応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 朱炎への応援コメント

    お久しぶり(≧▽≦)
    自動車の免許取れた?(いつの話よ)
    そうそう、宇宙(そら)フリークのボクとしては、夏空より冬空の方が好きかな♥ ビームライフルで射ぬいたスカート付きが爆発して真っ暗な空間に刹那の光が灯る瞬間は最高ね(マニアック過ぎ)

    閑話休題

    元気? もしそうであればOK。そうでなければ、元気になりなさい(また無茶ぶり)

    作者からの返信

    お久しぶりです......!
    免許はその後無事取れました(そしてあっという間にペーパーになってしまいました)。時の流れは早いものです...

    RAYさん、ありがとうございます。
    なんだか面白いくらいに励まされてしまいました。
    元気になりなさいの字面が強すぎて思わず笑みが溢れてしまったのですが、ぐっと背中を押されたような気もします......元気になります。きっと。

  • GiNiWt.suicide.selfへの応援コメント

    む、難しい……。
    ボクも修業が足りないわ_」 ̄乙(、ン、)_

  • 星椅子への応援コメント

    はまなすさん、お久しぶりです。
    お元気ですか?

    今日はほんの少し余力ができて、はまなすさんの一番新しい言葉に会いに来ました。ちょっとドキッとしました。
    頬に傷をつけた小さな子どもだと思ったら、突然、妖艶な壮年になり、急に清廉な青年になる。そんな不思議な揺らぎが、以前よりも濃くなった気がします。
    うまく感想が言えずにすみません。変な喩えでしたね。要するに、とってもはまなすさんらしくて素敵でしたっていうことです。
    またお邪魔できたらいいなと思います。

    作者からの返信

    新樫さん、こちらこそお久しぶりです。
    最近は卒論や大学院入試のことなどでバタバタしていますが、なんとかしぶとく生きています。

    私も時折新樫さんの詩集を拝読しにいっては、そこに綴られている繊細な言葉の連なりに感じ入ってしみじみしているので、そんな素敵な感性を紡がれる方から自分の言葉をお褒めいただけると、なんとも言えず嬉しい気持ちになります。

    いつもよくしていただいてありがとうございます。またぜひお越しいただけましたら。

  • 紫陽花への応援コメント

    >みんなどうやって喋っているのか
    >僕はいまでもわからないままで
    >頭と口は繋がっていないでしょう
    >僕は気づいてしまった、
    >っていったらみんなもうとっくに知ってるらしくて

    メロディアスで詩的な文も好きですけど、こんな風にはまなすさんの人生観や日常が少し匂うような部分も大好きです。

    作者からの返信

    ありがとうございます......!!
    自分自身、そういうパートを必ずどこかに入れないといまいち据わりがよくないなと感じるようになってしまったので、これからもたぶん積極的にそういう言葉を綴っていきます。

    内容的に思考のリソースが必要そうなパートほど、なにも考えなくとも音に心地よさが出るよう試行錯誤したり、逆に平易に伝わりやすそうな吐露のパートは、そこまでのメロディを無視して書きたいことを新たに書いてみたりと、いままで自分が無意識に作っていたルールに最近は自覚的になりました。そのせいもあるのかもしれません。

    そんな感じで、どこか一部分でも「読んでよかったな」と読者の方に思っていただける文が書けていたなら、そうでなくとも、なにか引っかかるような箇所をひとつでも生み出せていたなら、そんなに嬉しいことはないなと思って書いています。感想いただけてとても嬉しかったです。重ね重ね、ありがとうございました......!

  • 終着駅への応援コメント

    最高でした。とても好き。

    作者からの返信

    久々の投稿で勘が鈍っていないかと不安があったので、そうおっしゃっていただけてめちゃくちゃ嬉しいです。本当にありがとうございます.......!

  • 歩道は笑うよね( ̄ー ̄)ニヤ...
    ……違ったシャドーだった。

    作者からの返信

    いつでも皮肉たっぷりな眼で自分を品定めしているのは、誰よりも自分自身なのですね。

  • への応援コメント

    どういたしまして(あんたは黙ってなさい!)

