グリーンマンと気まぐれ王子
福北太郎
グリーンマンと気まぐれ王子
『光合成する人間――あなたは、グリーンマンを知っていますか』
手に持つ名刺サイズの携帯端末からは、立体ホログラムが映し出されている。
「ああ。綺麗だよなあ、俺」
プラチナブロンド、ヴァイオレットの瞳、フランス人の母譲りの端正な顔、日本人の父譲りのスレンダーな肉体、そして何よりも目を引くのが――深い緑色の肌。
そう、全身が緑色なのだ。
薄い麻でできた一枚布の服をまとい、サッカーボール大の地球を両手で包み込みながら、優しく微笑んでいる。下の方には、テロップで「グリーンマンは、二酸化炭素削減に向けて全力で取り組んでいます」と表示されていた。
オリヴィエが俳優として、そして光合成人間グリーンマンとして、初めてテレビに出た記念すべきCMだ。
「またそのCM見てるんですか。本当に自分大好きですよね、あなた」
赤信号で車を停止させたマネージャーの
オリヴィエは苦笑する。
「いや、だって素で良いと思うんだよ。ほら、肌の中の葉緑素まで綺麗に出てるし」
江崎が吹き出す。
「そのCMが出た時は、CG合成だと思われてましたけどね。まあ、俺も実際にあなたに会うまでは事務所のどっきりだと思ってましたけど」
「ええ! そうなのか!?」
「当たり前でしょうが。どこの世界に、全身肌が緑色の人間がいると思うんです」
「……ここにいるんだけど」
オリヴィエは口を尖らせた。一般人ならともかく、マネージャーにまでそう思われていたと思うと、ちょっと悲しくなる。
江崎は肩をすくめると、ハンドルを握り直した。
「ま、そんなことより、もうすぐ現場に着きますよ。端役とはいえ、やっととれた連続ドラマなんですからね。チャンスは確実にものにしてくださいよ」
「ああ、わかってる」
オリヴィエは携帯端末を握りしめ、ポケットにしまい込んだ。
気分が高揚していく。俳優としてデビューしたものの、しばらくは肌が緑というもの珍しさから、ワイドショーやドキュメント番組にしか出ることができなかった。だが、最近はようやく知名度も上がってきて、バラエティやドラマへの出演が増えてきたのだ。
これからが、俳優椎名オリヴィエとしての勝負だ。否が応でも、やる気が出るというものである。
その時、拡声器を使っているのか、車の外から誰かの声が聞こえてくる。
「ん、何だろう?」
オリヴィエは、マジックミラータイプの窓から、外の様子をのぞいた。公園の広場のような場所で、ちょうどデモをしているようだ。
彼らが抱える看板には、「グリーンマン反対」「生命をないがしろにするな」「即刻非人道的な研究を中止しろ」等の文字が見える。
オリヴィエは思わず息を飲んだ。
江崎も気付いたのか、窓にブラインド機能をかける。視界が真っ黒に染まった。
「……この辺りはちょっと騒がしいみたいですね。もう少し奥の方に移動しましょうか」
そしてデモ隊から見えないように、車を左折させ、奥まった方に停車する。
オリヴィエは腕を組んだ。
撮影現場とこの公園は、そう離れていない。デモ隊がオリヴィエに気付いたら、一騒動になりそうだ。
幸先悪いスタートに胸騒ぎがする。
「……何も起こらないといいんだけどな」
***
撮影現場のビル脇でマネージャーと別れ、オリヴィエは共演者やスタッフに挨拶して回っていた。
「椎名オリヴィエです。よろしくお願いします!」
「あ、ああ。よろしく」
準主役の男性が、ぎょっとしながらも相づちを打つと、そそくさとその場を去る。
オリヴィエは肩をすくめた。いつものことだが、どうしても肌が緑というのは相手を驚かせてしまうらしい。
慣れればほとんどの人は普通に対応できるようになるので、それまでの我慢だと思ってぐっとこらえる。笑顔でいれば、そのうちわかる人はわかってくれる。
気合いを入れて、頬を軽く叩いた。
「大丈夫。元気に笑顔で、頑張れ、俺!」
ふと、ざわめきが聞こえた。
ビルの横にマイクロバスが停まり、人が出てくる。
