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週に2日程度は通っていたろうか。私はここに行くときはもっぱら一人だ。会社の連中と飲むときは、他の居酒屋を使う。ここまで会社の延長になるのは嫌だ。斜めのカウンターで板さんとタイガースの話題で飲む。

2年ほど転勤で神戸を離れていた。帰って来て、久しぶりのこの店に顔を出し、斜めのカウンターに座った。女将は愛想良く「久しぶりやわー。元気されていたんですね」と言った。以前と店の雰囲気がまるで違う。若い娘たちで一杯なのだ。店は殺風景どころか娘たちで賑わい、華やいでいる。高架下の店主らも、馴染みの客の顔が見えず、落ち着かない。


「女性誌にレトロな居酒屋として取り上げられたんですわ」と女将は云った。瓶ビールを1本空けて、私はトイレに立った。

「おカーチャン、あのトイレの戸ぐらいなんとかせんと」と云った。

「1年もしたら、あの娘らは来んようになります」とおカーチャンは云った。

1年が経ったら、その通りになった。


また、元の客たちの店に戻った。『居酒屋100選』という本にも取り上げられたが、別段それ程の店とは思わなかった。この店を一番に取り上げるこの本の作者は、よっぽど変わっている人だと思った。

変わらぬことだけが取り柄の様な店である。何時ものメンバーが何時もの仕事を淡々とこなす。季節によって変わるメニューはあるが、十年一日のごとくメニューは変わりはしない。変わるとすれば家族の歳がいくぐらいだ。おカーチャンの頭もめっきり白くなった。


平成7年、神戸淡路大震災があった。高架はへしゃげ、暫く電車は不通となった。

新聞の震災特集で、この店の板さんが震災を語り、新しく三宮の別の場所で独立したことが書かれてあった。私は神戸のアパレルの会社を辞め、父亡き後の大阪の婦人服店を継いだ。そんなことで、長年この店には行っていなかった。

神戸の鈴蘭台に母が住んでいたが、三宮は何時も素通りだった。高架も復旧され電車も通い、高架下は新しくなった。この店に行きたくなって、三宮で途中下車をした。


新しい高架下の、新しくなったこの店は、息子が板さんとして料理をやり、最近もらったというお嫁さんが〈おカーチャン〉の代わりをしていた。おカーチャンは亡くなり。無愛想な主は病院生活だという。料理は旨くなかった。何より、店が昔の面影の断片すら留めていないのが淋しい。せめて、あの看板とポスターぐらいは残して置くべきだ。


斜めのカウンターは無理としても・・・。



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『斜めのカウンター』 北風 嵐 @masaru2355

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