敗者の清算

「マジか………」


 自身の切り札たる【ミストラルティン】の威力を見て、リドルは呆然と呟いた。

 確かに自身最強の技ではあるし、詠唱も加えたから過去最高の威力になることは解っていたが、しかし。


 とは思っても見なかった。


 これが【魔女の森】の加護。

 これが、神獣【雷鯨】の武器。


 地響きと共に倒れ込んだ狼の全身は余すところなく黒焦げで、だらしなく半開きになった口からは細い煙も漂っている。

 内臓まで焦げたか。立ち込める肉の焦げる嫌な臭いに口元を押さえながら、リドルは若干のやり過ぎオーバーキル感にドン引いていた。


「マジかー、いやこれ、魔力全開で籠める必要無かったな。半分くらい残しておけば良かったかもな」


 勿体無い。

 そう言おうとした、その瞬間。

 


「っ!?」


 まさか、これで届かないのか。

 全力を出し切った。

 神や月を食む伝説の魔狼なわけも無し、全身くまなく黒焦げウェルダンで、それでもなお立ち上がるとしたら、最早リドルに打つ手はない。


 明確で明白な死の予感に、リドルは最後の抵抗とばかりに剣を握り締め、


 


「………ぷはあ」

「………えぇぇぇ………?」


 気の抜ける呟きと共に現れたのは、もちろんディアだった。

 大きく伸びをするその矮躯と、森の方に落下した巨大な狼の姿とを交互に見て、リドルは深くため息を吐いた。


「全く、何をするんですかリドルさん!」

「丸っきりこっちの台詞なんすけど? え、お前あれ投げれるの?」

「当たり前じゃないですか。それより、何ですかさっきの雷! 危うく巻き込まれるところでしたよ!?」


 あー、とリドルは頭を掻いた。

 それは確かに、リドルのせいである。予想外に規模が大きくなってしまったから、落下していたディアまで効果範囲に入ってしまったらしい。

 ………『当たり前に投げれる』という言葉は精神衛生上聞かなかったことにして、リドルは肩をすくめた。


「おいおいなんだよ。一緒に黒焦げにしてやろうと思ったのに、よく避けたじゃんか?」

「丁度マキシムさんの頭の辺りでしたので、蹴って飛び上がってました」

「それで避けれんの?! どんな跳躍力だよ!!」

「いや、一度では無理でしたので、ちょっともう一回飛びました」


 リドルは首を振った。

 自身の力の強大さに驚いていた自分が、馬鹿みたいだ。

 人狼とか、巨大狼とか。そんなのよりも余程出鱈目な存在が目の前に居るではないか。もしかしたら、【魔女】にも勝てるのではないだろうか――魔法でもなんでもなく、身体能力だけで。


 そんな恐ろしい想像に捕らわれたせいだろうか。リドルは気が付くことが出来なかった。

 







「………はぁ、はぁ、はぁ………」


 荒い呼吸でよろけながら逃げていたのは、マキシムだ。否、マキシム『だった』と言った方が良いだろうか。

 筋骨隆々としていた筈の肉体は痩せこけ、骸骨のような有り様である。筋肉という筋肉を全て絞り出した、【力】の脱け殻じみた姿は、恐らくは巨大化の代償であろう。


 自然と己との境を溶かし、自分を捧げることで力を降ろす。

 小さな存在にそぐわぬ大きすぎる力の反動は、人狼といえども逆らえぬ摂理であった。


 ――己れは、死ぬか。


 精神を打ちのめした当たり前の事実に、しかし肉体は抗う。


 脅威から少しでも遠ざかるように、敗北に背を向け森へと彷徨う。

 勝手に動く己の脚の、その頼り無さを苦笑しつつ、マキシムの心には微かに火が灯る。成る程確かにこのまま逃げ延びれば、或いは力を取り戻す事も不可能ではないかも知れぬ。


 何しろ、ここは森だ。


 弱肉強食、弱きものが強きものの贄となるのがルールである。獲物を捕らえ、喰い続ければ、狼の血は甦るだろう。そうなれば、再戦も可能だ。


「………ふん」


 再戦。今一度、あの二人へと挑む。

 その想像は、マキシムの思考に冷水を掛けるに相応しいものだった。


 死力を尽くした――なんならそれ以上のものを賭けて挑み、そして敗北した。

 力を取り戻したとして、それは万全の状態というだけだ、負けた時より強くなる訳ではない。とすれば必然、結果は同じだ。


 自分は、老いたのか。


 彼等のような成長の見込みが立たない。今まで培ってきたものが全てであり、それ以上にはなれる気がしない。

 あの子らは、違うだろう。

 なにしろ若い――日毎に生まれ変わるように、過去を脱ぎ捨ててより強く羽ばたいていくのだ。


 もう、勝てまい。

 復讐は、遂げられない。このまま森で朽ちていくだけか。

 俯くマキシムの鼻が、を捉えた。


「………その顔からして。随分とこっぴどくやられたか」


 弾かれたように顔を上げるその先から。

 