黒い短髪に、ぱっちりとした瞳の十五、六歳の少年だ。まだ寝起きなのか、あくびをかみ殺し、パーカーのポケットに手をつっこみながら車を降りる。
「あ……」
オリヴィエは身を乗り出した。
両親共に芸能界の重鎮で、子役の頃から天才と呼ばれたエリート俳優だ。その演技は予測不可能といわれ、猫のような気まぐれでぼうっとした様子を見せたと思ったら、次の瞬間、人をどきっとさせる表情をする、独特な持ち味が高い評価を受けている。
ついたあだ名が、気まぐれ王子。
「本物だ……」
共演できると知っていたが、こうやって実物を見ると、その個性的なオーラに圧倒されるばかりだ。
気付けば、監督を始め、多くの人間が春菊の元に集まり、次々と声をかけていた。春菊は自分が気に入らない仕事は受けない主義の人物だ。彼らもご機嫌取りに必死なのだろう。
「すごいな」
オリヴィエは嘆息した。
なんとも複雑な気分だった。あこがれの俳優に出会えた喜びと、誰にも声をかけられることのなく、一人で立ちつくしている自分との落差に、静かにこみ上げてくる嫉妬心と、様々な感情がいっぺんに胸で渦巻く。
じっと見つめていると、ふと春菊と目が合った。
まるで視線が、見えない一本の線で繋がったように。
「え……」
春菊が、周りの大人を無視してこちらに近付いてくる。てっきり、近くにいる誰かに向かっているのかと思って周囲を見回すが、そのまま目の前までやってきた。
やや背伸びをしながら、上目遣いに春菊は言う。
「緑だね」
オリヴィエは呆気にとられた。
しかし「緑だね」とはどういう意味だろう。褒められてるのか、けなされてるのか、日常会話なのか、ジョークなのか、さっぱりわからない。
どう答えたものか困り果てたが、黙っているのも失礼なので、とりあえず相づちを打ってみる。
「え、ええ。グリーンマンですから」
春菊は年下だが、実力至上主義のこの業界だ。オリヴィエは敬語で答えた。
「何? グリーンマンって」
「え」
うっかり、オリヴィエは固まってしまった。
まさか、この日本でまだグリーンマンを知らない人間がいるとは思わなかったのだ。
肌が緑というのは、良くも悪くも目立つものだと思っていたが、もしかして自意識過剰だったのだろうかと、頬が熱くなる。
うつむきがちに、オリヴィエは答えた。
「その、一言で言えば、光合成をする人間です」
「光合成」
春菊は、目をしばたかせながら、いきなりくしゃっと笑った。
「エロいね」
「は!?」
ぎょっとして、大声をあげてしまう。
そして、呆然としているオリヴィエを置いて、ふらふらと春菊はその場を去っていった。
「え。な、何だ、今の。エロい、エロいって言われた? 今の文脈で、どうしてそうなるんだ」
意味が分からない。しかし、たった二、三、言葉を交わしただけで、ここまで印象を持って行かれるとは。
オリヴィエは、肩の力が抜けた。
「……やられた」
これが売れっ子俳優と、イロモノ枠の自分との差、か。
なんだか、撮影が始まる前から、格の違いを見せつけられたみたいで、小さな苦みが口に広がった。
***
撮影が始まってしばらく、オリヴィエは静かな場所を探していた。
主演の春菊とは違い、ほんの脇役のオリヴィエは出番まで大分時間がある。他の出演者とも、まだ話せるほど仲良くなっていないので、一人でじっと台本を読む事にしたのだ。
ロケ隊のいる道路脇から、少し離れたガードレールの上に腰掛ける。夏の日差しが熱く照りつけていた。
「あー、汗出てきた。緊張する」
額の汗を服でぬぐうと、オリヴィエは携帯端末を取り出す。
オリヴィエにとって、このCMを見るのはおまじないのようなものだった。初めてテレビに出られたあの時の気持ちを忘れないように、自分の心を落ち着け、戒める魔法のアイテムだ。
だが今日ばかりは、心の中を春菊の影がちらつく。
「……俺だって、綺麗だよな。ちゃんと」
ため息をついた。どんな時でも前向きなのが長所なのに、初めての大きな仕事にナーバスになってしまっている。
