堕天

アリクイ

堕天

私が神の手によって創造されたその瞬間。


偉大なる神に祝福されし者、すなわち天使の誕生に世界が歓喜した。


地上では私が産まれるのと時を同じくして幾万もの生命が誕生し、愛の営みを行う夫婦は皆、新たなる命の息吹を授かったのだ。


神に造られ人の子らを導くという使命を授かった私は、誰よりも忠実に創造主たる神の教えに従ってきた。


そんな私が変わったのは約2万と4000年ほど前のある日、神からタブ・スメの森を護る役目を与えられた天使と会った時の事である。


私達は今まで私達が会う度にそうしてきたように葡萄酒を飲み、パンを食べ、互いが親愛なる神に与えられた使命について語り合った。


その会話の最中に、彼女は私にこのようなことを話した。


男の下半身に陰茎と供に備えられた一対の臓物、睾丸。人の子らの中では金玉と呼ばれるそれが人の心を狂わせ、破滅へ導いてしまうと。


そして、それ故に私達は神の使いとして人の子達から金玉を取り除かなければならないと。


もし彼女の言うことが本当ならば、全知全能である神の造り出した人間に欠陥があるということになる。


しかしそんなことがある訳がない。

いや、そんなことはあってはならない。


私は彼女に抗議した。

天使である私達の使命は神の言葉を人の子らに伝え、善き道へ導くことであり、決して神の被造物である人の子そのものに手を加えることではない、と。


しかし彼女が私の言葉を聞き入れなかった。彼女が言うにはこれは神が人間の男に与えた試練であり、これに耐えることで人の子らはより善き道へ進むことができるということであった。


さらに男形の天使である私の金玉も取り除かなければならないと言うと、彼女は突然私の腰巻きの下に手を這わせ、そして。


私の右の金玉を握り潰した。


その瞬間、私の体内をまるで神の雷に打たれたかのような痛みと衝撃が走った。それはこれまで異教徒や悪魔を相手に幾千幾万の戦を経験してきた私ですらこれまで味わったことのない強烈なものであった。


痛みに悶える私を見ながら、彼女は微笑んでいた。これでひとつ貴方の抱えた穢れがなくなった、とでも言いたそうな顔であった。


私は激怒し、彼女に飛びかかった。

目の前に立つ女形の天使は全能なる神に絶対の忠誠を誓った私の言葉を無視した挙げ句、神により造られた私の一部を破壊したのだ。それなりの罰を与えなければなるまい。

そう考え剣を降り下ろそうとしたその瞬間、一つの言葉が頭に浮かんだ。



右の頬をぶたれたら左の頬を差し出しなさい



これは決して私的な制裁をしてはならないという神の教えのひとつであった。しかしながら股間の痛みと彼女に対する怒りによって混乱していた私はあろうことかこの言葉を文字通りの意味で実践してしまった。つまり、彼女に左の金玉を差し出してしまったのだ。


彼女は一瞬驚いていたが、すぐに先ほどまでのような笑顔に戻ると私のもうひとつの玉を掌で包み込み、右の玉と同様に握り潰した。


片側のみでも凄まじかった痛みは左の玉も潰されたことにより倍になり、苦痛に耐えかねた私は意識を失った。こうして私はふたつの玉を失ったのだ。


私に降りかかった悲劇はそれのみにとどまらなかった。


意識を取り戻した時、私はタブ・スメの森ではなく、創造主の神殿の中にいた。


ゆっくりと体を起こし周囲を見渡すと、森で会っていた彼女を含めた全ての天使達が私を取り囲むように立ち、少し離れた所にある壇の上から仮の姿をとった主が私を見下ろしている。


主は私にこう言った。

お前は我が造り上げた肉体を自ら破壊した。それは即ち我に反逆すると同じこと。

故に、お前を天界から追放する。


おかしい。私の金玉を潰したのは確かにあのタブ・スメの天使であり、決して私自身ではない筈である。私は神に全てを打ち明けた。


しかし神は首を横に振り、私の主張を退けた。主は私の言葉を信じる訳にはいかなかったのだ。私の弁明を受け入れてしまえばそれは未だ実行に移されていないとはいえ、罪無き者に追放を言い渡したことになってしまうからだ。


歪んだ顔で私を眺めるタブ・スメの天使。

決して全知全能などではなかった神。

そして粗末な棒のみが残された下半身。


それが、私が最後に天界で見た全てだった。

















































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堕天 アリクイ @black_arikui

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