ペンキ塗り

「さて、それで。どうしますか?」

「どうする、の意味がわかんねぇよ」


 不意に尋ねられ、リドルは肩をすくめた。

 質問した当の本人は、何やらぼんやりとした様子で狼の死体を見ている。


「解るはずですよ、さん。今や貴方の行く末には、この世界の二大勢力が注目しているようです」


 視線を向けることもないまま、ディアは続ける。その背中は、随分と隙だらけだ。


「巡視隊の方はわかるけど。もう一つってのは?」

「魔術師らしいですよ。貴方が巻き添えにした死霊術師の報復でしょう」

「へぇ。報復だなんて、奴等にそんな殊勝な仲間意識が有ったとは驚きだ。泣かせるじゃねぇの」


 茶化すリドルに、ディアはちらり、と流し目を向ける。穏やかな、けれど無機質な瞳だ。

 リドルは、肩をすくめた。


「で? どうしろも無いもんだろ、こんなの。どっちの組織にしろ、投降して首差し出すしか納め処は無いね。………ま、最後なんだし、ラデリン先輩に華でも持たせるかね。『逃げ出した犯人を捕らえた』っつう展開ストーリーなら、先輩に害加わることはねぇだろ」

「………それを、ラデリンさんが受け入れると言うのですか?」

「なんでお前が怒るんだよ、馬鹿。………そんなもん、


 あの男なら、まあ喜ばない。寧ろこのまま逃げろとか言い出すに決まっている。逃げて、何処か遠くへ逃げて、そこで幸せになれと。

 リドルは苦笑した。

 全くとんだロマンチストだ。不可能だって事くらい、ラデリンは痛いほど解っている筈なのに。


 数を頼みにした巡視隊の、森をぐるりと囲んだあの包囲は抜けられない。

 彼等は生け贄を求める狼の群れだ。羊を投げ込んでやらなければ、代わりの誰かを羊にするだろう。


「………そう、なんですね」

「そーなんですよ、社会は厳しいねぇ、お嬢ちゃん?」


 まあ、仕方がない。

 後悔しただけでは済まないほど、リドルは羽目を外しすぎた。


 ――ま、少しは恩を返せたかねぇ。


 ラデリンにしろ、或いはディアにしろ。

 借りたものが、少しばかり多すぎた。

 今更自分らしく生きようなんて、そんな無茶が通るほど社会は優しくない。


「………解りました。どうやら、事態を治めるには、


 ディアは、リドルに背を向けたまま、マーレンを強く握った。


「リドルさん。………死んでもらいますね」






 森の入り口付近で立つ、見張りの若い巡視官は、生きた心地もしなかった。

 数刻前に意気揚々と森に踏み込んだキルシュ巡視課長が、部下共々ぼこぼこになって出てきたのだ。


 厭な上司ではあるが、キルシュも実力はそれなりにある。自慢げに披露していた対魔女秘密兵器も持っていたし、巡視官としてはやや楽観視していたのだ。

 こうして立っているだけで全てが終わると、甘い考えに浸っていた。


 しかし、結果としてはその真逆。

 キルシュは叩き出され、【魔女】の森からは凶悪な獣の遠吠えが断続的に響いてきた。


 このままでは、立っているだけで終わるのは巡視官の人生そのものになりそうだ。

 それなら、いっそ逃げるか。

 若者はふるふると首を振る。


 逃げてどうなる――巡視官以上に給料が良く、ほどほどに安全な職はそうない。今は生命の危機だとしても。

 巡視官はため息を吐いた。

 中途半端な保身だが、無事に済みますようにと祈る以上に、彼の生活を潤す選択肢は無さそうである。


 そんな保身が、しかし彼の人生に突然スポットライトを当てる結果となったのだが。


「………失礼しますね」

「うおっ!?」


 突然掛けられた声に彼は驚き、いつの間にか下げていた頭を上げて更に驚いた。


 声をかけてきたのは少女だった――それは良い。

 片手には不思議な形の剣を握っていた――それも、この際置いておく。


 問題は、残る片手に握られていた、


「………は、え? あの、え?」


 首という見慣れない光景に目を白黒とさせる巡視官に、少女は言葉を続ける。


「っ!!!! ラデリン様が?!」

「えぇ。………流石に疲れたのでしょう、この先で倒れていますよ」


 そう言って、少女は首を放り投げた。

 反射的に受け取ろうとして、慌てて彼は逃げる。正直触りたくもないし。


 首は軽そうに飛び、ついさっきまで彼がいた場所に落ちた。


「………これを、ラデリン様が………」

「はい」


 ではこれで、と駆け出す少女を、彼は見もしなかった。

 その眼は、落ちた首に釘付けであった――







「………っ!?」


 ガバッと勢い良く、ラデリンは身を起こした。その動きに停滞が無いことに、先ず眉を寄せる。

 記憶ははっきりしている。護送馬車を襲った奴がリドルを殺そうとしていて、それを食い止めようとして切り裂かれたのだ。

 だが――目覚めた今、ラデリンの身体は全く痛みがない。全身を擦ってみても、傷ひとつ無いようだった。


 助かった――いや、のだろう。

 誰にかなんて、決まっている。あの場にいたのは、敵以外には二人だけだ。


「………リドル………」


 どうやったかはともかく、間違いなく少年の仕業だろう。

 だが、その本人は何処だ?


