④
※
メルクーリオでの事件から一か月程。リヴェルとルシアの二人とはあの国で別れ、僕は一人でこの国にやって来た。
この因縁の国……アルジェントに。
「や、やめろ!! やめてくれ、殺さないでくれ!!」
「うう、なんなんだよこれ……何で、腕が勝手に……うわあぁ!?」
白衣を纏う研究員たちが、互いに互いを殺し合う。ただただ無様な光景に、僕はため息を吐いた。大勢を相手にする時はこういう方法がラクで良いのだが、
「何の面白みもないですね……」
軍事帝国と名高い国であっても、流石にこんな研究所では大した武装も整っておらず。文房具や実験器具で殺しあう姿は、最初は面白いかと思ったが。
あまりにも非効率的で、時間がかかりすぎる。
「……そうだ。あの、貴方達」
「は、はい!」
「この施設に火を放ちなさい。書類一枚残らないよう、徹底的に燃やし尽くすように。これは『命令』です」
「ひ、ひいぃっ!!」
まだ若い研究員を数人捕まえて、そう命令した。こんな施設があるから、リヴェルの身に危険が及ぶのだ。
全部、全部燃やしてやる。
「な、あんた……吸血鬼か!?」
「……おや、貴方達は人外……ですね?」
逃げ延びようとしている人間が居ないかを探す為に、手当たり次第に部屋を捜索していた時だった。何かの実験室だろうか、何もない小部屋に少年と少女が居た。だが、二人とも人間ではない。ひょこひょこと動く三角の獣耳に、不安そうに揺れる尻尾。
そうだ、すっかり失念していた。生物研究所なのだから彼等のような者達が居ても何ら不思議ではない。
彼等のような……人外が。
「た、たすけてください! 吸血鬼のおじさん、たすけてください! ゆーくんだけでも、たすけてください! お願いします!!」
「な、ルル!? なに言ってやがる! おいオッサン! 助けるならルルを――」
「あの……僕は一人だけ助ける、なんて言った覚えはないんですけど……」
混乱気味な少年少女に苦笑しながら、彼等と目線が合うように片膝を尽いた。この国には並々ならぬ思いがあるが、流石にこんな十年も生きていないような子供までもを巻き込むようなことは避けたい。
何より、人外である以上は彼等だって被害者だ。
「この研究所には、きみ達の他にも人外の方達がいらっしゃるんですか?」
「う、うん……居るけど」
「そうですか。貴方達はとても賢そうなお顔をしていますね。なので、お二人にお願いがあります」
そう言って、僕は少年の方に鍵束を手渡した。この研究所に来て入手した鍵束は二種類あり、その内の片方を全く使用していなかったのだが。
鍵の作りが、番号以外は全て同じことから……恐らくは、人外を閉じ込めている檻の鍵なのだろう。
「ここは時期に全て燃えてしまいます。可能な限りで構いませんので、閉じ込められている人外の方々を助けてあげてくださいませんか?」
「い、良いのか?」
「僕が滅したいのは、この国そのものなんです。人外の方々には、特に恨みなどはありませんので」
「あ、ありがとうなオッサン」
「ありがとー!」
「あ、待ってください」
今までの不安そうな表情から一変。喜々として駆け出した二人を呼び止めて、僕は言う。
「僕はまだ、おじさんではありませんので」
「うん、わかったよ。おにーさん!」
「ふふっ、よろしい」
無邪気で愛らしい様子に、思わず笑みが零れる。どうも自分は、獣耳と尻尾を持つ者に弱いな。そう思いながら、再び研究所内を歩く。既に火の手が回り始めたのか、辺りには警報音がけたたましく鳴り響いている。
そろそろ退散すべきか。そう思いつつ、僕は更に奥へと進む。既に事切れた研究員たちの屍を横目に、目に入った部屋へと入った。
床や机に散らかった書類やファイル。それらを踏み付け、僕は奥にある机へと向かう。そこに居るのは、一人のやせ細った人間の男。その胸にメスが突き刺さったまま、机に突っ伏すようにして死んでいる。
