私の街には何もない。
彗星の如く現れた吟遊詩人
これが私の故郷。
「何年ぶりだろうか………」
久々に故郷を訪れた
古い友達の家の軒先に咲いた棘だらけの薔薇の花は、芳しい香りと共に嘗ての友の記憶を呼び起こす。
通学路で、ピカピカのランドセルを背に追い駆けっこをしている小学生は、嘗ての自分と重なり合う。
「やっぱりこれが私の故郷だ」
私は予想通りのその情景に〝失望〟した。
木々も寒さに震え、衣替えを始めたある日の事。
「『あなたの街コンテスト』あなたの愛する街の魅力を世界に伝えませんか? ねぇ」
芳樹はそのコンテストの題名を見て一つ溜息をついた。
小説家になりたい。いつからそんなことを考え始めたのかは覚えていない。ただ、それだけが私の夢であり目標だった。
しかし、元々文才が無いのか、はたまたまだ開花していないのか、自らの才能は目指している物には程遠く、いつ夢が叶うのかは完全に不明だった。
兎に角何かを変えなくてはという思いから、様々なコンテストに作品を応募もしてみた。————だが、霧に包まれ先の見えない道を進んでも目的地にはつかないのと同じ、具体的な考えがないままただ我武者羅に突き進んでも何一つ良い結果を得る事などできはしなかった。
そんな日々に嫌気が差し、結局何の意味も無く実家を飛び出し早五年。私はこの催しを前に苦々しい気持ちでいっぱいだった。
というのも、私は自分の街が大嫌いだったからだ。
他の地域の人に誇れるものなど何も無い。日本中探せばいくらでもありそうな平凡中の平凡な街。
それは、このコンテストのために街の良い所を思い出そうとしても、何一つ出て来ない程だった。
(それにしても最後に実家に帰ったのは
棚の上に山積みにされた手紙が視界の端に映る。
手紙はなかなか捨てることが出来ず溜まってしまうので嫌いなのだが、母は携帯すら持っておらず文通でしか連絡のとりようが無いので仕方が無い。
山の中から一つ手に取ると、自分の身を心配する文章と共に、たまには顔を見せるようにという願いが書かれているものもあった。
コンテストに投稿する作品の構想を練るついで、帰省をするのも悪くはないか………と思い、すぐに新幹線の切符を買い今に至る。
————回想から戻りふと空を見上げると、ポツリと額に冷たい滴が落ちてきた。
いつの間にか空は鉛色に染まり、それすら埋め尽くすように雨が降り注いでいる。
「目的は果たせず、通り雨に当たるなんてさんざんな帰省だな………」
もはや雨宿りの場所を探す事すら億劫に思える。
津々と降り注ぐ鈍色の雨は、身だけでなく心も濡らしていくようだった。
————それから数分。結局何も収穫は得られないまま実家の近くまで来ていた。
あれからすぐに雨雲は通り過ぎ、霞がかった太陽が雲間に浮かんでいる。
既に陽は傾き始め、オレンジ色の夕日が水溜りに不鮮明な芳樹のシルエットを反射している。
焦燥感から早足になっていた芳樹だが、信号が目の前で点滅を始め慌てて歩くスピードを落とす。
しょうがないので気が進まないが歩道橋の方へ足を向けた。
————しかし階段の手前でふと足を止めた。
既視感。階段を見上げると、いつかの光景がフラッシュバックして目の前にありありと映し出された。
それは嘗て故郷を離れようと決意したあの日の自分。芳樹はその時もこの場所を訪れていた。
今では考えられない、透き通った真っすぐな視線で階段に足を掛ける。
一歩一歩を踏みしめて階段を上り、鋭い目で先を見据えるその姿は、猛々しい豹を思わせる。
そんな〝彼〟に見とれていた芳樹だが、我に返ると後を追いかける。
すっかり忘れていたことだが、芳樹は少年の頃から悩みや決意を胸に秘めた時。必ずといっていいほどこの歩道橋へ上っていた。
歩道橋の一段一段にその轍が刻み込まれているようで、一歩を踏み出すたびに様々な心情が胸を駆け巡る。
————それは、小学生の時。これから始まる夏休みに向けての期待でいっぱいな、あの高揚。
————それは、中学生の時。受験勉強に明け暮れ自由に物事が出来ない、あの苛立たしさ。
————それは、高校生の時。好きだったあの子に告白しようと心に決めた時の、あの甘酸っぱさ。
————それは、大学生の時。未来への希望と不安が入り混じった、あの何とも言えない激情。
————それは、あの時。小説家になることを自分に誓った時の、あの決意。
————そして、今。やることなすことすべて良い方向に動かない、このやるせなさ。
思いが、記憶が、足を伝い心を突き刺していく。
擦り切れ、色褪せていた故郷の風景が、鮮明な色彩を取り戻し一瞬目が眩んだ。
いつの間にか芳樹は、〝過去の自分〟を追い抜き歩道橋の天辺に立っていた。
そこから見える景色は、嘘のように美しく目に焼き付く。
夕闇に浮かぶ高架塔の、紅い背景と相俟ったそれは見事な影絵だ。
精巧なジオラマの如く、屋根を煌びやかに光らせる家々は、その全てが光源だ。
カラフルな林を抜け、懐かしの住宅街を抜け、広大な海を抜け、仄かに白い水平線を抜けたその先。
どこまで行ってもその輝きが失せることは無い。
芳樹はハッとした。
(どうやら私は、特殊なものに気を取られ、特別なものを見逃していたみたいだ………)
さっきまで胸の中で渦を巻いていたものが消えていくのを感じる。
代わりにそこを占めたのは故郷への、小説への、自分への愛する気持ちだ。
「………ありがとう。お陰で思い出せたよ————」
隠れていた夕日が雲を切り裂き、地上へオレンジの梯子を下ろしていた。
大きく深呼吸をすると前を見据える。
その眼には迷いなど何処にも無かった。
私の街には何もない。 彗星の如く現れた吟遊詩人 @zebra_1224
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