「! い、居たぞ!!」

「ん?」

「御無事ですか、ラデリン様!!」


 ドタドタと騒がしく駆け寄ってきたのは、見覚えのある若い巡視官だ。大声で仲間を呼びつつ、ラデリンのもとへと駆け寄ってくる。


「身体は大丈夫だ、少し気を失っていたようだが………」

「そうですか、いや、無理もないですよ! 寧ろ無傷とは流石ですね!!」

「………何?」

? 

「………首、だと?」


 犯人の首。

 あの、狼男か。

 それとも――いや、まさか。


「リドルはどうなった?」

「………」


 巡視官は、困ったように口をつぐんだ。

 その態度で、ラデリンは答えを悟った。


「死んだか………?」

「死体は見付かりませんでしたが………運ばれた首の、牙の隙間から、彼のものとおぼしき金髪と囚人服の切れ端が出てきました。恐らく、食べられたのかと」

「………そうか」


 全身から、力が抜けていく。

 そうか、そうか。

 また、護れなかったのか。


 父親の代わりをしてやろうと思った。

 奪ってしまった家族の愛と、そして未来とを与えてやろうと思っていた。

 ラデリンが殺した【魔女】の代わりに、彼女が愛した人間の代わりに。


 それなのに。

 いつの間にかリドルは世界を憎んでいて、諦めていた。

 踏み込むことを恐れていた――踏み込んだ先で自分への憎しみが見付かるのを、ラデリンは子供のように恐れていたのだ。

 もう少し勇気があれば、結果は変わっていただろうか。


 ため息を吐きながら俯く。その視界が、足元を映した。


「………?」


 足元の土に、

 短いその内容を読み、ラデリンは肩を震わせた。


「ラデリン様………?」

「………あぁ、何でもない。行こう」


 どこか晴れ晴れとした表情のラデリンに、巡視官は不思議そうに首を傾げた。

 ………その足が地面を擦り、文字を消したことに、若い彼は気が付かなかった。


「………しかし、喰われた? あの狼、それほどだったか?」

「えぇ?! 流石はラデリン様、あれくらい余裕だと………? そう言えば、あの子もラデリン様が一人で倒したと………」

「あー、まあ、その子がそう言うならそうなんだろうな」


 すげー、と叫ぶ若い巡視官に、騒ぎ過ぎだと苦笑しながら、ラデリンは彼を促し森を出ていく。

 ………彼に【巨狼殺し】等という物騒な渾名が付くのは、それから直ぐの事であった。






「………ふう」


 立ち去るラデリンを見送り安堵の息を溢したに、【森の貴婦人】は意地の悪い笑みを向けた。


「心配の種は消えたかの、我が孫や?」

「………はっ、取り敢えず治療が成功したみたいで何よりだよ。あんたが口先ばっかで無いって証明されたわけだしな?」

「ははは、ご満足いただいて何よりじゃの。感謝するが良いぞ」


 ふん、とリドルは鼻を鳴らした。


「冗談じゃないぜ、これは対等な取引だろ? どっちかっつうなら、割りに合わないくらいだぜ?」

「【取引】?」


 肩をすくめてニヤリと笑うリドルの余裕は、しかし、【森の貴婦人】の次の言葉で吹き飛んだ。


「何を言かっとる? 退?」

「………何だと?」

「そういう意味では確かに、感謝せねばな、我が孫よ。妾のお願いに答えてくれたわけじゃからな」


 ありがとうな、と頭を下げる【森の貴婦人】に、リドルは慌てて駆け寄った。


「おい、ちょっと待て、待ちやがれババア。テメエ、狼退治する代わりに先輩の傷を治すって、」

「言っとらんよ? 良く思い返せ、我が孫。退?」

「………っ!!!!」


 言われてみれば、確かに。

 彼女は、


「テメエ………!」

「さてさて、それではお前さんの大好きなの話をしようかの、我が孫や? 命を助けてやった分の、対価を支払ってもらおうかの。ほれ」


 外見だけは幼い【魔女】が差し出した羊皮紙をひったくり、リドルは低い呻き声を溢した。


「ご、5000ピリ金貨だと!? 馬鹿じゃねぇの、お前馬鹿じゃねぇの?!」

「なんじゃ、命は値段の付けられんもんじゃろ?」

「なら付けてんじゃねぇよ!! 金貨なんかどんだけ掛かると」

「あ、それでこれが剣の代金じゃ」

「返すよそれなら!! てか命より高ぇじゃねぇか!!」

「え? 返されても金は取るよ?」

「悪魔かテメエは!!」


 くすり、と【森の貴婦人】は微笑んだ。

 それは、遥か昔。

 記憶の片隅に残る、母親のような笑みで――。


「精々良い仕事を探すんじゃな、我が孫や。?」

「………チッ」


 どいつも、こいつも。

 何だって自分を生かそうとするのか。


「………いつになるかわかんねぇぞ、気長に待てよなババア」

「ははは、気長と言えば妾のことじゃよ」


 嘘吐け、と毒づいて、リドルは踵を返す。

 その背、というよりはその髪を見て、【森の貴婦人】は面白そうにわざとらしく首を傾げた。


「巡視官どもは、お主を探すじゃろうな、お主を。ところで………?」

「べつに」


 軽くベタつく髪を弄りながら、リドルは肩をすくめた。


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