白美の叫び

 ゆさゆさ。

 身体が揺さぶられる感覚に、意識が覚醒していく。

 

――そういえば楓子に起こしてくれと頼んでおいたっけ。


 窓から漏れる明かりが眩しい。時刻が昼になったので、約束通り起こしに来てくれたのだろう。

 部屋こそ分かれているが、無趣味な味の無い部屋だ。特に見られて困るものもないので、断りなく楓子が入ってきても何も言うことは無い。

 こうして起こしに来てもらったことも、一度や二度ではないのだ。

 しかし今回はその起こし方に違和感を覚えた。

 丁度一週間前にも起こしてくれとお願いしたことがあるのだが、その時は耳元でフライパンにお玉を叩きつけるという原始的かつ、効果てき面な方法をとられ、半日は耳がキーンとしていたものだ。

 確かその前はバケツ一杯の水をぶっかけらるという方法だった。

 そんな数々のバイオレンスな起こし方を果敢してきた彼女が、こんな優しく身体を揺らして起こそうとするだろうか。

 

「もう起きてるぞ。なんだ楓子、今日はやけに優しいじゃない、か……」


 匠真は毛布をはぎ取り、身体を起こしてすぐに言葉を失った。

 なぜなら、一生懸命布団を揺さぶっていたのは楓子では無く、見た目小学校低学年ほどの少女だったのだから。

 そう、昨晩匠真が助けた女の子だった。

 

「君は……」


 匠真の言葉に少女が顔を上げ、その際に目が合う。

 眠っていた時には分からなかったが、澄んだブラウンの大きな瞳が、ぱちくりと動いており、まるで人形のようだ。

 子供らしい、無垢な瞳。ここまでじっと見つめられると、こちらの方が何かやましいことをした気になってしまいそうだ。


「え、えっと……」


 匠真が何か言おうとする前に、少女の視線がようやく動く。匠真の顔から、僅かに下へと視線が移動する。


「……?」


 匠真も釣られて自分の身体を見ると、思わずしまったと顔に出た。今の匠真は、上半身裸で布団にくるまっていたのだ。

 寝る直前に、外に出ていたままのジャージで布団に入るのもどうかと思ったのが運の尽き。わざわざ着替えるのも面倒くさく、どうせ毛布にくるまれば暖かいだろうと上半身だけ裸で布団に入っていたのだ。

 少女は男の裸等見慣れていないのだろう、顔色が下からどんどん真っ赤になっていく。


「あー、これはな……」


「~~~~~~~~っ!」


 匠真が事情を説明しようと口を開いたのと同時に、少女は声にならない叫びをあげ、階段を一気に駆け下りていった。

 幼い少女には知らない男の裸は刺激が強すぎたのだろうか。


「……楓子のせいだからな」


 恐らく目を覚ました女の子に、楓子が自分を起こしに行くよう頼んだのだろう。さりげなくそっちに責任転嫁して布団から這い出る。

 子供とのファーストコンタクトの重要性は大人同士のそれとはわけが違う。最初に怖い人だと思われれば子供は近づいてはこないし、挽回の機会も必然的に少なくなる。

 別に匠真は髪を染めたりピアス穴があったりだとか目に見えて子供が怯えそうな要素は無いと自負しているが、子供から見る高校生くらいの年齢は実寸以上に大きく見えて怖く映ったりするものだ。

 

「怯えさせちまったかなあ」


 すぐに親元に送り届けることになるだろうしそこまで気にすることも無いのだが、面と向かって子供に怯えられるとさすがに凹む。

 今日一日くらいは仲良くしていたいものだが。

 とりあえずいつまでも裸でいるわけにもいかないので適当に着替える。

 リビングに降りていくと、トン、トンと規則正しい包丁の音が聞こえてきた。

 楓子に文句の一つでも言ってやろうと考えていたが、寝起きの包丁を叩く音で腹の虫の方が先に音を上げる。そういえば昨晩はそもそも夜食を買いにコンビニに向かっていたのだ。