    作者からの返信

    RAYさんとの出逢いは思い返せばすべてのはじまりのようなものなので、もはや感謝の原点です......(頭が上がりません)

  • への応援コメント

    「俺が物差し(メジャー)だ!」と豪語している人は、そのときは豪語しているだけでも、いつか物差し(メジャー)になる気がする(有言実行?)

    作者からの返信

    物差しに従うのみではなく、みずからが物差しを作る立場になる、というのは、憧れが強いですが、それはそれで独尊的な思想に陥ってしまう危険性もなきにしもあらずなので、慎重にやっていきたいものです......どうせ作る物差しなら、できるだけ多くの人が公平に幸福になれる物差しがいいな、と漠然とおもっています。

  • への応援コメント

    消しゴムの方? それとも、芯の方?

    作者からの返信

    芯のほうですね......尖鋭で、無慈悲で、抜こうが放置しようが致命症になる、そんな傷です。

  • 黙っていると沼の水嵩がどんどん増して来ていつのまにか溺れていることがある。みんな仲良く。

    保守的な企業の話だけれど(小声)

    作者からの返信

    「沼にいることを認めたくない」というような心理も働くからなのか、溺れるまで特別なにもせず、溺れてから手遅れを嘆いて沈んでいく、というのは恐ろしくも結構現実的に目にする構図だなとおもっています。

  • 僕ら。への応援コメント

    ゚.+:。(・ω・)b゚.+:。グッ

    作者からの返信

    きっと誰しもが、 (*˙︶˙*) の裏にいろんな感情を隠しているのです。

  • あ。への応援コメント

    病名:驚愕要素欠乏症
    不治の病になってる強者もいるらしい。

    作者からの返信

    感性が萎んでいくのは淋しいことです......日々刺激を、とまではなかなかいきませんが、日々、自分から心を動かす準備はしておきたいものだな、などとおもうこの頃です。

  • 「あ」が棄却された叫び。への応援コメント

    常人では出せない叫びを出して欲しいね。
    「な”な”な”な”!」とか「ま”ま”ま”ま”?」とかね(謎)

    作者からの返信

    声帯が進化している......!笑

  • 偉くなってる人に多い(♥ó㉨ò)(♥→㉨ฺ←)ウン

    作者からの返信

    自戒も込めて、日々みずからを見つめ直したいものです。

  • スターダストへの応援コメント

    Hになれないオトコねぇ……ヾ(・ε・`*)オイオイ

    作者からの返信

    なれませんねぇ......

  • 希望。への応援コメント

    夢で終わらなければいいんだけどね(ノ_-)ハア…

    作者からの返信

    「夢」の実現に向けて、じぶんがどれだけ、現実的にそれを追い求める意志があるかとか、実際のところ、環境的な運だったりとか、いろいろな要因で希望も夢も簡単に潰えてしまいますものね......

  • 織星への応援コメント

    一気に読ませていただきました。
    暗がりのなかで紫や黒色に仄暗くひかるかのような言葉、堪能させていただきました。

    作者からの返信

    このような長く煩雑な詩集 (と呼んでよいのかもわからないようなもの) を、初めから終わりまで一度に駆け抜けてくださった方は、わたしの知る限り、おそらく柳様が初めてです。感慨深さで胸が潰されそうです。

    見つけていただいたこと、目を通していただけたこと、そしてなにより、こうしてお言葉を残していただけたことに、最大限の感謝を。

  • 神に作られた人が神になれるわけがないと思う。
    なれたとしたら、それは錯覚か偽物。
    いつまで経っても「つもり」は「つもり」のまま。
    冒涜にしか見えない。いつか天罰が落ちそう。
    「天罰はお饅頭がいいな」なんていう強者がいるかも(おいおい)

    作者からの返信

    傲慢さ、高慢さは、どこまでも無自覚で浸透しうるからこそ怖ろしいものだとおもっています。
    なにも思い通りにならなくても捻くれず、腐らず、なにか思い通りになれば驕らず素直に喜べる、そんな謙虚さを忘れずに持ち続けていきたいものです。

