トリッカー
殺風景だった港に、台風が通り過ぎたかのような傷痕が刻まれていた。
コンクリートの地面は盛大にめくれ上がり、コンテナはあちこちが凹み、倒れている。
匠真を中心とした周囲百メートル以内には、黒服の男達が気を失って倒れている。息はあるが立ち上がることは困難だろう。
この状況は、例えるなら僅か四方百メートル以内でのみ台風が通過したかのような奇妙な現場だ。
そう、まさに男達にとっては匠真の動きは台風に見えたことだろう。
初撃で地面を叩き割り、走ればまるで瞬間移動の如く。大の男をちぎっては投げちぎっては投げと、もはや人間の動きではなかった。
倒れている黒服と逃げ出した黒服は大体半々程度。恐怖による制圧はあまり好みではないが、この能力を手に入れてからの匠真は、この方法が最もけが人を出さずに済む方法であることを熟知している。
匠真は凶悪な殺人犯ではない。見た目は派手だが、死人は一人も出ていないのが、その証拠だ。
「クソがぁ!」
なんとか起き上がり、逃げずに銃を向ける一人の黒服の男。他の黒服達の影に隠れて、台風のような暴力を免れたようだ。
勢い勇んで銃を構えた男だったが、その引き金が引かれることは無かった。
男が銃を向け始めた時には匠真は男との距離を詰めており、がら空きの腹に左拳を叩きこんだからだ。
男との距離は三十メートルはあっただろうが、匠真にとってはその程度の距離であれば一瞬で詰められる。
出来る限り力を抑えながら、それでも重量級ボクサー程度のボディブローが突然腹に決まれば立っていられる者などいない。
鈍い音と同時に苦し気な声を一つ上げ、男は意識を失った。
「これで最後か」
警戒を解かず、されども一段落ついたことに内心ほっとする。全身に込めていた力も少し緩める。同時に、右腕を中心に体中をみなぎっていた力の本流が落ち着きを見せる。かなり暴れられて満足だったのか、これ以上右腕が疼くことは無かった。
『――肉体強化』
匠真の持つクラフター能力は、簡単に説明するならばその一言で済む。
野糸が言ったとおり、クラフターが物を生み出すだけであればそこまでの脅威は無い。ただし、《変化》と呼ばれる段階のクラフターはその限りではない。
ある程度能力を使いこなせるようになったクラフターはある突然、《変化》と呼ばれる状態に移行する。頭が冴えわたるような感覚、何でも行えるかのような自信。
そしてその感覚が通りすぎる頃、誰に教えられるでも無く感覚で能力の発現、《変化》に気が付くことになる。
ただし《変化》に至るまでの道のりには個人差がある上誰でもなれるものでは無く、多くのクラフターがその領域まで至っていない。
《変化》を経た者など、ただでさえ母数の少ないクラフターの中でも5パーセント程度だろうと言われている。
匠真はその希少な《変化後》のクラフターである。
身体能力の大幅な向上、それに伴う知覚神経の強化。走れば五十メートル程度なら一秒で移動でき、十トンの象だろうが持ち上げられる。
純粋な戦闘能力の高さ、応用の効く実用性の高さ、そして類似能力の少ない希少さから、特に強力な《変化》と言われている。
もう立ち上がる者がいないことを三度確認し、匠真は構えを解いた。
同時に潮風が火照った身体をじんわりと冷やしていくことに気が付く。戦闘中は気が付かなかったが、流石にこの季節ともなれば寒さが肌をつく。
戦闘中、黒服から奪還して自分の後ろに下がらせた子供たちも、上等な防寒具を着ているとはいえ、長い間外にいると良くない。早く暖かい場所に連れて行った方がいいだろう。
腕時計は既に二時を軽く回っている。空が明るくなる前に、ここら一帯に封鎖をかけてもらわないと騒ぎになってしまう。
「じゃあ野糸。詳しい話は暖かい場所でゆっくりと聞かせてもらおうか」
軽く呼吸を整えながら、地面に尻もちをついている野糸に目を向ける。
「ば、化け物めぇ……!」
野糸が尻もちをついたままの体勢で一歩下がる。足が震えて立てないのか、走って逃げ出す様子はない。完全に立ち上がることを諦めている。
無理もない。匠真がそうなるように仕向けたのだ。
最初にやたらめったら地面やコンテナを破壊したことで、末端の黒服達を恐怖で追い払うよう仕向けたが、野糸だけは逃げないよう逃走経路にコンテナを吹き飛ばして塞いだり、直接黒服をぶつけて逃走経路を塞いでおいた。
ただ、人間離れした相手にもこういった挑発が出来るあたり、野糸も大したものだとは思う。
「ああ化け物で結構、よく言われてるからな。言っておくがここに来る前に俺の仲間にも連絡をいれておいた。あと三十分ほどで増援も来る。もう逃げ場はないぞ、大人しくしてろ」