 結局何も食えず仕舞いだった腹は思い出したかのように空腹を訴えていた。

 

「あ、お寝坊さんおはよー。だめじゃんシロちゃんビックリさせちゃ」


 リビングとつながったキッチンから、エプロン姿の楓子がにやにや顔をのぞかせる。予想通りの反応だ。


「お前なぁ、小さい子に寝ている知らない男を起こしに行かせるか? 普通」


 とりあえず責任の所在を押し付けてみる。


「いやいや、シロちゃん本人が言ったんだよ、助けてくれたお礼に何かしたいって。だからちょっと二階の寝坊助さん起こしてきてってお願いしたの。っていうか自分から起こしに行くって言ってた子がなーーんで半泣きで逃げてきたのかにゃー?」


 楓子の適格な言葉が鋭い切っ先となって帰ってくる。こうなってしまってはこちらが不利になるばかりだ。


「……もう状況説明はしてくれたのか?」


「ん、まあ一通りはね」


 少し強引だが話を変える。楓子もやけに真剣な顔で話に乗ってくれた。いつもならもう少しからかわれそうなものだが、少女について、深刻な問題があったのだろうか。


「そっか、ありがとな」


「別にいいよー。ゲームも飽きてきたところだったし」


 切った大根とにんじんを鍋に入れながら楓子は答える。テーブルの上にはトーストの粉が残った皿と目玉焼きが半分食べかけの状態で残っていた。どうやら少女のために先にご飯を作ってくれていたのだろう。

 匠真への遅い朝食はそのついでといったところか。


「私達のことはもう伝えたから、後はお願いね。私が聞いたのはまだ触りの部分だけど、結構重そうな話みたい」


「そうか……ありがとう」


 楓子は何気なく答えてくれているが、幼い子に事情を説明してくれたのは非常に助かる。刀男から追われていたこと、それを通りかかった匠真が助けたことを、見知らぬ男の匠真から伝えるよりも、女性に伝えてもらった方がいいだろう。

 ただ、あくまであの少女を連れてきたのは匠真だ。事情を最後まで聞くのは匠真の役目というものだろう。


「ちなみにあの子……シロちゃんって言うのか?」


「自己紹介は本人から聞いてあげてね。ほら、リビングの方……」


 言われるままリビングの方へと振り向くと、カーテンの影に隠れながら少女がちらちらとこっちを見ていた。まだほんのり顔が赤い。


「今時珍しいくらい初心な子だよね。ほら、たっくんから話しかけてあげなよ」


「お、おう」


 何となく忍び足で近づいていく。まるで警戒心の強い猫に近づく気分だ。互いの距離が大体二メートルくらいになったところで少女の身体がびくっと震えた。

――そうかまずはこの距離までだな。

 一度足を止めてしゃがみ込む。距離は離れているが、目線は合わせた方が話やすいだろう。なんだか本当に猫を相手している気になってくる。


「よう、さっきは怖がらせちゃってごめんな。楓子からもう話を聞いてるかもしれないけど、俺の名前は逆木匠真。よければ君の名前を教えてくれないか?」


 にっこりと精一杯の笑みを浮かべて話しかけると、少女は少し迷ったような顔をして、おずおずと前に出てきた。


「佐内、佐内白美さないしろみです、あの、さっきはごめんなさい」


 予想よりもしっかりとした返事が返ってきた。正直先ほどの件でかなり警戒されているのではと考えていたが――もしかしたら楓子が寝ている間に色々と緊張を解いておいてくれたのだろうか。