 悠然と立つ茶毛のラヴィを、マキシムは愕然と見詰める。


「き、貴様は………?」

「うん、話は聞いた、狼。


 その言葉に、マキシムの殺意が沸騰した。

 こいつだ。こいつが、主人を殺した。金のために、主義主張もなく殺したのだ。

 許せない――許さない。思い知らせてやる。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す、


「殺す!」


 殺意が噴き出すように、マキシムは突撃した。かつてと比べれば見る影もない、弱々しい肉体だったが、それでも、残った全てを磨り減らすような疾走は惚れ惚れする程の速さと鋭さをもっていた。


 その瞳には、黒々と煮詰まった憤怒と憎悪が渦巻いている。

 瞳に映すラヴィは、何も持っていない。肩から鞄をひとつ提げているが、そこから何を取り出すにしろ、この動きならマキシムの方が早い。


 あと一歩まで迫っても、ラヴィは動かない。

 とった――確信と共に踏み込み、右腕を振りかぶる。今こそ、我が復讐の成すとき。その歓喜が全身を満たす。

 


 腕が、ピタリと止まる。

 腕だけではない、足も、身体も、全身が動かなくなった。


「………な」

「愚かじゃな、獣よ」


 喘ぐように漏らした声に答えたのは、幼い、しかし魔力の籠った声。

 背後から響く声に、しかしマキシムは振り向くことも出来なかった。なにせその全身を、瑞瑞しい木の根が絡め取っていたのだから。


 ラヴィがひょいと肩をすくめた。


「こんなものでいいだろ、【魔女】。私は仲間のところへ行くぞ」

「うむ、ご苦労じゃった………あ、い、いや、ありがとうございました………」


 尊大なその口調は、ラヴィが小瓶を取り出した瞬間にひきつり、たどたどしい敬語に変わった。

 ラヴィは満足げにニヤリと笑い、優雅な足取りでマキシムに近付き――


「っ、ま、待て………」

「待たないよ」


 懸命に眼球を動かすマキシムに頓着せず、ラヴィは歩いていく。

 遠ざかっていく。

 とどめを刺さぬまま、悪意も敵意も見せないまま。


「こ、殺せ! 主人を殺したように、俺も、貴様の手を下せ!!」

「何の褒美に?」


 呆れたようなラヴィの返事は、暗殺者らしい殺傷能力でマキシムの心を抉った。


「お前の願いを叶えてやる義理は、私には無いね。それに、私は安くない。殺されたいなら相応の金を払え」

「お、俺は、敵だぞ、敵は殺すものだ!!」

「敵? 違うね、狼。敵とは己を殺す可能性のある者の事だ。私の仲間に敗れ、【魔女】に囚われた負け犬の事じゃあないね」


 その声には、一切の感情が籠っていなかった。マキシムの望む敵意も、その真逆の感情さえも、何一つ。


「私は暗殺者だ。金を貰って人を殺す最悪の職業だが、だからこそ、人殺しには一家言あってね。………依頼でなく私怨では、私は誰も殺さない。私は何者かの殺意の代理、単なるナイフだ。勝手に踊るナイフなんて、ゾッとしないだろ?」


 じゃあね、と言い捨てて、ラヴィの匂いは森の奥へと消えていった。

 見逃されたのか、見捨てられたのか。


「酷いのぅ。生殺しではないか。のぅ、狼や?」

「………いいや、彼女は正しい」

「ほう?」

「俺の甘えだ――敗者は、何も得られぬが道理。望んだ死など、過ぎた願いだ」

「そうか、立派な考えじゃな」


 くすくすと、無邪気な悪意が笑う。

 解っていた、解ってはいたのだ。

 俺は、負けた。


 敗者は何も得られぬ。ただ、奪われるのみ。


「結構。この森で、我が子たる樹を幾本も傷付けた狼藉者よ。報いを受けるが良い」


 木の根が蠢き、マキシムを取り込んでいく。巨大化とは異なる己の消滅の予感に、マキシムはそっと眼を閉じた。

 復讐は、失敗に終わった――終わったのだ。これでもう、未練はない。あとは安らかに眠るのみだ。


「さらばだ、人狼。失われし血統よ。そして――


 妖艶に微笑む【森の貴婦人】は、ふわりと溶けるように森に消える。


 あとには、ただ一本の若木だけが、安らかに揺れていた。

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