夜市
卯月
夜市
その夢の中で、わたしはいつも、金魚柄の浴衣姿。草履をはき、赤い巾着袋を提げている。
ああ、わたしはこれから、夜市へ出かけるのだ。
――えっちゃん。
声をかけられて振り向くと、そこにはランニングシャツに半ズボン、野球帽をかぶった、同い年くらいの男の子が立っている。
―― くん。
起きたときにはいつも、名前も思い出せない男の子だけれど。夢の中では一緒に遊ぶ約束で、待ち合わせをしていたのだ。
小学生のわたしが住んでいたのは、
駅から地上に出たところから始まる藤崎商店街と、隣の
普段は車も走行する商店街が、その夜は歩行者天国状態で、両側に出店が立ち並び、道は人、人、人。夏なので日没が遅く、始まる時間はまだ明るいけれど、気の早い大人はもうお酒を飲んで、焼き
夕方には家に帰らないといけない小学生でも、夜市の日だけは、暗くなったあと外を歩いていても怒られない。非日常感を味わえる、とても楽しみなお祭りだった。
三回もあるので、一回の夜市で使えるお小遣いの金額は限りがある。巾着の中のお財布の中身は、三百円。輪投げとか射的とか、大体の遊びは一回百円なので、厳選しなければいけなかった。
でも、絶対に外せないものがある。
―― くん、どこ行くと?
――「一円玉落とし」に、決まっとうやん!
高取商店街のスーパーのサニーの隣、
お店のおじさんに百円玉を渡すと、一円玉を三枚くれる。その一円玉を水に沈めて、水槽の底の器の中に上手に落とすことができると、成功した枚数に従って景品をもらえるのだ。
でも、わたしの一円玉は、一枚しか器に入らなかった。三枚のところの籠に飾られた景品を恨めしそうに眺めていると、
――えっちゃんは、下手やなぁ。
男の子が指先でついとつついた一円玉は、すいーすいーとジグザグに水中を移動して、見事に器に吸い込まれた。三枚、パーフェクト!
―― くん、うまか!
――ベテランやもん。
得意げに言うと、男の子は三枚の景品からサンリオキャラクターの缶ペンケースを選んで、わたしにくれた。
――これが欲しかったっちゃろ?
――いいと?
――俺が欲しいもん、なかったけん。
そう言って、男の子は鼻の下をこする。
次はどうしよう。サニーの
それとも、水ヨーヨー釣り? 藤崎商店街のマンション、グランドメゾンの前にはステージが組まれていて、週によってカラオケ大会だったり、地域のダンスサークルの人たちが踊ったりしている。ステージが見えるように、路上には机と椅子が並んでいて、周りには食べ物や飲み物の出店もたくさん。でも、子供のわたしたちは、ステージ上にはあまり興味がない。お目当ては、グランドメゾンの屋根の下のビニールプールの出店たちだ。金魚すくいやスーパーボールすくいもあるけれど、金魚は家で飼えないから駄目。
結局スーパーボールをすくって、ブルーハワイのかき氷を食べたら、今日使えるお小遣いは全部なくなってしまった。空はすっかり暗くなってしまったけれど、商店街はますます人であふれているし、まだ帰るのは勿体ない。
――きくち書店に行こう!
男の子に連れられて、ごった返す人波をかき分け、籐家具屋さんの隣の本屋さんへ戻る。藤崎駅の目の前にある別の本屋さんより、このお店のほうが漫画とか、子供が見て面白い本が多いのだ。もうお小遣いは残っていないから、完全に冷やかしなのだけれど。平台には夏らしく、心霊写真を特集した雑誌が積まれていて、二人でページをめくってはわー、きゃーと怖がる。
でも、そんな楽しい時間も、永遠には続かない。夜市の終了時刻より早く、家に帰ると約束した時間が迫ってくる。
藤崎駅から、隣の
――じゃ、俺、帰るけん。
男の子はすたすたと、その暗がりへと歩いていく。夜に呑みこまれてしまいそうな後ろ姿に、わたしは思わず声をかける。
――また、来ようね。
男の子が、振り返った。スーパーボールの入った透明なビニール袋が、街灯の明かりの中で揺れている。
――ああ。来週な!
そうして、わたしは目を覚ます。
……あの商店街に、わたしはいったい何年、足を踏み入れていないのだろう。お茶屋さんも本屋さんも籐家具屋さんも、今はもうなくなってしまったと、風の噂に聞いた。
小学校時代の数年間だけ住んだ町。あの頃、お父さんはあまり家に帰ってこなくて、お母さんは怒ってばかりで。わたしは金魚柄の浴衣など持ってはおらず、当然、それを着て夜市に出かけたことなどない。
……そもそも、あの頃のわたしに、一緒に夜市に行くような友達は、いなかった。顔も名前も思い出せない男の子など、最初から存在しないのだ。
わかっている。この夢は、あの頃こんな風に過ごしたかった、という、ただの願望なのだと。
それでも、わたしは、夏が来るたびに。
夢の中でだけ会えるあの懐かしい男の子と、再び夜市に行けることを願って、静かに眠りに
夜市 卯月 @auduki
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