「光合成中?」
「うわ!」
いきなり背後から話しかけられ、オリヴィエはバランスを崩しそうになる。数秒空中であがいた後、なんとか持ち直した。
おそるおそる振り向けば、後ろに春菊が無表情で立っていた。
「か、葛木さん?」
「春菊でいいよ」
そう言うと、春菊はオリヴィエの隣に腰掛けた。
「名前」
「え?」
「あんたの名前」
言われて、オリヴィエは目を瞬かせる。どうやら、話をしにきてくれたらしい。
「あ、ああ。椎名オリヴィエです」
「オリヴィエ」
春菊は右手を出して、左の手のひらに文字を書く仕草をする。どうやら、オリヴィエと書いているようだ。それを飲み込むふりをすると、満足気にうなずく。
そして、子供のように顔をほころばせた。
「覚えた」
オリヴィエは思わず吹き出してしまった。
「そうやって人の名前、覚えてるんですか」
「そう。オレ、容量少ないから」
「……容量?」
「ここ」
春菊は自分の頭を指さす。
「興味あるのだけ、入れる」
オリヴィエは、しばし逡巡した。
どうも、春菊の会話は独特なテンポと、発想の飛躍があるらしい。今までの発言を必死に思い出し、言葉を抽出する。
「つまり……俺には興味を持っていただけたというわけですか」
「うん。あんた、綺麗だもん。キラキラしてる」
春菊は、オリヴィエの前髪をかき上げ、目をのぞき込む。
「え、あ。と」
心臓が跳ね上がった。無意識に胸を手で押さえる。
ここは、素直に喜ぶべきか。それとも、謙遜しておくところか。オリヴィエは一瞬考え込んで、無難な解答を選択した。
「あ、ありがとうございます。光栄です」
すると、春菊はいきなりむっとして、より顔を近づける。
「オリヴィエ、信じてない」
「え? いえ。そんなことは」
「言葉、選んでた。本音、悔しい。でしょ」
オリヴィエは、言葉を失った。心を見透かされたような気がしたのだ。本能が警戒し、わずかに身を引く。
「いや……俺なんて、あなたには遠く及ばないですよ、春菊」
だが、その解答は気まぐれ王子のお気に召さなかったらしい。春菊は、とうとう不機嫌をあらわにして、口を尖らせた。
「どうして逃げるの。思ったこと、言えばいいのに」
「え」
「つまんない」
猫のように軽やかにガードレールから飛び降りると、春菊は一人で歩き行く。
その後ろ姿を見ながら、オリヴィエは後ろ手に頭をかいた。
「何か……まずいこと言ったか、俺」
***
その後、しばらく台本を読んでいたが、まるで集中できなかった。しかたなく、気分転換にオリヴィエは、公園のトイレへと向かう。
鏡の前で、自分の姿を見つめると、小さくため息をついた。
「悔しい、か」
顔をじっと見る。薄暗い照明で、緑の肌が、より黒に近い色合いになっている。
「顔に出てたのかな。さっそく主演に嫌われてたら、まずいよな」
オリヴィエは苦笑した。
自分みたいな下っ端と、超売れっ子を比べて何言ってるんだと思わないでもなかったが、この生き馬の目を抜く芸能界で、上を目指さない者に明日はない。
肌の色なんかで目立ったって、最初だけだ。椎名オリヴィエという個人が魅力的にならなければ、ファンはついてこない。上にのし上がれない。
そして何より……グリーンマンである自分が成功することで、他のグリーンマンが真っ当に生きる道が出来る。
やるしかない。失敗は許されないのだ。
「笑顔、笑顔。大丈夫、勝負はこれから。ファイトだ、俺!」
腕をめくり、時間を確認する。
出番には少し早めだが、遅刻などしたら目も当てられない。現場に戻ろうと出口へ向かった。
その時、ちょうど入ってきた男と肩がぶつかってしまう。
「あ、すみません」
男が顔を上げる。見るからにぎょっとして叫んだ。
「グ、グリーンマン!」
オリヴィエはその大声に、逆に驚いて足を止めてしまった。
確かに、いきなり目の前に全身緑の人間がいたらびっくりするのはもっともだと思うが、少し大げさではないだろうか。
