締める。団員は顔を真っ赤にしてグリップを握っているが、びくともしないようで……金剛寺先輩は団員から金属バットを取り上げると、膝蹴りで真っ二つにして投げ捨てる。そして、丸腰になった団員の首筋に手刀を打ち込んだ。声もなく団員は膝を折り、地面を舐める。
金剛寺先輩がすっと顔を向けた先には……尻餅をついたランディの姿が。
――ドゴンっ! 突然の轟音に、僕は飛び上がった。振り返った僕の目に飛び込んできたのは……漆黒の鉄球である。僕より大きな鉄球が、巨大なクレーン車に吊り下げられており……それがどうやら、仮囲いを一撃の下に粉砕。それでも治まらぬと、振り子運動を続けている。そして、風通しがよくなった敷地の中に、黒服の男達が続々と押し寄せ、倒れてる団員達や、逃げようとするランディを担ぎ上げ、どこかへと連れ去っていく。えーっと……これは、一体?
「家の者達だ」
いつの間にか、僕の隣に金剛寺先輩が立っていた。僕は素朴な疑問を口にする。
「あの、どうするんですか?」
「悪いようにはしない。ただ……」
「ただ?」
「彼等が二度とこの地に足を踏み入れることはないだろう」
「はぁ……」
僕は団員達の行く末を案じながらも、金剛寺先輩に向き直り、頭を下げた。
「ありがとうございました!」
……師匠だ、男だなんて思ってみたところで……結局は、助けて貰っちゃったな。金剛寺先輩が助けてくれなかったら、今頃……僕は地面に散乱した金バーを想った。
「やはり、私の同級生だった」
「……え?」
僕が顔を上げると、金剛寺先輩は僕に肯いて見せた。
「アンジェの正体に繋がる有力な情報には、懸賞金がかけられていてな。金といっても、ゲーム内通貨だが……それを知っていた同級生が、師匠の情報を送ったんだ。だが、その情報が掲示板で曝されるとまでは思わなかったらしい。また、師匠をここに呼ぶ手伝いも依頼された……懸賞金の支払いはそれからだとな。そして、速達で郵送された手紙を師匠の下駄箱に入れたものの、思い直して手紙の回収に向かったが、すでに君の手に渡ってしまっていた。それで、私にメールで全て白状したのだよ」
「それでこの場所か?」
「いや、それは魔女様が教えてくれた」
「魔女様が?」
「ああ。同級生も手紙の内容までは知らなくてな。家の者に師匠を探させている間、私は魔女様に接触を図ったのだ。本件にFFプレイヤーが関わっていることは明白だったからな。黒絹の森の穴の前で装備を捨て続け……現れた魔女様に事情を説明したところ、迅速に動いてくれた。白薔薇騎士団はFF上で今回の計画を話し合っていたようでな。魔女様がチャットの履歴を
「……そうだったんですね」
「本件との関わりが特定できたプレイヤーのアカウントは、全て魔女様が永久停止にするそうだ。掲示板に書き込まれた師匠の個人情報も削除済み……また、白薔薇騎士団のプレイヤーが所有する、インターネットに接続可能な全ての電子器機は、魔女様お手製のウィ……呪いによって、全て綺麗にお掃除されたらしい」
お掃除って……初期化したってことだろうか? それは……。
「ちょっとやり過ぎじゃ――」
「何を言ってるんだ! 彼等は師匠から一生涯、金銭を搾取しようと考えていたんだぞ? それに、命まで……優しいにもほどがあるぞっ!」
声を荒立てる金剛寺先輩を目にするのは、僕にとって始めてのことだった。怒っているのだろうか? ……いや、叱ってくれているのだろう。だから、僕は……。
「ありがとうございます」
……そう言って、頭を下げた。顔を上げると、金剛寺先輩は驚いたように目を丸くしていたけれど、やがて小さく肯いて「こほん」と咳払い。
「私の同級生なんだが、師匠にぜひ謝りたいと――」
「そんな、もういいんですよ」
「……だろうと思ったから、私が叱って良しとした。これで良かったか?」
僕は肯いた。出来心、という奴だろう。まさか、こんな事態になるとまでは思わなかっただろうし、最後は思い直してくれたわけで……それだけで、十分だった。
「……それで、これは?」
僕は手にした紙袋に目を落とした。ずっしりと重く、まだ金バーがいくつか入っているに違いない。美味しそうな匂い……ほっとしたからか、急にお腹が空いてきた。
「それはな、家の者と魔女様からの連絡を待つ間、私も師匠を探していたのだが……その途中、ふと師匠が腹を空かせてないかと思ってな。……粗末にしてしまったが、金剛寺の名を冠する以上、己が運命を受け入れていることであろう」
金剛寺先輩は、地面に散乱した同胞に目をやった。僕の命を救ってくれた金バー。君のためにも、残った兄弟達は美味しく頂こうと思う。それにしても……。
「金剛寺先輩って、強いんですね」
金剛寺先輩は黙ったまま、両手の甲を上にして、僕の前に差し出した。金剛寺先輩の手は大きく、爪は短く切り揃えられており、何よりも目を惹ひくのは、大きく膨らんだ、人差し指と中指の付け根だった。拳ダコ、という奴だろうか?
