変化と昂揚

「ほら、着きましたよ。のんびりしないできびきび歩きましょう! 時間は有限ですからね!」

 夜の薄暗い街灯に照らされた港で、野糸塾塾長である野糸将生のいとまさきは声を上げた。目線の先ほんの二百メートル程度の場所に止めてある貨物船を指さし、小さな集団をエスコートする。

 彼の目前には荷台から降ろされ、ゆっくりと歩を進める五人の子供たち。着ている服こそブランド品で質のいいものだが、表情は一様に暗く、恐怖と不安に強張っていた。

 彼らを連れてきたトラックの姿が見えなくなると、野糸は改めて表情に笑みを浮かべた。

彼にとって、怯える子供たちは大事な商品であるとともに、自分の歪んだ性癖を満たしてくれる対象おもちゃでもあるのだ。

 子供の苦しむ表情は他では決して得られない興奮を与えてくれる。無力で無知で無様な子供が、どうすることもできずに泣きわめく様は非常に胸に来る。

 野糸にとって、子供専門の人身売買は天職と言えた。

 商品ということで手は上げられないものの、精神的に追い込まれた表情もまた美しい。だからこそ彼は子供たちに、直前になるまで売買のことを伝えない主義だ。


 ――だというのに……。


 今回の子供たちは怯えこそしているものの、真の意味での絶望の表情は浮かべていない。その表情はどこかに希望を抱えているものだ。

 その理由は二つある。

 一つは、自分の不手際で子供たちに事前に人身売買のことが知られたこと。

 そしてもう一つは、無謀にも脱走計画を企てた子供のうち、一人を取り逃がしてしまったこと。

 慌てて部下を差し向けるもあと一歩遅く。

 最後の一人だけは一向に捕まらず、同時に念のため雇っておいた枚賀善正からの連絡も急に途絶えて行方も不明だ。

 所詮外の人間は外の人間。あてにするべきではなかったということだろう。

 ここら一帯の警察組織は全て裏で話が通っているので、助けを呼んでも無駄。むしろ居場所が割れるのでぜひ交番に駆け込んでほしいくらいなのだが、今のところ連絡は来ていない。

 子供たちは子供たちで、仲間を一人でも逃がせた達成感からか、今までの子供達商品に比べて明らかに動揺が薄い。


――面白くない。


 今回の商品達は心底面白くなかった。せめて逃げ出した佐内白美さえ回収できればまた極上の表情を見せてくれるだろうが……。


 そんな思案に暮れていた野糸は、お互いに顔を見合わせてうなずき合っていた子供たちに気が付かなかった。

 

「んん?」


 そして子供たちが一斉に蜘蛛の子を散らすように逃げ出したときになって初めて事態に気がついた野糸は、さして驚くことも無く、スーツのポケットから携帯を取り出しコールを掛ける。

 それと同時に港に配置された貨物の隙間から黒いスーツに身を包んだ厳つい男たちが子供たちの行く手を塞いでいく。この港の周囲全てを隙間なく埋めるスーツ姿の集団。およそ五十人ほどだろうか。

 

「あっははははははは! まさか本当に私一人しかいないとでも思ったんですかぁ? そんなわけないじゃないですか!」


 にやにやと笑みを浮かべながら野糸は子供たちに近づく。わざわざこんな場所に一人でいたのは単に、恐怖と絶望の表情を独り占めしていたいというだけのこと。大事な大事な商品を最後にこの目で見ておきたいからこその判断だ。直近には五十人、さらにそこから離れた位置に八十人を配置して警戒に当たらせているので、ネズミ一匹入ることは不可能だ。


「くっ……!」


 目の前にそびえたつスーツ姿の男たち、その方向に向けて、一番年長の少年が右手を振るう。直後、その右手には野球ボールが握られていた。

 男たちは一瞬わずかに動揺するも、事前に情報を聞いていたので即座に近づき、少年の身体を抑え込んで無力化する。

 

「あっと、傷つけないでくださいよ。今回の商品は特別なんですから。いつもの百倍は値が張りますからねぇ」


 男たちの荒っぽい対応に思わず野糸が口を挟む。

 そう、この子供たちは全員、常人とは異なる能力を有している。


“クラフター”


