05 ざけんな地理
(それっぽいサウンドロゴ)
はいっ! 続ける気あったの!?
いやもう口調忘れてますけどねっ!?
このたび twitter、じゃないや X にて、
「ひぽ太郎」様が
偉大なお仕事を公開してくださいました。
「
https://twitter.com/Jl6kmgQnKEsXvLy/status/1696719801711005755
どのエリアにどれだけの人が住んでいたのか?
これを目で確認できると、
理解度が全然違います。
で、ぶっちゃけ五胡十六国も、
割とこれで問題ないです。
意外と人間、動いてないですし。
とは言え。
トワイエ、ですよ。
そもそも日本人にはこれがある。
「で、どこがどれ?」
日本人にとって、地名って「並ぶもの」
的感覚だと思うんですよね。
なにせ細長いので。日本列島。
対する中国。面です。ピンときづらい。
なので、そのあたりを大雑把に紹介します。
ここがわかるだけで、
だいぶ解像度が違いますよ!
では、まずこの箱をご覧ください。
┌──┬──┬──┐
│左上│中上│右上│
│ │ │ │
│ │ │ │
├─★┼──★──┤
│左中│中 │右中│
│ │ │ ★
│ │ │ │
├──┼──┼──┤
│左下│中下│右下│
│ │ │ │
│ │ ├──┘
└──┴──┘
これが漢や晋です。そして3つの星。
左が
そして右中のやつが、
いわゆる五胡十六国は上3つ、
左上、中上、右上で栄枯盛衰。
左中は、いわゆる
いろいろ忙しいところです。
あ、ちなみに
左上の箱にニョロっと付いてると
思ってください。
さて、面積を見ると東晋が圧倒的ですね。
でもだめ。問題外なんです。
何故か。この9つの箱の人口規模、
右上>他の8つの合計
ぐらいの勢いだから。
右上を抑えないと、まるで話になりません。
例えば、
そこを取れたから、魏は上3つを確保できた。
そう言っていいんですね。
このあたりは、ひぽ太郎様謹製地図からも
伺えるところでしょう。
では、なぜそうなるのか。
そこを紹介していきます。
その前に、上掲の箱を
ちょっと書き換えましょう。どん。
□□□□▲─▲▲─┐
□ □▲▲▲ │
□▲▲□▲ ▲ □□
▲▲▲□ ▲□□ ▲
▲―★□□□★──┤
▲▲▲▲▲▲| □
▲ ▲ ▲▲□★
□□□□□□□□▲│
▲―▲▲――▲―▲ ┤
▲▲▲▲▲ ▲ ▲▲
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
▲▲▲▲▲ ├─▲
▲▲─┴──┘
ちょっと?
雑に言えば、白が平地。
基本的に人って、平地でしか増やせません。
ご覧のとおり、右上が化け物平地。
なのでここで、ボコスカ人が増えるんです。
逆に言うと、ここ抑えて滅んだ
と、悩ましくなるレベルです。
ではこれを、左上から順次見ていきましょう。
◯左上 オルドス、雍州、あと涼
┌────□□□□
▲▲▲ □ □
▲▲▲▲▲□▲▲□
□▲▲▲□
□ ▲ ★□
▲▲▲▲
ついでなので、
ここの左にひっつく涼も
一緒に表記しておきました。
領域を囲う□は、
その中が、上から順に砂漠、山地、盆地。
砂漠及び山地は、五胡十六国だと
夏が専有していました。
と言うか、
このエリアが、オルドスと呼ばれます。
漢人はここでは主導権を握れません。
そして、盆地。ここに長安があります。
山と黄河に囲まれ、鉄壁の守り。
この当時の都は、流通量よりも
守備力のほうが重要だったのです。
それでいて盆地もある程度広く、
生産力も出せますしね。
ついでに涼のエリアですが、
後に左下エリアで話すことになる
インド亜大陸さんによる突き上げの影響で
めちゃくちゃ険しい山脈が東西に走り、
その側に少しオアシスがあり、
北には荒涼とした砂漠が広がります。
ぶっちゃけ、道です。西方に抜ける。
けどそれなりに農業もできたみたいです。
◯中上 并州
□▲─▲
□▲▲▲
□▲ ▲
□ ▲□
□□□★
西に黄河の南北流、そこから広がる山地、
その間に流れる
(汾水は図に反映されていません)
ちなみに汾水まわりの盆地はうまいこと
匈奴の領域に続く道と化しており、
盆地の幅が極小となる地、
