夜市

卯月

夜市

 その夢の中で、わたしはいつも、金魚柄の浴衣姿。草履をはき、赤い巾着袋を提げている。

 ああ、わたしはこれから、夜市へ出かけるのだ。

 ――えっちゃん。

 声をかけられて振り向くと、そこにはランニングシャツに半ズボン、野球帽をかぶった、同い年くらいの男の子が立っている。

 ――  くん。

 起きたときにはいつも、名前も思い出せない男の子だけれど。夢の中では一緒に遊ぶ約束で、待ち合わせをしていたのだ。

 小学生のわたしが住んでいたのは、福岡ふくおか県福岡市早良さわら区の、地下鉄藤崎ふじさき駅の近く。

 駅から地上に出たところから始まる藤崎商店街と、隣の高取たかとり商店街では、七月後半から八月にかけての土曜日に三週連続で、夜市が開かれる。

 普段は車も走行する商店街が、その夜は歩行者天国状態で、両側に出店が立ち並び、道は人、人、人。夏なので日没が遅く、始まる時間はまだ明るいけれど、気の早い大人はもうお酒を飲んで、焼き玉蜀黍とうもろこしをかじったりして盛り上がっている。

 夕方には家に帰らないといけない小学生でも、夜市の日だけは、暗くなったあと外を歩いていても怒られない。非日常感を味わえる、とても楽しみなお祭りだった。

 三回もあるので、一回の夜市で使えるお小遣いの金額は限りがある。巾着の中のお財布の中身は、三百円。輪投げとか射的とか、大体の遊びは一回百円なので、厳選しなければいけなかった。

 でも、絶対に外せないものがある。

 ――  くん、どこ行くと?

 ――「一円玉落とし」に、決まっとうやん!

 高取商店街のスーパーのサニーの隣、油屋あぶらやビルの一階には、商店街に面して、お茶屋さん、カメラ屋さん、本屋さん、籐家具屋さんが並んでいた。抹茶ソフトが美味しいと評判のお茶屋さんは、夜市ではお店の前でグリーンティーを売っている。籐家具屋さんの前の道路には大きな水槽が置いてあり、わたしたちのような子供が群がっていた。

 お店のおじさんに百円玉を渡すと、一円玉を三枚くれる。その一円玉を水に沈めて、水槽の底の器の中に上手に落とすことができると、成功した枚数に従って景品をもらえるのだ。

 でも、わたしの一円玉は、一枚しか器に入らなかった。三枚のところの籠に飾られた景品を恨めしそうに眺めていると、

 ――えっちゃんは、下手やなぁ。

 男の子が指先でついとつついた一円玉は、すいーすいーとジグザグに水中を移動して、見事に器に吸い込まれた。三枚、パーフェクト!

 ――  くん、うまか!

 ――ベテランやもん。

 得意げに言うと、男の子は三枚の景品からサンリオキャラクターの缶ペンケースを選んで、わたしにくれた。

 ――これが欲しかったっちゃろ?

 ――いいと?

 ――俺が欲しいもん、なかったけん。

 そう言って、男の子は鼻の下をこする。

 次はどうしよう。サニーのはす向かいの着物屋さんの前で、コンピュータくじ引きをしようか。ファミコンのゲームみたいな画面で、パラシュートで降りてくるタイミングを操作して上手に島に着陸できると、景品をもらえる。

 それとも、水ヨーヨー釣り? 藤崎商店街のマンション、グランドメゾンの前にはステージが組まれていて、週によってカラオケ大会だったり、地域のダンスサークルの人たちが踊ったりしている。ステージが見えるように、路上には机と椅子が並んでいて、周りには食べ物や飲み物の出店もたくさん。でも、子供のわたしたちは、ステージ上にはあまり興味がない。お目当ては、グランドメゾンの屋根の下のビニールプールの出店たちだ。金魚すくいやスーパーボールすくいもあるけれど、金魚は家で飼えないから駄目。

 結局スーパーボールをすくって、ブルーハワイのかき氷を食べたら、今日使えるお小遣いは全部なくなってしまった。空はすっかり暗くなってしまったけれど、商店街はますます人であふれているし、まだ帰るのは勿体ない。

 ――きくち書店に行こう!

 男の子に連れられて、ごった返す人波をかき分け、籐家具屋さんの隣の本屋さんへ戻る。藤崎駅の目の前にある別の本屋さんより、このお店のほうが漫画とか、子供が見て面白い本が多いのだ。もうお小遣いは残っていないから、完全に冷やかしなのだけれど。平台には夏らしく、心霊写真を特集した雑誌が積まれていて、二人でページをめくってはわー、きゃーと怖がる。

 でも、そんな楽しい時間も、永遠には続かない。夜市の終了時刻より早く、家に帰ると約束した時間が迫ってくる。

 藤崎駅から、隣の西新にしじん駅までは、ずっと商店街がつながっていて、昼間はとても賑やかな通りだ。でも今は、夜市をやっていない他の商店街はもう閉店して、シャッターを下ろしている。二人で、高取商店街の西新側の端まで来ると、向こうはまるで別世界のように、人気ひとけのないまっすぐな商店街が夜の闇に向かって伸びていた。

 ――じゃ、俺、帰るけん。

 男の子はすたすたと、その暗がりへと歩いていく。夜に呑みこまれてしまいそうな後ろ姿に、わたしは思わず声をかける。

 ――また、来ようね。

 男の子が、振り返った。スーパーボールの入った透明なビニール袋が、街灯の明かりの中で揺れている。

 ――ああ。来週な!



 そうして、わたしは目を覚ます。

 ……あの商店街に、わたしはいったい何年、足を踏み入れていないのだろう。お茶屋さんも本屋さんも籐家具屋さんも、今はもうなくなってしまったと、風の噂に聞いた。

 小学校時代の数年間だけ住んだ町。あの頃、お父さんはあまり家に帰ってこなくて、お母さんは怒ってばかりで。わたしは金魚柄の浴衣など持ってはおらず、当然、それを着て夜市に出かけたことなどない。

 ……そもそも、あの頃のわたしに、一緒に夜市に行くような友達は、いなかった。顔も名前も思い出せない男の子など、最初から存在しないのだ。

 わかっている。この夢は、あの頃こんな風に過ごしたかった、という、ただの願望なのだと。

 それでも、わたしは、夏が来るたびに。

 夢の中でだけ会えるあの懐かしい男の子と、再び夜市に行けることを願って、静かに眠りにくのだ。

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夜市 卯月 @auduki

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