第4章「私、気取らない普通の料理が食べたいです」

 保志枝琉香ほしえるかがそう言ってきたのは、痛恨の大リバースから一夜明けた朝のことだった。

 結局あのあと、美島みしまに手伝ってもらってタクシーに保志枝を押し込み、理真りまの部屋へ急遽帰宅したのだった。聞いた話によると、美島はその後も飲み続け、日付が変わる頃に家路についたという。入店したときとほとんど変わらない涼しい顔をして。


「それじゃあ琉香ちゃん、今日の昼食はお勧めのお弁当屋を紹介しようか」


 朝ご飯を食べながら理真が提案すると、


「お弁当屋さんですか。いいですね。料理屋なんかじゃない、庶民のグルメ。やっぱり新潟はチェーン店のお弁当も美味しそうですよね」

「ううん。チェーン店じゃないのよ。個人で経営しているお弁当屋で、すごくおいしいの。おまけに店主も美人よ」

「うわー、それもいいネタになりそうですね。取材してもオーケーですか?」


 朝食後、理真が連絡を取ると、くだんのお弁当屋〈とらとりあ〉の店主能登亜麗砂のとあれさは二つ返事で取材を了承してくれた。お昼は日替わり弁当だー。おー。と気勢を上げる理真と保志枝を見て私は思った。結局、昨夜の取材はどうなったのだろうか。


 午前中は理真も保志枝も仕事に費やし、私たちは〈とらとりあ〉へ向かった。途中、お弁当が食べられなくなっても知らんぞ。という私の忠告を無視して、二人はバスセンターに寄ってカレーを食べていた(ただし、さすがに小盛りだった)。

 仕事の邪魔をしては悪いので、お昼のピーク時を少し外した時間に〈とらとりあ〉を訪れた。


「あー、理真ちゃん、由宇ゆうちゃん、いらっしゃーい」亜麗砂がいつものように、こちらに向けた両手を振って私たちを迎え入れてくれ、「そちらのお嬢さんが、今朝電話で言っていた?」

「はい、保志枝琉香です。よろしくお願いします」


 保志枝は深々と頭を下げた。昼時を過ぎたためか狭い店内(お弁当屋なので当たり前だが)にお客の姿はなく、カウンターの向こうに立つのも亜麗砂ひとりだけだった。


「はいこれ。今日の日替わり、取っておいたわよ」


 亜麗砂はカウンターの下からビニールに入った弁当を三つ取りだした。代金を払おうとしたが、取材してくれるから、と亜麗砂に受け取りを固辞されてしまった。


「あれさん、今日の日替わりは、なに?」


 理真が訊いた。「あれさん」というのは能登亜麗砂の愛称だ。彼女は昔、ある事件に巻き込まれて容疑者にされたところを理真の推理で救われたという過去を持つ。それ以来務めていたレストランを辞め、理真との縁で新潟にお弁当屋を開いたのだ。


「今日は特製唐揚げ弁当よ。それも、新潟地鶏を使った贅沢な一品。レギュラーメニューの唐揚げ弁当よりも断然お得なの」

「うわー、大きな唐揚げ。いい香り」保志枝はカウンターの上で蓋を開け、弁当をデジタルカメラに収めながら、「それに、お米がピカピカ! やっぱりコシヒカリなんですか?」

「ううん。うちで使ってるのは、こしいぶきっていうお米なの。でも、コシヒカリじゃないからって、なめないでよね。コシヒカリの名前が大きすぎるだけで、こしいぶきだってそれに匹敵するおいしいお米なんだから」


 亜麗砂は、えへんとエプロンを掛けた胸を張った。それを聞いた保志枝は、ほうほう、と亜麗砂を見上げて、


「亜麗砂先輩、理真先輩に聞いていた通りの別嬪さんですね」

「えー! 何を言い出すの、この子ったら、やーねー」


 言いつつも亜麗砂は、満更でもないというふうに両頬に手を当てて顔を赤らめた。相変わらず幼さを感じさせる所作だ。年齢では私や理真よりもずっと上なのだが。


「亜麗砂先輩、写真いいですか?」


 保志枝は、弁当からそれを作った本人にカメラを向け直す。


「えー、こんなことなら、お化粧してくればよかったー!」

「いえいえ! すっぴんだからいいんです!」


 保志枝は亜麗砂を被写体に、ばしばしとシャッターを切りまくる。「せっかくだから、お弁当を顔の高さに持って」とリクエストを受けて、亜麗砂は日替わり弁当を手にする。「ウインクして」の声にも応えて、恥ずかしそうに片目をつむる。「お弁当を持ったまま、カウンターに空いた手を突いて。そう、胸を寄せるように」と、これは理真からの要請だ。何やらせてんだよ。


「亜麗砂先輩、〈とらとりあ〉お勧めメニューは?」

「うちの自慢は、何と言ってもカレーよ。レトルトじゃなくて、お店で煮てるからね。スパイスの調合にも拘ってるのよー」

「ほうほう。そう言えば、私と理真先輩、ここに来る前にバスセンターのカレーを食べてきたんですよ」

「ああ、あの黄色いカレーね。私も好きよ-。あそこって本当はおそば屋さんなのよねー。おそば屋さんのカレーって、どうしておいしいのかしらね」

「でも、とらとりあも負けてないですよね?」

「それは、もちろんよ」

「ここのカレーの売りは?」

「それはもう、私が厳選したスパイスをふんだんに使って、じっくりと煮込んだ辛うまさよ。ご家庭ではこの味はなかなか出せないと思うわよー」

「いいですね、亜麗砂先輩、もっと、こう、色っぽく言って下さい!」

「ええー? どうしてー?」

「さあ! 早く!」

「えー」


 亜麗砂は助けを求めるように理真に視線を移したが、理真は「がんばれ、あれさん」と保志枝の味方についてしまっていた。さらに保志枝にもまた促されて、


「……ご、ご家庭では味わえないカレーを出している自負はあるわよー……。うふふ」

「それ! それですよ亜麗砂先輩! さあ、もっとメニューを紹介して!」

「カ、カレーなら、カツカレーもお勧めよ。越後もち豚を使ったカツは、そのまま食べても当然おいしいけれど、カレーとの相性も抜群なの。ぜひ、味わってみて……」

「いいですねー。そう、もっと、カメラをなめ回すように見つめて! 頭に巻いている頭巾、取っちゃいましょうか」


 保志枝に言われ、亜麗砂は白い頭巾をはらりと解く。セミロングの艶やかな髪が流れ落ちた。何の取材なんだこれ。というか、雑誌記事なんだから声は関係ないだろ。

 理真が見守る中、保志枝と亜麗砂の怪しい取材(?)は続く。ひとりで弁当食べててもいいかな。私だけバスセンターのカレーを食べなかったから、お腹がすいてきたんだけど。


「……見て、この大きな唐揚げ……」


 日替わり弁当を前に、唐揚げに妖艶な眼差しを送っていた亜麗砂の動きが止まった。逸れた視線は店の出入り口に向いている。そこには、唖然とした顔で立ち尽くす背広姿のサラリーマンが二人。


「――い、いらっしゃいませー」


 慌てて亜麗砂は頭巾を被り直す。私たち三人は弁当を引っ掴むと、逃げるように〈とらとりあ〉をあとにした。

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