それだけならば、特に興味を引かれなかっただろうが。
「……貴方、何を握り締めているんですか?」
この男、何かを持っている。両手の指を絡め合わせるように、何か小さなものを。僕は屍の手から何とかそれをもぎ取り、手に入ったそれをじっと観察する。
「これは……ボイスレコーダーでしょうか」
掌にすっぽりと収まる程度の機械は、使ったことはないが見覚えがある。音声の記録を録る為の機械に、どんな思いがあってこの男は息を引き取ったのだろう。
逃げることも、自分を殺そうとする者に抗うことすらせずに。たった一つの機械に、物凄い執念である。
「……ふむ、何か面白いものでも記録されているのですかね?」
ただの好奇心で、僕は機械を操作する。時代に取り残されるのが嫌で、こういう機械の扱いは積極的に覚えようと努力をしてきた。だから、これくらいは僕にとって容易なことだ。
音声は、すぐに再生される。音声は一人分の男のものしかない。恐らくは、この持ち主の声であろう。だが、どれもこれもがどうでも良い内容ばかり。すぐに飽きて、そのまま放ってしまおうかと思った頃だった。
『……私は、十七年前に行われた人工ダンピール実験の成功を否定する。ワータイガーのリヴェルに行われた実験は……存在しないものであったのだ』
ぴくりと、肩が跳ねる。どうして、ここでリヴェルの名前が。まさか、この男……あの研究所の生き残りか。
『十七年前、シェケルという名のワータイガーから二人の子供が生まれた。先に生まれた兄はテュラン、後に生まれた弟はリヴェルと名付けられた。だが、リヴェルはあまりにも未成熟であった為に、出生時は仮死状態であった。当時、ワータイガーは稀少な実験体であった為に、二体共に生存させたかったが……所長の判断で、リヴェルは処分されることになった。だが、どうせ捨てるなら最後に実験を……そうして、その実験は成功しリヴェルは生還した……というのが、表向きの報告である。だが、それは事実とは大きく異なる。リヴェルに行われたという実験記録は存在しないし、行ったという研究者も居ないのだ。報告書に記載された名前は、虚偽のものである』
そこでしばらく、声は言い淀む。数秒後、再び声は話し始める。
『実験に使われたという、吸血鬼の細胞を入れた器具は空の状態で廃棄されていた。だが、その細胞は不自然にも実験室の流し台に捨てられた痕跡があった。つまり、実験は明らかに行われていない。そして、リヴェルのダンピール化した細胞を調べたところ、研究所内どころか国内外に存在するあらゆる吸血鬼のデータの、どれとも一致しなかった。真祖カインのものが一番類似していたが、私はそれを否定する。カインのものであるならば、データと完全に一致しないのは不自然である。それに、廃棄された吸血鬼細胞はカインではなく別の血統の吸血鬼だ』
以上のことから。声は興奮気味に続ける。
『リヴェルに行われた処置は、我々の実験では有り得ない。考えられるのは……真祖カインとは異なる、しかし同等の力を持つ純血の吸血鬼によって、リヴェルはダンピール化した。仲間内には否定されたが、その条件に当てはまる吸血鬼が、世界に一人だけ存在する。その者の名は――』
「……ふん、よく調べましたね。結構頑張って、でっちあげたつもりでしたが……カインの細胞を使わなかったのが裏目に出ましたか」
僕は機械を床に落とし、踵で踏み付けて破壊した。これで、もうこの事実が明るみに出ることはないだろう。誰も知らなくていい。知る必要はない。
それは……指先を伝う、たった一雫分の気まぐれだったのだから――
「さて、と。そろそろ僕もお暇しましょうかね」
煙の臭いが強くなってきた、もうそろそろ限界だろう。僕は憐れな男の亡骸をそのままに、部屋を後にした。可燃性のガスでも漏れ出したのだろうか、想像以上に火の回りが早い。