「……酷いものだろう? 強くあれ、自分だけでなく、誰かを守れるために……本来は金剛寺家の男子たるもの……という
「そんな……」
そんなの、差別ではなく区別というか……そもそも、男性と女性は体の作りからして違うわけで……それよりも何よりも、大切なのは本人の意思のはずだ。
「女性が女性らしく生きたいと願うのも、難しいものなのかもしれない。……それは、男性であっても同じだろうな。この世界も、FFのように望むままの姿、性別、人生を生きることができれば……いや、詮なきことだな。こうして師匠と出会い、助けることができたのも、今の私があってこそと思えば救われる。それでも……」
金剛寺先輩はそこで言葉を詰まらせ、天を仰ぐ。……そうか、だから、手袋をしていたんだ。僕は紙袋と手袋を地面に置き、金剛寺先輩の両手を握った。
「し、師匠?」
「柔らかくて、温かくて、すべすべで……うん、これは女の子の手ですよ!」
……僕が女の子の手を握るのは、これが初めてのことである。だけど、口にした言葉に偽りはなかった。拳ダコも、堅そうに見えて弾力があるというか……。
「……それは師匠の手だから、だろう?」
あっ……そ、そういうものなのかな? いやでも、それなら、むしろ……。
「じゃあ、丁度良いじゃないですか!」
金剛寺先輩は目をぱちくり。そして、大きく肯いた。
「そうだな。うん、その通りだ!」
にっこりと笑う。夕日に赤く染まった金剛寺先輩の笑顔に、僕は……。
――それから。
返却された中間考査の結果は、どの教科もばっちりで……数学が一番良い点数だったのは驚きだったけれど……僕の高校生活は今、平穏そのものである。
……ただ、僕はアンジェのこれからについて、ずっと頭を悩ませていた。白薔薇騎士団を始め、あの一件に関わったプレイヤーがいなくなったとはいえ、間接的……掲示板や人づてで事情を知ったプレイヤーまでは、魔女様の力でどうにかなるものでもなくて……覆水盆に返らず……そんな当たり前のことを、実感する毎日である。
だから僕は……アンジェは、黒絹の森に向かった。魔女様に会うため、そして……白薔薇の姫騎士と決別するために。
アンジェは穴の前で装備を脱ぎ去った。白薔薇のコサージュも髪から外す。屋外で肌を曝すなんて、FFを始めたばかりの頃以来だ。後は捨てるだけ……魔女様が現れなくたって構わない。私はもう、白薔薇の姫騎士ではないのだから……。
――穴の前でどれほどの間、下着姿のまま佇んでいたであろう。不意に……何の前触れも無く、アンジェの前に現れたのだ。小さな女の子が。そして……。
「バカッ! 何裸で突っ立ってンのよっ! 捨てられないってことは、捨てたくないってことでしょうがっ! 男なンでしょ? もっと図々しく、
……叱られた。女の子……魔女様の口調は乱暴で、背負っている鎌がいつ振るわれてもおかしくない勢いだったけれど……それはきっと、思いやりの裏返しだろう。
……そう、私はこの期に及んで、白薔薇の姫騎士を捨てたくなかったのだ。別に白薔薇騎士団に未練があるわけじゃない。私は魔女様に叱られて、なぜ私が白薔薇の姫騎士となったのか、なぜそれ捨てたくないのかを、思い出すことができたのだ。
だから……私はこれからのことを魔女様に伝え、協力を申し出てくれた魔女様に、自分の力でやりたいと宣言。すると、魔女様は消えた。無邪気な笑顔を残して。
そして私は……ワールド移転の手続きを始めた。
「――じゃあ、新メンバーを紹介するね! ヴォジャノーイ・ワールドからやってきた私の親友! 白薔薇の姫騎士! アンジェことアンジェリカよ!」
「初めまして。アンジェリカと申します。皆さん、よろしくお願い致します」
