②
たった一つしかないのなら、僕が来る前に一人で食べてしまえば良かったのに。
「カイン、どうして――」
「お前は、私の弟だからな。弟に分けてやるのは、兄の役目だろう?」
まるで、当然だといわんばかりにカインが言った。信じられない思いで、僕が何も言えないでいると兄がくすりと笑った。
「それに……アベル。お前も私のことをとやかく言えない程に好きじゃないか、リンゴが」
「あ……」
「子供の頃に、私の分まで食べた挙句に腹を壊して泣いたこともあったな。よく覚えているぞ」
くすくすと楽しげに笑うカイン。そんな彼の表情に、僕の浅はかな猜疑心が粉々に打ち砕かれてしまう。
そうか、そうだった。
「……そう、でした。貴方は……優しい人でした。でも、そんな貴方を変えてしまった。全部……僕のせいです」
カインは悪くなかった。悪いのは僕だ。愚かにも兄の優しさを当然だと甘受し続けた、僕のせいなのだ。
目頭が熱い。きっと、これは夢なのだ。カインはもう二度と、僕の元には戻ってきてくれない。この美しい世界はどこにも残っていないし、リンゴを食べることはもう出来ない。
これは、夢だ。でも、眠っている間にここまで生々しく幸せな夢は見たことが無い。ということは、僕は死んだのだろうか?
「……僕は、本当に愚か者です。カイン、貴方に殺されてから僕は『復讐』する為に生きることを許されたのに。それでも僕は……この夢から醒めるくらいなら、もう……生きていたくない」
たとえこれが夢で、幻だったとしても。ずっとここに居られるなら、カインが傍に居る夢を見られるのなら、命なんか要らない。
「……アベル? どうした、何故泣いている?」
カインの指が、目元にそっと触れる。この優しさが、どれだけ大切だったかを失ってから気がつくだなんて。
「ごめんなさい……カイン、ごめんなさい……」
震える声で、何度も謝罪の言葉を繰り返す。今更遅い、カインを傷付けた罪を償うことなんて出来ないとわかっているのに。
「アベル、お前……謝る相手を間違っていないか? いや、もう一人居る、と言った方が良いか」
「……え?」
「お前は、あの『子猫』に何をした?」
「――――ッ!?」
突如、カインの声色が変わる。不穏な響きを孕んだそれに顔を上げれば、そこにはまるで別人のように変わり果てた兄がそこに居た。
腰まで伸びた髪も、瞳も、全てが鮮やかな深紅に染まる。視界から、瑞々しい世界が消え失せて。代わりに広がるのは、何も無い闇だけ。
両手の温度も、何もかもが失われた。残ったのは、血に濡れたナイフが一振りだけ。
「お前は同じ吸血鬼でありながら、私の血族を随分毛嫌いしていたな? 私が血を分け与えた同胞を。私のことを無償で慕い、愛してくれる、可愛い可愛い私の……『子供達』を」
「……それ、は」
「ならば、どうしてお前は同じことをしたんだ?」
狂気じみた微笑を浮かべながら、カインは言った。頬に触れていた指が、つうっと肌を伝って。喉仏に触れれば、そのまま兄の両手指が首に絡まり、ゆっくりと絞め始める。
「神に捨てられた私を嗤い、私の大事な子供達を大勢殺したくせに。お前は、あの子に何をした?」
「が、は……!? カイ、ン……」
「教えてくれないか、アベル。お前は、あの子に、何をしたんだ?」
呼吸が、出来ない。苦痛に喘ぎながら兄の名前を呼ぶも、意識は次第に遠ざかっていく。
霞み始める視界で、カインの紅い双眸が僕を蔑んでいた。全てを見透かすように、僕の全てを否定して、吐き捨てるように彼は言った。
「アベル……あの死にかけていた子猫に、お前は一体何をした?」
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