だが、すぐに納得した。男のたすきがけに「グリーンマン反対」の文字があったのだ。
「ぶつかって、すみませんでした。俺、急ぐんで」
相手が何か言う前に、オリヴィエは、そそくさとトイレを逃げ出そうとする。
だが、男の叫び声を聞きつけたのが、他の仲間が集まってきていた。
オリヴィエの心臓が、早鐘のように打つ。
「おい、どうしたんだ、そんな大声上げて――って、こいつ、椎名オリヴィエ!」
そのまま男が四人、オリヴィエの行く手を塞ぐように現れる。気付けばすっかり囲まれてしまっていた。
「あの、俺、これから撮影が……」
しかし、無言でトイレの中に押し戻される。オリヴィエの背中を、冷たい汗が流れ落ちた。
――まずい、この状況は本気でまずい。
今まで似たようなことは何度か経験している。ほんの些細な行動が原因で、病院送りになるまで暴行を受けたこともある。
せっかくやっと掴んだ連ドラのチャンスなのに、これ以上騒ぎになって、撮影に遅れでもしたら――。
オリヴィエはぞっとした。自分のせいで撮影が遅れでもしたら、絶対に二度と使ってもらえない。共演者やスタッフの印象だって悪くなる。
あるいは、顔に傷でも負ったら。
もう、取り返しがつかない。
深呼吸した。相手はまだ四人、振り切れない数ではない。逃げるなら、今しかない。
「どいてください。時間がないんです」
「どこ行く気だよ」
男が肩を掴んだ。
「やめてください――離せよ!」
手を引きはがして、一気に出口へと駆け出す。だが、後ろから髪を掴まれ、地面に押さえつけられた。
あまりの痛みに、目から涙がにじむ。髪を引き抜きかねない強さで、そのまま引きずられ、トイレの個室に押し込まれた。四人の中でも屈強そうな二人が、個室の入口を塞ぐ。
オリヴィエは肩を抱きながら、自分の選択ミスを後悔した。この状況では、絶対に逃げられない。
今更恐怖が襲い来る。
どうして、こんなことに。
「なんで……俺があんた達に何したって言うんだ」
「わめくんじゃねえ!」
そう言った途端、顔を殴られる。左頬が、じんじんと痛む。鉄錆の味がした。口の中が、切れたんだ。
全身から血の気が引いた。
「すみません。……でも、顔だけは殴らないで。俺、撮影に出られなくなる。他は、腹でも、背中でも我慢するから……目に見えるところだけは」
震えながら、オリヴィエはうつむいた。暴力を受けるよりも、理不尽な言いがかりをつけられるよりも、ロケ隊に迷惑をかけることが何より恐ろしい。
オリヴィエの反抗心が消えたのを察したのか、リーダー格と見られる男が舌打ちした。その隣で、小太りで気の弱そうな男が、おどおどとリーダーに声をかける。
「な、なあ。なんか、逃げようとするから捕まえちゃったけど……まじで、どうすんだよ、これ」
リーダーが、小太りの男を睨み付ける。
「じゃあ、どうする。グリーンマンを見つけといて、このままみすみす返してやるのか? その足で警察に駆け込まれたら、俺たちはあっという間に暴行犯だけどな」
「で、でも……」
オリヴィエは声を張り上げた。
「警察なんか行かない! 本当に撮影の時間が迫ってるんだ! あんた達のことは誰にも言わない、だから」
「てめえは黙ってろつってんだよ!」
オリヴィエの腹に、ボディーブローがたたきつけられる。襲い来る痛みと吐き気に、床にうずくまった。
涙目で嘔吐くオリヴィエに、リーダーが吐き捨てる。
「エイリアンみたいな面してるくせに、人間みたいな口ききやがって。グリーンマンなんか、元々は万能細胞の失敗作じゃねえか。それが光合成するから、二酸化炭素削減に繋がるからって、政府のお墨付きだと? うちの工場はCO2排出量が多すぎるからって、補助金も打ち切られて、潰れちまったつうのによ! グリーンマンなんぞに金をかける暇があったら、この不況をどうにかしろっつうんだ!」
男がやけくそ気味に、トイレの壁をけりつける。
オリヴィエは歯噛みした。
