緞帳はまだ下ろせない

佐久良 明兎

緞帳はまだ下ろせない

「次は、あたしの番だ」


 校長室へ続く廊下にずらりと吊り下げられた札。

 私の隣で、かなではそのうちの一つを睨むようにしながらじっと見つめる。


 春を目前にした、忘れもしない高一の冬。

 職員用玄関からほど近い廊下は、人の出入りと共にからっ風が入ってくる。スカートの下を通り抜けた寒気にぶるりと震え、私は奏の腕にしがみついた。


 廊下に並べられていたのは、日本全国様々な学校の名と、うちの高校に在籍する三年生の名前。合格者の一覧だ。


「絶対に私もそこにいく。

 ルートは違うけど。後から絶対追いついてきてよね。未来みく


 その言葉に。

 私は一体何と答えたのか、覚えていない。




 二年後。

 数度しかないチャンスを全て使い果たし、奏は宝塚音楽学校の試験に落ちた。








 前橋駅の北口から伸びるけやき並木を、途中で大きく西へカーブしながら進んでいくと、やがて正面には高くそびえる群馬県庁が見えてくる。33階建てのピンク色をした建物は、東京都庁を除き県庁舎の中で一番高いらしい。

 その県庁を正面に据えながら歩けば、やがて右手に現れるレトロな石造りの建物が群馬会館だ。

 県庁と似た茶色とピンクの間のような色合いの古めかしい会館は、昭和の初めに公会堂として作られたものだ。今でも様々な会議やイベントで利用されている。

 そして、群馬県の高校演劇中毛地区大会の会場でもあった。



 隣に立つ奏が、額に手をやり懐かしそうに声をあげる。


「おーおー、ここは相変わらずだねぇ。ミスドもなくなったし、煥乎堂も縮小されたってのに」

「一応、群馬会館は文化財だからねぇ」

「そうなん?」

「うん。だから大丈夫だよ。ここなら被らない」


 含みを持たせて告げ、私はにやりと笑みを浮かべた。




 群馬県には意外とミュージカルを演る団体が多い。

 まず複数の高校に、毎年ミュージカルの定期公演を行う部が存在する。私たちの母校もその一つで、そこには百人以上の部員が名を連ねていた。

 高校以外でもミュージカルサークルはそこここで活動している。それも一つや二つではないのだ。部活出身者メインのものからファミリーミュージカルまで、一体いくつあるのかは知らない。


 だが、彼らが群馬会館を公演で使用することはほとんどなかった。なんてことはない、収容人数が少なすぎるのだ。群馬会館の400人程の座席数ではまかないきれないのだろう。

 アマチュア公演だからと侮ることなかれ。入場無料全席自由の母校の音楽部公演は、開演2時間前から列が並ぶ。



 だから。

 私たちはこの聖地で、他を気にすることなく、次へ行ける。






 今でもはっきりと覚えている。

 その日は珍しく、からっ風の止んだ気持ちのいい冬晴れの日だった。演劇部の大会で群馬会館に来ていた私は、外の空気を吸おうと一人で白いバルコニーに出ていた。


『あなたの舞台に惚れた!』


 そこに駆け寄ってきたのは、ショートカットにすらりと細長い体躯をした、同じ制服の少女。彼女は私を見上げながら、右手を大きく差し上げ間髪入れずこう続けた。


『私と演劇を創ってくれ!』


 バルコニーの上にいる私へ、告白のように投げかけた言葉。

 まるでロミオとジュリエットのようだと、呆気にとられながら私は思った。


 けれども。

 彼女の真っ直ぐな目に射抜かれ、熱に浮かされたように、私は彼女へ右手を伸ばしていた。二階と一階では、到底その手は届かなかった、けど。


 それが、私と奏の出会いだ。






 奏の夢が砕け、月日が流れた数年後。

 久しぶりに会った奏は、開口一番とんでもないことを言ってのけた。


「仕事、辞めることにした」

「え? 折角、教採も受かって顧問も演劇部だったんでしょ!? 何なん!? 何があったん!?」

「あたしがしたいのは、演る人を育てることじゃない。あたしが演りたいんだ」


 奏の衝撃発言に度肝を抜かれた私は、次に続く台詞でいよいよ硬直する。


「未来。あたしと一緒に、演劇をやろう。

 今度こそ、あたしたちの夢を叶えてやろう」


 喉の奥で声が詰まる。

 忘れていた。忘れようとしていた、ことだった。


 いつか大きな舞台で、私の創った脚本と演出舞台を、奏が演じる。

 これが、私たちの夢だった。


 だけど願っていた世界へ奏は足を踏み入れること叶わず。

 私は。


「……私は、成功しなかった。これじゃ駄目だってプロにバッサリ切り捨てられたんだよ」

「成功してないのはお互い様。どんなお偉いさんがなんて言ったかなんて関係ない。あたしがあんたの脚本ホンに惚れてるの」


 奏は立ち上がり、私にその細い右手を伸ばした。


「あたしは、あんたの脚本で演りたいんだ。

 それに。都会からダメ出し食らったうちらが、地方で旋風起こして都会に逆輸入されるのって、最高に痛快じゃない?」


 真っ直ぐすぎるほど真っ直ぐな、奏の目。

 それは、あの時と何も変わってはいなかった。


 思えば。出逢ったあの瞬間から、私は私で奏の存在に惚れていたのだ。

 その圧倒的な存在感に。人を魅了する、その声に。


 現実的に生きるつもりだった。

 夢を追わず、ただ消費する側として、甘んじて生きていくつもりだった。

 のに。



 私は。

 今度こそ、彼女の手をとった。






 正面から吹き付ける赤城おろしのからっ風に髪を弄ばれながら、奏は声を張る。


「まずは今回の公演だけど。次は音楽作れる奴を探そう。どうせなら歌って踊ってやろうじゃないか」

「境町演劇フェスティバルで。既存の歌を替え歌にして歌ってる舞台があった。著作権フリーの音楽を探して歌詞を作れば、いけるよ」


 気付けばそんなことを口走っていた。

 今度は奏がにやりと笑う。


「期待、しておりますよ」

「そっちこそ」


 私たちは、吹き付ける風の強さに目を細めながら、互いの拳をぶつけた。


 胸が詰まって息ができない。耳は寒さで真っ赤になっているのに、胸の中は燃えるように熱かった。

 息が苦しいのは、何もからっ風のせいだけじゃない。

 ……いや。自転車をも止まらせてしまう、このからっ風のせいにしておこう。



「さあ。

 私達の舞台を、始めよう」



 朗々と、奏が告げる。


 まだ、からっ風は止んじゃいなかった。

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