最終章「さらばノドグロよ 新潟のグルメよ」

 と言い残して、保志枝琉香ほしえるかは翌朝帰京していった。


 その前日夜、保志枝の壮行会ということで、私たちは新潟駅前の料理屋に一席設けることにした。当然、保志枝の取材費で落ちるわけはないので、保志枝以外のメンバー各自でお金を出し合っての会だ。

 私、理真りま、保志枝が席に着いたあとに、丸柴まるしば刑事、美島みしま研究員が揃って顔を見せ、能登亜麗砂のとあれさも合流した。


「残るは、ろんちゃんだけだね」


 ひとつだけ空いている席を見て理真が言った。論ちゃんとは、新潟県警生活保安課の降乃論子ふるのろんこ刑事の愛称。保志枝とはここが初顔合わせだ。

 どたどたと廊下を歩く足音が聞こえてきた。来たな。


「オッス! オラ悟空ごくう!」


 いつもの挨拶。ピンク縁の眼鏡に三つ編みの髪型。着ているものも、何と形容したらよいか分からないが、これまた普段通りガーリーな洋服。降乃刑事はいつでもぶれない。今日の靴下にはひよこのワンポイントが光っていた。


「あっ! 悟空だ!」


 と保志枝が乗ってしまったものだから、


「オラ、今日は人の金で飲み食い出来ると思うと、ワクワクしてきたぞ」


 論ちゃんが(似てない)モノマネを継続したまま席についてしまった。


「論ちゃん、今日は奢りじゃないよ。代金はみんなで払うって伝えてあるでしょ」


 私が諭すと、


「えっ、それって……ワ、ワリカンのことかー!」

「クリリンみたいに言うな! 『リ』と『ン』しか合ってねーだろ!」

「四文字中二文字合ってれば十分だろ、ピッコロ」

「誰がピッコロだ」

「論ちゃん、何飲む?」


 冷静に丸柴刑事がドリンクメニューを差し出した。さすがに普段から接触が多いためか、論ちゃんのペースに振り回されたりはしない。降乃刑事は、どれどれ、とメニューと各人の前にすでに並べられたドリンクを見比べながら、


「ベジータ、おめえ、何飲んでんだ?」

「ジントニックだよ。最初は軽くね」


 美島が答えた。よく自分のことだと分かったな、絵留えるちゃん。「じゃあ、オラも同じのにすっか」と降乃刑事は店員を呼んだ。

 降乃刑事のドリンクが運ばれてきて、乾杯を合図に壮行会は始まった。


「保志枝さん、私、生活保安課の降乃論子。よろしくね」


 論ちゃん、正式に保志枝に挨拶。モノマネにようやく飽きてくれたようだ。


「よろしくお願いします。私のことは琉香って呼んで下さい。私も降乃さんのこと、論子先輩って呼ばせてもらいますから」

「先輩、かー。いいねー」


 捜査関係者の中では一番年下の降乃刑事は、満更でもないという顔つきになった。保志枝は誰にでも『先輩』を付けて呼ぶ。彼女自身もまだ二十歳を過ぎたばかりで、周りの社会人はほとんどが年上なので、自然とそうなったのだろうか。


丸姉まるねえ先輩は、いい意味で刑事に見えませんけれど、論子先輩は悪い意味で刑事に見えませんね」


 だが、保志枝は初対面の相手でもお構いなしにぐいぐい行く。この辺りは記者魂の為せる技なのだろうか。


「いやー、そう? 私は県民の皆様に親しまれるお巡りさんを目指してるからー」


 などと、ここでも降乃刑事は笑顔で満更でもなさそう。褒められているはずはないのだが、もう酔いが回っているのだろうか。


「琉香ちゃん、何か食べたいものある? 琉香ちゃんの壮行会だから、何でも好きなもの頼んでいいわよ」


 亜麗砂が保志枝に声を掛けた。


「そっ、それじゃあ……」と保志枝はメニューを開くこともなく、「ノドグロの塩焼きをお願いしますっ!」


 おお、と声が上がった。


「琉香ちゃん、渋いわね。城島じょうしま警部みたい」


 丸柴刑事が笑う。いやいや、と保志枝は手を振って、


「私、普段お魚って積極的に食べないんですけれど、ノドグロの塩焼きばっかりは別です!」

「琉香ちゃん、この前新潟に来たとき、ひと欠片の身も残さず食べ尽くしてたもんね」


 理真も笑った。そう。保志枝が最初に取材に訪れた際、理真が「ぜひ食べろ」とノドグロの塩焼きを注文して保志枝に与えたのだ。始めは乗り気じゃなかった保志枝だったが、ひとたび身を箸で取って口に入れると状況は一変した。骨に僅かに付着した身まで箸でこすぎ落として、ほぼひとりでノドグロ一尾を完食したのだった。

 ここでも保志枝は、美味い美味いと言いながら高級魚の塩焼きを箸で突き、皆にも回してくれた。私もいただく。うん。やっぱりおいしい。保志枝の言葉通り、こればっかりは別ものだ。

 保志枝はその他にも新潟の海山の幸を堪能していたが、唐揚げだけは、お昼に食べた弁当のほうが美味しかったと口にして、亜麗砂に頭を撫でられていた。



 私と理真は、保志枝を乗せた列車がホームを出るのを見送った。私たちが立っているのは新幹線のホームではない。保志枝は新潟最後のグルメとして、『幻のイタリアン』フレンドのイタリアンを選んだ。在来線に乗り長岡駅で下車。駅近くの店舗でフレンド版イタリアンをいただいてから、友人に大好評だったという『サラダホープ』を大量に買い込んで、新幹線で帰京するコースを取ったのだ。保志枝はフレンド版イタリアンの感想もメールで教えてくれると言っていたが。


 買い物を済ませてアパートに帰り、理真は仕事、私は昼食の準備をしている頃にメールの着信があった。保志枝からだった。


「ふふふ……」

「ははは……」


 私たちはメール文面を見て乾いた笑い声を上げた。

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「新潟県警の取り調べで出るカツ丼は、タレカツ丼って本当ですか?」完全版 庵字 @jjmac

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