ナナから紹介され、アンジェはスカートの裾を持ち上げ、頭を下げる。それに、銀髪と褐色の肌が印象的なルヴァーゼ族の青年と、タマネギみたいな頭が印象的なラルフェル族の……えーっと、多分、男の子? が、丁寧にお辞儀で応じてくれた。
「そして、こちらはアンジェの弟子……で、いいんだよね?」
「おうっ! エドモンドだ! エドって呼んでくれ! よろしくな!」
そう言って手を振るエドは、私とお揃い……といっても、デザインはガルディン男性用にアレンジされているけど……純白の甲冑を着込み、純白の戦斧を背負っている。いずれもワールド移転に当たり、私がプレゼントしたものだ。……何しろ、エドは魔女様に会うために装備はもちろん、全財産を捨ててしまっていたのだから。エドは「一生の宝物だ!」と喜んでくれて……私も嬉しかった。
エドは挨拶に続いて胸を叩いたり、首を回したりと、様々なアクションを披露。ルヴァーゼ族の青年とラルフェル族の少年は、ぱちぱちと拍手を送る。
「じゃあ、今度はこっちの番ね! この小さいのがブロントさん!」
「小さいって言うな! ……ブロントです。初心者ですが、よろしくお願いします」
「あは、まっじめ~!」
「うるさい! こういうのは、最初が肝心だろうが!」
「はいはい。それで、こっちのイケメンがカケルさん!」
「カケルです! アンジェリカさん、エドさん、一緒に楽しみましょうね!」
「うんうん、さすがナナ式の好青年!」
「……おい、随分と扱いが違うんじゃねぇか?」
「ソンナコトナイヨー」
「片言じゃねーか!」
「……いいなぁ、ブロントさんはいつもナナさんにいじって貰えて」
「お前も大概だよな……」
「あっ、そうそう、私のことを忘れてた! えっと、私はメイトリアークのナナ! アンジェ、それにエドさん、ファミリア・ナナ式へようこそ!」
――そう。私の移転先はバグベア・ワールドだった。
心機一転を図るためには、ヴォジャノーイ・ワールドを離れるしかないだろうとはずっと思っていた。ただ、それは一種の現実逃避だし、移転したところで……という思いもあったのだが、図々しく、不貞不貞しくという、魔女様の言葉に背中を押され、私は移転を決意。私はこれからもFFでアンジェとして生き、やりたいことを、やりたいようにやっていく……そのための一歩として、私はまた一緒に遊びたかったのだ。私を白薔薇の姫騎士と初めて呼んでくれた、大切な親友と。
自己紹介の後は、歓迎会があるという。準備に時間がかかるということで、私はナナに話したいことがあるとテルを送った。ナナは笑顔で頷き、天井を指さす。
――私とナナは、屋根の上で並んで腰掛けていた。私はぺたんと座り込み、ナナは体育座りをしている。ナナ式の家がある「ウィン・ダニア」の住宅街「ヘンプス・カーペット」は、黒絹の森に併設された風光明媚な場所で、屋根の上からは大きな湖を一望することができた。小川のせせらぎと、鳥のさえずりが耳に心地よい。
二人っきりで話をしたいなら、個人部屋とか、人気の無いフィールドとか、それこそ、IDとか……候補は色々あるだろうけれど、私とナナの場合は、なぜか決まって屋根の上だった。屋根に上るにはコツがあって、庭に置かれたベンチやテーブル、噴水、ポストの上を次々と飛び移り……その様は、まるでアクションゲームである。
久し振りに見るナナの横顔。風に揺れるポニーテール。親友ならではの距離感。
そこで私は……ヴォジャノーイ・ワールドで起きた騒動の顛末と、リアルの私が男であることをナナに明かした。もちろん、リアルに関することは伏せたり、ぼかしたりはしたけれど、可能な限り、詳しく。ナナには知って欲しいと思ったから。
それを黙って聞いていてくれたナナは、私が話し終えると一言。
「……実は、そんな気もしていたんだ」
「え……」