  • 泣き合ったり 波立ったり の韻がいいですねー!
    どちらもネガティブなんですけど、2人と1人の対比になってるのが綺麗。

    作者からの返信

    のえるさん、こんにちは!
    お褒めいただき光栄です。

    実はその部分の韻は、わたしも個人的に気に入っているところなんです。
    歌詞もどきをしたためたのはこれが最初だったので、全体的に結構意識をして音や文字合わせをしていたのですが、挙げていただいた箇所は他のパートに比べて一番自然に出てきたフレーズでした。そのときに「最後まで書ける...!」と不思議とおもうことができて、おかげで似たような取り組みを以降続ける原動力みたいなものになりました。

    「ふたりとひとりの表現だ」というのも、まさに仰る通りで、他の歌詞からうかがえる「僕」は孤独なのだけれど、ここでは「泣き合っ」ているんですよね。これをそのときはかろうじてふたり寄り添っていたととるか、ふたり別々に泣いていて、それを「合っている」と表現したのかは、ご覧になる方々それぞれの読み方に委ねているところでもあります。(*´꒳`*)

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  • 編集済

    さようならへの応援コメント

    この作品集のタイトルに対して、
    「時計の針はもう 戻らないんだよ」
    という投げかけがとても深い……。

    蝶は舞うけれど、どこかで輪廻転生の象徴のように思います。
    あるいはバタフライ・エフェクトのように、
    何かを変えていく、変えてしまう存在のようです。




    P.S.
    ご丁寧な解説ありがとうございます!
    一つ一つの詩に込められた意味をしっかりと記憶されている事に敬意を覚えます。受け取り方はもちろん読み手の自由でも、書き手にとっては明確な意味がありますもの。特に詩というジャンルはそれを見失いがちなので、「これはこういう詩です」と覚えていてあげる事が作品にとっても意味があるかと。

    呼び名についてはもうどうぞご自由に!お気軽に崩して呼びやすいように呼んでやってくださいw


    作者からの返信

    睡蓮様、こんばんは。
    このような遅い時間にもかかわらずお越しいただき感無量です。加えてコメントまで残してくださり、ほんとうに嬉しくおもいます。まずは、それに対する謝意をば。


    仰るとおり、「蝶」にはぼんやりと幾つかのメタファーを掛けあわせたように記憶しています。死者の魂と関連づけられることの多い象徴なので、まずは純粋に「終わったということ」を、それからまさに言及していただいたように、希望としての「輪廻」を意味として込めました。また、当時バタフライエフェクトの意味合いまでをもここに込めていたかは定かではないのですが、もしそれを踏まえて読むならば、「既に死に絶えてしまった無数の可能性」という意味が込められているのかな、とも個人的におもっています。これはとりもなおさず、初めの「終わり」と関連づけられた読み方となっています。
    ところでこういうちょっと回りくどいいい方をしたのには理由があって、それはこの「蝶」には明確な比喩としての役割より、漠然とした雰囲気的演出としての役割を期待していた、という背景があるためです。「蝶が舞う」とのみ記したのも色々な読み方ができるようにという意図によるもので、もしかしたらそこから単に美しさを感じ取る方もいらっしゃるかもしれないなとか、ほかの感じ方をされる方もいらっしゃるかもしれないななど、なんとなく読者の方それぞれの感性に解釈を任せようという想いがあり、結果こういう表現に落ち着いたのでした。



    それから、これはすでに本エピソードが初公開から日が経ったことを踏まえまして、時効だと踏んでお話しするのですが、この詩の中に登場する「貴方」というのは、実は故人なのですね。軽くネタバレですね。「逝った」という言葉が出てきますがこれは比喩ではなく、実際に言葉通りの機能を持たせ配置したものです。うたの中で「貴方」が「私」との関係性の継続を拒んでいるように描かれているのは、単なる失恋の描写ではなく、死の淵にあった男性と話者の女性が、かつて彼の死について語りあう機会があり、その際に男性側から将来を案じて別れを切り出されたことを暗示しています。「私」が彼のことをわかっているつもりでわかっていなかったとおもうパートも幾つかありますが、そのすべては、二人がそういう話し合いの場を迎えるまで「私」は彼の身体についてなにも気づいてあげられなかったという、後悔によるものなのですね。
    そういう意味で、「蝶」の持つ輪廻のメタファーは、もう一度「貴方」に逢えたなら、という彼女の願いの反映でもあるのかもしれません。