 世間で噂されている、無から有を生み出す異能力者のことだ。

 野糸自身この目で見るまでは半信半疑だったが、その存在を知ってからの対応は早かった。これは紛れもないビジネスチャンスなのだと。

 どうやら現在クラフターが確認されているのは日本国内のみのようで、海外では非常に貴重な研究対象なのだという。日本政府が存在を認めていないために、海外の研究機関も交渉が出来ないでいるようで、需要は非常に高い。

 だからこそのビジネスチャンス。

 要はクラフターの子供をその研究機関に売ってしまえばいいのだ。これまでの商売相手は海外の小児性愛者ペドフィリアがほとんどだったが、より資金力のある研究機関がバックに付けば、その取引価格は跳ね上がる。一人頭通常の百倍以上の取引となるのだ。

 

「ちょっと人とは違うからって図に乗らないように。ただ野球ボールが手のひらに出せるからなんですか? ただ鉛筆を生み出せるからなんですか? それがこの場で何の役に立つんです? ちょっと不思議な力を持っただけの普通の子供なんですよ、君達は」


 ものを生み出すからと言って所詮は子供。今回雇った刀男のように武器を無から作れるならいくらでも使いようはあるが、日用品を生み出したところで大した役には立たない。

 しかし絶対的に普通とは違うというだけのことで、親や親せきからは気味悪がられ、忌避されるのだ。

 野糸塾は表向きは進学目的の普通の塾だが、裏ではこういった人身売買用の子供を安い金で買い叩いている。

 そんな中でもクラフターの子供集めは簡単極まりない。ちょっと噂話で『不思議な力を持ったお子さんを預かって矯正致します』と流せば簡単に集まってくるものだ。

 後はその親を始末さえすれば簡単に大金が手に入るという仕組みだ。


「恨むんなら簡単に君達を見捨てたご両親を恨むんですねぇ、くくくっ」


 地面に押さえつけられたままこちらを見上げる子供たちに、再びぞくぞくとした快感を覚えていると、手に持った携帯に着信が入った。

 画面を確認すると、港の入り口で警備に当たっていた部下からのものだった。軽く舌打ちをすると、通話アイコンをタップする。


「事が済むまでかけてくるなって、私言いませんでしたっけ?」


 苛立ちを隠しもしない野糸の声は、それ以上に焦った大声にかき消される。


「そ、それが! おかしな奴が突然現れて、仲間が全員……うわぁ来た!」


 直後に銃弾の音がスピーカーの向こうから響きわたる。大の大人の叫び声と、およそ六発分の銃声が響いた後、ドサっと何かが倒れる音がした。


「おい! 何があったんですか! 情報は簡潔に語りなさい!」


 しかしその直後、ぐしゃりと何かが砕ける音がして携帯の通信が唐突に終了する。明らかに何らかの異常事態が発生したということだ。

 野糸は再び舌打ちをすると、二度手を叩いて周囲の男たちの視線を集める。

 

「皆さん、緊急事態です。詳細は不明ですが、港入り口の警備に当たっていた者が何者かの襲撃を受けたようです。五人ほどそちらの確認に向かってください。残りは私と共に子供たちを船に。急いで!」


 嫌な予感を振り払うようにして、野糸が指示を出す。男たちが指示に応じて子供を脇に抱え、船に向かう。それを確認して自分も向かおうとしたところで、背後から飛んできた何かが自分の真横をすり抜けて遥か先まで転がった。

 

