③
※
「…………」
鉛のように重い目蓋を押し上げる。ぼやける視界に映るのは、薄暗く狭い空間だった。嗚呼、やっぱりあれは夢か。安堵と共に、言いようの無い失望感が胸に蟠っている。
「……ぅ」
ふと、柔らかい感触が頬を擽る。気怠く思いながらも身じろぎしてみれば、どうやら誰かが頭を僕の肩に預けている。
まあ、誰であるかなんて……紅い猫っ毛ですぐにわかった。
「リヴェル、くん……」
返事は無い。だが、穏やかな寝息が聞こえる。良かった、どうやら彼を護ることくらいは出来たらしい。意識がだんだんはっきりしてきた。ここは、ルシアの車の中だ。
そうだ。僕はあの時、リヴェルを庇って撃たれたのだ。それも、ショットガンなんて代物で。身体の中を、いくつもの銀が獣の如く食い荒らすようなおぞましい感覚は今でもよく覚えている。
そういえば、ルシアはどうしたのだろう。
「……ルシアくん?」
良かった、ルシアもすぐ近くに居た。いつものように、愛車の運転席に居る。車は停車しているから、運転しているわけではないようだが。……違う、そうではない。
ルシアは今、運転など出来る状態ではないのだ。
「――ッ、ルシアくん!?」
様子がおかしい。元々暗殺者であった彼は、今でも眠りは浅い。だから、いつもならば僕が名前を呼べばすぐに起きて「うるさい、死ね」などと嫌そうに吐き捨てる筈なのに。
罵声を浴びせることも、銃口を向けてくることすら無い。吸血鬼である自分だから、わかる。ルシアの体力が、著しく低下しているのだ。
しかも、血の臭いまで彼から香ってくるではないか!
「ルシアく――」
「ルシアは大丈夫。ついさっきまで起きてたんだケド、やっと寝てくれたんだ。だから、今は寝かせてあげてよ」
ジェズ、と僕を呼ぶ声。見れば、リヴェルが目を擦りながら僕を見ていた。彼が言うには、ルシアは僕を助ける為に自らの左手首をナイフで切り裂いたのだそう。
そして、溢れ出る血を僕に飲ませながら、体内に止まった銀を全て摘出した後にここまで連れて来てくれたのだ。
ほんの数十分前まで、銃を手に辺りを警戒していたようだが。流石の彼でも疲弊していたのだろう、明るみ始めた空に安心したのか、ついに眠ってしまったらしい。しばらく起きることはないだろう。
そういえば、腹や胸に真新しい包帯が巻かれている。これもルシアがしてくれたのだろうか、既にかなり修復が進んでいるようで傷は大して痛くはない。
最も、ここまで回復が早いということは……ルシアの血は僕にとって、相当美味なるものだったに違いない。ううむ、味を覚えていないのが非常に悔やまれる。
「……ルシアくんに、後でお礼をしなければいけませんね」
「あはは、最高級のチョコレートなら喜ぶんじゃない?」
「チョコレートで良いなら、いくらでも用意しますよ。……リヴェルくんは、怪我とかしていないですか?」
「……うん、オレはアザくらいで済んだからな」
「そうですか、それは……り、リヴェルくん!?」
不意に、リヴェルの両手が僕の背中に回る。今の僕には熱いくらいに感じる両手がしがみついて、リヴェルがぎゅうっと力強く抱き締めてくる。
「っ……良かった、ジェズが死ななくて……本当に良かった。アンタが死んだら、オレ……」
「……リヴェルくん」
正直、傷口がズキズキと痛んで呼吸するのさえ難儀であったが。それでも、肩を震わせる子猫を突き放すことが出来なかった。
その代わりに、柔らかく抱き締め返して赤い髪をポンポンと撫でてやる。
「うぅ……ジェズ、怖かった……アンタが死ぬなんて、そんなの嫌だ……」
「大丈夫ですよ、リヴェルくん。僕は、簡単には死ねませんから」
「だって……」
「リヴェルくんも、お疲れでしょう? 僕はもう少し休んだら、動けるくらいには回復すると思いますから。そうしたら、ルシアくんも一緒にどこか落ち着いて休める場所に連れて行ってあげますよ」
「……ん、わかった」
幼子を寝かしつけるように、背中をあやしてやって。そうしている内にリヴェルは再びウトウトと微睡み始め、そのまますやすやと眠ってしまう。それにしても、疲れているとはいえこの状態で寝てしまうとは。
――あの死にかけていた子猫に、お前は一体何をした?――
「これは……やはり、そういうことなんでしょうね」
腕の中で寝てしまったリヴェルをそのままに、夢の中に現れたカインの言葉をぼんやりと思い出す。彼が己の血族を増やしたのは、自分を無条件で愛してくれる存在を作るため。彼は血族を『子供』と呼んでいたが、中々に言い得て妙だと思う。
でも、それならばリヴェルは――
「……すみません、リヴェルくん。ラグランジアへ行く前に、少し寄り道させて頂きますね?」
眠りに落ちたリヴェルには、聞こえていないだろうが。優しく頭を撫でながら、僕は決めた。ラグランジアの様子を見に行くという彼との約束は必ず果たす。
だが、その前に。これ以上、リヴェルの心身を脅かすあの国を野放しにするわけにはいかない。
「きみを傷付けるものは、僕が全部壊してあげます。だからきみは、安心してお眠りなさい」
我慢の限界である。これ以上リヴェルを傷付けるのなら、もう容赦はしない。それに、ルシアにも大きな借りが出来た。
必ず、この子は護る。決意を胸に、僕は遠くから顔を出し始めた朝日を、そしてその方向にあるであろう因縁の国を睨み付けた。
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