    ここまで書いておいてあれなのですが、ネタバレとか望んでなかったよ! とおおもいの場合は大変失礼いたしました。いつか語りたいなと密かにおもっていたので、つい喜んでしまい...
    それもこれも、そこまで深く読んでいただいたおかげでもあります。重ね重ね、ありがとうございました (*˙︶˙*)




    p.s.
    ところで、睡蓮様を名字でお呼びになる方をあまり聞かないなあという気がしているのですが、例えばたしぎ様、あるいはたしぎさんのように、お名前でお呼びしたほうがしっくりくるでしょうか。このようなことを改まって訊かれると変なお気持ちにさせてしまうかもしれないということは承知しつつ、よろしければお教えいただけましたら幸いにおもいます。それでは。

    編集済
  • 色鉛筆への応援コメント

    コレめちゃんこ好みです。
    端的に真理に肉薄してる感じがっ。

    作者からの返信

    睡蓮たしぎ様



    まずは、このような辺境の地までお越しいただきましたことに、最大限の謝意を。ほんとうにありがとうございます!
    そんなふうに仰っていただけて、とても嬉しいです。

    この辺りのお話って、少しでも真面目に考えはじめるとどんどん沼にはまっていくような、そんな印象があるのですよね。決して泥沼というわけではないのですが、たとえばある瞬間に答えだとおもったものが、次の瞬間には別の「答えらしきもの」に信念ごと上書きされてしまう、そんな感覚です。特に個人のアイデンティティとはなにか、それはどういう性質を持っているか、なんてことを思案しはじめると、だんだん自分の足元さえ揺らいでくるような錯覚に陥ったり...
    考えるのをやめさえすれば「ちゃんとここに自分がいる」と確信できるのに、不思議なものです。

    本稿(というほど分量はありませんが...)を執筆当時、わたしがどのような心境でこれを書いていたかは、じつはすでに半分霧の中に隠されてしまったようにおもっています。というのは、これが言及しているのが「ずっと深くまで自分を見つめても成り立つ普遍的事柄」なのか、はたまた現世における単なる社会性みたいな枠組みの中についての言及にすぎないのかが、いま読み返すといまいち判然としないからです。
    とはいえ。
    仰ってくださったように、わたしもどちらかといえば前者よりの思考で本稿をしたためたのではないか、とおもっていますし、少なくともいまのわたしは、それこそ真理寄りのなにかのような感覚でこの言葉を捉えています(作者自身がそういうのは若干はばかられはしますが...)。
    まあ社会の中で生きるアイデンティティを語る上での真理、といってしまえば、それはそれできっと奥深いものなのでしょう。

    定義する、って、その行為自体が難しいですよね。絶対性と相対性という言葉がありますが、絶対性も結局ある種の相対性の上に成り立つ概念だとわたしはおもうのです。「○○と比べてある尺度で××」が相対的定義で「これは□□」が絶対定義だとしても、考えてみればその「□□」を語るためには対立する、あるいはより根元的ななにかが必要となるように。
    この辺りは言葉の綾みたいな領域に踏み込みかねないので、あまり具体例みたいなものを提示できずわかりにくいのですが...そもそもこんなことを申しているわたし自身、わかっているのかといわれればわかっていないのかもしれません。難しいものです。

    とまれ、「わたし」は「わたしでないなにか、誰か」がいるから「わたし」たりうるのだとおもいます。もちろん物理的にまったく同じ人間なんて発生しようがないので、人と自分は必然的に差異を持つといってしまえばそれまでなのですが、もっとおおらかな、一般的な感覚に寄り添うレイヤーで自己同一性を規定しようとするなら、やはりそこには他者との対立が介在せざるをえないのでしょう。
    それは競争とも反発とも違って、もっと純粋に「そこにある差を差としてだけ認める」ような、尊重的な「あなた」や「わたし」の定め方なのかもしれません。

