高円寺阿波おどりに蝶が舞う

彩崎わたる

高円寺阿波おどりに蝶が舞う

 夏の夜に鮮やかな華が舞った。


「ヤットサー、ヤットサー」


 威勢の良い掛け声に合わせて、色とりどりの華が所狭しとばかりに跳び、舞い、街の目抜き通りを練り歩いていく。道の両脇には無数の提灯ちょうちんが並び、和太鼓わだいこ篠笛しのぶえ三味線しゃみせんといった鳴り物が〝ぞめき〟と呼ばれるお囃子おはやしを奏でていく。


 八月最後の土曜日と日曜日、この街は踊り子と観客の熱気で沸き立つ。

 今年で第六十回を迎えた東京高円寺阿波おどり――。

 約一万人の踊り手と、百万人を超す観客で、高円寺が華やかに乱舞らんぶするのだ。


「まったく、相変わらずすごい人だな」


 僕がそうぼやくと、前を歩いていた裕樹が興奮を隠しきれない顔で振り返った。


「絶対年々、客が増えてるよ! 今年も警備のためにかなりの数の警察官が動員されてるらしいぞ!」

「そりゃご苦労なことだね」


 僕のそっけない返事を気にしたふうもなく、裕樹の五感はもっぱら阿波おどりへと注がれている。


「うーん、出遅れたな。どこもいっぱいだ」


 道路の両脇はもはやびっしりと観客で埋め尽くされ、細い通路も人一人がぎりぎりすれ違えるかどうかといった具合である。立ち止らないで下さいと声を張り上げる警備員の努力もむなしく、隙間を探しつつ進行する出遅れ者たちの足は止まりがちだ。


「ほら、立ち止るなって」


 僕が後ろからせっつくと、裕樹はくすぐったそうに身を捩った。


「やめろって。わきは弱いんだから」

「それにしても、踊る阿呆に見る阿呆とはよく言ったもんだ」


 すれ違いざまにぶつかられ、慌てて手にしたコーラがこぼれないようにすすった僕は、苛立ち紛れに愚痴ぐちった。


「その割には毎年誘いに乗るじゃん」

「う」


 裕樹の鋭いツッコミに詰まる。

 誘う阿呆に乗る阿呆。毎年この人ごみに辟易へきえきとしながらも結局ついていく僕も案外、夏の終わりを告げるこのお祭りが好きなのかもしれない。


「お、ラッキー」


 裕樹が嬉しそうな声を上げる。

 見ると、ちょうど親子連れが場所を移動しようと動き、その隙間に裕樹が抜け目なく滑り込んだところだった。


「へー、結構良い場所とれたな」

「さすが俺。やっぱこういうときは日頃の行いが物を言うねえ」

「どこがだよ」


 呆れながらそう返し、視線を道路へと向ける。

 高円寺駅の南口から緩やかに続く坂道は、中央演舞場、桃園演舞場ももぞのえんぶじょう、みなみ演舞場として、阿波おどりのメイン通りになるのだ。

 道路いっぱいに踊り子たちが広がる、ダイナミックな動きを見るならここに限る。


「ひゅー。男踊りの女衆ってたまんねえな!」

「おまえな……どこのおっさんだよ」

「えーだって、腰落として、あの動きだぞ。そそられるねえ」

「あっそ」


 裕樹とこうして阿波おどりを見るのもこれで六回は超えているが、見る観点が一致したことはない。まあ、楽しみ方は人それぞれだろう。


 阿波踊りも連によって特徴がある。腹の底に響くような男臭さ全開の大太鼓が見物の東京天水連とうきょうてんすいれん、くるくると華麗な手つきで扇子せんすを回転させる女踊りが目を引く粋輦すいれん。挙げればキリがない。

 僕としては緩急をつけたお囃子に合わせて、男踊りと女踊りが入り乱れるように豪快に跳びはねる連が好きだ。


「次に踊り込んでまいりましたのは」


 女性のアナウンスが連の紹介をすると同時に、左右の大きな提灯に連名を掲げた男二人と、豪快な男踊りが飛び込んできた。

 提灯を器用に回しながら先陣を切った男踊りに続いて、女踊り、鳴り物衆、金色の団扇うちわを持った男踊りの女衆といった構成である。全体的に黒と白を基調にした着物で、女踊りのすそがちらりとめくれたときに見える赤の色が妙になまめかしい。

 まだ遠目だが、動きも個性的で、お囃子の調子も僕好みだった。早く目の前に来ないかと期待が高まる。周囲からも口笛が吹かれ、声援が送られと、盛り上がりを見せていた。


 そうして近づいてきた連の中で、僕の目はふと、一人の踊り手のところで止まった。


「え……」


 編笠あみがさを目深にかぶり、真っ赤な紅を差した唇に妖艶ようえんな笑みを浮かべた踊り子。

 ドキリと心臓が跳ねあがる。その女踊りから目を離せず、一瞬お囃子の音が遠くなった。


「ア、ヤットサー」


 そのとき、その女踊りが掛け声をかけた。


「ア、ヤットヤット」


 周囲の女踊り衆が声に応える。

 あの声――やっぱりそうだ。

 彼女に間違いない。


 それは僕が中学生の頃に片思いをしていた、一学年上の先輩だった。彼女は親の仕事の都合で二学期の途中で遠くに転校してしまい、結局告白できずじまいだった。

 まさかこんなところで再会するなんて。


「こっちを見てくれ」


 僕は小さく呟いた。お囃子と歓声にかき消されて、到底聞こえるはずもない。

 それでも、もしかしたら届くかもしれない。

 あのとき伝えられなかった想いを、今度こそ――。


 しかし、僕の切なる願いもむなしく、彼女は通り過ぎていく。

 刹那せつな

 つと、彼女が顔を斜めに傾けた。編笠がわずかに逸れ、すらりと滑るような流し目が、僕の視線と交錯した。


「あ……」


 思わず声が漏れる。目が合った。確かに合った。

 だが阿波おどりは立ち止ることがない。踊り、流れていく。

 鳴り物の音が心臓を震わせるようにとどろく中、僕は彼女の後姿を見つめた。まるで手を振るように、腰から下げた印籠いんろうがゆらゆらと揺れている。


 次第に遠くなっていくその姿を見ながら、僕はあることを心に決めた。

 阿波おどりは明日もある。また見にこよう。


 そして今度こそ――。

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高円寺阿波おどりに蝶が舞う 彩崎わたる @ayasaki

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