逃げる様子はないが、仙司達が到着するまで後三十分ほどはここに留まることになる。その間だけでも、と匠真が身柄を拘束しようと右手を上げたその時。
――パン
渇いた銃声が響いた。
直後、糸が切れたように野糸が倒れ伏し、その目が生気を失い虚ろになる。側頭部からあふれ出す血が、割れたコンクリートの床に染みわたり、匠真の靴を濡らす。唐突な人の死に、子供たちが悲鳴を上げる。
匠真も半月ほど前であれば、同じように恐怖で足がすくんでいたことだろう。
「誰だ!」
銃痕からして野糸を打った犯人は港の陸側、コンテナの方からのはずだ。
匠真からおよそ十メートルほどの位置に、銃を向けた人影を見つける。ただでさえ暗い中、倒壊したコンテナの影に隠れていて姿がよく見えない。
「ちぃ!」
匠真は即座に足に力を込め、子供たちの元へと戻る。子供たちは緊張は伺えるが、混乱は見受けられない。年長の少年がしっかり面倒を見ているようだ。
「に、兄ちゃん俺なら戦えるよ!」
野球ボールを出現させた少年が震え声で言う。勿論戦わせるわけにはいかないが、この状況下でも力強い発言は心強い。パニックになることは無さそうだ。
彼らは最初こそ匠真にも警戒を見せていたが、白美の名前を出すと信用してくれたようで、言うことをしっかり聞いてくれている。
この子達を危険な目に合わせるわけにはいかない。
「ここは俺が何とかするから君は他の子達を見ていてくれ。できるか?」
「う、うん! 兄ちゃんも気を付けて!」
「ああ、もうちょっと待っててくれ」
恐らく小学生の高学年だろうが、随分としっかりしている。同じくらいの年齢の時、自分がもしこんな状況に出くわしたら泣き叫んでいただろうに、最近の子は進んでいる。いや、恐らく彼らをとりまく状況が、普通の子供のままでいることを許さなかったのだろう。
しかし今はそんな回答の無い問いを考えている場合ではない。子供たちを背に隠し、襲撃者の動向を探る。
襲撃者は匠真の動きを見計らっていたかのようなタイミングでコンテナの影からゆっくりとその姿を現した。
柱が歪んだ街灯の下に立ち、敢えて姿を見せるかのように立ち止まった。
暗がりのため判断が難しいが、二十代の中盤くらいだろうか。中肉中背の健康そうな男だった。
美麗な目元にスッと通った鼻。
厚手の黒いコートを羽織り、その下にはビジネススーツを着ている。右腕にはめられた銀の腕時計も見たところ相当な値段がしそうなものだ。
まるで雑誌のモデルと言われても不思議じゃないその容貌は、荒れ果てたこの港にはふさわしくないように映った。
カツ、と革靴の足音と共に現れた人物はどこか陽気な気配を漂わせたまま、匠真達の姿を視界にとらえ、拳銃を足元に捨てると、こちらに向けて蹴とばした。
もう必要ないと言わんばかりの様子だが、匠真の戦闘を見たうえでの行動であるとすれば逆に不審さが増す。
匠真のクラフター能力、肉体強化は十メートル程度の距離など一瞬で詰める。銃のような破壊力の高い武器を持っていたほうが安全なのは間違いない。
「……なぜ銃を捨てるんだ」
「必要ないからだ。俺はお前と戦いたいわけじゃないんだよ、“
「……楓子の言っていた話、嘘じゃないみたいだな」
クラフターの間で最近話題になっているという月刊クラフトワーカー。そこで匠真が付けられたという渾名、“
件の雑誌には匠真の戦闘スタイル、能力も載っていたのだろうか。見知らぬ相手に能力を知られているのは非常にまずいのだが……。
「おっと、月刊クラフトワーカーには能力の詳細等載っていないぞ。クラフターが起こした事件の概要程度だ。もし能力の詳細まで載せてしまっては、どこぞの危険な組織からの襲撃もあり得るからな。お前の能力は個人的に俺が調べ上げただけだ」
「……ご丁寧にどうも。それで、なぜ野糸を殺した。お前は何者で、目的はなんだ」
彼我の距離を綿密に測りながら、訊ねる。これまでの対応と行動から、十中八九野糸と無関係ではないだろう。
黙って男の答えを待つと、男はため息をついて手を広げた。
「…………なあ“剣闘士”よ。ひとまず何も聞かずにここは見逃してはくれないか? 今はまだお前と戦う時ではないんだ」
「今は? よくわからないが、それは無理だ。俺も元々はこういった事態を取り締まる側の人間だ。話を聞きだせそうな野糸が死んでしまったからには、事情に詳しそうなあんたに話を聞くしかない」
野糸という重要な情報源を失ったのだ。このままただで返すわけにはいかない。突然ピンポイントで野糸を殺した手際の良さ、そして匠真のことをよく知っている口ぶり、何もないはずがない。