まるで理屈が通っていない。この男は工場を失ってしまった鬱憤を、グリーンマンで発散させているだけだ。
だがそれを指摘しても、激怒してより暴力をエスカレートさせていくだけだろう。話し合いの通じる相手ではない。ぎゅっと目を閉じ、怒りを堪える。
「クソ……」
男達に聞こえないように小さく毒づく。
耐えるしかないのは、分かっていた。ここでたてつくのは、勇気ではなくただの無謀だ。多少の怪我を覚悟で、できるだけ早く解放される道を探すしかない。
それでも納得がいかなかった。
悔しくてたまらない。どれだけ頑張っても、緑だから、グリーンマンだから、そんなくだらない理由で、いつも夢を阻まれてきた。
好きでこんな身体に生まれたわけじゃない。生まれたときからこうだったから、仕方なかった。
けれど、だからって暗くうつむいて生きたくなかったから、変わろうと思った。
毎日鏡に向かって笑顔の練習をして、自分は綺麗だって自己暗示をかけて、必死に自分を好きになって、むしろグリーンマンであることを武器にしてやろうと心に誓った。
だから俳優という道を選んだのだ。
笑われても、嫌われても、気持ち悪がられても、まずは知ってもらわなきゃ始まらない。グリーンマンだって、普通の人間なんだと。ちゃんと感情もあって、当たり前のようにご飯も食べて、恋愛もして、仕事に一生懸命になって、ただ、当たり前に生きているんだってことを。
――そう。ただ、当たり前に生きる権利を勝ち取るために。
ハッとした。俺は、そんなことも忘れていたのか。
オリヴィエは、ゆっくり立ち上がった。大きく息を吸うと、拳を強く握りしめる。
「いい加減にしろよ……」
「あ?」
「聞いてれば、さっきから勝手な理由ばっかり。俺を殴りたいなら、俺個人を憎んでから来いよ! そしたら、堂々と戦ってやる」
「てめえ、なんだと」
「くだらないことでぎゃーぎゃーわめくなっつってんだよ! たった一人を四人がかりでリンチするしか能のないチキン野郎のくせして!」
「この……!」
リーダーが激昂して、胸ぐらをつかむ。
オリヴィエはとっさに目をつむった。後悔はしていない。無謀であっても、ただ黙って虐げられているのは、違うと思った。
どうせ傷つくのなら、椎名オリヴィエとして傷ついてやる。
「……っ」
だが、いつまで待っても、衝撃はやってこなかった。
「――?」
オリヴィエが、怖々目を開く。
目の前に、小柄な少年の姿があった。この後ろ姿は――。
「春菊!?」
信じられないことに、春菊が男のパンチをふさいで、目の前にいた。
春菊はオリヴィエを見ると、安心させるように目を細める。
「オリヴィエ、大丈夫?」
「え。は、はい」
「行こ。撮影、間に合う」
呆気にとられるオリヴィエ男達を押しのけて、春菊はオリヴィエの手を引いていく。
トイレの入口に来た辺りで、ようやく自分を取り戻したリーダーが叫んだ。
「待てよ!」
春菊が振り返る。
「お前、人間のくせに、なんでグリーンマンなんかの肩を持つんだ!」
春菊が首を傾げた。
「グリーンマン? 違うよ、オリヴィエだよ」
「いや、そいつは、グリーンマンだろうが」
「グリーンマンなんて名前の人、オレは知らない」
「だから、名前じゃなくて……!」
「うるさいな」
春菊は、口の前に人差し指を立て、しゃべるなとジェスチャーする。
そして妖艶に笑った。
「あんた、人を見る目ないね」
「――――っ!」
彼らしくない表情に、オリヴィエの背筋が凍った。男たちも言い知れぬ不安に襲われたのか、その場に立ち尽くした。
春菊がその小さな身体で、リーダーをトイレの壁に押しつける。
そのまま内ももの辺りを、娼婦のように指先でそっとなでた。触れるか触れないか、ギリギリの距離で。
唇から、かすかな吐息を男に振りかける。
まるで別人だった。そこにいるのが、まだ十代の少年だなんて、とても信じられない。
これが、春菊の本気の演技なのか。
「ねえ」
春菊が男にしなだれかかる。顔を近づけられて、男は恐怖とも悦楽ともつかない顔で、つばを飲み込んだ。