  • 割れかけへの応援コメント

    同じようなテーマなのに、ボクの詩とはまなすさんのとでは濃度(密度)が全然違うよね。ボクのはお手軽なアメリカンっぽいけれど、はまなすさんのは買ってきた豆を丁寧に挽いて、一杯ずつ時間を掛けてドリップしたストロングなコーヒーって感じだもん。素晴らしい゚.+:。(・ω・)b゚.+:。グッ

    あっ、でもね。ボクの薄っぺらなアメリカンにも秘密があってね。
    飲んだ後、カップの底に、アメリカンヒーローのステキなイラストが描かれてるの(笑)そんな「アメリカンコーヒー」みたいな作品をボクは「変化球」と呼んでいますゞ(≧m≦●)ププッ

    じゃあ、まったねヾ(・∀・)ノ☆Sёё yoц ☆

    作者からの返信

    RAYさん、こんにちは!
    来てくださって嬉しいです。

    詩の濃度、お褒めいただき光栄です。私は自分の書くものにはまず「これはいたずらに長いだけではないか...?」という不安が先によぎるたちなので、そのようにおっしゃっていただけると安心します。最近は以前に増して言葉の並べ方の圧縮というか選択の削ぎ落としを意識してやっているので、もしかしたら意味がより通りづらくなったのではないかという懸念もありますが、それ以上に声に出してリズムが出るようにできたかなぁ、と自己分析しています。

    RAYさんの紡がれるうた、薄っぺらいなんて思うことはなくて、むしろあの短い言葉の連続の中によくあれだけ色々な情景を織り込めるなぁ、と感嘆させられてばかりです。私は基本的に思った内情を掘り下げて行くタイプの詩が多くて、だからこそ一見濃度が高いように見えるのかなと思いもするのですが、RAYさんの詩は少ない文字数で煌びやかな情景と心情を同時に映し出しているように感じられることが本当に多いので、そういう点ではるかに濃度が高い詩を書かれているなあと思っています。
    違う書き手がいれば違う詩が生まれるのは当然のことなので、もちろんどちらがどうだねと意見を言いあうのも楽しいですが、どちらもありのままがいいね、と認め合える関係でもあれたらなお嬉しいです。

    でもやっぱり、私もRAYさんのものみたいな洗練された雰囲気の詩を書いてみたいものです (。-_-。)

    p.s.
    RAYさんの作品の変化球のイメージ、まさにおっしゃられたような感じでびっくりしました。自作のコンセプトに意識的なのでしょうか、自分の作るもののことを上手に言い当てるものですね...すごいです。

  • スゴイ! その発想は無かった!
    20年生きて来て(あ、あんた…どさくさに紛れて…)

    作者からの返信

    RAYさん、おはようございます。
    すっかりご無沙汰しています。お変わりないでしょうか。

    これはなんといいますか、何かしらの言葉をひねり出そうとじぃぃっとモニターを睨んでいたときに浮かんだ言葉です。
    きっかけはふとキーボードに目を落としたときだったのですが、照明に淡く照らされてはっきりと目に入ってしまった、キーとボード本体との隙間に入り込んだ(おそらくはもう取れない)埃が着想の元でした。
    ここから「キーボードの隙間〜ホワイトダストは」を思いつき、次いで何を続けようかなと迷っていた際に、ホワイト繋がりで「ホワイトデー」を連想しました。

    惰性というものは身近に潜む恐怖だと思っています。今回は「貴方の惰性の表れ」という書き方で敢えて問いかけるような形にしましたが、私自身、自分のことを鑑みると大変に耳が痛かったりします...。

    ところでRAYさんは二十歳のお嬢様だったのですね! なんと奇遇なのでしょう、実は私も同い年なので(ぉぃ)