 ――後でアイツの好きな小梅堂のプリン買ってきてやろう

 心の中でひとまずお礼を言い、会話を続ける。


「いい名前だな。白美って呼んでもいいか?」


 コクリ。了承の合図。


「白美はええっと、今何歳だ?」


「……八歳です」


 若い。いや、幼いと言っていいレベルだろうか。しっかりとした言葉が返ってくるからもう少し上かと思ったが、まだ小学校の低学年くらいではないか。


「そうなのか。家はどこかわかるか? ご両親も心配しているだろうし、よければ送るけど」


 刀男のことはひとまず置いておいて、実家の場所を尋ねる。もし近いようなら自分たちで送っていけるが、あまり遠すぎるなら機関に任せた方がいいだろう。

 あまり知らない場所で初めて会った人と一緒に過ごすのは怖いものだろうし、できるなら匠真が直接送り届けてあげたいが……。

 その時、白美が何かを思い出した彼のように俯いて小さな声で言った。


「……いや、です」


「えっ?」


「いやなんです、もうおかあさんとおとうさんに、あんな目で見られるの……」


 白美が頭を抱えてぶるぶると震えだす。しまったな、と匠真は心の中で毒づく。嫌な記憶を思い起こさせてしまったようだ。


「みんな……みんなのとこへ行かなきゃ……」


 その間にも白美はどんどんうずくまって何かをつぶやいている。まるで何かの強迫観念にとらわれているかのようだった。

 ――これはまずいな。

 こういった状態が続くと、最悪自傷してしまうこともある。そういった手合いを、匠真は今まで何度も見てきた。しかしそういったメンタル面のケアを散々他人に任せてきたので、どうしたらいいか分からない。

 すがるように台所で料理をしている楓子を見ると、のんきに鼻歌を歌いながら料理の味見をしている。

 そしてちらりとこちらを振り返り、謎のサムズアップ。一切の干渉の放棄。手は貸さないからそっちで頑張れということらしい。

 

 ――ああもうちくしょう!

 

 匠真は怯える少女を抱き、ゆっくりと頭を撫でた。はるか昔自分も同じようなことをしてもらった記憶があるので、その記憶を頼りに見よう見まねでやってみる。

 

「すまん、怖いこと思い出させちまったな。ゆっくりでいいから何があったか教えてくれないか。ため込んだもの吐き出すだけでも気が楽になるもんだぞ」


 そう言って不器用ながらも白美の髪を優しく撫でる。すると、色々と抑えていたものが溢れたのか、白美の大きな瞳にみるみる涙が溜まり、やがてダムが決壊するかのように大粒のしずくがあふれ出してきた。

 最初は押し殺していた声も、段々と大きくなり、匠真の胸の中で全てをさらけ出すように話し出す。

 嗚咽しながら蚊の鳴くような声ではあったが、事情を語ってくれた。

 白美がクラフターとして目覚めたのは一年前。

 まだ七歳の自分に目覚めた特殊な力を白美は、自慢したくてつい自分の両親に伝えたらしい。

 しかしそれが良くなかった。白美の親は普通とは違うクラフターの力にすっかり怯えてしまい、とある場所に白美を半ば押し付けるように預けたのだという。

 表向きには野糸のいと塾と呼ばれるそこは、巷では妙な力を持った子供を預かり、教育をしてくれる場所として密かに噂になっていたようだ。

 そこに預けられた白美は、そこで言葉遣いの矯正、礼儀作法、そして何よりクラフター能力の制御について毎日毎日叩き込まれたのだそうだ。朝から晩まで続くそんな日々に、幼い白美は何度もめげそうになったのだという。

 しかしそんな彼女を支えてくれたのが、人数は多くなかったが、一緒に過ごしていた生徒達だ。彼らといずれ来る卒所の日を夢見て励まし合ったことが、白美が頑張れた理由なのだ。


「ただ、卒所という話は嘘だったわけね」


 泣き疲れてまた眠ってしまった白美を膝の上に寝かせ、楓子が言った。ようやくこちらに来た楓子と今、ソファで座っている。せっかく楓子が作ってくれた料理も、今は食べる気にはならなかった。


「ああ、白美は聞いてしまったんだ。塾の本当の目的は、クラフターの能力を持った子供たちを、国外に売り飛ばすことだったって」


 治安悪化が騒がれるこのご時世、国内では個人・集団を問わず犯罪増加率はうなぎのぼりとなっている。警察もその全てには対応しきれず、今も人知れずどこかで凶悪な事件が起こっているのだ。