めちゃくちゃ重要な軍事拠点となります。
◯右上 幽州冀州兗州青州
▲▲─┐
▲ │
▲ □□
□□ ▲▲▲
★──┤
真ん中を黄河が走り、南に
(淮水も図に反映されてないです)
南東にちょこっと山もあったりしますが、
(こちらには山東半島を生やしました)
原則的にクソ平原。広すぎ。
黄河が氾濫したときどうなるんだと
なかなか空恐ろしくなりますね。
とは言えここに広がる農地の
生産力は凄まじく、人口爆発。
郡ってある程度の人口規模で
揃える感じなんですが、まぁ小さい郡に
人が集まる、集まる。
作者もこの地域見るたびに泣いてます。
◯右中 蜀(益州)
▲―★□
▲▲▲▲
▲ ▲
□□□□
▲―▲▲
四方を山に囲まれた大盆地。
そこを
ここ単独で十分に強大な
勢力となれるのは確かなのですが、
右上に化け物がいてしまう以上、
ただの袋小路にしかなりません。
三国志で、
合わせて
初めて
つまり、蜀単体ではジリ貧なのです。
こうして考えると、
その性急とも言える5回の北伐も、
短期決戦でどうにかしなければ
なすすべがなくなる、と
諸葛亮が理解していた、と言えるでしょう。
「応変の將略」に不足があったのでは、
と
戦略レベルでは正確な見立てをしていた、
と評価できると思います。
そもそもの兵力が違いすぎるのに
短期決戦を挑んで失敗したわけで、
そこを拾って疑念を抱かれても、
諸葛亮としては勘弁してほしそうです。
◯中 荊州
□□□★
▲▲▲|
▲ ▲
□□□□
▲――▲
「天下のへそ」ですよマジでここ。
真ん中を突っ切る長江は問答無用でヤバく、
一方で中上からの連絡通路にもなる。
長安から
洛陽からもまた、割と平坦な道。
そして長江には北から
(もちろん反映されてません)
が注ぎ込んでおり、南北にも水運が利く。
開発さえ進めば、生産力が出せる。
まぁさすがに右上ほど、は難しいですが。
ともあれ漢水を五胡勢力に取られると
じり貧になるため、
東晋はここを死守しました。
いわゆる西府が、この地にできるのです。
○右中 徐州豫州揚州
★──┤
| □
▲▲□★
□□▲│
▲―▲ ┤
長江下流域と、湿地帯。
建康は後背を山、前面を長江という
超弩級の堀に守られた、
まさに天険の要塞。
その上、長江のお陰で
バリバリの水運が利きます。
北に流れる淮水を境として
その南を死守するのが、東晋の生命線。
いわゆる江淮エリアを守ったのが、
後に北府軍と呼ばれます。
○下3つ 山
▲▲▲▲――▲―▲▲
▲▲▲▲▲ ▲ ▲▲
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
▲▲▲▲▲ ├─▲
▲▲─┴──┘
優先的には把握しなくて良いです。「南は山」。
これだけで、ひとまず大丈夫。
ははそしげき様に睨まれてしまいそうですが。
ここを抑えていても、あまり生産力的には
大きな力にはなりません。
でも抑えないといけない。
なにせ厄介者が隠れたい放題。
追い詰められたりもしていますからね。
この辺りは地形図を見ると面白いです。
特に左下。
バキバキの山、その間を流れる川。
ユーラシア大陸にインド亜大陸が
突っ込んだせいで北にヒマラヤができ、
東にバキバキの山ができた、
と言うのが嫌と言うほど見て取れます。
プレートテクトニクス!
○終わりに 参考論文とか
以上の内容は、
唐詩に詠まれた南北の風土
ー伝統的世界観と南北二分法の視点を通して
https://hirosaki.repo.nii.ac.jp/records/1930
より、着想を頂いています。
いきなり細かいところに行って
楽しめる方もおられるかとは思いますが、
こうして単純化しておいた方が、
見えやすくなるものもあるでしょう。
皆様は、皆様のペースで
中国史を楽しむとっかかりを
得て頂ければ、と思います。
と言ったところで、お時間となりました。
今回もお付き合いくださり、
ありがとうございます。
それでは、また!
(それっぽいサウンドロゴ)
崔浩先生の「五胡十六国」講座 ヘツポツ斎 @s8ooo
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