第2章「幻のイタリアンを求めて」

「……っていう企画、どうですか? 理真りま先輩」


 保志枝琉香ほしえるかの意気揚々とした声が、理真の携帯電話のスピーカーから聞こえている。彼女が東京に戻ってから一週間後の平日昼下がり、保志枝から電話が掛かってきたのだ。


「幻のイタリアンって、どういうこと? あんなもの、新潟にいればどこでも食べられるわよ」

「そうじゃないんです、理真先輩。実はですね、私、あの日買ったイタリアンの画像を写真に撮っておいたんです。で、仲のいい編集者の子が、子供の頃一時期新潟に住んでいて、イタリアンも食べたことがあるそうなんで、ほらほら、懐かしいだろう、ってその写真を見せたんですね。ところが……」

「ところが?」

「これじゃないと。自分が食べたイタリアンはこれじゃないっていうんですよ! その子が言うには、麺がもう少し細くって、かかってるソースもこんな赤いのじゃなくて、茶色いミートソースだったって言うんですね。私が、それは理真先輩に教えてもらった期間限定メニューの、ボロニア風イタリアンだったんじゃないか? って訊いたんです。そうしたら彼女、いいや、そんな洒落た名前のメニューはなかった。自分が食べたのは、ごくノーマルなイタリアンだった、って言って聞かないんですね。その子が嘘をついているとも思えないし。で、思ったわけです。これはもしや、『幻のイタリアン』とも言うべき、我々のまったく知らない闇に生きるイタリアンが存在しているのではないか? 彼女が食べたのはそれなのではないか? と。『小説家安堂あんどう理真が、幻のイタリアンを求めて新潟県を縦断!』っていう企画、どうですか? 理真先輩も気になるでしょ?」

「琉香ちゃん、その子が住んでたところって、新潟市内じゃないでしょ」

「えっ? は、はい、そうです。確か……長岡ながおかだったとか」

「やっぱりね。謎は解けたわ、琉香ちゃん」

「ええ? もう?」

「その編集者の子が食べたというのは、『フレンド』のイタリアンよ」

「ふれんど? どど、どういうことなんですかっ?」

「イタリアンと名の付く欧風焼きそばはね、新潟に二種類あるの。東のみかづき、西のフレンド」

「みかづき、というのは、私がイタリアンを買ったお店ですね。じゃ、じゃあ、フレンドっていうのは、まさか?」

「そう、そのまさかよ。みかづきと同じような新潟のファストフード店に『フレンド』というのがあるわ。そのフレンドでも、欧風やきそばを〈イタリアン〉という名前で販売しているのよ。みかづきのものとは違って、麺は比較的細め、ソースもミートソースに変えてね」

「も、もしかして、そのフレンドがある地域というのが?」

「その通り。みかづきは新潟市を中心に、フレンドは新潟市から約六十キロ南西に位置する長岡を中心に展開しているの。同じイタリアンと称する欧風焼きそばでも、新潟人と長岡人では、その認識に相違があるのよ」

「うわー! さすが名探偵! もう謎が解けたー! 企画がー!」


 恐らく電話の向こうで保志枝は、大きく仰け反っていることだろう。ぜいぜいという荒い息づかいのあと、保志枝は、


「なな、何でそんな紛らわしいことを! 名前を同じくしているだけでなく、ほとんど同じ食べ物だなんて! どっちがパクったんですかっ!」

「人聞きの悪いこと言わないで、琉香ちゃん。みかづきとフレンド、両者が作るイタリアンには、パクる、パクらないという問題以前の壮大な物語が存在するのよ。時は戦国、安土桃山時代、元禄三年にまで遡るわ……」

「ご、ごくり……」


 それから理真は、上杉謙信うえすぎけんしん配下にいた二人の武将が、当時越後の国で甘味屋を興し、切磋琢磨しながら次代へとその技を受け継がせていった壮大なストーリーを得々と語り始めたが、割愛する。なぜなら、すべて嘘だから。


「……という歴史があって、〈イタリアン〉という食べ物は、現代のみかづきとフレンド、二つの店に受け継がれるようになったの。明民みんめい書房の本に詳しく載ってるわよ」


 長い理真の語りが終わり、保志枝の「ううむ……」と唸る声が聞こえる。みかづきとフレンドで同じような〈イタリアン〉という食品を出しているのは、両者の創業者同士が親しかったからだと聞いたことがある。


「そういうことだったんですか。それじゃあ、『幻のイタリアンを求めて』は企画として成立しませんね……困りました」


 保志枝は電話の向こうで途方に暮れているようだ。理真が語った壮大な一大絵巻を取材しようという思考には至らないのか? 嘘話だけど。


「ねえ、琉香ちゃん、いったいどうしたっていうの? いきなり電話してきたりして」

「それはですね、聞いて下さい理真先輩、由宇ゆう先輩も……。実は、あの日飲み食いした領収書が半分も受理してもらえなかったんですよー!」

「そんなことじゃないかって思った」

「理真先輩、由宇先輩、だから、あの領収書を有効にするためには、また新潟に行って何か面白い記事を書かないといけないんですよー! しかも、取材日と領収書の日付があまりに離れていると変だから、なるべく近いうちに!」

「そんなこと言われてもねー」

「理真先輩、よく不可能犯罪の捜査に協力してるじゃないですかー、今手掛けてる事件を取材させて下さいよー」

「あいにくと現在は何の事件も抱えてないわよ」

「理真先輩-、じゃあ、何か事件を起こして下さいよー」

「無茶言わないの。探偵が自ら事件を起こすのは、その探偵最後の事件って相場が決まってるんだからね。私、まだ引退するつもりないよ」


 物騒なことを言わないでもらいたい。


「あ、そうだ」私は思いついたことを言ってみる。「ねえ、琉香ちゃん、今度は食べ物じゃなくて、新潟のお酒を取材するっていうのは?」

「お酒、ですか?」


 保志枝の声がすぐに返ってきた。私の声もスピーカーモードにした理真の携帯電話のマイクに拾われて、向こうに届いているのだ。


「いいかもしれませんね。新潟のお酒は東京でも名高いですからね。〈越乃寒梅こしのかんばい〉とか。私、普段は日本酒ってあんまり飲みませんけれど、頑張ります」


 理真がにやりと笑みを浮かべた。嫌な予感がする。


「琉香ちゃん、それなら、うってつけの人物がいるわ。新潟県警の科捜研に、お酒に詳しい友達がいてね……」


 科捜研の美島絵留みしまえる。彼女の酒に保志枝を付き合わせようというのか。子猫が灰色熊グリズリーに立ち向かうようなものだ。美島絵留と酒に付き合って、最後まで立っていられたものは、屈強な県警刑事の中にもひとりもいない。そうとはしらない保志枝は、「その方も女性なんですかー」「えー、小さくてかわいいんですかー? やだー、私、飲む量セーブしてあげなくっちゃー」などと脳天気な受け答えを返していた。

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