 児童誘拐や人身売買も今や珍しいことではなく、規模によっては地方新聞の隅に乗る程度のものでしかない。

 そんなふざけた世の中で、テレビの識者は日本は安全な国と言っているのだからお笑いだ。


「クラフターの存在が確認されているのは日本国内だけだし、海外でも情報を欲しがる研究機関が後を絶たないとは聞いたことがあるねー」


「ああ、それと昔追っていた事件でもあったんだけど、特に能力持ちの少女は海外の小児性愛者ペドフィリアに高く売れる傾向にあるらしい」


「にゃるほど、こーんな可愛い子だもんね……それを知ってしまった塾の生徒全員で逃亡を図り、シロちゃん以外は全員捕まってしまったということね」


 少しとぼけた不謹慎にも聞こえる楓子の言葉だが、その内容が無いようだけに、重苦しくしたくないという楓子なりの配慮だろう。頭に血が上りかけてる匠真には、その配慮がありがたかった。


「ああ、例の刀男はさしずめ用心棒といったところらしい。元から塾にいたってわけじゃなくて、ただの利害の一致というわけだ」


 今思い出してみれば、あの刀男、かなり好戦的な部分はあったが、白美を殺すといった発言は無く、あくまで身柄の要求のみを求めてきた。大事な商品を殺すことはできないという意味だったのかもしれない。

 一息ついて眠っている白美を見る。今は再び目を閉じてすやすやと眠っているが、よく見ると時々顔をしかめ、うなされるような声を上げている。

 起こすかどうか考えて、辞めた。今の状態で起きたとしても、いつ仲間が売られるかも分からない状況に、更に追いつめられるだけだろう。

 白美が脱出を試みたのが三日前。刀男に追われていた時は塾の計らいか、上等な子供用のダウンを着ていたが、こんな寒空の下、心労と追われる恐怖に怯えながらではろくに眠れるはずもない。出会ってからの泥のような熟睡がその証拠だ。

 恐らく警察を頼ろうとしても無意味。世間的にはクラフターの存在は認められていないので、精々話半分で流され、書類上の預かりどころである塾に連れ戻されるのが席の山だ。

 

「……で、たっくんはどうするの?」


「……もうわかってんだろ」


 親から疎まれ、仲間達は捕まり、自分は追われる身。八歳の少女が追うには、あまりに重い出来ごとだ。確かに白美にはクラフターという、人とは違う特別な力を持っていたかもしれない。

 しかし、だからといってここまでの重荷を背負う必要は無いはずだ。

 だったら匠真がやるべきことは一つ。


「楓子、今日のショッピングは悪いけど別の日にしていいか」


「もちろんだよ。シロちゃんはどうするの?」


「お前の部屋で寝かせておいてくれ。起きた時には全てが終わっているようにしないとな。それとお前は残っていてくれ」


「えーなんでー」


 腕まくりをしてやる気満々だった楓子を窘める。楓子は不満を隠しもせず唇を尖らせる。


「楓子は白美が目を覚ました時にそばに一緒についていてやってくれよ。起きた時誰もいなかったら不安だろ? 」


 匠真の言葉に楓子はしばらく「うーん」考えると、ようやく納得したように小さくうなずいた。


「あーもう、りょーかい! でもその代わり今度の買い物では色々買ってもらうからね」

 

「……ほどほどにしておいてくれよ」 


 会話を済ませ、白美を楓子に任せて動きやすい恰好をして外へ出る。まだ時刻は午後三時を回ったあたり。気持ちは逸るが焦っても仕方がない。犯罪者が活動するのにいいタイミングは深夜。その時間帯を狙わなければいけない。

 人々に見つからないことが大事なのだ。夜はまともな人は眠る時間。

 では匠真のような異端者は?

 何も出現させていない右手の拳が、熱を持ったかのように熱くなる。それはまるで、今までお預けを食らっていた猟犬が、ようやく見つけた獲物を前に、気分を高揚させているかのようだった。


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