その六(最終報告書)
誰も起こさぬように、そうっと洗面所のほうへ歩いて向かった。間接照明のような薄ぼんやりとした明かりのほうへ向かう。すると、頭上から声がした。
「そこの神よ。主人の恩返しに来たのじゃな?」
そこには福禄寿のビジュアルとほぼ違わぬ、頭の長い神がいた。
「我はこの部屋の付喪神である。見たとこ、お主も昭和の時代から使われていた調理器具に付いた神であろう。我のほうがちょこっと長生きじゃ」
その神は、このアパートのこの部屋に付いた神だという。我々のような小物から現れた神よりも少しレベルが上というか、力が上の、敬うべき神である。
「そちらを見よ。主人への報告になるはずじゃ」
部屋の神の指さす方向を見ると、明かりの元が見えた。そこには、小さな櫛が置かれていた。布製の入れ物にきちんとしまわれている。
「ちなみにな、さっきまで共におった神。あれは…」
-部屋の神の言葉を聞いて、我は主人に語るべく土産話を得た、と安堵した。
翌朝、我はマシュマロの袋にもたれて寝ている神を起こし、挨拶をした。
「何の役にも立てへんかったなぁ」と残念そうに言うので、いやいやそんなことはない、と励ましてからアパートを出た。
帰りも同じルートで電車に乗り、奈良まで戻る。家に帰ると、与一は台所のテーブルに突っ伏していた。ビールの缶が2、3転がっている。うむ。大体状況は読めた。
こちらに気付いた与一はこの世の終わりという顔をして、しかし何も言わず、我もまた頷くしかできなかった。与一はテーブルに置いた結婚式の招待状を見せながら、「はぁ」と遠慮なしにため息をつく。
「…お帰り。ま、こういうことだったんだな」
泣きながら笑うような表情になって、与一は言った。我はよっこいしょ、とひとまず腰を下ろした。そして、ペットボトルのフタに入った茶をすすりながら土産話をした。
「菜々美さんの家には、付喪神が何人か居てた。あの人も、モノを大事にする良い人であるな」
そうなんだよ…とボソッと与一が言う。
「最初に菜々美さんの家の付喪神に出会った時、その神は自分が何の神かわからないと言っていた。でも、その後アパートの菜々美さんの部屋の付喪神から聞いた。その神は、以前菜々美さんが誕生日プレゼントにもらった櫛から現れたのだと。あの、鹿の刺繍の入った布製の入れ物に入った小さな櫛。それは与一、お主の贈ったものだろう」
与一は顔を上げて、頷いた。
「菜々美さんは櫛を大事に使っていた。そこまで長い年月使われていたわけではないのに、付喪神がつくのは、大事にされていたあらわれであろう。おそらく菜々美さんは、結婚してもあの櫛を使い続けるはずだ」
「…それは割と、素敵なことだよね」与一が言った。そして、弱く笑った。
「うむ。それは素敵なことである」我も答えた。
その後、与一は菜々美さんの花嫁姿を見届け、また同じ日常が戻った。
否、同じではない。与一は以前より晴れやかな顔を見せるようになった。気がかりなことが1つ消えて、すっきりしたのかも知れぬ。我はもうしばらく、人間との暮らしをエンジョイしようと思う。
-以上が、我の報告書である。付喪神は目に見えずとも、どこにでも存在する。もしも思いがけぬ良いことがあったら、それはもしかしたら付喪神のお陰だったり、なかったり。では皆の者、お元気で。
おわり
付喪神の報告書 @suzusora
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