赤石の塚ある砂浜に来たれ。

佐々宝砂

赤石の塚ある砂浜に来たれ。

 畑の中、いやにファンシーないちご狩りの看板が目立つ国道を走ってゆく。平坦でまっすぐな国道だから気分よくアクセルを踏めるが、小動物に気をつけた方がいい。このあたりは狸がよく出る。知らなければ見落としてしまいそうな看板に「清明塚」と書いてあるのを見つけて、海に向かって曲がる。狭い未舗装の道は、小さな林に囲まれて薄暗い。海までは行かない。国道から本当に少しだけ海に向かって進んだところに、清明塚はある。

 はじめて来たときは寂れっぷりに悲しくなったものだ。駐車場の看板は錆が浮いているし、塚は小豆色の石が小山になっているだけのもので、由来を説明する看板も古びて読みにくい。今も看板はそのままだが、塚まわりの砂地には花が植えられ、地元の人が作ったのか五芒星の意匠の石も置いてある。以前はこんな石はなかった。

 「おねえちゃん、赤い石持ってきた?」

 不意に頭上から声が降ってきた。子供の声だ。驚いて見回すと、松の木の枝に小さな男の子が座っていた。八歳くらいだろうか。

 「もちろん、持ってきたよ」

 清明塚に詣でるには決まりごとがある。津波除け疫病除けの願をかけたら、塚からひとつ赤石を持って帰る。次にきたときは赤石をふたつ持ってきて塚に捧げる。そうやって塚は少しずつ大きくなってきたのだ。私が清明塚を詣でるのは二度目である。だから私はきちんと赤みを帯びた石をふたつ持ってきていた。

 「じゃあ、ちょうだい」

 男の子はにっと笑って、枝から飛び降りた。

 「いや、これは、塚にあげるために持ってきたものだからあげられないよ」

 「だから、おれにちょうだい」

 男の子は満面の笑みを浮かべて両手を差し出した。きれいな手ではなかった。泥に汚れている。見れば服も汚れている。荒く織られた木綿らしき筒袖の、丈の短い生成りの一重に、蔦のようなものを巻きつけている。裸足の指は日に焼けて黒い。

 「だってこの石は塚にあげるんだよ?」

 「だから、おれにくれればいいの」

 自信ありげにきっぱりと言った。塚の近所に住む子供なのかもしれない。まああげてもいいかなという気になった。ポケットから石をふたつ取り出して汚い両手に乗せてやった。

 「ありがと」

 男の子は、石を受け取るとそのまま鼻に持っていき、くんくんと嗅いだ。

 「いい匂いがする。鉄の匂い。血の匂い。ふふん。これはいい石だ」

 べろりと舌を出して、石を舐めた。

 「ふふん。いい味だ。これはすごくいい石だ。やったんだね、おねえちゃん」

 「何言ってるの」

 「やったんだよ、言わなくてもいいよ、わかるから。ねえ、おねえちゃん、知ってる? 赤い石は血の石なんだよ、人の血を吸って赤く染まるの」

 べろべろと舌でねぶった石を塚に放り投げる。

 「何言ってるの」

 他に言うべき言葉があったかもしれないが、それしか言えなかった。

 「ふふん。誰かが流した赤い血が石を染める。その石がこの塚になる。誰でもいいんだよ。ちっちゃい子でもいい。生まれなかった子でもいい。よぼよぼになってもうお荷物なだけの年寄りでもいい。その血を津波にくれてやるんだ。ああ、最近は津波来ないから、疫病神にくれてやることが多いかな。おねえちゃん知らないかもしれないけど、津波は血がほしいんだよ。人の血が。それをくれてやるんた。それで津波は満足する」

 男の子は唇の端を吊り上げたまま言った。私は言葉をなくして少し後ずさった。

 「大丈夫。死んだ人を欲しがるわけじゃないから」

 男の子は一歩踏み出して、私の両手を握った。

 「なんなの、あんた…」

 「おれは、おれだよ。ああ、あんたは生きてるね、いい両手だ。血に汚れたいい手だ。そして生きてる。おねえちゃん。生きてるってのはすごくいいことだ。死ぬことができる」

 男の子は、眩しいほどの笑みをみせた。ずうっと笑っているような子だが、目を逸したくなるような、漂白したような笑いだった。握った手から何か冷たいものがほとばしった。そして私は、わかったのだった。

 「つまり、また来いということね」 

 言いにくい言葉を飲み込み、言いやすい言葉を口にした。

 「そうだよ」

 男の子は私の手を離し、両手を上げてとんぼ返りをうった。

 「またおいで。またおいで。またおいで。また…」

 声だけが反響した。男の子の姿はどこにもなかった。私は自分自身に由来する重いものから開放されたかわりに、重いものを手渡されていた。

 この国には地震が多い。その中でもおおきな地震が予測される土地に住んで、危機を承知しているような、麻痺しているような、そんな雰囲気の中に私は長く暮らしてきた。流した血も、いつか来るであろう地震も、日常のいつもの暮らしに埋没させてきた。

 でも、今は。

 さっきまであの男の子が握っていた私のてのひらを見つめる。そうか。それでもいいのか。これでもいいのか。ならば、私はこれを誰かに伝える必要があるだろう。


 汚れた手を持つ者よ。

 赤石の塚ある砂浜に来たれ。

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赤石の塚ある砂浜に来たれ。 佐々宝砂 @pakiene

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