僕は足早に、出口へと向かう。だが、その最中に何やら人外達が騒いでいた。
「お、おい……あんた、大丈夫か」
「うう……大丈夫じゃない、気持ち悪……」
「だめだ、一人じゃ立てない! 誰か、この吸血鬼さんに手を貸してやってくれ!!」
どうやら、動けなくなっている者が居るらしい。僕は人だかりに歩み寄り、様子を窺う。見れば、紅い髪に紅い瞳を持つ男が、無様に床へと倒れ込んでいた。
この吸血鬼、カインの血族か。
「……何をしているんですか? 早く逃げないと、全員焼け死にますよ」
「あ……そ、それがこの吸血鬼さんが動けなくなってて……たぶん、今朝打たれていた注射のせいだと思うんだが」
「注射……ね」
まさか、あの注射だろうか。もうすっかり回復した身ではあるが、あの薬にもちょっと鬱憤が溜まっている。
仕方がない、今回は見逃してあげよう。
「放っておけば、その内回復しますよ。さあ、早くお逃げなさい。さもないと――」
「ま、待ってくれ……カインさま」
大男二人に支えられて、何とか立ち上がった吸血鬼が僕を見た。どうやら、まだカインに間違われているらしい。胸糞悪い、やはり今すぐ殺してしまおうか。そう考えるも、僕はすぐに考えを改めた。
と言うより、カインの血族なんかに構っている余裕は無くなった。
「お、奥の檻に……閉じ込められているやつが居るんだ。まだ、若い……ワータイガーが!」
「ワータイガー? ……ま、まさか」
「アイツ、鎖で繋がれて動けねぇんだ! もう、檻の方まで火の手が回ってる、早く――」
「お、おいあんた!?」
その言葉を全て聞く前に、僕は傍に居た人外から鍵束を奪い奥へと急いだ。吸血鬼の言う通り、既に煙が充満し赤い炎が煌々と燃えていた。
構うものか! 僕は唯一開いていない奥の檻へと向かう。そして、その前に立つと無我夢中で檻の鍵を探した。早く、早く! 気持ちばかりが焦ってしまうも、なんとか鍵を見つけることに成功した。
鍵を差し込み、檻を開放する。すると、じゃらりと耳障りな音が聴こえた。
そして、今にも消えてしまいそうな弱々しい声が、僕の耳に届く。
「……何、アンタ?」
「――――!?」
見間違いかと思った。確かに、双子であることは知っていた。それでも、髪と瞳の色が違うのだから限度はあると思っていた。
だが、僕が想像していたよりも彼はリヴェルにそっくりだった。
「……きみが、テュランくんですね? 初めまして、僕はジェズアルドと申します」
平静を装いつつ、僕は名を名乗る。リヴェルはテュランの記憶を持っているが、テュランの方はそうではない。怪訝そうに睨んでくるテュランに向かって、僕は問いかける。
この子を……リヴェルの本当の兄である彼を、こんな場所で無駄死にさせるわけにはいかない。
「ねえ、テュランくん。僕と一緒に来ませんか?」
「……何それ、まさかエサになれってコト?」
「そういうわけでは……いや」
ふと、感じる。この子は見た目はそっくりだが、性格はリヴェルとは全然違う。それに、テュランから感じるどす黒い感情。それは、並外れた憎悪だ。
これは、使えるかもしれない。
「……はい、そうです。きみのやりたいこと……たとえば、誰かに『復讐』するとか。そういう、きみの願望を叶えてさしあげますよ。対価として、きみの血を少々貰いますが……ここで焼け死ぬよりはマシでしょう?」
さあ、と僕はテュランに歩み寄る。シルバーフレームの眼鏡を押し上げて、彼に二つの選択肢を与えた。
「このまま焼け死ぬか、それとも僕の餌になるか。きみは、どちらを選びますか……ねえ、テュランくん?」
Abel 風嵐むげん @m_kazarashi
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