その五(報告書-2)
菜々美さんの住むアパートは、少し山手に入った住宅街の一角にあった。
アパートの入り口にある紅葉が少し色づいていて、美しい景色だった。自転車置き場に入り、前カゴからそっと出て地面に着地する。そういえば、傍らにいる神の名前を聞いていなかった。
「お主は名を何と申すのか?」
すると、その神は眉間にシワを寄せて、「んん」と言った。
「いや~…それが、その…」
言いにくそうに、神は言った。「名前はまだない」と。お主は猫か。
時々、自らの出生を把握せずに現れてしまう付喪神がいる、というのは誰かに以前聞いたことがある。つまり、自分が何に付いているかわからないのだ。寝起きのようなぼんやりした頭で、気がつくと自分の主人らしい人間がいて、何やら大切にはされているらしいが、その対象がわからない。現代人はあまりに多くモノを所有しているゆえの弊害だと分析する者もいる。菜々美さんの部屋を見ても、それは確かに納得ができる。そうは広くないワンルームの部屋に、モノがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。綺麗に片付けられているというよりは、どうにかジャンルごとにまとめてあるという感じだ。菜々美さんは、割とざっくりとしたタイプなのかもしれない。
菜々美さんはキッチンでコーヒーを淹れて、冷蔵庫にあったタッパーをいくつか出して、レンジで温め始めた。ついでにキッチンを軽く見回すと、どの家にも1台はあるであろうオーブントースターがあった。そこまで年季は入っていない様子からみると、まだ買ってそんなに経っていないようだ。
我が部屋を物色していると、菜々美さんの携帯電話が鳴った。相手と話し始める。その声は明らかに弾んでいた。電話の相手は随分親しい人らしい。
「菜々美ちゃん、いま幸せの真っ只中やねん」
うっとりした顔で神は言った。そして我はその言葉を聞いている最中に、見つけてしまった。あの有名な、「ゼ」から始まる分厚い雑誌を。付箋がいくつも貼られ、表紙には満面の笑みの女性がアップで写っている、それを。
…無念であるぞ、与一。彼女はどうやら、結婚準備真っ最中らしい。
「いつも大体このぐらいの時間にかかってきはるんよ、電話が。たまにこの家にも来るんやけどな、シュッとした殿方で、イケメンてほどではないんやけど、そんでもまあ悪くない顔やで?お似合いやと思うわ」
「そうか…」
「あんたの主人には気の毒やけど、再来月には挙式する予定なんよ」
「…そうか…」
最初に部屋に入った時は、菜々美さんは一人暮らしの独身で、与一にもまだチャンスはあるのでは?と思ったが、今改めて部屋を見回すと、男物の寝間着はあるわ、ツーショットの写真は写真立てに収まってるわ、普通に「彼氏持ちの女性宅」に違いなかった。しかも、もうすぐ結婚する予定とは。あちゃ~、これは与一、凹むわ。何かないか、いいニュースは。
「あんたも長旅でお腹すいたやろ?マシュマロ食べよ」
菜々美さんが風呂場へ行ってしまったあと、その神は台所からくすねてきたらしいマシュマロを開けて我を呼んだ。確かに腹は減っていたので、ありがたくいただく。
その晩、菜々美さんもその神も寝てしまったあと、夜中に目が覚めて我は起き出した。そして、洗面所のほうがうっすら明るいことに気がついた。
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