四方病院


「ねえ、そんなぶすっとした顔されるとこっちまでテンション下がるんだけどー」


「ああ悪い、考え事してた」


 珍しい楓子の抗議に、反射的にそう答える。しかし楓子はその答えに満足いかなかったようで、不満を隠そうともせず頬を膨らませる。

 それも当然なのかもしれない。今日だけで、既に同じ問答を三回も繰り返しているのだから。


「考え事考え事って……昨日話してくれた“トリッカー”って男の人のこと、そんなに気になるんだ?」


「まあな。奴が言っていたこと……ちょっと調べてみる必要がある」


 密度の濃い昨晩の出来事から一夜明け、匠真は楓子と共に、自宅から二駅離れた病院に来ていた。

 既に治療は済んでおり、折れてこそいないものの、絶対安静とばかりに右腕にはギプスがきつく巻かれている。

 そして今、二人は循環器系内科の待合室にいる。

 匠真はもちろん、楓子も決して身体の調子が悪いわけでは無い。この場所へは、治療とは別の目的で来たのだ。

 

――“砂上楼閣”。真実を確かめるにはここしかないよな。


 自然と膝に置いた左拳を握り締める。ここに戻ってくることはもう無いと思っていただけに、柄にもなく緊張しているらしい。


「気持ちは分かるけど、“トリッカー”なんてクラフター、雑誌の記事でも見たこと無いし……まさかとは思うけど、新入りかも」


 匠真の緊張が伝わったのか、楓子が少し明るめの口調でそう言った。雑誌とはもちろん、月刊クラフトワーカーのことだ。


「おい楓子、外ではあまり大きな声でその話はするなよ」


「いいじゃん。今は周りに誰もいないんだし。ほら、それよりたっくんはどう思うの?」


「……まぁ可能性はあるだろうな」


 いかなクラフター界の聖書、月刊クラフトワーカーと言えど、すべてのクラフターの情報が載っているわけでは無い。所詮はオカルト雑誌、目立った活躍があったクラフターばかり取り上げられるのは仕方の無いことだ。


「あいつの能力の使い方はつい最近変化したとは思えなかったけど、ここまで名前を聞かないとなると、楓子の言う通り新入りかもな」


 この場合の新入りとは、クラフターに成った者では無く、《変化》が完了して、付加能力を得た者を指す。

 全体を見てもかなり希少な能力持ちのクラフターとなれば必然的に目立ち、正体も絞りやすくなる。

 昨日のあの男の能力の使い方はかなり手慣れたものだった。しかし楓子も知らず、例の雑誌にも記載が無いとなると、本当に新入りの可能性もある。


「ま、情報不足で考えてても仕方ねえ。今日はその確認も兼ねて、ここに来たんだからな」


 匠真達が自宅から微妙に遠い『四方病院』に訪れたのは、何も腕の治療だけが目的ではない。当然それも目的の一つではあるが、それだけのためにこんな遠方までわざわざ来たりはしない。

 ちらりと天井近くの壁に架けられた時計を見ると、待合室の椅子に座って十分ほど経っていた。

 

「遅いな」


「近所の奥様方に大人気らしいからねー。病院のアイドルみたいなものらしいよー。本当は今日も診察予約でいっぱいだったみたいだし」


 話は自然と、これから会う人物の話題になる。今日この病院に来た一番の理由であり、ことクラフターに関することでは、他にあてが無い二人の唯一の頼れる味方。


「よ、待たせたな二人とも」


 まさにその人物の声が、二人の背後から聞こえた。

 二人が同時に振り向くと、そこに立っていたのは、皺ひとつ無い白衣に、清潔感のある短い髪に銀フレームの眼鏡と、まさに若さと真面目さを体現したかのような人物。胸元には『不動』と名札が張られている。


「こんにちは。お久しぶりです、仙司さん」


「遅かったじゃないか仙司、几帳面なお前が珍しいな」


「こんにちは楓子さん。そう言うな逆木。こう見えてこっちも忙しい身なんだ」


 男はまず楓子に、その次に苦笑いで匠真へと返事を返す。忙しいといった言葉通り、通りすぎる患者の多くが白衣の男、不動仙司にお礼の言葉を伝えたり、挨拶をしていく。この病院のアイドルという楓子の弁は、あながち間違っていないのかもしれない。


「お疲れさん、まるでこっちの方が本業のような忙しさだな。あっちの仕事辞めてこっちに移った方がいいんじゃないか?」


「ふ、それもいいかもな。割とこの仕事気に入ってるんだ。考えておく」


 冗談とも本気ともつかない顔で仙司が笑う。こういった屈託のない表情が、病院のアイドルとなった原因なのかもしれない。

 不動仙司は、匠真の同期にあたる。半年前まで所属していた組織で初めて知り合ってから、今でも定期的に連絡を取り合っており、知り合いの少なかった匠真にとって、数少ない親友と言える存在だ。


