第3章「やっぱり日本酒は外せませんよね」
「そうだね。グルメもいいけど、新潟といえば日本酒だよ」
「ささ、絵留先輩」
すかさず保志枝は美島の空になった杯に酒を注ぎ足す。注ぎ終えると反対に美島にとっくりを差し出され、「ああー、どうもー」と言いながら、保志枝は注がれた酒をすぐに飲み干してしまった。
「保志枝さんだっけ、いい飲みっぷりだね」
「絵留先輩! 琉香って呼んで下さいよー、もう絵留先輩とは友達じゃないですかー」
保志枝は、わははと笑って美島の背中をばんばん叩く。
理真に電話が掛かってきてからすぐ、保志枝の出した『新潟日本酒巡り』の企画が東京のタウン誌に通って保志枝は来県。理真、私、保志枝に美島を加えた四人で酒の席を設けることとなったのだ。美島は休憩を入れるようにつまみの柿の種を囓ってから、
「東京の人には断然〈
ただ単純な酒巡りの企画であったら、そうすんなりと通るわけがない。今度のものは、『科捜研の女おすすめ! 越後の酒!』という企画らしい。美島はアルコール全般を好み、酒を出すお店もよく知っている。今夜は保志枝の企画に沿って、旨い日本酒を出す店をセッティングしてくれたのだ。
「いやー、本当ですねー」と保志枝は頬を赤く染めた笑顔で、「私、日本酒ってほとんど飲まないんですけれど、今日はぐいぐい行けちゃいます」
「私も普段はビールやカクテルが多いけれど、たまに日本酒もいいね」
飲んでいる量は保志枝とほとんど差はないはずだが、対する美島の顔色はまったく変わっていない。さすがだ。
「
さらに杯を空けてから、保志枝は理真と私のほうに向いてきた。
「もちろん、いただいているわよ」
「そうそう」
理真と私は続けて答えた。が、「本当ですかー?」と保志枝は私たちの顔を覗き込んでくる。これはいかん、目が座っている。保志枝は、手酌で注いでからすぐに杯を空にすると、
「理真先輩は、さっきから枝豆ばっかり食べてるじゃないですかー」
「琉香ちゃん、これは正確には茶豆といってね、新潟が誇る最強のおつまみなの。この前来たときに琉香ちゃんも食べたでしょ」
理真は豆を口に運ぶ動きを止めないまま言った。理真の言う通り、茶豆は新潟の隠れた名産品だ。実の薄皮が薄茶色であることから名付けられた茶豆は、新潟の夏に欠かせない風物詩だ。その味もさることながら、茹であげた直後の香りもたまらない。他県人に「新潟グルメと言えば?」と問うて、「茶豆」と答えた者がいるなら、その人は相当な手練れであろう。
「私、あのときはノドグロに夢中で……」と保志枝も皿に手を伸ばして豆を口に含むと、「……むぐっ! こ、これは!」杯をテーブルに置いて、茶豆を口に運ぶ反復運動を延々と続け始めた。理真がすかさず茶豆の追加注文をする。美味い美味いと茶豆をむさぼっていた保志枝だったが、その手が伸びる先は次第に、豆と杯の半々に変わっていった。
「この豆は、お酒があるとさらにおいしくなりますね。単体でも最高に美味い豆とお酒を、同時に味わう。こんな贅沢が許されていいんでしょうか? いいんです!」
「琉香ちゃん、ちょっとお酒のペースが早くなったんじゃない?」
理真が注意した。確かに茶豆がテーブルに載ってから、保志枝の飲むペースが明らかに増している。
「だ、だって、飲まずにいられない、食べずにいられないじゃないですか。お酒が豆を、豆がお酒を、早く口に運べと促す、いや、命令するんです。私、この誘惑に逆らえるほど意思が強くありません! それに、絵留先輩だって、私と同じくらい飲んでるじゃないですか」
保志枝の言うとおりだ。むしろ酒の量だけで見れば美島のほうが飲んでいる。だが、両者の間に見える差は歴然だ。ほんのりと頬を染めたまま、私たちとの会話にも淀みなく受け答えをしている美島に対して、保志枝の顔は真っ赤で、呂律も怪しくなってきている。先ほどの保志枝の口から漏れた最後の言葉をそのまま正確に記すと、
「えるしぇんぱいらって……わらしとおにゃじくらいにょ……にょんでるららいれすか……」
となる。
「に、にいがたのおしゃけは、どれもさいこうれすね……くちゃーたりがいいから……いくられものめらうらうらー……」
恐らく、「新潟のお酒はどれも最高ですね。口当たりがいいから、いくらでも飲めちゃう」と言ったつもりらしい。最後の「らうらー」というのだけ意味不明だが。
「そうら……しゅらい……」
しゅらい? 保志枝は杯を置くと、鞄から手帳とペンを取り出した。ああ、取材か。というか、今さらかよ!
「え、えるしぇんぱい……かしょうけんのおんにゃおしゅしゅめのおしゃけわうらー……」
保志枝の声は徐々に小さくなっていく。対して美島はしっかりとした声で保志枝の質問、恐らく「科捜研の女お勧めのお酒は?」に答えている。ここでも最後の「わうらー」という言葉の意味は不明だ。見ると、保志枝が開いた手帳のページには、ミミズがのたくったような線だけが書かれていた。美島の声にも頷きを返しているのかと思ったら、目を閉じて船を漕いでいた。
「……だからね、普段日本酒を飲まない人にもお勧めで。……琉香ちゃん、大丈夫?」
美島も保志枝の異常に気付いたのか、心配そうに顔を覗き込む。保志枝の動きが、ぴたりと止まった。直後、
「らいろうぶれすっ!」
大丈夫です(多分)、と叫んで立ち上がると、保志枝は店の奥のトイレへ消えた。思いの外しっかりとした足取りだった、のだが。
保志枝が胃の中のもの全てをぶちまけてしまったのは、それからすぐのことだった。
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