  • への応援コメント

    何故でしょうか。

    この一文が、すごく胸に響きました。
    ずしりときました。

    急に、想像の中でしか存在しない会談の角が愛おしくなりました。

    作者からの返信

    来ノ宮様、初めまして。
    応援コメント、本当にありがとうございます。励みになります。


    この一文は、実は私としてもかなり気に入っているフレーズです。それは何故だろうかと考えると、やはり明確な理由は思い浮かばないのがもどかしいのですが...。
    自分で作っておいてこのような言い方をするのも少しおかしなことではありますが、個人的にはこの一文から「切ない希望」を感じるからかもしれません。

    人と人とが物理的にも心理的にも情報的にも何かと隣り合って生きていかねばならないこの世の中は(何でもかんでも「世の中は〜」などと言ってしまうのは大きく出過ぎな感もありますが、あくまで私の実感としてです)、誰かに自分自身を認めてもらうということが嫌が上でも重要になってくる場だと私は思っています。それは何某かの言葉で表現される自分の能力的価値であったり、(言葉はあまり良くないですが)いわゆる歯車的な社会の一員としての存在価値であったり、あるいは家族や親しい人々から得られるべきな無条件の存在肯定であったり(わたしの個人的な信条としてそれは「べき」であるというだけで、事実としてそうでない家族や友人関係がありふれていることは重々承知しているつもりです)、様々です。
    そうして自分の居場所を他者他人の目を通して確立することが、対外的には恥ずかしくないとされる生き方をする上で、避けては通れない道なのだろうと浅い人生経験の中でも感じています。

    ですが、だからこそ少しの大きな失敗が本当に大きな傷として残ってしまう。そんな世界に私たちはいる。

    本来「自分」は、「自分というこの存在」は、成功した経験だけでなく「失敗したという経験」によっても構成されているはずです。むしろ、過去に蹴躓き、かついまはもう踏み越えて後ろに流した「階段」、あるいは現在進行形で踏み越えようとしている壁のような階段の一段こそが、真の意味で自身のアイデンティティたりうるのかもしれないな、とも個人的には思っています。
    組織的にも個人的にも失敗を極度に恐れる社会、換言すれば成功だけが求められる社会の中で、失敗は必ずしも好ましいイベントとは見做されていません。実際やはり私も失敗は怖いですし、できれば上手く回避したいとどうしても思ってしまう節があります。
    ですが視点を変えれば、その「蹴躓いた階段」こそがかえって「私」という人間を形作ってきたのではないか、とも思うのです。
    今日を生きる「私」の血潮に息づく要素は、成功体験だけではなく、失敗体験もまたそうなのだとも。

    成功体験は「他者の目を通して」私を肯定してくれますが、それは複雑化したこの社会では一概には同じように認めてもらえない価値です。例えば私のある実績を評価するにしても、その仕方は時と場合や人によって異なるでしょう。それはときに本当に曖昧で、あやふやです。だから個人の価値は未来永劫確立されたものにはなりえませんし、揺らぐと一気に失墜する危うさをも含んでいます。
    ですが失敗体験というものは、常に「誰の目も通さずに」私を肯定してくれます。それは揺るがない価値だと私は思っています。その「真っ直ぐ駆け上がれなかった階段の角」が、他のどんな要素よりもいまの私を私たらしめている。それがあったからこそいまの私はこうであれる。
    それは必ずしも「過去の経験がいまにこのように活きている」といったポジティブな話ばかりではなく、失敗が失敗として、あるいは心の傷が傷としていまにも尾を引いている話も同様です。「いまの私の痛みを感じているのは、私しかいません」。だからこそその痛みこそが、傷こそが、いまの私という存在を無条件に肯定してくれる、そんなふうに思うのです。



    ...と、冗長なひとり語りをだらだらと続けてしまい申し訳ありません。ご負担になっていなければ良いのですが...。

    とまれ、この一文が思い浮かんだときに私が考えていたことの一端をこうして明文化できたのは、私にとっても大きな収穫でした。
    重ね重ね、この度はこうしてお言葉を残してくださり、誠にありがとうございました。
    本当に嬉しかったです。(*´꒳`*)

    編集済