まろうど
早瀬史啓
まろうど
その日はとても寒く、雪がちらほらと舞う夜の事でしたか。
昨日から降る雪は多く、
この日も、
「ごめんなさいよ」
雪のついた
そして、奇妙にも思ったのですけれど。この大雪の中わざわざお
ですから、二つ返事で、招き入れたのでございます。
「さあさ、お入りになってくださいまし。お荷物のほう、お預かりさせて頂いてもよろしゅうございますか」
お客人は玄関先で雪を払うと、
「いやあ、凄い雪だねえ」
赤ら顔をくしゃりとするものですから、
「ほんに、今年も大層な雪が降りました。去年なんて
「は。は。は。そりゃあ難儀だったねえ。しかし雪は悪鬼を封じ込めるというからね。積もれば積もるほど悪い奴は地面の下から出てこられない。良いことですよ」
「あら、十和田の昔語りでございますね」
村人は困り果てて、村の社に祀られている大神様に鬼を懲らしめて欲しいと願いました。大神様はこれを聞き入れ、大神様がおられぬ冬の間だけ、鬼を雪の下に封じ込めたのでございます。
「春を引き連れた大神様が雪を溶かすまで、鬼は雪の下に封じられ、冬の間家の中で過ごす村人を襲うことも無くなったとか」
「春になれば、大神様がいらっしゃるからねえ。鬼も悪さが出来ないね」
「ほんに。子供の頃は祖母からよく聞かされて、雪の夜が怖くて仕方ありませんでした……あら、いけない」
丁度、
「茶は、いい。酒を一杯くださらんか」
と、お客人は指先で猪口をつくると、それをぐいっと飲む仕草をし、笑んだのでございます。そのどうの入り方といったら。まるで飲み慣れているようでございました。
「熱燗でよろしゅうございましたか?」
「雪冷えで、たのむ」
その言葉を聞いたとき、
ふと、
けれど―――次にお客人が取られた行動に、
お客人は赤ら顔をさらに赤く染めて、暑い暑いと言い、上着を脱ぎ始めたのでございます。そして遂には、肌着一枚になっておしまいになられたのです。そして、更に顔を赤くして、沢山の汗をかき始めたではありませんか。その汗の出方といったら。まるで真夏の炎天下で立ち尽くした時のような滝のような汗で。段々と心配になってきて、ついに
「どこか、お身体でも悪うございますか?」
赤ら顔のお客人は、平気のへいさで、首を横に振りました。
「なんてこたぁない。悪いが、手ぬぐいも貸していただけないかね。それから、早く冷たいものを」
「いま、お持ちいたします」
今しばらくお待ちくださいと言いながら、逃げるようにして手ぬぐいを取りに、店の奥へ行きました。あまりにも酷い表情をしていたらしく、すれ違った仲居のお嬢さんが目を剥いてこちらを見ておりました。店の奥から慌てて手ぬぐいの二、三枚、いいえ、五、六枚をひっつかんで戻りますと、あのお客人の姿がふたまわり小さくなっておりました。
「いやあ、悪いねえ」
お客人は手ぬぐいを受け取ると、顔に首にと拭い始めました。五、六枚もあれば足りるだろうと思っておりました手ぬぐいは、あっという間に濡れ雑巾のようになってゆき、
「もう少し持って参りましょうか」
「うん。あと、手桶があると良い。それから冷たいものを」
「あい、今しばらく」
拭っても、拭っても噴き出してくるお客人の汗に、
「冷たいものは、まだかねえ」
訪れた時と同じような、すこうし間延びしたような声色で
「ここは熱い。まるで煉獄のようだよ。だから、ねえ。はやく冷たいものをくださらんかね」
焦れるような声が。
カチカチと鳴る歯が。
何を考えているか分からぬ闇のような眼差しが。
額からほんのりと突き出た角が。
汗を流すたびにどんどん小さくなってゆくそのお客人が。
まるで、十和田の
手から、手桶がからりころりと転げ落ちて、漸く我に返った
「ねえあのお客人、何か変だよ」
「子供ではないかね」
「子供じゃなかったんですよ。さっきまでは大人で」
「そんな
「決して嘘じゃございませんよ」
だってさっきまで、小太りの
ふと、若人が視線を下げて屈んだかと思うと、そっと忍び寄ってきた気配に湯呑を差し出しました。坊やこれで良いかねと訊ねるその姿を、
お客人は湯飲みを奪い取るようにして受け取ると、喉を鳴らして飲み始めたのでございます。口角から流れ伝う水を袖口で拭うと、お客人はお代わりを催促いたしました。
「もうすこうし欲しい」
「ちょいと待ちなすって」
「驚きなすった」
してやったりと、笑うのでございます。
「雪は
あの真白く冷たき雪の下へ。善きものも悪しきものも全部全部封じ込め、十和田の大神様が春告げにやってくるまで、
お客人は笑みを引っ込め、虚ろな眼を
「水を飲んだら、腹が減ったわい」
あんぐりと開いた口に、ぞろりと並んだ白い歯はまるで鬼の牙のよう。生臭い息はまるで腐敗した肉のような臭いがいたしました。
「今年最後の喰いおさめじゃ」
唐突にやってきた生温い闇の中に、
さて、お
それをどうして
ああ、沢山話したものだから、ちょいと喉が渇きました。
なにか、冷たい飲み物はございませんか。
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まろうど 早瀬史啓 @hayase_p
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