花魁淵と白昼夢

駅員3

花魁淵と白昼夢

 2月某日、僕は共同研究をしている教授と一之瀬高原の入り口にある有名な心霊スポット花魁淵へと出かけた。江戸時代に55人の花魁が殺されたという東京近郊有数の心霊スポットだ。

 流れが早くゴーゴーと音を立てて流れる瀬の脇の道端に、高さ3m近い大きな供養塔が立っていた。雪に閉ざされたこの季節に心霊スポットに来ようなどというもの好きは、他にはいないようだ。足跡のない積雪の上を供養塔まで行くと、形ばかりに手を合わせた。渓谷の雪景色などの写真を撮っていたが、急に身体の芯から湧き出してくるような寒さに耐えきれなくなり車に戻ると、来るときに見かけた奥多摩湖にかかるロープウェーに乗って空中散歩しようということになった。


 青梅街道を奥多摩湖まで戻ると、深山橋を渡って奥多摩周遊道路へと入り、すぐ左手の川野駐車場でエンジンを止めた。

 道路を渡りると、山に刻まれた石段を上へと登り駅に向かう。石段には雪が積もっていて足元がおぼつかないが、どうにか上りきると駅舎が見えてきた。切符売り場へと向かうと係の女性が声をかけてきた。

「いらっしゃいませ、大人80円です。」

「じゃぁ2枚ください。」

小銭を出して切符を受け取ると、改札口へと向かった。昔懐かしい改札鋏で切符を切ってもらうとホームへと向かう。階段を上ってホームに出ると、正面に『みとう号』と書かれたゴンドラが待ち構えていた。

 「やった、一番乗り!」・・・他に乗客は無く、教授と二人だけの貸切運行だ。

軽いショックを感じると、ゴンドラは湖の上へと飛び出した。

 正面には、青梅街道の橋がきれいに見えている。湖の真ん中くらいで、対岸からやってきた『くもとり号』とすれ違った。くもとり号には誰も乗っていないようだ。

 ロープウェーから見る奥多摩湖の景色はすばらしく、周りの山々の風景も目に優しい。あっという間に対岸の川野駅に到着した。

 ゴンドラから降りると、正面にある運転室の扉が開いていて、中を覗くと運転台に係員が座っている。

「失礼します、見学させてください。」

と声をかけた。

「ああいいよ。この右手にあるハンドルが万が一のときの手動ブレーキだ。

この正面にある機械がロープウェーの制御板だよ。」

「上にある細長いメーターのようなものはなんですか?」

「ああこれね、これはロープウェーが索道のどこにいるのかを表示するものだよ。一番左が川野で、0mと表示されているね。右が三頭山口で、630mと表示されているだろう。」

「ありがとうございました。機械室も拝見させていただけますか?」

「ああ、一度ここを出て、その脇の階段を降りてくれたまえ。」


 機械室に向かうと、薄暗い中に大きな主電動機が、部屋の中心に置かれている。これが、このロープウェーのゴンドラを動かす心臓部だ。

「おや、奥にもシャフトが出てるけど・・・ん、エンジンがある!」


「ああ、これは補機だよ。万が一停電等でモーターが回らなくなったとき、このエンジンを動かして、安全にゴンドラを駅まで動かすものだ。」

いつの間にか運転台に座っていた係員さんが隣に立っていた。

 エンジンには、「トヨタR型消防用エンジン」という銘板が付いている。室内は機械油のにおいが心地よいくらい漂っていて、ケーブルは黒光りしていた。

「ありがとうございました。それでは失礼します。」

 機械室を出ると、教授と僕は展望台になっている屋上に上がった。屋上から見る山々は、とても素晴らしい。最近あまり見かけなくなった有料の双眼鏡が据え付けられている。早速小銭入れから10円玉を取り出して、投入穴に2枚入れると、カチャっと音がして視界が開けた。対岸の三頭山口駅を見ると、これから乗り込もうと待っている男女が見える。

「さて、そろそろもどろうか。」

再び切符を買うと、改札を入りゴンドラへと向かった。

「おっ、こんどは『くもとり号』だ。」

早速乗り込み先頭のかぶりつきに陣取ると、程なくして発車のベルが鳴り、扉が閉められて湖の上へと滑り出した。

 後ろを振り返ると、青梅街道のオレンジ色の橋が見えている。湖の中央に近づくと、前方からもゴンドラがやってくる。

「ん、誰か乗ってるね。カップルかな・・・

えっ、あれは・・・そんなバカな。」

なんと向こうからやってくるゴンドラに乗っていたのは、子どもの頃に別れてしまった父と母だった。しかも異様に若い。他人のそら似か・・・いや、違う。確かに父と母だ。僕にはわかる。何時しか窓にかぶりついて腕がちぎれるほど振っているのに、 向こうのゴンドラに乗っている父と母はまったく気がつく気配が無い。

 すれ違いざま泣き叫びながら向こうのゴンドラへと手を伸ばした瞬間、身体が窓から飛び出して、湖面へ向かって落下していった。


 身体が軽くなって、エレベーターで降りるときのような浮遊感がなぜか心地よい。永遠に続くと思われた落下が不意に止まった。

「おい、健作君、おい!」

「えっ・・・ あっ、教授・・・ ・・・・僕は・・・いったい・・・」

「いやさっきまで気持ちよさそうに寝ていたのに、急にうなされだして叫ぶから起こしたのさ。」

「えっ、寝てた・・・」

「ああ、この駐車場に車を止めると、『ちょっと疲れました。』といっていびきをかき始めたから、私はちょっとトイレに行ってきたんだよ。」

「えっ、でも教授とロープウェーに乗って対岸まで行ったじゃないですか。

オレンジ色の橋がとてもきれいで、山並みが幾重にも重なって素晴らしい景色だった。」

「アッハッハ、それは君、『夢』というものだよ。」

僕は急いで車から降りると、背後の山を見上げた。

 そこには、窓ガラスは割れて錆だらけでとても動くとは思えないようなゴンドラと、裏寂れた廃屋の駅が見えていた。

「さっきゴンドラに乗ったのはなんだったんだろう・・・」

ふと手をポケットに入れると硬い紙が出てきた。

 なんと昭和41年2月28日の日付が捺された80円のロープウェーの切符だった。

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