「そもそもお前、なんでわざわざ姿を現した。野糸の殺害が目的だというならそのまま逃げればいいだろう。それともまだ何か目的があるのか……?」
ちらりと背後の不安そうな子供たちを見る。もしあの男の目的がこの子供たちであれば、戦闘は避けられないだろう。能力の連続使用は負担が大きいためあまり使いたくないが……。
匠真の視線をまっすぐ受け止めた男は、フッと口元を歪ませる。
「そう警戒しないでほしい、その子供たちに興味はない。俺が興味あったのはむしろお前だ、“剣闘士”」
「……なに?」
意外な発言に、匠真も困惑する。クラフター能力の研究のため、被検体になれということだろうか。確かに肉体強化の《変化》は極めて珍しく、その研究を望む機関は多い。匠真が以前の機関に属するまでは、多方面からの手荒い勧誘も非常に多かった。またその手の類なのだろうか。
「実は俺はお前の大ファンでな。少しおしゃべりをしてみたいと思っていたんだ。リーダーからは姿を見せるなとは言われていたが、つい興奮してしまってうっかり忘れていた! というか今思い出した! 不味い! また怒られてしまうではないか!!」
「はあ? ファン……?」
男の、先ほどまでとは打って変わった慌てた態度に、困惑の色が強まる。ファンも何も、匠真は芸能人でも何でもない。誰かと人違いしているのではないだろうか。そんな考えが顔に出ていたのか、男は落ち着きを取り戻した声で言う。
「そんな顔をするな。人違いではない。俺の愛読書の月刊クラフトワーカーでお前の記事を見てから興味がわいてな、それ以降のファンだったのだ」
「俺の記事……どういう意味だ?」
「半月前の“砂上楼閣事件”、と言えばピンとくるだろう?」
匠真の身体がピクリと反応する。かつての組織を抜ける直接の原因となったあの事件。それをこの男は知っている。
「当時の俺はクラフターになりたてだった。そんな時にこの“砂上楼閣事件”のことを雑誌で読んだのだよ。お前がいなければこの街は地図から消えていたかもしれない……そうだな?」
「お前……!!」
「あれ以降お前の姿が雑誌に載ることも無く、寂しい思いをしていたんだ。そんな時、つまらんと思っていた仕事場に本物が現れたとあれば、思わず姿を見せてしまったのも仕方の無いことだろう」
「黙ってろ。あの事件のことはもう終わったんだ。今更その話を蒸し返してなんになるんだ、関係ないだろ」
「それは違うぞ“剣闘士”! 今の俺の仕事と大いに関係あるのだ!」
男は大仰に手を振り上げ、悦びに満ちた笑みを浮かべる。凄い秘密を知ってしまった小学生のように嬉々として口を動かす。
「“砂上楼閣”は我々の手に落ちた。そう、あの事件の原因となり、その名を事件に刻まれた《最凶》のクラフターだ!」
全身を雷で撃たれたかのような衝撃に包まれる。半月前、この街が後一歩で崩壊する寸前までいった事件の光景が脳裏をかすめる。
恐らく“死の暴風事件”に次ぐ被害と言われ、一部ではそれ以上の危険性を秘めていたと言われる恐怖の事件。匠真が関わり、そして深く後悔を残した事件。
「おっといけない。お前と話せたことがうれしくて、ついいらんことまで喋ってしまったようだ。こんなことがばれたらリーダーに更に叱られてしまう。というわけだ、今日はこの辺でお暇させてもらってもいいか?」
「帰すと思うか?」
今の数回の問答で、聞かなければいけないことが山のように増えた。もはやこの男を逃がすという考えは頭に無い。確実に生きたまま捕らえ、洗いざらい吐かせる。負担など気にしない。既に右腕の革紐は真っ白な輝きを取り戻している。
そんな匠真の様子に期待通りとばかりに満足そうな表情を見せると、男はふと、何気ないような口ぶりで言った。
「帰るさ。俺の仕事である野糸の抹殺は既に済んでいる。……ところで“剣闘士”よ、今日はよく冷えると思わないか?」
「…………?」
脈絡のない世間話に、今にも飛びかかろうとしていた匠真の出鼻がくじかれる。タイミングを逃した匠真を他所に、男はそのまま言葉を続ける。
「俺は寒いのが苦手でね。ごらんのとおり防寒具は欠かせない。見たところお前は寒さに強いようだが、暖かくしておいた方がいいぞ」
「……お前は何を言っているんだ?」
戦闘中での会話は時間稼ぎが常套だが、奴はまだ何も攻撃を仕掛けてはいない。この距離で攻撃を仕掛けるにしても、敵が何もアクションを起こしていない以上反応できない。
言われるまでもなく、確かに今日は寒い。それはそうだ、まだ冬真っただ中の季節だと――いや、おかしい。
――寒すぎる!
