優しさに触れたこと

紺藤 香純

優しさに触れたこと

 学生生活の4年間を東京で過ごした。

 それ以前は、東京の人は冷たいというイメージがあったが、4年間でそのイメージはくつがえることになる。

 気さくな人、世話好きな人、不器用だけど優しい人に会った。



 大学の入学式の後、三軒茶屋駅周辺を探検していた。すると、キャロットタワーの近くで見知らぬ人から「入学おめでとう」と言われた。

 私は「ありがとうございます」と返したが、驚いてしまい、その一言しか言えなかった。このときの私はスーツ姿で、大学名の書かれた大型の封筒を持っていたため、「入学式を終えたばかりの人」だと思われたのだろう。当たっている。

 このとき、緊張が少しだけ解けた。三軒茶屋は、私のお気に入りの場所のひとつとなった。



 アルバイトを始めたのは、大学2年生のときだった。

 昼食を買うために立ち寄ったコンビニで、ポイントカードを発行してもらった。

 レジの際「ポイントカードはお持ちですか?」「いいえ」「かしこまりました」というやりとりがほとんどだが、このときは違った。

 レジを担当していたのは、いつもの人ではなく、世話好きそうな年配の女性だった。

「ポイントカード持ってますか? ない? じゃあ、発行しとくね。大丈夫。すぐできるからね。パソコンで登録するのは、時間のあるときでいいよ」

 ひとりで喋り倒し、その間にポイントカードができてしまった。勢いの良さと雰囲気が、地元のおばちゃんのような人だった。

 偶然発行してもらったポイントカードは、残念ながら学生の間はほとんど使う機会がなかった。最寄り駅のコンビニで買った方が時間が短縮できたこともあり。そのコンビニ自体立ち寄らなくなってしまったからだ。

 ところが最近になって、地元でこのポイントカードを使う機会が多くなった。

 あのときのレジ担当があの女性で良かった。そうでなければ私はポイントカードをつくる機会がなく、ポイントを貯めて景品をもらう楽しさを知ることもなかったのだから。



 大学4年生のときだった。所用で新宿へ出かけた。その帰りに、ガトーフェスタハラダのラスクを購入した。お世話になっているところに差し入れするためである。

 新宿からJR線で渋谷へ行き、改札を出て他の線に乗り換える予定であった。

 ちょうど昼時だったこともあり、私は渋谷でご飯を食べることにした。入った店は狭く混んでおり、皆が相席をしている状態だった。

 私の隣は、母親くらいの年齢の女性だった。「混んでますね」「そうですね」など軽く言葉を交わし、私は食事が終わるとすぐに乗り換えの駅に向かった。そのくせ、地下の店をぶらぶら見ていた。

 大切なことを思い出したのは、ホームで電車を待っているときだった。


 ――ラスクが、ない。


 思い当たったのは、昼食時に寄った店だ。

 私はすぐに店に戻った。しかし、ホームの端にいたこともあり、改札を出て店に戻るのに5分はかかってしまった。店を出てから20分は経っている。ラスク紛失、という事態も覚悟した。

 ラスクは見つかった。私が座っていた席に、動かされずに置かれていた。

 その隣の席には、先程の女性がいた。食器はからだ。

「ああ、よかった。思い出してくれた」

 彼女は言った。

「もう少し待ってみて、それでも来なかったら、お店の人に預けようかと思っていたの」

 彼女は、私と同じタイミングで入店していたのだ。自分の食事が終わっても私を待っていたことになる。彼女だって用事があるはずだ。私を待っている時間が惜しかっただろう。

 すぐに店員に預けて店を去ることだってできたはずだ。しかし、そうはしなかった。私が戻ってくることを推測していたのかもしれない。

 私は何度も女性にお礼を言った。ありがたさと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。



 「東京の人は優しい」というテーマでエッセイを書こうと思っていた。しかし途中から、東京は関係ないと気付いた。

 優しさに触れた体験。体験した場所が東京だった。それだけのことだ。でも、私の中では大きな体験なのである。



 【終】

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優しさに触れたこと 紺藤 香純 @21109123

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