「……感じた?」
「は――――ッ……!?」
腰が抜けたリーダーは、その場にずるずると座り込む。
それを見た春菊は満足そうにうなずくと、無言でオリヴィエの手を引く。
「え、しゅ、春菊……?」
オリヴィエは男たちが追いかけてくるのではないかと心配していたが、しばらく歩いてもその気配はなかった。おそらく、グリーンマン以外の人間を巻き込むのは得策ではないと思ったのだろう。
完全に追っ手はないと確信した辺りで、オリヴィエは春菊に尋ねた。
「春菊、どうして」
「何が?」
「その――どうして助けに来てくれたんですか。俺、てっきりあなたを怒らせたのかと」
春菊は視線をそらすと、何故か困ったような顔をした。
「……怒ってない。ちょっと、悲しかった」
「悲しかった?」
春菊が、オリヴィエのポケットに手を突っ込む。そこから携帯端末を取り、立体ホログラムを映し出した。例のグリーンマンのCMだ。
「オリヴィエ、獣」
「……えっと」
「上に噛みつく、獣の目。俺と、同じ」
オリヴィエが瞬く。
「つまり、俺が上昇志向満々だから、気に入ってくれたって事ですか」
「うん。それにさっきの啖呵、恰好良かった」
「さっきの?」
端末をオリヴィエに返すと、今度は春菊の端末を操作する。録画機能で撮影したものらしい映像が浮かび上がった。最初は暗くてよく分からなかったが、やがて気付いた。
――これは、さっきのリンチの一部始終だ。
「まさか、ずっと撮ってたんですか!?」
「うん」
「なら」
とっとと助けてくれよ、という言葉を飲み込む。
本来、この件は春菊にはまったく関係のない事だ。俺自身が解決しなければならないことに、助けてもらうなんて発想は情けない。
それに考えようによっては、この映像は証拠になる。撮影が一段落ついたら、春菊に借りて、警察に訴えよう。殴られっぱなしは、性分じゃない。
だから、オリヴィエは笑った。
「いえ――助けてくれてありがとう、春菊」
春菊も、うなずき返す。気まぐれ王子もご満悦のようだ。
肩の力を抜いて一息ついたとき、誰かが近付いてくる足音がした。デモの連中が追ってきたのかと一瞬焦ったが、ADの一人だった。
「こんなところにいた! もう、探しましたよ」
全速力で走ってみたであろう様子に、オリヴィエは慌てて時間を確認する。もしかして、予想以上に撮影が巻いたのか。
「すみません。すぐ行きます!」
だが、オリヴィエの言葉にADは首を傾げた。
「え? あ、いや。椎名さんの出番はまだですよ。――それより葛木さん! 主演が撮影抜け出して、何してるんですか。監督怒ってましたよ」
「え!?」
横を見れば、春菊がそっぽを向いて、いかにも知らんぷりを決め込んでいた。
「春菊、まさか」
「……つまんないんだもん」
視線を合わせないまま、春菊が小さくつぶやく。
――信じられない。この気まぐれ王子は、仕事を放り出してここへ来ていたのだ。
オリヴィエは唇をわななかせながら、春菊に怒鳴りつけた。
「つまんないじゃないでしょう! プロが何やってるんですか!」
「だって」
「だってもへったくれもない! 俺を助けてる暇があったら、仕事に全力で打ち込んでください。じゃないと、あなたなんて、さっさと追い抜きますよ」
「追い抜く?」
春菊がオリヴィエを見る。
「そうですよ。あんな演技見せられて――俺が悔しくないわけないでしょう。すぐに引きずり下ろしてやりますから、それまで頂点をとっててくださいよ」
数回、春菊が瞬きする。すると、目を輝かせて全力でうなずいた。
「……うん! オリヴィエ、約束!」
「ええ、約束です」
「約束!」
新しいおもちゃを見つけた子供の表情で、春菊が駆け出す。
やれやれと肩をすくめながら、オリヴィエはその後を追いかけた。
グリーンマンと気まぐれ王子 福北太郎 @hitodeislove
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