まるで極寒の北国にいるかのような肌を突き刺す冷気、それが足元からせりあがってくる。匠真は足元に視線を落とした。
「……な、 なに!?」
ひざ下あたりまでが透明な氷におおわれていた。分厚く、軽く力を込めたくらいでは抜け出せそうもないほどの強度。よく見ると、匠真と男との間を凍結した地面が伝っていた。
「お前がコンクリートをめくれ上がらせてくれたおかげで空気中と土中の水蒸気を利用できて助かったぞ」
「くそ……やはりクラフターか!」
自分の油断を悔いる。恐らくは《氷結》の変化を持ったクラフター。クラフターの象徴たる“モノ”の出現はあらかじめ済ませておいたのだろう。しかも液体を必要とせずに硬度の高い氷を生み出すとは、相当の手練れだ。
そしてあの世間話は、この氷を地面から匠真の元へ届けさせるための時間稼ぎだったのだ。
「ちぃ……っ!」
匠真は両足に力を込める。一瞬後、氷は粉々に砕け散り、両足の自由を取り戻す。僅かに動きこそ止められたが、匠真の肉体強化ならこの程度の氷ならば突破可能なようだ。
「さすが希少な肉体強化能力の“剣闘士”だ。これくらいでは足止めにもならないか」
「残念だったな。意表は突かれたが、お前の氷はもう効かない。おとなしくしてもらおうか」
「ふむ、なるほど。確かに真正面からではお前の能力には及ばないだろう。……しかしそんな余裕でいいのか?」
「なに?」
匠真がいぶかし気な顔をすると、男が匠真に向けて指をさす。いや、その指は匠真の後ろに向けられていた。
直後、子供たちの高い悲鳴が上がった。慌てて振り向くと、男から伸びていた足元の氷は子供たちの元へとたどり着き、その身体を足元から氷で覆い始めていた。
「俺は不要な殺しはしない主義だ。が、自分の身が危機にさらされている場合は別だ。早く砕いてやるんだな。凍傷にならないよう迅速な処置を勧める」
「お前……っ!」
「お前ではない。あー、そうだな、さすがに本名を名乗るのは不味いか。“トリッカー”だ。以後お見知りおきを」
男が背を向け、悠然ととその場を後にする。その背中は捉えられる位置にいる。油断しきった今の男の背中をつくことはたやすいだろう。しかし――。
「に、にいちゃん……」
「寒いよぉ……」
「助け、て……」
身体の半分を凍らされた子供たちの悲痛な叫び。もしあの男が更なる奥の手を持っていて戦いが長引いたら確実にこの子達もただでは済まない。
――ちくしょう!
「大丈夫か! 今助けてやるからな!」
子供たちの足にまとわりつく氷を順次砕いていくと、後ろから男の世間話でもするかのような気の抜けた声が聞こえてくる。
「また会おう。いや、きっと会うだろうな。お前の追っかけをしてきた俺には分かる。お前は俺達の計画に絶対参加する。その時、また手合わせしてもらうとしようか」
ゆっくりと革靴の音が遠ざかっていくのが分かる。
匠真はもどかしさに苛まれながら、氷を慎重に砕いていく。時間にして十分もかからなかったはずだが、全員を助けた頃には、男の姿は影も形も無くなっていた。
「“トリッカー”……」
それからしばらくして、仙司の寄越した応援が駆け付けるまで、匠真はその場で立ち尽くしていた。
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