「それはそうと仙司。昨日はありがとな」


「はぁ? 急にどうした逆木?」


 ふと、思い出したように匠真は頭を下げる。この謝罪は最初に行うつもりだったのに、久しぶりの仙司の何一つ変わらない対応に、うっかり遅れてしまった。


「ほら、昨日のことだよ。なにもかも丸々お前にまかせっきりにしちまっただろ?」


 昨晩の事件で、野糸塾への介入や子供たちの保護等は丸々仙司に頼んでしまった。だというのに今日もしっかり出勤している様を見ると、申し訳なさが先に立つ。


「ん? なに気にするな。お前に言われた通り、全部俺の手柄にさせてもらったんだ、むしろ礼を言いたいのはこっちの方さ」


 さっぱりと仙司が言う。こうは言うが、目元の隈を見せられては強がりにしか思えない。せめて今度飲みに行く時は奢らせてもらうとしよう。


「ま、そんなことより時間も押している。遅れてきた俺が言うのもなんだが、早速移動しよう」


 仙司に案内されるままに、二人は4番目の診察室に入室する。普通の診察室らしく、診察机と医師、患者それぞれが座る椅子がある。

 今回はそこに座らず、仙司が先導してその奥で仕切りとなっていたカーテンを引き、無機質な扉のノブを掴んだ。


「おっと、言い忘れていたがこれから目にすることは――」


「他言無用、だろ。初めて来たわけでも無いから知ってるさ」


「たっくん、今はそれに加えて、SNSへの投稿の禁止もあるんだよ」


「SN……なに?」


「ほら、ツイッターとかフェイスブックとか。そういうのに投稿するのはダメだよーってこと」


 楓子が補足してくれる。成程、情報化社会の影響はこんなところにまで出ているのか。しかし匠真が通っていた半年前まではそんな規則は無かったはずだが、この半年で色々変わったのだろうか。


「ま、そういうことだ。お前はあまりそういうのやらないだろうが、一応な」


「了解。気に留めておく」


 仙司がうなずいて扉を開く。

 その先は、ただの病院とは思えないほど広い廊下が続いており、白衣を着た多くの職員が、あわただしく廊下を速足で行き交う姿があった。

 まるで大学の教室のようにいくつもの扉が壁に張り付いており、ひっきりなしに人が出たり入ったりしている。

 何人かの職員は、白衣を着ていない匠真と楓子に訝し気な視線を送るが、二人を先導するのが不動仙司だと気が付くと、何も言わずに自分の職務へと戻っていく。


「人の入れ替わりが激しい上に、あの事件があったからな……。この辺りの研究室ではお前のこと知っている人も、もういないかもしれん」


 仙司がしみじみと言う。確かに知らない顔ばかりだが、だからと言って落ち込んだりといった気にはならない。確かに一時期ここで世話になっていたのは事実だが、匠真の知人と言える人物はそんなに多くなかった。精々この廊下をもっと進んだ先にある部屋の連中くらいだ。

 仙司の言う、“あの事件”で多くの職員が退職したという話も楓子から聞いている。当時は匠真も冗談では無く死にかけたため、気持ちは痛いほど分かる。


「ま、人が入れ替わろうと、ここは大して変わらないことはわかった」


「そうなんだよね、私もたまに来るけど、ここはいつもこんな感じ」


 匠真よりここに来る機会の多い楓子は、慣れたように仙司と廊下を進んでいく。匠真も慌てて二人の後を追った。

 すぐに階段が見えてくる。この施設の本当の顔は、この階段を降りたところから始まる。

 およそ三階分くらい降りたところで、三人は更に広い廊下に出た。

 地上の階同様、廊下の数多くの扉の上に掲げられたプレートには、医療のものとは思えない研究室の名前がずらりと並んでいる。

 

「全く……こんだけの規模の裏施設、よく隠し通せるもんだな……この病院は」


『四方病院』

 いわゆる企業立病院というもので、大企業の四方グループが事業の一環として開いた総合病院だ。

 地上三階まである広大な病院内は内科、外科からメンタルクリニックまで、医療に関することを幅広く受け持つのが特徴だ。

 医師の腕もいいと評判で、今日のような平日の昼間でも多くの人が診察に訪れている。

 近年の治安の悪化、傷害事件の増加により、政府が医療施設への規定を緩めたことは記憶に新しいが、この総合病院はまるでその規定に合わせたかのような時期に作られた、歴史の浅い施設だ。


――というのが表の顔。

 

 少し周囲の会話に耳を傾けると、


「先日の都心で新たなクラフター情報が発見されたらしい」


「他社に先手を打たれたのか? うちの連中は何をしていたんだ!」


「今度の特例会議に提出する資料に第二対策課のクラフターのデータが欲しいんだが申請が通るかどうか……」


「無理だろうな……あそこガード堅いから」


 といった会話が聞こえてくる。

 周囲全てが共通している話題は、クラフターについて。

 そう、この四方病院は、クラフター研究機関としての顔も持つ施設なのだ。

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