「あっ! 違う違う! 別にね、疑ってたとか、そういうんじゃないよ? ただ、何というか……アンジェってさ、女の子過ぎるなって気はしてたんだよね」
「女の子……過ぎる?」
「うん。完璧っていうか、本当の女の子ってもっとだらしないというか……アンジェは理想の女の子って感じなのよね。だから、皆が憧れるのも当然だろうなって」
……確かに、アンジェが僕の理想の女の子だということは、僕自身が考えたことでもあるし、だからこそ、金剛寺先輩にとっても、白薔薇騎士団にとっても、アンジェは理想の存在に成り得たのだろう。……ただ、アンジェは空想上の存在かと言えば、僕という実体もあって……その辺りに、騒動の原因があるのかもしれなかった。
「……そっか、そうだったのね」
「そういうロールプレイなのかなーって気もしてたけど……まぁ、そんなの関係ないっていうか、それはアンジェがリアルで男の子っだってことも同じでさ、何にしたって、FFだとアンジェはアンジェなんだから、それでいいじゃない? まぁ、オンゲーに出会いを求めている私が言うことじゃないかもしれないけれど……」
「ナナは、嫌じゃないの?」
「何が?」
「……その、私がネカマだってこと」
「全然! だって、ネカマって悪いことじゃないでしょ? そりゃ、自分が女の子だってアピールしてさ、誰かを騙す気満々ってのはどうかと思うけど……女の子だって、男性のキャラクターで遊びたいと思うだろうし……ネナベって言うんだっけ? とにかく、私はアンジェのこと、好きだよ? 優しいもんね、アンジェは!」
「そんなこと……」
「ううん、優しいよ。私がオンゲーに出会いを求めてるって話をしてさ、本気で応援してくれたのって、アンジェぐらいだったもの」
……それは、初耳だった。そして、意外な話でもある。だって、ナナにはフレンドが大勢いたし、その話を聞いて、応援したくならない人がいるとは思えなかった。
「そう、なの?」
「もちろん、みんな応援はしてくれたよ? だけど、何かね……私が本気だとは思ってないというか、どっちでもいいというか……アンジェはさ、色々聞いてくれたじゃない? 出会った人がリアルで女性だったらどうするのとか、子供だったら、お年寄りだったら、海外に住んでいたらとか、色々。それで、私がどうしようって言ったら、それでも憧れてるんでしょって。私がうんって言ったら、アンジェは応援するって……ああ、アンジェは本気なんだなって。アンジェなら、私がもし挫けそうになっても、本気で励ましてくれるだろうなって。……ううん、弱音を叱られちゃうかな? とにかくね、それだけ親身になってくれるって、一つの優しさだと思うんだ」
「私はただ……ナナが本気だって分かったから、私も本気でって……」
「それ、嬉しかったんだよ? パパとママはもちろん応援してくれているけどさ、家族ってそういうものじゃない? 絶対的な味方っていうか……だから、私、アンジェには感謝してるんだ! やっぱ、持つべきもの友達……いや、親友よね!」
……嬉しいな。ナナには助けて貰ってばかりだったから、いつかお返しを……とは思っていたけれど、何もできないまま……でも、ナナの力になることができたんだと、そう、素直に思うことができたから……本当に、嬉しかった。
「アンジェの優しさは本物だから、エドさんも好きになったんじゃないかな?」
急にエドの名前が出てきて、私は驚いた。しかも、好きって……何?
「ど、どうして?」
「……あれ? エドさんって、アンジェの
好い人って……何だろう、顔が熱くなってしまう。
「私の勘違い? でも、一緒にワールド移転するなんて、仲良しなのは間違いないよね? 私はさ、アンジェが男の子なら、エドさんは女の子なんだろうなって……」
……鋭い。これが女の勘、という奴なのだろうか?
