観客と道化と

 精神的には相当の重みがあった今回の事件も、終わってしまえばただ1日の出来事だった。

 目の前のグラスを感慨深く見詰める。呑み慣れたスコッチがこれ程魅惑的に映る日が来るとは。私は軽く微笑みさえしながら、グラスに手を伸ばした。


「………クロナさん、あの」


 ――美味い。

 不愉快にならない程度の粘り気は、アルコールの濃さ故だ。燻された薫りを口に残しつつ、液体は喉を通過していく。

 五臓六腑に染み渡る、焼けるような旨味。嗚呼、これこそが酒の良さというものだ。


「えっと、クロナさん?」


 喉の御馳走に加えて、耳の御馳走も申し分ない。

 今日はディアが、何やら用があるとかで留守にしている。その分マスターも手が空くし、野菜を刻む包丁や肉を炙る炭のミュージカルを聞く必要もない。

 ディアが居ない店内では、声は1つたりとも生じないのだ。全く、全然、1つも。


「いやいや、クロナさん、聞いてくださいよ。ほら、僕は依頼人ですよ?」

「達成しただろ。報告もした。お疲れさん」

「酷くないですか」

「いいや、酷くないね」


 飲み干したグラスを樫のカウンターに置く。

 空っぽのそれを指で弾くと、キィィンという小気味の良い音が響いた。

 瞬き1つ。魔法のように現れたウイスキーオンザロックを手に取ると、私は傍らの依頼人、魔術師ベルフェに皮肉を込めた視線を送る。


「人を【魔女】の森に派遣して、巡視隊とも睨み合わせた奴に対するにしては、穏やか過ぎるくらいだろ?」


 おまけに相手は、まさかの人狼だ。

 ベルフェが降参、とばかりに両手を上げホールドアップする。

 いつもの仮面じみた作り笑いは健在だ。


「確かに、今回。クロナさんにいささかの無理を強いたことは認めましょう」

?」

「しかしその甲斐はありましたよ。巡視隊と魔術師との激突は回避され、【魔女】の方にも影響力を持てた。巡視隊の一部にも、貸しを作れた訳ですしね、互いの上層部もウハウハでしょう」

「政治に興味は無いな、巻き込まないでくれ」


 私が何のために暗殺者なんてやっていると思うのだ。

 書類上の生き死になんて味気無いものを飯の種にするつもりは、これっぽっちも無いのだ、私は。


 ベルフェはカクテルグラスを持ち上げ、一息に飲み干す。ギムレットはそこそこ強い酒だが、この魔術師の眼にアルコールが上がったことは一度もない。


「世の中、何者にも属さない事は不可能ですよ。如何にクロナさんといえども、誰かの歯車になることは避けられない」

「だから、お前の下に付けと?」


 敢えて、私は『お前』と言った。

 こいつが組織に忠誠を誓っているようには思えないし、疑惑は今回、相当大きくなった。


 多方面へ影響力を得ようとする態度。それは組織の使い走りというよりまるで、政治家じみた振る舞いだ。

 巡視隊と魔術師との調整。私のように善良な市民なら当たり前だが、利己主義の魔術師としてはやや常識的過ぎる考えである。


 何者にも属さないためには、他人を従えるしかない。


「僕は、そんな大層な考えをしている訳ではありませんよ。単純に、世界がより長く、そして面白く在れば良いと思っているだけです。それが僕の望み、存在の動機です」

「他人を笑わせる道化なら良いだろうさ。けど、お前は世界を道化にしようとしてる。それで笑うのは、お前一人だぞ」

「クロナさん、貴女はどっちです? 舞台に上がるか、それとも観客席でサンドイッチを摘まむのか」


 良い酒も用意しますよ、とベルフェは微笑む。

 私は肩をすくめた。


「まあ、その話はいずれしましょう。僕も未だ未だ道化の一員です、身の程知らずは馬鹿をみる」


 差し出された羊皮紙には、魔方陣と呪文。報酬の召喚とは、全く俗世的なロマンだ。

 立ち上がり、出口へと向かうベルフェ。その背を見送りながら、私はポツリと呟いた。


「誰にも属さない方法は、お前の以外にもう1つあるぞ?」

「それはそれは。お聞きしても?」


 ベルフェはドアを、私はグラスを見詰めたままだ。薄情だが、それが不快でない関係というのは存外貴重だ。

 互いに見るものは違う。時に隣に座り、時には向かい合うのかもしれない。

 けれども、確かに。自由を愛する点と店の好みだけは、私達は似ているらしい。


「簡単だよ。お前も、そして私も実現できる。。そうすれば、自由でいられるよ」

「………………………ふふ」


 小さな笑い声だけを残して、ベルフェは店を出ていく。

 その笑い声だけは、本物のような気がした。







「おや、失礼」


 ドアを出た先、狭い階段を登る途中で、ベルフェは少年とすれ違った。

 狭い道だ。軽く肩がぶつかり、ベルフェは頭を下げた。


「………こっちこそ、失礼」


 少年も頭を下げる。こういうところは、譲り合いの精神が大事なのだ。


 そのまま進もうとして、ふとベルフェは、少年の腰にぶら下がった剣に眼を止めた。

 乳白色の、骨のような材質のレイピアだが、ずいぶんと物騒な程の魔力が籠められている。


「………何か?」


 視線を上げると、整った顔と出会った。優しげな目鼻立ちに、不機嫌さと倦怠感とが同居している。

 拗ねた子供、という表現が、最もシックリと来る。詰まりは、この先の店に相応しくは見えない。


「………いや、この先には一軒の古いバーしかないが、そこに用事かい?」

「まあ、ね。………あんたは、そこから来たのか?」

「何をしに?」


 質問を質問で返され、少年はピクリと眉をひそめる。剣を抜くかとも思ったが――思ったよりもマトモな人物らしく、軽く肩をすくめるに留めた。


「仕事を探してる。………ちょっとした知り合いが、ここで働いてるはずでね。を頼ろうと思ってな」

「ツテ? ………そうですか」


 クロナやマスターの知り合いとは思えない。となると――ディアか。

 魔剣を手にした、不思議な少年の知りあい………いるわけがないと思うし、同時に、居ても不思議ではないとも思う。あの少女は掴みどころが無く、常識の通用しない所がある。


「そう、それは頑張って」

「どーも」


 すれ違い、店先へと向かう少年。

 看板にぶら下がるカンテラの灯りに照らし出される彼に、ベルフェは声をかけた。


「ところで………君の名前は?」


 少年は、を神経質に弄りながら、少し悩んでから口を開いた。


「リド………あー、駄目なんだそれ。んじゃまあ………ロッソって事で」

「ロッソ君ね、解った」


 ひらひらと片手を振って、ロッソはドアを開けて中に入っていく。

 その背を見送りながら、ベルフェはくすりと微笑んだ。残念ながら、彼女の望む静寂は破られる事になりそうだ。

 しかし………、やはり。


 やはり、未だ未だ。

 世界は知らないことばかりで――


 笑いながら、ベルフェは歩き出す。その姿はやがて、夜の闇へと溶けていった。

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暗殺者クロナの依頼帳Ⅴ 復讐の牙 レライエ @relajie-grimoire

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