「……はい?」


 間抜けな声と共に飛んできた物体を確認すると、それは先ほど警備組の様子を確認するよう命じた部下の一人だった。

 だが今の転がり方はおかしい。この男は部下の中でもかなり大柄で、体重も間違いなく百キロは越しているであろう大男だ。

 それがパチンコ玉のように水平に飛んでくるなんて、大型のトラックにでも衝突する以外ありえまい。

 しかし車の音は聞こえなかったし、何よりこの男は丁度今後ろに駆けだしたばかりだ。

 恐る恐る後ろを振り向く。


「……ぎりぎりセーフってところか、間に合ってよかったぜ」


 そこには、パーカーのフードを目深にかぶった人物がまっすぐこちらを睨んでいた。

 少し呼吸を乱しながら、視線を周囲の男たちへ向け、やがてその中心にいる野糸にたどり着くと止まる。


「そうか、お前が親玉ってわけか」


 その視線にハッと我に返り、不安を押し殺すように野糸は口を開いた。


「だ、誰ですかあなたは? ここは今日は私達の貸し切りなんですが?」


「誰だっていいだろ。知人の友達が連れ去られそうになったから取り戻しに来ただけだ。ちょうどそこの――」


 その指先を、野糸と同じく固まっている男たちが担いでいる子供に向ける。子供たちも一様に不安に駆られた表情を浮かべている。

 その子供たちを安心させるように一度微笑み、再び野糸へと視線が戻る。


「そいつらだ。返してくれねえか?」


 随分と緊張感のないその声音に、野糸の緊張もようやく落ち着いてくる。ここまでの情報で事情がつかめてきた。そうと分かればどうということは無い。


「なるほど、つまりあなたは逃げていった子供の現在の保護者というわけですね。それなら話は早いです……お前達!」


 一様に固まっていたスーツ男たちが一斉に懐から銃を取り出し、男に向ける。


「どうやら不意を突くのが得意みたいですが、こう広い場所に出てきたのが運の尽きでしたねぇ! さぁ、逃げた子供の居場所を教えなさい!」


 自分の優位性を再確認し、背筋を張る。そうだ、いまこの場には五十人近い大の大人。それもそれぞれが銃を所持しているのだ。こんな無手の男一人に何を怯えることがあるのか。

 こいつを脅して逃げた子供の居場所を吐き出させた後、始末して海にでも捨てればいい。幸いこれから出向する船があるのだ。子供たちと一緒に乗せて、途中下船願うとしよう。

 

「さあ! 居場所さえ教えてくれれば命までは取りませんよ!」


 もはや交渉の余地はないことは明らかだが、せめてどういった顔を見せてくれるのかと刮目しようとジッと視線を向けたところで――


 直後、その男は野糸の目の前にいた。


「――へぇ?」


 そんな間の抜けた声が自分の喉から出た物だと気が付く前に、左頬に鈍い衝撃が走り抜け、身体は宙に舞っていた。

 一瞬後に、背中からコンクリートで固められた地面に激しく叩きつけられたことで、ようやく自分が殴られたことに気が付く。

 慌てて駆け寄ってきた部下に抱き起されながら、野糸は力の限り叫んだ。

 

「あが、ががが、こ、コロせえええ! ハチの巣だあぁあ! やれええええ!」


 圧倒的に優位な自分が殴られた。そのことを理解した瞬間、逃亡者の居場所を聞き出すための算段は全て吹き飛んでいた。今はただ、この目の前の憎き男を殺すことが唯一自分を慰められる手段なのだと。

 ただ血が上った状態だった所為で思い至らなかったことがある。

 なぜこの男は自分の目の前に突如として現れたのか。彼我の距離は五十メートルはあったはずなのに。

 そんな重要なことに理解が及んでいたら、もう少し冷静な判断を下せたのかもしれなかった。少なくとも自身の退路くらいは確保していただろう。


「面白ぇ! 全員纏めてかかって来いよ!」


 男がパーカーの右腕の裾をまくる。

 中からは、ところどころ赤い染みが滲んだ白い革紐がきつく巻き付けられていた。

 その染みが段々と白くなっていくことに、暗がりの中で気づけたものは誰もいなかった。ただ、その男の周囲に薄っすらと陽炎のようなものが立ち込めていることから、何か尋常ではないことが起こっていることを、スーツの男たちは本能的に理解する。

 

「あまりコイツに血を吸わせるなよ……後が怖いからな!」


 その言葉を合図に、パーカーの男は駆けだす。一足で何メートルも超える人を超えた脚力をもって。

 クラフターの能力はただ何かを生み出すだけではないことを、半端に知識を得た者達に知らしめるように――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る