私がワールド移転の話をすると、エドは「俺も行く!」と即答してくれたのだ。嬉しかったのは、私もそれを望んでいたからに違いない。
「あっ! ご、ごめん! そういうのって、その、言っちゃ駄目……だよね?」
ナナは顔の前で両手を合わせ、頭を下げる。アンジェは首を振った。
「エドは……うん、私の大切な人よ」
「……いいなぁ」
「え?」
「……こっちの話。うう、私も頑張るぞっ!」
「そういえば、出会いの方はどうなの?」
「そ、それは……また今度、ゆっくり……ね? これから歓迎会だし!」
「歓迎会って……何をするつもり?」
「へへー、驚くと思うよ? 今、ご近所さんが――」
「ナナさーん!」
「お、噂をすれば……はーい! ヨハネスさーん!」
ナナはチャットモードを切り替ると、屋根から身を乗り出す。家の前には、髭面が印象的なヒュー族の男性が立っており、にこやかに手を振っていた。
――長方形のテーブルに敷かれた、純白のクロス。用意された二つの椅子に、アンジェとエドは並んで座っていた。そして、目の前には白い湯気を立てる丼……透明なだし汁、刻みネギ、天かす、カマボコ……私とアンジェは、揃って呟く。
「うどん……」
「そ! この前実装された奴ね! 必要な素材が交雑じゃないとできないっていうから、庭の畑で色々と試していたんだけど……誰かさんが、中断しちゃってねぇ」
ナナにジト目を向けられ、手足をばたばたと動かすブロントさん。
「い、いや、だってさ! カカッと水をやろうとしたら、選択肢が出てくるもんだから、そりゃ、まぁ、選んじゃうだろ? そしたら、取り止めましたって……」
「……しかも、それを隠蔽しようと、適当に種を植え直したんですからね。せっかくナナさんが、交雑のパターンを記録しながら頑張っていたというのに……」
カケルさんは肩をすくめ、やれやれと首を振った。
「でも、怪我の功名というか、本当に偶然、収穫できたんだよね~! 東方小麦の種! ただ、うどんを作るためには調理と陶芸、二つのマイスター資格を持ってなくちゃいけなくて……そしたらなんと! ご近所さんのヨハネスさんがっ!」
「いやー、何となく取った調理と陶芸の資格が、まさかこんな形で役立つとは!」
快活な笑い声を上げるヨハネスさんに、ナナの笑い声が続く。そんな明るい雰囲気とは対照的に、アンジェは困ったように眉を曲げた。だって……。
「良かったの?」
「え? 何が?」
きょとんとするナナ。アンジェはうどんに目を落とした。
「……これ、希少品よ?」
それどころか……未だに東方小麦の入手報告はSNSにも、コミュニティサイトにも上がっておらず、フォーラムは未実装、バグではないかと大荒れ。開発陣からの返答は、普通の交雑方法では不可能というもので……恐らく、いや、間違いなく、これはワールドファーストのうどんだ。
「あ、そうなんだ? ……そういえば、追加で買おうと思ったのに、東方小麦も東方小麦の種も、競売の履歴になかったなぁ」
「これってさ……数百万はするんじゃないか?」
うどんの動向を気にしてたエドも、困惑の表情。装備品ではないものの、モーション付き(だと思われる)の調理家具だから、ご祝儀価格でそれぐらいは……。
「マジでっ! それだけあれば、あの剣も、いや、あの鎧だって……」
ぴょんぴょんと飛び跳ねるブロントさん。カケルさんは目をぱちくりし、ヨハネスさんは髭を摘まむ……そんな中、ナナはぶんぶんと首を振った。
「何言ってるのよ! このタイミングでさ、二人分収穫できるなんて、二人に食べて貰う以外の使い道が考えられる? それに、お金ならいつだって稼げるけど、歓迎会は今しかできないんだから! ……って、もしかして、うどん、嫌いだった?」
アンジェとエドは顔を見合わせる。
――うどん。うどん県。うどんの姫騎士。この小麦粉を練って伸ばした、ある程度の長さと幅を持つ麺に、僕が複雑な思いを抱いているのは確かだ。だけど……。
「俺は好きだぜ」
エドはそう言って、白い歯を見せてにかっと笑う。……そうだ、うどんは何よりも金剛寺先輩が好きな食べ物だ。それ以外に、何が大事だというのだろう?
「私も大好き!」
「良かった! じゃあ、冷めないうちに……どうぞ、召し上がれ!」
『いただきます!』
アンジェとエドは丼に添えられた箸を揃って取り上げ、うどんをすする。そのリアルな音、そして食事風景を見られるのは恥ずかしかったけれど、エドと……金剛寺先輩と一緒に食べるうどんは……最高の味だった。
れべるわんっ! ~オンライン・ゲーム恋愛叙事詩~ 埴輪 @haniwa
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